理不尽な傷痕 −1−


 激しく隆起してはがれた石畳、瓦礫と肉片が混ざって散らばる広場には、妍を競う花の匂いよりも、血と焦げた肉の匂いが強い。夏の青い空に、いくつも煙が立ち上っている。苦痛の呻き声と、絶望の慟哭が、砕ける波のように押し寄せては消えていく。
 探す、探す・・・・・・自分を待っていてくれたはずの家族を・・・・・・ここに散らばる肉片ではないと願いながら、喉が嗄れるように泣き叫びながら、両親と、弟妹の、血にまみれた服の色を・・・・・・。
 どーんどーん、バァーン、バリーン・・・・・・人々の悲鳴を押しのけて、耳を塞いでも聞こえる破壊音が、胸を圧して息ができない。苦しい、苦しい・・・・・・くる、し・・・・・・。

 軽快な電子メロディーに叩き起こされ、ダンテははっと目を開いた。息苦しい胸がバクバクと跳ねて痛み、びっしょりと冷や汗をかいている。貧血気味の頭が電話だと判断して、倒れるように突っ伏していた自室のベッドの上で、音の発生源を探るように手を伸ばした。
 スマートフォンのディスプレイに発信者の名前を確認して、ダンテはからからに乾いた喉でひとつ深呼吸をしてから、通話ボタンを押す。
「はい・・・・・・」
『ダンテさん?すみません、お休み中でしたか』
 寝ぼけた声がわかったのか、はきはきした大和の声が少し和らぐ。こんなに鬱々とした気分の悪夢から呼び戻してくれた愛しい人の声に、ダンテは嬉しさを隠しきれず、やや情けない声で返事をした。
「大丈夫・・・・・・」
『実は、ダンテさんの部屋の前にいるんですが、開けてもらえます?』
「・・・・・・はぇ?」
 急に起き上がったせいでクラクラしたが、白くなりがちな視界とふらつく足を叱咤して、ダンテは玄関のスチールドアを開けた。
「こんばんは」
「こん、ばんは・・・・・・?」
 玄関前にいたのはたしかに大和で、彼は耳に当てていたスマートフォンを仕舞いながら、ダンテを押し戻すように部屋に入ってきた。
「ひどい顔色じゃないですか。ちゃんと手当ては受けたんでしょうね?」
「え?うん・・・・・・」
 ベッドに座らされて、汗で額に張り付いた前髪を撫で上げられても、なぜ大和がここにいるのかわからない。彼は忙しいはずで、遊ぶ時はいつも先に連絡がきていた。
 大和はダンテのシャツをくつろげて、しっかりと手当てがすんでいることを確認すると、今度は自分の上着を脱いで、長い髪をかきあげた。白く滑らかな首筋が、ずいっとダンテの目の前にさらされる。
「はい、どうぞ」
 さも当然のように差し出された銀嶺に、わけがわからないまま、ダンテはこてりと頭を預けた。クレゾールやエタノールのにおいが混じった、いつもの大和の匂いに、ダンテは安心して舌を伸ばした。

 ぱっちりと、いつも以上にすっきりとした目覚めに、ダンテは盛大なあくびをしながら起き上がった。時間を確認すると、深夜の二時過ぎ。あと数時間で夜が明ける。夜型の生活をしている普段のダンテなら、そろそろ寝る時間だ。
(あれ・・・・・・?)
 口の中に鉄臭い甘露の名残があり、眠る前になにをしていたのか思い出せずに隣を見れば、大和が寝ている。おかしい、いままで自室で致したことはないはずだが・・・・・・。
(まずい・・・・・・ッ!?)
 体調不良の前後不覚なまま、大和に噛みついてしまったと思い出し、慌てて首筋に手を当てて確認する。
 脈も呼吸も正常。さすがに噛みついた場所は赤く傷になっているが、大和が自分で洗浄したのか、もう血は滲んでいない。理性を吹き飛ばしたまま頚静脈を食い破らなくて、本当によかった。
(よかった・・・・・・いや、よくないよ)
 大和を襲ってしまったという自己嫌悪に項垂れ、自分の汗臭さに顔を顰める。すやすやと寝息を立てる大和を起こさないように、そっとベッドを離れ、ダンテはコンパクトなバスルームへと向かった。
 埃まみれだった頭や、すっかり傷が塞がった身体のべたつきを洗い流して戻ると、ベッドの上でもそもそと塊が動いた。
「大和さん?」
「ん・・・・・・もう大丈夫ですか?」
 起き抜けでも自分のことを心配してくれる人に、ダンテは胸がいっぱいになるほど愛おしさを覚えて、頬に口付けた。
「大丈夫。ごめんね、痛かったでしょう?」
「ふぁあぁ・・・・・・ううん、気持ちよかったですよ」
 ぐいーっと全身を伸ばす大和に、お水ください、と言われて、飲料水のペットボトルを手渡す。ダンテの代わりに、いまは大和が貧血気味のはずだ。
「すぐに手当てするから」
「お構いなく。自分で済ませました」
 ベッドサイドの明かりをつけると、大和は少し眩しげに瞬きをしたが、顔色は悪くない。
「・・・・・・すごいですね。もう塞がっているんですか」
「え、ああ・・・・・・」
 包帯も取ってしまったダンテの裸の胸に手を這わせ、大和はやや納得いかないように口を尖らせた。そして、ダンテに抱き着き、大人二人が並んで寝るには狭いベッドに仰向けで倒れた。
「わ、わっ!危ないよ・・・・・・」
「それはこっちの台詞です。うちのエースが『変な外国人がいた』って言っていたから、まさかと思ったんです」
 一緒にいたバディに聞いた背格好と、発症者が暴れたショッピングモールがダンテの生活圏内だったことが、予感の決め手らしい。意外と早くバレたと、ダンテは苦笑いを浮かべる。
「はい、変な外国人だよ」
「ふざけないでください。・・・・・・助力は感謝しますが、ダンテさんは大きな音が苦手でしょう」
 圧縮ガスが詰まったスプレー缶を爆発させるなんて、ダンテにとったら自傷行為も甚だしい。それに、あの発症者の精神攻撃も、後で悪夢を見る程きつく効いた。父親を失った男の子に自分を重ねた自覚はあるが、その後の無残な死に様には、多少の寂寥しか湧かないと思っていたのだが・・・・・・。
「怖かったでしょう」
 そう静かな声で言われ、優しく頭を撫でられて、ダンテはどんな顔をしていいのかわからず、大和の上に身を任せた。
「怖かった・・・・・・そうかな」
「あんな真っ青な顔をしてふらふらになっていたのに、恐怖だとわからないんですか」
「・・・・・・・・・・・・」
 ダンテは大和に叱られて、昔の事だから、と言い訳するのをやめた。大和が指して言っているのは現在の事だし、大和が知らないダンテの過去の出来事に関しては、不快、とダンテ自身がひとくくりにしてしまっているが、その内訳には、怒り、悲しみ、後悔、嫌悪・・・・・・そんな感情が詰まっていて、きっと恐怖も含まれているにちがいない。
「うん、すごく怖かった」
「素直なのは、ダンテさんのいいところです」
 そう肯定してくれる大和にぎゅうっと抱き着くと、乾かしたばかりの髪を、もさもさもさもさと撫でまわされる。それがとても心地よくて、この人になら甘えてもいいのかもしれないと縋りたくなる。遠くの打ち上げ花火にすら耳を塞いだ自分を、大和だけは笑わないで慰めてくれた・・・・・・。
「ところで、ダンテさん」
「はい?」
「元気になったなら、僕に抱かれてください。噛まれたおかげで、今の僕は中途半端に気持ちいいままなんですよ」
 思わずふふっと噴き出して、涼やかな美貌を間近で覗きこむ。言われてみれば、膨らんでいるものが腰に当たる。ダンテに噛まれたくらいでは、大和のフィジカルはまったく意に介さないのだろう。
「大和さんのお望みのままに」
 ちゅっと唇に触れると、言質はとったとばかりに、ダンテはするりと大和に組み敷かれてしまった。
「ダンテさんが寝てしまってから、数時間の焦らしプレイでしたからね」
「しっかり五時間くらい寝ていたはずなんだけど、その間ずっと気持ちよくなっていられる大和さんは、本当に変態だね。勃起したまま寝られるなんて、だいぶおかしいと思うよ」
「うふふふ。そうでしょう、そうでしょう」
 ダンテの頬から首筋、肩や胸を撫でていく大和は、頬を染めて、さっきまで凛としていた眼差しもすでに蕩けている。
「ダンテさんは知らないと思いますけど、噛んでもらうと、すごぉく気持ちがいいんですよ。ただ傷を舐めてもらうのも、ヒリヒリして好きなんですけどね?なんというか、生命を啜り取られているというか、体の底からずるずるっと何かを引き抜かれているような感じがして、被捕食感が最高にアツくてたまらないんですよね!」
 ハァハァしながら力説する大和を見上げて、ダンテは心の中で「ソウカー。ヨカッタネー」としか返せない。大和のマゾは筋金入りだ。
「あッ、いますごく呆れられた視線を感じました・・・・・・ッ!あぁ、もっとくださいッ」
「大和さんは、本当にタフだねぇ・・・・・・すごい、すごい・・・・・・」
「はあぁん・・・・・・でも僕としては、元気なダンテさんに噛んでもらいたいんです。あんなに、弱ったダンテさんに噛まれると・・・・・・」
「虐げられている感じがしない?」
 ダンテもフラフラだった自覚があるので、申し訳ない事をしたと思う。しかし、大和は長い黒髪を揺らして、そうではないと首を横に振った。
「ダンテさんを傷付けた敵を、この手でぶち殺したくなります。残念ながら、今回はすでに討伐済みですけれど」
 初めて見る大和の好戦的に歪んだ表情に、これはまずいとダンテは両手を上げた。助けようとした相手が親を失った小さな子供だったという事さえ、常に前線にいる大和には、酌むべき情状に値しない。それは、TEARSとして、全く正しい認識だ。
「何度でも言いますが、ダンテさんは自分のことになると、大抵の事が大雑把になるんです。ダンテさんが寛容の精神を発揮するのは勝手ですが、僕の気持ちも考えて頂けますか?」
「は、はい・・・・・・ゴメンナサイ・・・・・・」
 わかればいいんです、と下着ごとスウェットを引っ張り脱がされ、ダンテは情けない悲鳴を上げそうになった。大和の激情交じりの性欲を鎮めるために、たとえ足腰が立たなくなったとしても、今回ばかりは仕方がないかもしれない。