聖女の祝福 ―3―


 出動命令が下り、ダンテはアサルトライフルを抱えて仲間たちと輸送車に乗り込んだ。目的地は、内陸の古い町。都市部から少し離れているとはいえ、石造りの古い建物が多く、細い街路のせいで逃げ遅れた住人が多いらしい。地元にあった警察軍は、度重なる出動で人員が減りすぎ、すでに機能不全状態だという。
 人を喰うゾンビが増えている。原因は、細胞の寿命をなくすという、医療目的で開発された遺伝子情報の暴走らしい。この件に関しては、人類進化保全機関EAエアとかいう組織が全面的に対処総括しており、専門の特殊部隊も作られているらしいが、現状は全くの人手不足で、ダンテが所属する現場はいまだに軍が支えている状態だ。
 連隊の一番下っ端であるダンテ達の分隊は、問題の起きた町に潜入して、偵察及び住人の保護が一番の任務となる。そんなわけで、ゾンビとの遭遇には慣れてきたが、食人現場の観察は、毎度のように吐き気がする。
「現場の状態によっては、重火器の持ち込みが困難である可能性がある。十分な攻撃力を有した本隊の到着が遅れる可能性を考慮し、慎重に行動せよ」
「了解!」
 一番死にやすいのが、この偵察部隊だ。身軽で機動力がある分、火力と装甲が低く、とにかく敵を見つけても戦闘を避ける必要がある。とはいえ、一般市民が襲われていれば、助けに行かなければならない。メインとサブの火器と、小さな爆発物が二つ。タクティカルナイフは、ゾンビ相手に護身用にもならない。超人のような訓練をしている精鋭部隊でもないのに、心もとない限りだ。
 郊外に到着した車両から降り、指示された地区へ向かって、それぞれの分隊が散っていく。ダンテはいつも通り、コンビを組んでいるボッカを連れて、石畳の道を走り抜けた。
 当初の予測よりはマシなことに、軍の到着までに、多くの住民が町の中心から郊外へと避難できたらしく、辺りはしんと静まり返っている。夏の気が長い日が沈み、急速に夕闇が迫っていた。
「本当に道狭いですね」
「逃げ道を塞がれたらまずいな」
 せいぜいぶつからずにすれ違える程度の狭い路地からなんとか抜け出そうと、蔓性の植物をベランダに飾っている家の壁に張り付いた。この家の向こうが、車道になっているはずだ。
 陽に温まった石材を背に感じながら、素早く通りに目を走らせる。こちらは住宅街だが、道を挟んだむこう側は、繁華街に通じているようだ。動くものはいない。
「ごちょ・・・・・・」
 ボッカの声を遮って、どこか近くで大きな物が崩れるような音がした。間髪入れず、耳元で住人と敵の発見報告と悲鳴が入り混じる。
「なんかヤバそうだな」
「僕たちが一番近そうですよ」
 どうします、と問いかけてくるボッカの落ち着いたブラウンの眼差しに、ダンテはひとつ頷いて前進を決めた。
 車道を渡り、繁華街に続く道を駆けると、前方の路地から、ひとかたまりの人間たちがまろび出てきた。
「放せえぇッ!!あのバケモンがうちの倅と嫁っこを喰いやがったんだ!!ぶっ殺してやるぅッ!!!」
「落ち着いてください!おじいさん!!」
 やたらと体格のいい老人を、分隊の仲間が二人がかりで羽交い絞めして引きずっていくのが見える。
「ウルバーノ!」
「オルランディ、気を付けろ!でかいぞ!!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ同僚に、思わず足が止まる。その瞬間、三人が逃げ出してきた路地から、大量の瓦礫が噴き出した。
「なっ・・・・・・」
 古風な石造りの家々をなぎ倒し、いやに肉感的な、ピンク色の触手が、べたりとダンテの目の前に落ちてきた。
「ボッカ、下がれ!!」
 叫ぶと同時にダンテも跳び、自分に向けて飛んできた二本目の触手を間一髪で避ける。触手はすぐそばの石壁にぶつかって、砕けた石礫を激しくまき散らした。
「な、なんですか、ありゃ・・・・・・」
「俺が聞きてぇな。ずいぶん発育のいいことで」
 三メートルの高みからダンテ達を見下ろしてきたのは、赤子二人を両手に抱えた女に見えた。腐敗が始まっているかのような赤黒い肌はただれ、片方だけの目がぎょろりと髪の間から覗いている。その両腕は赤子たちと同化して胴に埋まり、脚は蛸か烏賊のように無数に分かれて波打っていた。
「陸で海妖スキュラにお目にかかれるとは思わなかった」
「これもゾンビなんですか!?」
「そうだろうよ。豪華なスカートに食べかけが絡まってるだろ」
「うぇっ・・・・・・」
 ダンテとボッカはじりじりと後退したが、そこへ奇声を上げて何かが突撃してきた。
「うおりゃあああああああああああああああああ!!!!」
「!?」
 ウルバーノたちの拘束を振りきった老人が、手槍のようなものを持ってスキュラに体当たりをしようとしたようだが、本体に到達する前に、触手によってべしりと払いのけられてしまった。
「うおぉぉおおっ!?」
「爺さん、大丈夫か!?」
 ごろごろと転がってきた図体のデカい老人を助け起こそうとしたが、目がまわったのか、腰が抜けている。
「ボッカ、この人を連れて逃げろ。撤退だ」
「伍長!?」
 ライフルのセーフティを外し、ダンテは覚悟を決めた。
「ウルバーノ、聞こえるか?住人は無事だが腰が抜けている。ボッカに任せているから、手伝って一緒に撤退してくれ。どうぞ」
 お前はどうする、と激しい問いが返ってきたが、ダンテの心境はずいぶん晴れ渡っていた。懐かしさと、恩を返せるとわかった時のような、胸の熱さが全身を駆け巡っている。
「美女のお相手だ」
 伍長!と叫ぶボッカの声を背に、ダンテは身を低くしてスキュラに向かって走った。上から、横から、時間差で襲ってくる触手をかいくぐり、生臭い息がかかりそうなほどの近距離から、タタタタタタと銃弾を撃ち込む。
「ギョェェェエッ!?」
「アァアアアアアアアアアン」
「アアアアアァアアアアン」
 金切り声と赤子の泣き声の三重唱に、ダンテは思わず顔をしかめた。鼓膜が破れそうだ。銃を抱えて触手を避けながら地面を転がり、破壊された繁華街に向かって走り出す。
(さぁて。コードファクターの発症者を倒すには、コアを潰さなきゃダメなんだよな?ビデオゲームみたいに頭吹き飛ばせば終わり、だったらよかったんだけど)
 追いかけてくる触手が立てる破壊音に肝を冷やしながら、ダンテはしゃかりきに腕を振って石畳を疾走していった。