サマンサ・フッドの幸運な一日 ―1―


「きゃんっ」
 もくもくと黒煙を上げるソーサーを前に、サマンサはケホケホと咳をして煙を手で払った。ソーサーに伏せられていたはずのコーヒーカップはどこかに吹っ飛んでしまった。
「サミィ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ!」
 朝から魔法に失敗したなんてレパルスには知られたくない。だがレパルスの視線は素早く動き、床に落ちていたカップを拾い上げてしまった。
「あ・・・・・・」
「・・・・・・割れも欠けもありません。大丈夫ですよ」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
 サマンサは素直に謝った。吹っ飛んだカップがレパルスに直撃しなくて本当に良かったと思う。
「おや、珍しくコーヒーを淹れていると思ったら、占いですか?」
「え、ええ・・・・・・失敗しちゃったけど」
 ソーサーには、コーヒーの雫だった消し炭が、染みのようにこびりついている。こちらも、とりあえずは無事そうだとサマンサがソーサーを持ち上げたら、それなりに厚みのある陶器がバキリと真っ二つに割れた。
「あ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・サミィ」
「あああの、えっと・・・・・・」
 だらだらと冷や汗を流しながら視線を逸らせるサマンサの手から、割れたソーサーがひょいと取り上げられた。
「危ないですから、私が片付けます。・・・・・・ふむ、そうですね。サミィの今日の運勢は・・・・・・」
 涼しげな無表情で告げられた運勢に、サマンサは頬を膨らませて部屋を飛び出した。
「レパルスのいじわるー!」

 全体運は小吉。日常を大切に。小さな親切を積み重ねましょう。ラッキーアイテムはショートケーキ、アンラッキーアイテムはコーヒーカップと割れたソーサー。
「って言ったのよ!」
「へぇ。だいたい合ってんじゃねえの?」
「ヒュウガまでそんなことを言うのね!」
 ぷぅぷぅと頬を膨らませて地団太を踏むサマンサに、段ボール箱を抱えている日向は、赤毛のポニーテールを揺らしながらカラカラと笑った。
「・・・・・・ところで、それはなぁに?」
「お?ダンテが借りてる畑で育てた野菜だってよ。俺は肉の方がいいんだが」
「あら、ヒュウガったら。お肉は畑には生えないのよ」
「イギリスはどうだか知らねえが、日本には畑でとれる大豆ミートってもんがあるんだぜ」
「ええっ!?」
「まっ、俺は豚や鶏の方が好みだけどな」
 サマンサに謎の肉塊が畑に生い茂っている風景を想像させた日向であるが、書類に埋もれてルイスの監視から逃れられない大和に頼まれて、名坂支部の門まで取りに行ったら、ロマーノと名乗るダンテそっくりな男からこのダン箱を渡されたらしい。サマンサが箱の中を覗いてみると、青い匂いと土の匂いが混ざって、ふわっと立ち上ってきた。シャキッとしたルッコラや、ツヤツヤのズッキーニ、唐辛子やカボチャまでもが、ぎっしりと詰まっている。
「すごいわ!」
「引越しやらで忙しくして、収穫しそびれているうちに、増えすぎちまったんだとよ」
 そういえば、ダンテは大和に家を建てられてまで囲われたせいで、以前住んでいたところからはだいぶ離れてしまったらしい。また、ここまで陽光に弱い体質になるとは思っていなかったらしく、今年限りで借りていた畑を手放すのだとか。
 日向は箱を抱えたまま司令官室に入っていき、あらかじめ大和が話を通しておいた武蔵に報告している。
 それを横で聞いていたサマンサは、司令官室のソファの足元に落ちていたものを拾い上げた。
「はい、ムサシ。落ちていたわ」
「ん?」
 サマンサが武蔵のデスクに置いたのは、ピカピカの十円玉だった。
「・・・・・・やる」
「私が貰っていいの?」
 厳つい顎が引かれたので、サマンサはもう一度十円玉をつまみ上げた。
「拾った奴のモンだ」
「そう。ありがとう」
 サマンサは十円玉をポケットに滑り込ませると、糧食課へ荷物を届けに行く日向と別れて、ちょっと良くなった気分で司令官室を出た。

「はぁーーっ!?んだよ、コレ!!」
 長門の大きな声が聞こえてきて、サマンサは自動販売機が並んだ通路にひょっこりと顔を出した。そこには、いつものジャージを着た長門と、TEARSのジャケット姿の時雨がいた。
「自販機を叩くな、瀬良!壊したら弁償だぞ」
「どうしたの?」
「ああ、実は・・・・・・」
 自販機を前にぎゃーぎゃー騒いでいる長門をよそに時雨が話してくれたところによると、どうも業者が商品を入れる棚を間違えたらしく、ジュースのボタンを押したらコーヒーが出てきてしまったらしい。
「コーヒー・・・・・・」
 なにやら因縁を感じてサマンサは眉間にしわを寄せたが、その小さな呟きは長門の声にかき消されて時雨に聞こえなかったようだ。
「俺の百十円返せ!!俺のジュース〜〜ッ!!!!」
「もう一度、他のを買えばいいだろ」
「いま小銭持ってねーんもん!あと十円足りねーの!」
「あら、十円なら、私持っているわ」
 百円玉が載っている長門の大きな手のひらの上に、サマンサは自分のスカートのポケットから出した十円玉を載せてやった。
「さ、サマンサぁ〜〜〜!!!!」
 ぱあぁぁぁっと小花が飛び散るような笑顔になった長門に抱きしめられ、サマンサは若干の苦しさに「ふぎゅぅ」と息を漏らした。普段ならレパルスが追い払うものだが、長門はレパルスといい勝負な体格をしており、体重をかけられるとちょっとよろけてしまう。
「ありがとう、サマンサ!!」
「い、いいのよ。どういたしまし、て・・・・・・っ」
「瀬良。サマンサさんが苦しがっているだろ。いい加減に放せ」
「うっ、うっ、この恩は、ぜってー忘れねえ!あ、じゃあこっちやる」
 太い腕と肩から解放されたサマンサは、ぽんと両手に載った物に目を剥いた。
「えっ、い、いらないわ!」
「いいって、いいって!サンキュな!」
 にっこにこな長門は自販機に向かっていってしまい、サマンサは手の中にある缶コーヒーに視線を落として途方に暮れてしまった。
「どうしよう・・・・・・」
「貰っておけばいいんじゃないか。自分で飲まなくても誰かに渡せば、また何かになって返ってくるかもしれない」
 わらしべ長者みたいだな、と時雨は微笑み、自分の緑茶に口をつけた。
「わらしべ?」
「偶然拾った一本の藁から、それを欲しがる人と価値の高い物に物々交換していくうちに、財産を築いていく話だ。十円玉が、百十円の缶コーヒーになったから、次は・・・・・・」
「缶コーヒーを欲しがっている人と、なにかを交換すればいいのね!」
「そういうことだ」
 缶コーヒーにちょっと不吉なものを感じたサマンサだったが、時雨に言われて気を取り直すと、彼等と別れて缶コーヒーを欲しがりそうな人を探して歩き出した。

 サマンサが知る中で、コーヒーを愛飲する人は少ない。サマンサを含めて、英国に縁のある人が多いせいかもしれないが・・・・・・。
「ヤマト、いるかしら?」
「はい・・・・・・」
 青黒いクマを目の下に刻んだ白衣姿の大和が、今にも死にそうな声を出してサマンサの方へ首を動かした。きっと、今朝も仮眠室からの出勤だったに違いない。
「・・・・・・大丈夫?」
「大丈夫ですよ・・・・・・」
 デスクにかじりついた状態で椅子に座っているのもあやしく、全然大丈夫ではなさそうだが、サマンサが見渡した限り、ルイスの姿がない。いまなら少しは話ができそうだ。
「これ、十円玉と交換に、ナガトにもらったの。なにかと交換で、ヤマトにあげるわ」
「ああ、ちょうどのどが渇いていたところです。ありがたいですね。いいですよ」
 サマンサが大和のデスクに缶コーヒーを置くと、大和はデスクの引き出しをあさって、未開封の紙箱をサマンサに渡した。
「絆創膏ね。あら、色々な形が入っているわ!」
「ええ、試供品でもらったんです。これと交換でいいですか?」
「もちろんよ!」
 サマンサはいい交換ができたと、ほくほくしながら紙箱を抱え、大和の仕事の邪魔にならないようにさっさと退室した。