憎しみの矛先 ―1―


 消毒液と上質紙とコーヒーの香りがする白い部屋の片隅で、サマンサ・フッドは分厚い薬学書を読んでいた。科学が発達した時代の、人間だけの薬理でも、魔女の薬学に共通する部分があり、なかなか興味深い。
「サマンサさん、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」
「なにかしら?」
 サマンサが顔を上げると、この部屋の主である小鳥遊大和が、目の下に隈を作りながらも、いくぶん余裕のある表情でサマンサを見ている。ここ数日の残業に加え、今日も朝から激務ながら、なんとか仕事を片付け終えたのだろう。
「あの・・・・・・ダンテさんは、本当に吸血鬼なんですか?」
「え?」
 どうしてそこに疑いを持つのかわからなくて、サマンサは首を傾げた。どこからどうみても、ダンテは吸血鬼だ。
 しかし大和は納得がいかないようで、眉間に渓谷ができている。
「たしかに、通常の人間にはありえない回復力を持っていますし、僕の血液を飲んでも平気な顔をしています。でも、多少朝が苦手でも太陽の光で灰にならないし、流れ水も平気でお風呂に入るし、十字を切ってお祈りするんですよ?どこが吸血鬼ですか?反則じゃないですか。チートですよ、チート」
 整った顔立ちの中で唇をぶぅと尖らせる大和が可笑しくて、サマンサはころころと笑った。
「うふふ、そうね。人間から見たらそう思っても仕方がないと思うわ。でも、ダンテはたしかに、吸血鬼よ」
 人間とその他の種族の見分けがつかない大和に、なんと説明すればいいのかと少し考え、サマンサはぱたんと手に持っていた本を閉じた。
「ヤマトは、レパルスが時々ダンテの事を『成りそこない』と言っているのを知っているかしら?」
「聞いたことはあります」
 レパルスに言われるたびに、ダンテは嫌がって反発している。
「それなのだけれど、吸血鬼として成りそこなっているのはダンテのせいではないし、厳密には成りそこないではないの。うーん・・・・・・なにかいい例えはないかしら?」
 ゆらゆらと体ごと頭を揺らしながらサマンサは考え、親しくなった赤城や長門たちの語彙から近そうな物を選んだ。
「封印、といえばいいかしら?私も他の種族のことは詳しくないから、感じたままのことだけど。必要な鍵がないから、きちんとした覚醒が阻害されているのだと思うわ」
「ゲームやライトノベルの設定みたいですが、イメージはできました。つまり、本来のダンテさんは、もっと吸血鬼っぽいはずだということですね?」
「そういうことになるわね。弱点が弱点らしく機能していると思うわ」
「封印を解くための、必要な鍵とはなんでしょう?」
「ヤマト・・・・・・」
 サマンサはひたと大和の目を見据え、小さく首を横に振った。
「人間がそれ以上詮索するものではないわ。不幸をまき散らすだけよ」
「すみません」
 一度痛い目を見ている大和は素直に引き下がった。
「いいこと?より本来の姿に近くなるということは、長所も顕著になるのよ?あなたたちが駆除しているゾンビよりも強くて、人間の火器では傷ひとつつけられないような存在がいたとして、それに敵対の意志がなかったとしても、人間は『自分たちとは違うから』むやみに攻撃したがるでしょう?・・・・・・今のままで、ちょうどいいのよ」
 柔らかな調子でも、明らかな嘲笑が含まれたサマンサの言葉に、大和は深くうなずいた。そして、ふと気が付いたように小さく首を傾げた。
「そういえば、サマンサさんはどこでダンテさんとお知り合いになったんです?」
「旅先で会ったのよ。あの子は町長さんの所に住んでいて、私たちを案内してくれたわ」
 遠くから歩いてくる聞き慣れた足音を出す気配と、それとは別の弾むようなヒールの足音が出す気配察知したサマンサは、膝の上にあった本を片付けて、大和の執務室を出ていくことにした。
「ありがとう、ヤマト。また読ませてね」
「はい」
 サマンサはワンピースの裾をひるがえして、そそくさと廊下を駆けた。
「レパルス」
「サミィ?」
 迎えに行くより早くサマンサが戻ってきたので、背の高い美丈夫は意外そうな顔をした。サマンサはそんなレパルスの手を取ってくるりと方向転換させた。
「どうしたんです?夕食には、まだ少し早いですよ」
「もう!どうしてレパルスは、私がいつもお腹を空かせているような事を言うのかしら」
「事実では?」
「ひどいわ!たしかに、お腹は空いてきたけど!」
 ぷんすこと頬を膨らませて見上げるサマンサを、レパルスは柔らかな微笑を浮かべて見下してくる。
「ねえ、レパルス。ヤマトが気にしていたのだけれど、ダンテがもっと吸血鬼の性に目覚めたらどう思う?」
「御免被ります。これ以上ゴキブリの生命力を増やすような愚行は、断じて阻止しなければなりません」
 死ぬまで殴り続ければ不死者も殺せると豪語するレパルスだが、面倒や疲労が増えるなんて最悪だと、心底嫌そうに眉間に深い縦ジワを刻んだ。言い方はひどいが、サマンサもレパルスの意見に賛成だ。悠久の時を孤独に生き続けなくてはいけなくなるより、ひ弱ですぐ死んでしまう人間に近い方が、おそらくよりマシなのだ。
「レパルスのそういう優しいところ、とても好きよ」
「?」
 怪訝そうに揺れる金髪から、サマンサは目を離した。まっすぐ前を見て歩かないで転ぶと、またレパルスに注意されるからだ。

 睡眠時間を削ってまで先の仕事を片付けていたおかげで、午前中に起きた討伐での負傷者をさばききっても、今日の分の事務仕事を定時前に仕上げることができた。しかし、鬼気迫る勢いで仕事を片付け終わって、万歳と両腕を上げた大和のデスクに、追加の紙束がドサッと置かれた。あとはソフトを閉じて落とすだけだったパソコンのモニターにも、新着情報を表すアイコンがぴこぴこと光っている。
「ちょっ!?なんでこんな時間に持ってくるんですか!定時まであと十分もないのに、終わらないじゃないですか!ルイスさん、僕、今日デートだって知っていますよね?」
 ぎゃーと頭を抱える医療部長に、ルイスはにっこりと微笑んだ。
「もちろん、知っていますよ〜☆」
「嫌がらせですか!?ありが・・・・・・いえ、人を待たせてしまうんです、ほどほどにしてください」
「了解です☆」
 真面目に書類に向かって精励する大和を尻目に、ルイスは足取り軽く医療セクションを抜け、そのまま建物の外まで出ていった。
「・・・・・・うん、大丈夫だよ。気にしないで。こっちもちょっと道が混んでてさ、うん」
 スマートフォンを片手に、TEARS名坂支部の門柱の影に立っていた男が、ルイスの姿を確認してかすかに表情が動いた。
「こんばんは〜☆」
「なぁに?」
 スマホを仕舞った時には、すでにダンテの表情はいつもの穏やかなものに戻ったが、大和に対するのと違って、ルイスに猫をかぶる必要を感じていないのはよくわかる。
「ちょっとお尋ねしたいことがあるんです。レパルス・ウイリアム・フェアクライドという名前に、お心当たりはありますか〜?」
 優しげな太い眉の下でぽかんと見開かれた青い目が、すべてを語っていた。
「あ、もうけっこうです。期待外れでした☆」
「へぇ、あいつ、そんなオサレなフルネームだったのか。貴族っぽいなぁ」
「騎士の家系のようですね」
「あー。言われてみれば、礼儀正しい脳筋だもんな。やたらと姿勢のいい奴だなぁとは思ってたけど・・・・・・へぇ、マジモンだったのかぁ」
 しきりに感心するダンテは、本当に何も知らないのだろう。まったくとんだ無駄足の期待外れだと、ルイスは胸の内で憮然とため息をついた。
「それで、レパルスが家名を名乗らないことについて、俺が何か知ってるんじゃないかと思ったんだ?」
「そんなところです。お付き合いが長そうだったので」
「悪いけど、何も知らないや」
「最初の反応でそうだと思いました。お時間を取らせてすみませんでしたぁ☆」
 くるりと踵を返したルイスに、「あぁ、ちょっと」とダンテの声がかかる。
「はい?」
「わざわざ俺にまで聞きに来たってことは、アンタが持っている情報と、現物とに、重大な齟齬でもあったんだろ?」
 これだからこの男に話しかけたくなかったのだ、とルイスはにこにこした笑顔の下で舌打ちしたい気分だったが、ダンテは特に気にした風もなく、淡々と、しかしはっきりと断言した。
「俺が知っているレパルスは、サマンサ・フッド女史の飼い犬である、あのレパルスだけだ。俺たちが出会う前に何があったのかも知らないし、むこうで別れてから名坂市ここに来る間に何があったのかも知らない。・・・・・・レパルスは、レパルスだ」
「・・・・・・そうですか、期待外れな上に根拠スカスカで非理論的な無駄情報でした。どうもありがとうございました〜☆」
「いちいち言い方が腹立つな・・・・・・」
 歩き去っていくルイスの背に投げつけられるダンテの声がたいして怒ってないのは、自分でも客観的に見て根拠スカスカだと思っているからだろう。それでも口に出して証言するのは、それだけ確固として己自身を信用しているからだ。
(実に不愉快です)
 ダンテのように、自分が自分であることを心地よく感じているタイプは、往々にして大胆に自分を犠牲に成果を得ようとする。それは自分に価値を感じていないから捨てられるのではなく、誰かに献身的に愛されたことがあるから、誰かに自分自身であることを認められ尊ばれたからこそ、自分以外の誰かを心から尊び、誰かのために献身することができるのだろう。他人を思いやれるという本人の資質も大きいが、そういう教育を受けてきたに違いない。
 他人の為に差し出せる自分に、その価値があるという自負があるのだ。むしろ、自分に自信を持たなくては、自分を慕ってくれる友人に申し訳ないと思っている。それは同時に、自分自身を大事にしていることも含み、無謀や無益な自己犠牲を嫌う。だからこそ、その言動には自律と慈愛で満ちているのだろう。
 自分が受けた愛情を、自分の中でさらに育み、誰かに分け与えることができる。それがとても特別なことだとは知らず、ごく自然なことだと、意識すらしていないかもしれない。
 家族に恵まれた典型的な良家の子、情熱的なヒーローだ、とルイスは皮肉っぽく分類するが、決しておだてて操れるタイプではない事も理解していた。彼らはお人好しであると同時に、彼ら自身に課したルール、自分に対しての信条を持っている。安っぽい正義を振りかざすだけのノータリンとは一線を画すがゆえに、こちらの囁きにブレることがない。
 ルイスと違って、彼はさほど嘘をつかない。黙っているか、詐欺的なまでに真相を曲解させることは言うが、世辞や誤魔化しを弄していない時の発言は、ほとんど事実だろう。
「うーん、ふりだしに戻ってしまいました☆」
 ルイスはきっかり定時にタイムカードを押し、悠々と自分のために紅茶を淹れる準備に入った。