噛み痕 ―5―


 早々に現実世界に戻ることにした一行は、レパルスがまだ意識の戻らないダンテを担いで、建物から出た。
「悪いね、汚れるのに」
「あなたには、住人を寄せ付けないでもらわなければなりませんから」
 ラウルとレパルスの後ろで、アキと大和が・・・・・・特にアキが、失神しそうなほど蒼褪めている。来るときにはカラフルなキラキラした靄だったものが、古今東西の異形達になっていたのだから。
 エルフやノームのような人の形に近いものや、筋骨逞しい二足歩行をする獣たちならまだしも、派手な飾りがついた獅子頭のような生物や、ワームの塊にしか見えないもの、延々と呪詛を垂れ流しながら飛んでいく巨大な眼球、歩くたびに年を取ったり若返ったり崩壊したりする半透明な女性・・・・・・そんな住人達が往来する道を、一行の先頭に立ったラウルは、ステッキを振り振り闊歩していく。
「そういえば、結婚されたんですか?」
「え?ああ、これ?まだ婚約」
 ラウルの左手の薬指には、ピンクゴールドの指輪があった。
「あいつの娘と結婚することになってさ。元貴族殺しの農民、現公務員が、次期伯爵夫人のお婿さんだってよ。ウケる」
「伯爵夫人?二代目の伯爵には息子がいませんでしたか?」
「それ弟。俺の彼女は、ねーさんの方」
「なるほど。それで、そんな恰好をしているんですね」
「そ。おハイソな服を普段着にするのは慣れたけど、これだって伊達眼鏡だよ。素顔だと若く見られすぎて、仕事に支障が出るんだ。人間が世代交代するたびに舐められて、毎回あいつや彼女の機嫌が悪くなるのは勘弁してもらいたいもんだよ」
「・・・・・・何歳になったんです?」
「ナイショ」
「あなた、あの人に似てきましたよ。態度も、話し方も」
「そうか。性格は、まだそこまで悪くなってないと思いたい」
「どうでしょうね」
 レパルスとの会話にラウルはくすくすと笑い、アキと大和が付いてこられているか、ちらりと振り向いた。
「そっちの俺にも、友達や、大切な人ができたんだな。ありがたいよ」
「本当に良かったんですか?」
「え?こっちに残すこと?別にかまわないよ」
 町の中心から少し離れた、広々とした野原に踏み込んでいく。
「俺がコイツに一言言っておくとしたら・・・・・・俺の癖に、美人を泣かすんじゃない」
 ステッキの握りでコンコンとダンテの頭を突くと、ラウルは立ち止まって、足元の四角い扁平な石を指差した。
「ここから出よう」
「これは・・・・・・」
 大和が絶句したのは、当たり前だろうか。そこには『Dante Orlandi』と刻まれていたのだから。
「やっぱり、一度亡くなっているんですね」
「そうだよ」
 ラウルはささっとタイを緩め、襟をめくって左の首筋を見せた。そこにあったのは、ダンテにはない歯形の痣。
「そっちの俺は言ってなかった?力尽きる前に、噛み殺してもらったんだよ。恩に対して返せるものが、生き血以外になかったからさ。それが、なんで真祖になって転生できたのかは、わからないけどね」
 シャツとタイをきちんと戻したラウルは、開けゴマ、とステッキを振る。ごごっと重い音をたてて墓石が動き、底がないような闇が現れた。
「素敵な旅を満喫できたかな?機会があれば、またお会いしよう」
 では失礼する、ごきげんよう、と朗らかに微笑んで、ラウルは終わらない夕暮れの下、街中へと戻っていった。
「・・・・・・目的は果たしました。戻りましょう」
「はい」
「それじゃあ、行くよ」
 アキに続いて、レパルスと大和も、墓穴の中へと飛び込んだ。黄昏の町からの、帰還者として。

 バリバリと裂け割れた空間を抜けて降り立った街は、静寂に満ちていた。
「・・・・・・あら?」
 綺麗に均された石畳には虫の影さえなく、広場に建つ大きな転移門は機能を停止しているようだ。
「逃げられた・・・・・・」
「なるほど、出会わなかった方か。それなら俺も、籠城するのに、この町をつくるなぁ。ライフストリームならぬ、マジックストリームの中じゃ、やったもん勝ちだろうし」
 ただ一人立っていた影は、彼女が求めていたものを、すでに獲得している方だった。
 くるくるとステッキを振り回していたラウルは、ぱしりと両手でステッキを受け止めると小脇に挟み、優雅に片腕を開いてみせた。
「欲深な魔女よ、ようこそ、トランクィッスルへ」
 黄昏の空が急速に蒼を帯び、ひときわ輝かしい一番星が姿を現す。
「そして、永久に、追放させていただく」
 鼻梁にしわを寄せてまで剥き出しにされた牙が、彼なりの威嚇のつもりだろうか。
「・・・・・・残念。まだ開いていない花が欲しかったのに」
 ぼと、ぼと・・・・・・落ちては消える黒い花冠は、あるいは刈り取られた歴史、そのものか。
 誰も見ていない密やかな夜闇の中で、力と力がぶつかり合った。


 せっかくレパルスがケーキをお土産にして帰ってきてくれたのに、サマンサはなんだか頭が痛くてベッドに横になっていた。
「サミィ、大丈夫ですか?薬はありますか?」
「平気よ、レパルス。重い感じがするだけで、ひどく痛むわけじゃないわ」
 外は雨が降っているので、そのせいで冷えたのかもしれない。
「レパルスは寒くない?濡れて帰ってきたでしょう」
 ケーキの箱が濡れないように、自分がずぶ濡れになって帰ってきたレパルスは、すぐに服を着替えたが、どこか血の匂いがした。またその辺の人間と喧嘩をしたのかもしれない。あまり弱い者の威嚇を真に受けてはいけないと、よく言い聞かせなければいけないだろう。
「サミィ・・・・・・」
 力なく眉を下げて枕元に控えるレパルスに、サマンサは微笑んで掛け布団を上げた。
「ちょっと寒いわ。こっちにいらっしゃい」
「わかりました」
 ベッドの中に滑り込んでくる大きな体に抱きついて、サマンサはその温かさにほっと息をついた。
「ケーキはあとで、一緒に食べましょう」
「はい、サミィ」
 大きな手に髪を撫でられて、サマンサはゆっくりとまどろんでいった。久しぶりに、楽しいあの町の夢を見た気がした。

 一人留守番をさせられていたいちかが、オレンジとチョコレートブラウニーのパフェを食べ、その前でアキはブレンドコーヒーを飲んでいた。このファミレスがアルコールを出す時間をチェックしていなかったのは誤算だ。しかも、全席禁煙ときている。
「それで、そのラウルとかいう人は、無事に帰ったんだな?」
「たぶんねー。あの大きな領域が、綺麗に畳まれていくの、いっちーも感じたでしょ?」
 もくもくとパフェを頬張りながら、いちかは頷く。
 領域は、生きた人間の感情が生み出すもの。通常はそこに巣くう死神を倒せば消えるが、今回は作りだしたのが人間じゃない上に、当人が理性的に消滅させている。まあ、例外中の例外といっていいだろう。
「それでも、クロユリがやられたとは思えないな」
「何発か殴り返すだけって言ってたからねー。どっちも楽しく暴れて、お片付けをして、それぞれお家に帰った、ってとこじゃないかな」
「化物どもが・・・・・・」
 はぁーっと大きくため息をついて、いちかは最後のクリームをパフェグラスから掬い上げる。
「だが、真祖の魔力回路を奪われずに済んだことは大きい。ご苦労だったな」
「えっ、いっちーが労ってくれるなんて珍しい!」
「普段の僕の苦労を、みんなもわかってくれたことだろう」
「えーっ」
 ぶーぶー文句を言うアキは、いちかから伝票を押し付けられた。外の雨は、だいぶ小降りになってきたようだ。

 仁王立ちした大和の前で、ダンテは正座させられていた。ボロボロになった服の代わりに、大和の服を貸してもらったので、内心は「これが彼シャツ!」とテンション上がるところなのだが・・・・・・。
「どうしてそう、毎回僕の目の前で大怪我をするんですか!」
「いやその、今回は特に不可抗力というか・・・・・・」
「言い訳は無用です」
「はい・・・・・・すみません」
 鋼鉄の手でぺんぺんと額を叩かれて、ダンテは沈黙する。あんなに怖い魔女がいるなんて知らなかったが、それよりも怒った大和の方が怖い。
「・・・・・・あの」
「なんです?」
「助けに来てくれて、ありがとう」
「あ・た・り・ま・え・で・す」
「ふぎゅぅっ」
 今度は両頬をつねられた。大和の怒りはなかなか治まってくれない。
「やはり鎖に繋いで飼うべきでしょうか」
「それだけは・・・・・・」
 小鳥遊精神あふれる声音と眼差しに、ダンテは堪忍してくださいと両手をつく。大和ならやれる財力があるので、まったく冗談に聞こえない。
「あの、大和様・・・・・・お雑煮ができました」
「!」
「ありがとう、涼月。手間をかけさせました」
「はいっ!不肖涼月、大和様のお口に合うよう、全力を尽くさせていただきました!」
 糊のきいたエプロン姿のメイドが、びしっと直立する。
「では、冷めないうちに食べましょう」
「やっほぅ!さっきから、とぉっても美味しそうな匂いがしていたんだぁ!」
 両手を上げて喜ぶダンテを、大和は仕方なさそうに眺めた。まったく、数時間前まで瀕死だったようには見えない。
 椀に綺麗に盛り付けられたお雑煮を、ダンテは美味しい美味しいとモリモリ食べていく。当然だと澄ました顔で給仕をする涼月だが、まんざらでもなさそうだ。
「不思議に思ったんですが、どうしてレパルスさんは、あの時『全部ニセモノ』だとわかったんでしょう。指揮を執る本物がいるとも思わなかったようですし」
「ん?」
 大和が領域外で襲ってきた白フードたちの事を説明すると、ダンテは梅の花に型抜きされた人参がくっついた餅を呑み込んで、簡単なことだと答えた。
「俺が町を作った時に、あの魔女が一瞬だけ読み取ったイメージだったのかな。当時の俺のメインウエポンは、人間を殺すためのクロスボウじゃなかったんだよ。それに、黒板も持っていなかったんだろう」
 一見して武器だとわかるものしか持っていなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、それがレパルスに真贋を見極めさせたのだろう、と。
「・・・・・・妬けますね」
「えっ・・・・・・」
「同じ顔をした方には婚約指輪をしているのを見せつけられましたし、ダンテさんが首の左側を嫌がったのだって、以前に噛まれた場所だったからじゃないですか」
「そ、それは・・・・・・その・・・・・・」
 また大和の目が据わってきてしまったので、ダンテはぎくしゃくと視線を逸らす。
「それなりの、誠意を見せていただきたく思います」
 一部の隙も無い大和の笑顔と、涼月の殺意がこもった視線に、ダンテは全面降伏を申し入れるのだった。