聖女の祝福 ―4―
地面にいるのは不利だ。ただでさえ狭く、街灯すらまばらな夜闇の中で、あの触手を避けきる自信はない。しかし、上空からどうやってダメージを与えるかが問題だ。
古い町並みながらも、酒場や商店が並ぶ通りは、軒並み破壊されてあちこちに死体の破片が転がっていた。壁に飛び散った肉片や、石畳をトロトロと伝い流れた血の匂いが、否応なくダンテの眉間を険しくさせる。 それでも、通りに面したバルコニーがある建物を見つけて飛び込んだ時、ダンテはあっと小さな声を上げたまま、立ち止まってしまった。見間違いだろうか、ただ似ているだけだろうか、そう思って、夜目がきくおかげで灯していなかったタクティカルライトを引き抜いた。 (まさか・・・・・・) 眩い白光の円に照らされたのは、無残に喰い千切られた女の死体だった。右肩から腰に掛けて、抉るように無くなっている。投げ出された脚がねじれたようにおかしな方向を向いており、おそらく振り回されたか、噛みちぎられた反動で、この建物の出入り口を壊しながら、店内のショーケースにぶつかって止まったに違いない。売り物のチーズと冷め切ったパン、そしてガラスが散らばる中で、彼女はこと切れていた。 「・・・・・・・・・・・・」 名前は思い出せない。もしかしたら、名前すら聞いていなかったかもしれない。だが、快活に笑うその顔と、波打つ金髪は、確かに記憶にある女と一致した。奔放で、軽率で、醒めた自分の心すら温かく祝福してくれた、優しい女だった。 (・・・・・・故郷を出て、この町にいたのか) 幸い、ゾンビ化する前に絶命することができたのだろう。完全に冷たくなっている首に手を当てた後、ダンテは見開かれたまま、どんよりと虚空を見詰めているグリーンアイズを閉ざしてやった。 (許すものか・・・・・・ッ) 自分の中に沸き起こる怒りで、自分の体という殻がひび割れてしまいそうな感じがする。コードファクターの発症者に、罪はないというのはわかっている。彼らとて被害者だ。だが、今この時、彼女を殺したのは、間違いなくあのスキュラだった。 ダンテはスキュラに見つかるのを避けてライトを消し、急いで二階に上がる階段と、通りに面したバルコニーがある部屋を探した。 無線によると、ボッカたちは無事に本隊と合流できたようだ。他の偵察隊も、スキュラ以外の発症者を発見できなかった。 案の定、あの化物を殺すための重火器を持ち込むには、道幅の狭さや小道の多さで、部隊の移動が難航しそうだという。 (ランチャー構える前に、あの触手が飛んできそうだしな。狭い道を進軍している最中に、両隣の家を壊されたら、全員生き埋めになっちまう) かといって、狙撃できるような高さがあるのは教会の塔ぐらいで、ダンテが足止めしている繁華街からは遠すぎる。しかも、事前にコアが出ているならまだしも、まだまだ元気いっぱいな状態だ。 (チャンスは一度だけ) ダンテはタクティカルライトでスキュラの注意を引き、サブアームのハンドガンを構えた。パッパッパッパッと軽いが高い射撃音が夜空に響き、手の中の鋼が跳ねる。ギャーーーーという叫び声が聞こえたが、有効射程から外れているし、ダメージが入っているとは思えない。ただ、おびき寄せられればいいのだ。 死体を貪っていたスキュラが、ずるずると長い脚を引きずり、血の足跡を付けながらダンテに迫ってくる。 「ッ!?」 ビュッ、と風圧を感じたのは、本能的に仰け反った後だった。右頬に焼けるような痛みが走り、よろめいた反対側から、横なぎの一撃がめり込んできた。 「グハッ・・・・・・ァ!!」 石畳に転がり、上から叩きつけられる追撃を、何とかかわす。 (いッ・・・・・・たくないっ!) 石畳の上で跳ね起き、触手全体の動きが視界に収まるように、慎重に後退する。無駄とわかりながらも何度か撃ってみたが、弾丸はことごとく触手に弾き飛ばされ、本体まで届かない。 (もう少し・・・・・・っ!) ハンドガンの弾が切れた。ダンテはそのまま銃を握り直し、大きく振りかぶってスキュラの顔面に向けて投げつけた。案の定、正確無比な軌道を描くダンテのハンドガンは触手が叩き落としたが、その一瞬だけ、スキュラの視界からダンテの姿が消えた。 「ッ・・・・・・!!!」 走りながらのアンダースロー。そして、家屋へのダイブ。カツン、コロコロ、という音は聞こえないはずなのに、ダンテの脳は確実に聞き、その後の爆発音を心から遠ざけた。 「うっ、く・・・・・・ぅ」 精神の拒絶反応を体の痛みで紛らわし、ダンテは衝撃波のせいでたわんだ階段を駆け上がった。部屋のベッドに置いておいたアサルトライフルを掴み、バルコニーに飛び出す。 「よし」 手りゅう弾によって無数の脚と体の下部にある捕食口を破壊されたスキュラが、あの三重の悲鳴を上げてわだかまっていた。しかし、すぐに復活するかもしれないし、まだコアが見えない。 ダンテは銃口を下にライフルを構え、ニタリと唇を吊り上げた。貴様の言動はバヨネットのように深く突き刺さる・・・・・・ラティーニの称賛を胸に、ダンテはバルコニーの手すりを蹴った。 「滅びろ、化物・・・・・・ッ!!!」 銃身の先にセットされたタクティカルナイフが、叫び声をあげるスキュラの女の口の中に突き刺さった。そしてそのまま、ライフルはダンテの体重を乗せて、スキュラの体にのめり込んでいき、ついにストック部分だけが残った。 「アアアアァンアアアアアアン」 「アァァァアアアアアアアアン」 左右の赤ん坊が泣き叫び、その大きな口が裂けて、女の口からぶら下がっているダンテに噛みつこうとする。 「フッ・・・・・・!」 スキュラの胸を蹴って赤ん坊の口を逃れたダンテの、グローブに包まれた手には、細いワイヤーが握られていた。 何処からか、カタタタタタタというくぐもった音がして、次の瞬間、スキュラの胴は弾け飛んだ。女の頭も、二つの赤ん坊の頭も、バラバラの肉片となってあたりに降り注ぐ。 「ッ・・・・・・ぅぅ」 石畳に叩きつけられたダンテは、耳鳴りで平衡感覚が怪しい三半規管を叱咤し、痛む胸と左腕と膝をかばいながら起き上がった。裂け割れたスキュラの体の中に、赤く滑るコアを見定める。力を振り絞るのは、いまここしかない。 「最後の晩餐だ。味わえッ!!」 腰のポーチから取り出した、包み紙に巻かれた硬いチーズの一欠片が、強肩から繰り出される豪速でコアを撃ち抜いた。 |