美味しい君 −1−


 くちゃ、ぺた・・・・・・かり、くちゅっ、くちゃ・・・・・・
 無心に貪り、腹を満たそうとするが、味がわからない。骨に張り付いた腱を噛みちぎろうと、むやみに引っ張ってみる。
(あぁ、お腹が空いた・・・・・・)
 柔らかな肉だけでは足りない。胴を裂いて露出した、温かな腹膜に爪を立てる。ぷるぷるんと溢れ出す腸をかき分けて掴みだした肝臓に、思いきりかぶりつく。口の端から唾液が溢れだし、両手を濡らす血液と混じりあう。まだだ。まだ足りない。頑丈な横隔膜や肋骨が邪魔だ。この奥に・・・・・・。
「?」
 ずぼっと手を突っ込んだが、その手ごたえのなさに戸惑う。指で探ってみたが、そこにあるはずの物がなかった。
― 心臓なら、ないよ?ごめんね
「!?」
 そこで初めて、大和は自分が食べている物の顔を見た。己の血飛沫を頬に飛ばし、逆にふっくらとした唇からは血の気が失せている。栗色の巻き毛は乱れ、虚ろに遠くを見ている青い目が・・・・・・すっと動いて大和を見返してきた。
「ぁ・・・・・・あっ・・・・・・」
― 俺は美味しかった?大和さん
 力なく開かれていた唇が、ニィッと笑みの形に引き結ばれる。
「ダ、ンテ・・・・・・さ・・・・・・えっ!?」
 それまで大和が貪っていたダンテの腹が、見る見るうちに塞がっていき、喰いちぎったはずの腕も再生していく。虚ろな感触の胸の傷が、大和の義手を咥え込んだまま塞がろうとしていた。
「なに・・・・・・そんなっ!?」
 パニックを起こして義手を外そうとするが、血で汚れた左手では滑って上手くいかない。
― 大和さん
 これは夢だ、こんなことがあるものか。早く目覚めなければ。
― 大和さん
 大和の義手を生やしたまま、むくりと起き上がったダンテが、いつものように目元を緩めた穏やかな笑顔で、逃げられない大和の左肩に触れ、その肉をむしり取った。
「ァッッ・・・・・・!!!」
 傷付けられた痛みよりも、そこに露出した醜悪な赤いコアに、悲鳴が喉に張り付く。
 がぶり。
「ヒ、ァッ・・・・・・!」
 コアに噛みつく真っ白な犬歯が、嫌にはっきりと見えたが、大和の視界はすぐに栗色に覆われた。
― 大和さん
「ダン・・・・・・ぁ、う・・・・・・っ」
― 大和さん
 自分はここで死ぬのか。暗い、見えない・・・・・・沈む・・・・・・沈む・・・・・・やっと・・・・・・。

「大和さん!」
 びくっと体を震わせて飛び起き、左肩にある熱に手を当てる。
「あ・・・・・・」
 大和の機械の右手が手袋越しに触れたのは、大和の肩を揺すっていたルイスの手だった。
「やっと起きましたかぁ」
 優しげに整った顔立ちに浮かべられた、春の野のようにほんわかとした笑顔が、多少引きつっている。大和は余程起きなかったようだ。
「あ、れ・・・・・・?」
「うーんうーんと唸ったまま、全然起きなかったんですよぉ。怖い夢でも見ていたんですかぁ?」
 そこは大和の散らかったデスクで、下敷きにしてしまったせいでしわになった書類が散乱している。
「夢・・・・・・」
発症者アンセラに食べられる夢ですか?それとも・・・・・・誰かを食べちゃう夢でしたかぁ?必死に自分の腕に噛みついていましたよぉ☆」
「えっ・・・・・・」
 言われて見ると、白衣の左袖が唾液でべちょべちょになっていた。慌てて、痺れて感覚が鈍い頬や口元を拭う。
「うわぁ」
「お着替えどうぞ〜。終わったら、さっさと残りの書類片付けてくださいね☆」
「ここに鬼がいます・・・・・・」
「何か言いましたかぁ?」
「いいえ」
 取り急ぎ白衣を脱ぐと、大和は渇いた喉を潤そうとコーヒーの瓶を持ち上げかけて止め、ビーカーに白湯だけ満たしてデスクに戻った。
「はぁ・・・・・・」
 グリグリと目頭を揉んでから、首をゴキゴキと慣らす。おかしな姿勢で寝ていたせいか、首の片側や背中が張って痛い。
(さてと・・・・・・早く片付けないと)
 また怖い笑顔のルイスにせっつかれてはたまらない。
「・・・・・・・・・・・・あちっ」
 味がしない人肉の感覚を洗い流そうとした白湯は、少し熱かった。


「・・・・・・というわけでですね、ダンテさん。僕は僕なりに、毎日毎日頑張っているんですよ!怪我人が出るのは仕方がないですし、その対応は僕の職務ですけど、それ以上に、次から次へとやることが積み上がっていくばかりで!!」
「うん、うん」
 宅飲みをするから酒とつまみを用意しろという大和の要望に、ダンテは本当に今日でいいのかと確認をした後、二つ返事で料理をテーブルに並べた。代金はすべて大和が持つから美味いものを用意しろというミッションに、飲みやすさを優先した酒と、大和が好きそうな味に寄せた郷土料理を準備する。バジルと黒胡椒を効かせたカプレーゼ風サラダ、魚介とパプリカのマリナータ、ジャガイモとベーコンのオムレツ・・・・・・挽肉がたっぷり入ったラザニアは、一人分に取り分けて、大和の分には日の丸が、ダンテの分には三色旗のピックが刺さっている。
 ダンテが持ってきたシャンペンやランブルスコをハイペースであける大和の前に、さり気なく水のグラスを置きつつ、ダンテは酔っぱらった大和の話を聞いている。主に仕事の愚痴だが、とりとめなくあっちこっちに話題が飛んでいく。その中で、大和に年の離れた弟がいるという情報は新鮮だった。実家から距離を置いている大和に代わって、小鳥遊財閥の次期当主となる可能性と責任を負ったその少年は、トマトが嫌いで、マヨネーズが好きらしい。
 大和が所有しているマンションの部屋だが、ダンテが出入りを許されている九階フロアの上に、普段大和が寝起きしている十階のフロアがあるそうだ。金持ちだなというのが第一感想だったが、あの小鳥遊財閥の御曹司ならさもありなん。当人に嫌がっている節があるので、殊更こちらから口には出さないが、住まいに関するセキュリティひとつ見ても、色々と面倒なしがらみを想像するに難くない。
「それで、質問なんですが、現実のダンテさんに心臓はあるんですか?」
「うん、う・・・・・・うん?あるよ?」
 居眠り中に見た夢の話とかされても返答に困るが、相手はただの大虎だ。クールな顔立ちが赤く上気しているのも可愛いなぁと思う。
「本当ですか?」
「自分で現物を見たことはないけど、脈ぐらいあるよ」
「拝見しますっ」
「どうぞ?」
 ダンテは手首を差し出し、大和は真剣な顔で脈をとっている。
「・・・・・・ありますね。というか、僕が抱きついている時、いつもドキドキ聞こえました」
「そうでしょう」
「そうですね」
 あははははは、と笑う大和から、そろそろ酒瓶を遠ざけないと、二日酔いにさせそうだ。こんなに目をかっぴらいたままケタケタと笑うところは、シラフでもへべれけでもあんまり見ない。ヤバい、だいぶヤバい。
 ダンテがこっそりシャンペンとすり替えたジンジャーエールを豪快に飲みほし、大和は音高くグラスをテーブルに置く。
「だって、心配になるじゃないですか!ずぼって入ったんですよ、ずぼって!!あんなのおかしいじゃないですか!!」
「そうだねぇ」
「無いと困るじゃないですか!心臓は大事ですよ!夢の中でもちゃんと存在してください。血行不良どころか、心筋梗塞も大動脈解離も心室細動も弁膜症も起きないじゃないですか。すごいですね、心臓外科が必要なくなっちゃいますよ。心臓無いんですから」
「え?うん・・・・・・」
 だんだん言っていることがめちゃくちゃになってきて、何が言いたいのかわからない。ダンテは自分の語学力でついていけるか不安になってきた。
「大丈夫だよ。俺には動いている心臓がちゃんとあるから」
「それを聞いて安心しました。・・・・・・んー!これ美味しいです!」
 手づかみで食べるので、クロスティーニは少ししか作らなかったが、大和はアンチョビが載った小さなトーストの最後の一切れを、美味そうに口に放り込んでいる。
「むぐ。あぁ、そういえば聞いたことなかったので、一応聞きますけど・・・・・・」
「なぁに?」
 今度はどんな話題かと、グラスに水を用意しながら顔を上げたダンテに、大和は酔っぱらった目のまま、真剣に問いかけてきた。
「ダンテさんって、美味しいんですか?」
「は?・・・・・・・・・・・・人間が俺を食べても、あんまり美味しくないんじゃないかな?おなか壊すと思うよ?」
「そうですか・・・・・・やっぱりそうですよね」
 化物が食べても美味いと感じるかどうかは知らないけど、とダンテは心の中で続けるが、大和はまだ目の前の人外について疑問があるらしい。
「では、ダンテさんにとって、僕はどのくらい美味しいんでしょうか?」
「うーん・・・・・・難しい事を聞くなぁ」
 概念としては主食と言えそうだし、特に消耗した時の味わいや満足感は分厚いステーキ並みなのだが、いまのところ無いと困るということはなく、味について聞かれても、普通に鉄臭い血の味だし、ワインのように飲み比べられるほど餌食にしたことはない。どのくらい美味しいかと聞かれても、比べる対象が少なすぎて返事に困る。いるかと聞かれたら、欲しいと答える美味さなので、ありていに言えば、おやつ、だろうか。
「しいて言うなら、いつでも食べたい好きなドルチェ、かなぁ」
「ドルチェ・・・・・・スイーツってことですね?」
「そうだね。とても美味しいと思うよ」
「ふーん・・・・・・」
 レモンを加えた冷水を飲みながら大和の視線が彷徨ったのは、いつの間にかテーブルの上から消えた酒瓶を探したからだろう。テーブルの上の皿も、あらかた空になっている。
「美味しかった?口に合ってよかったよ。俺、和食は作れないからね」
「ラザニアがこくがあってスパイシーで美味しかったです。ところで、ワインをもう一杯・・・・・・」
「カンバンです」
 そうですか、と大和は残念そうな顔をするが、大和に飲ませないように急いで残りを胃袋に収め続けていたダンテは、顔を背けて小さく吐息をついた。