聖女の祝福 ―1―


 相手は波打つ長い金髪をかきあげ、うんと伸びをした。隠されもしない豊かな乳房が、カーテン越しの強い夕日に浮かび上がる。
「結構良かったわよ。童貞」
「そりゃどーも」
 別に後生大事にとっておくものでもないから、以前学校で見かけた事があるなぁという程度の認識の女に声をかけられた時、ためらいもしなかった。
「でも、おっかしいのね。アンタ、なんでそんなに優しいの?」
「優しい?」
 肘枕のまま、きょとんと見返せば、目鼻立ちのくっきりした快活な顔が、逆光の中でにっかりと口を開いて笑った。
「そーだよ。アンタくらいの男は、もっとがっついているもの。それに、なぁに?ゴム付けるって・・・・・・そんなところまで優等生なんだね」
「頭おかしいの?この年でパパになんかなりたくないし、俺が病気持ちだったらどうすんだよ」
「フェラもしてもらったことがない童貞が、病気なんて持ってるわけないじゃない。アタシならともかく」
 後半の発言に頭痛を感じながらも、避妊くらいしろと呟く。
「あはははっ。うん、アンタとのセックス、楽しかったわ。ベッドの上でってのも、久しぶりだったかも!あぁでも、普通の女はアタシみたいに簡単にやらせてくれないんだから、もっと軽くて積極的な口説き文句くらい練習しておきなさいよ」
「御忠告、ありがたく・・・・・・」
「うんうん。アンタの素直なところ、可愛くて気に入ったわ」
 情熱的な厚い唇がチュッと頬に吸い付き、すぐに離れて、細い背中を覆う金髪を揺らしながら、先に教えておいたバスルームへと歩き去っていった。
(童貞、だったからか・・・・・・?)
 左手で、傷痕も何もない首筋をさする。物心がついたころには、自分が普通じゃないのではなかと、うっすら気が付いていた。古い古い記憶と、ちょっとした腕力・・・・・・そして、異様な回復力。幼い頃は、現在と昔の記憶が入り混じって、パニックになることもあった。いくら調べても、あの高い山々と深い森に閉ざされた、畏怖すべき町の名前がどこにも見つからないのに、地響きや風圧を伴うような大きな音は、今でも大嫌いだ。
 どさりと背中をベッドに付け、緩い倦怠感に浸りながら天井を見上げる。いくら片付けて思い出になるような物がないとはいえ、かつての両親の寝室でヤるのは趣味が悪かっただろうか。それでも、学校や野原や廃墟で致すのは勘弁してくれと頼みこんだ結果、自分の家しか候補がなかったのだ。自分の部屋のベッド?もっとゴメンだ。
 この体の両親は、数年前に死んだ。当時は戦争中だったが、戦禍でのことではなく、事故と病気だった。なんとか高校には入れたが、大学まで行く金がない。古い記憶を頼りに、独学で数ヶ国語の日常会話くらいはマスターできたが、教師になる夢はあきらめざるを得ない。働くしかないが、世間は失業者が多く、働き口を見つけても安い賃金でこき使われるのは目に見えていた。
(通訳や翻訳をするにも、特定分野の専門知識がある人が優先になる。となると、安定の公務員を狙うしかないんだが・・・・・・高卒で入れるのって、軍隊ぐらいじゃないか?)
 特に警察軍カラビニエリは大嫌いな職種である。現在の警察軍は、大昔の貴族の私兵や王国軍の憲兵とは根本的に違うと、頭ではわかっているのだが、魂に刻み込まれた嫌悪感は、いかんともしがたい。
「なに難しい顔してんの?」
 いつの間にか戻ってきた明るい声が、綺麗に手入れをされた指先で、眉間の皴をぐりぐりと攻撃してくる。
「いつでも笑っていろとは言わないけど、シリアスな顔ばかりじゃモテないぞ、エロ少年」
「進路の悩み」
「うっわ、くだらない悩みの最上級」
 奔放と軽率と手に手を取り合っているような彼女には、そう思えるに違いない。バスローブに包まれた尻が無造作にベッドに落とされ、マットのスプリングがぼよんぼよんと跳ねる。
「・・・・・・海軍か陸軍に入り込めればいいけど」
「まあ、人手は足りてなさそうね。え、兵隊になるの?国防大行くとかじゃなくて?」
 そうだと頷くと、彼女はすごい勢いで手を振った。
「やめな、やめなぁ。アンタみたいに優しい子、いじめられるか、すぐ死んじゃうよ」
「俺って、そんなに弱っちく見える?」
「見える。どーみても、図書館で借りた本を木陰で読んでいるタイプ」
 きっぱりと断言されて、再び眉間にしわが寄る。これでも野歩きは好きだし、学校ではフィールドで同級生たちとボールを追いかけていたのだが。
「まあ、本が好きなのは否定しない」
「んふっ、そんな感じだもん。名前からして、詩人気取りだわ」
 べつに気取っているわけではないが、必修のアリギエーリはもちろん、カヴァルカンティやペトラルカ、シラーやコクトーや李白も諳んじられるのは、言わない方が良さそうだ。自分では詩作をしないのは、いいわけになるだろうか。
「背に腹は代えられないよ。金ができたら辞めるし」
「なんだ、祖国愛に燃える純真な少年じゃないのね」
 祖国どころか、自分以外の人間に対する愛もたいしてないのだが。とにかく先立つ物がなければ食っていけない。
「ゾンビの噂は知っているだろう?」
「まだその噂ってあるの?」
 彼女はいかにもニュースや関連論文を見ないタイプだったと視線をそらし、あまり突っ込んだ話はやめておこうと嘆息する。
「まあ、あるね。その関係で、軍人の募集は多いだろうと思ってさ」
「ふーん。じゃあ、死なない程度にがんばりなさいね。お金溜まったら、やりたいことあるんでしょ?」
 緩い応援が温かくて、うん、と頷いた顔は少し笑えていた。金ができたら、教師になる夢を追いかけようか、それとも土地と苗を買って静かに暮らそうか、それとも・・・・・・あの町を探して放浪してみようか。どれも胸がわくわくする未来図だ。そんな自分を見て、彼女の屈託ない笑顔が、さらに大きくなる。
「素敵な笑顔。そういうの、アタシ大事だと思うわ」
「ありがとう」
「がんばんなさい」
 その口づけは、親愛というには濃く、情愛というには軽すぎたが、彼女なりの真心がこもっていた。