噛み痕 ―4―


 ぎゅーっと遠慮のないハグをされて、レパルスは遠慮なくふわふわの癖毛頭に拳を叩きこんだ。
「ごはっ!痛いじゃないか!」
「ふむ、夢や幻ではないようです」
「俺で確認するな!んー?その目はどうした。サマンサさんは元気?」
「サミィなら元気ですよ」
 痛む頭を抱えて唸るスーツ姿のダンテは、どこか優雅な身のこなしで辺りを見回した。
「へぇ。なんか呼び出されたなと思ったら、まさか昔の自分の部屋に出てくるとは・・・・・・。しかも、知らない人間がいるなんて驚きだ。レパルスの友達?」
「いいえ。私は連れてきただけで、そちらのダンテさんのです」
「ほおぅ?」
 固まっている大和の目の前で、ダンテがダンテを覗き込んだ。
「おぉ。まさか、こんなところに落ちているとは。しっかし、ずいぶんボッコボコにやられたんだなぁ。昔の自分に擬態しないと隠れられないなんて・・・・・・」
 姿勢をしゃんと戻したスーツのダンテは、失礼、と一声の後に、その両手に一本の青白く光るステッキを出現させた。握りには、炎を纏ったイタチをモチーフにした、精巧な彫刻がされており、その有様からも魔道具的なものに違いない。そして、カツン、と床を一突きした瞬間、室内は一気に質感を帯び、ともすれば夢の中のようだったものが、現実と変わらない色艶を持った。
「うわ。この人、一発で他人の領域を自分の勢力下に書き換えたよ・・・・・・信じられない」
「そちらの彼は、魔術師かな?・・・・・・あぁ、なんかおっかない感じのが外にいるね。まあ、かけたまえよ。落ち着いて話しを聞こうか」
 レパルスが座った背もたれのある椅子が、さらに二つ出現し、アキと大和がそれぞれ座らされた。大和は目の前で腰かけに座った男の所作が、自分がよく知る上流階級のものだとわかった。それも、最上級に洗練された動きだ。
 アキと大和がそれぞれ名乗ると、ダンテと同じ顔をした男は目元を緩ませて頷いた。
「お初にお目にかかる。この時代に、ダンテ・オルランディと名乗っていた者だ。しかし、なんでロープを巻いて・・・・・・ああ、この町に入るためか!そういえばこの頃は、まだ自由に出入りできなかったな。あははは」
「あの・・・・・・あなたも、ダンテさんなんですか?」
「そうだよ。ただ、いまその名前で呼ぶ人は少ないから、ラウルと呼んでもらえると嬉しいな」
 にこっと微笑むよく知った顔が、同一人物だがちょっとした別人でもあると告げる。
「君たちのダンテは、コイツだろう?」
 すいと指差されてベッドを見れば、そこには白いフード姿は消えて、血まみれで横たわったダンテが細い息をしていた。
「ダンテさん!すぐに手当てを・・・・・・」
「あ、いらない、いらない。すぐ連れて行くから」
「え?」
 立ち上がりかけた大和を制し、ラウルはこともなげに言い放った。
「コイツは転生時に行方不明になった、俺の一部。だから、吸収して持って帰る」
「なん・・・・・・だ、だめです!持って帰らないでください!」
 大和は慌てて首を振るが、アキは「それもありかなぁ」などと呟く。
「アキさん!?」
「だって、このままこっちにいても、ダンテさんはまたクロユリに真祖の魔力回路を狙われるんだよ?」
「それは・・・・・・」
「あー、そういうことか、アレが狙っているのは」
 なるほどとラウルは頷き、大和とダンテを交互に見た。
「コレ、どうしてもいる?」
「いります!ダンテさんは僕に、僕が要らないと言うまでそばにいてくれると約束しました」
「わあ、なんて情熱的な。ぶっちゃけて言うと、俺はコレがどうしても必要ってわけじゃないから、そっちにあげてもいいよ。でも、君が要らなくなったり、君が死んだりした後も、コイツはずっとずっと生き続けることになるけど、それでもいい?コイツ、帰りたがっていなかった?」
「っ・・・・・・」
 短命な者人間の満足のために残し、これからもずっと、孤独に黄昏の空を見上げさせることになるのか。その責任を負えるか、と自問すれば、大和には否しかない。それでも、我儘を通したかった。そばにいると言ったダンテを、信じたかった。
「僕は・・・・・・」
 大和が視線を上げた時、ラウルは大和を見ておらず、自分の袖を引っ張る手を見ていた。
「俺の、癖に・・・・・・大和さんに、いじわる、いうな。・・・・・・おれは、のこる」
「もぉ、気概だけは一丁前なんだから・・・・・・話の邪魔だから、もうちょっと寝とけ」
 ラウルの指先が、動けないダンテの額を、ぺん、と弾き、再び瞼を下させた。
「と、まあ、コイツは残りたいそうだ。悪いけど、仲良くしてやってくれる?」
「え・・・・・・あ、はい」
 なんだかあっさり決まってしまい、大和の肩に入っていた力が抜けたが、まだ問題が解決したわけではない。
「じゃあ、コイツをそっちに残せるようにするために、二つほど条件がある」
「なんでしょう?」
「ひとつは、いま外にいる奴に狙われないように、真祖のユニークアビリティだけは吸収させてもらう」
 ラウルの説明によると、今のダンテは、財宝と武器と食料と優秀な使用人を満載した大豪邸の名義だけがあって、そこに入る玄関の鍵がなく、鍵穴すらも潰されている状態だという。
「俺にもコイツ自身を覚醒させることは不可能だから、同期させて持っていく。真祖でなくても使えるものだけ、キャンピングカー程度にまとめて残してやるよ」
 実質パワーアップになるので、今より身を護れるはずだと、アキとレパルスも頷く。
「ふたつめは、コイツを急いで回復させるために、ティーカップ一杯半の血を提供すること。あまり時間がないだろ?」
 ラウルは三人を見回したが、了承とうなずいたのは大和だけだった。
「わかりました。僕がすべて提供します」
「そんな気軽に返答して大丈夫ですか?大和さんは生身の部分が少ないでしょう」
「たしかに僕は、義手と義足ですが、大丈夫です。問題ありません」
 人外との契約は不明瞭な表現が多く、実際を推し量るのが難しい事をレパルスは言外に含めたが、ダンテの曖昧な言い方に慣れているらしい大和は、切れ長の目に自信を込めて言い放った。
「現代物でもアンティークでも、ティーカップ一杯はおよそ百三十ccですが、満杯にすると二百ccかそれ以下になります。一杯半で最大三百ccならば、全血の四百ml献血よりもだいぶ少ないです」
 問題ありません、と大和は重ねて言い、アキとレパルス、そしてラウルの目をしっかりと見返した。
「ははは、しっかりした方だ。そういうことなら、こちらも遠慮なく」
「ただし、僕からも注意事項があります」
「なにかな?」
 ダンテと同じ顔をした別人に対して、大和は息苦しさを感じながらも、自分がコードファクターに感染しており、その危険性について話した。
「ふむ、それで?そっちの俺は平気なんでしょう?それに、吸血と言ったって、直接血に触るわけじゃないし・・・・・・」
「はい?」
 いまラウルの口から不可解なことを聞いた気がして、大和は思わず変な声を出した。
「血に、触るわけじゃない?」
「え?うん。・・・・・・えっ、まさかコイツ、直に噛みついてんの?」
「はい・・・・・・」
 大和が襟元をくつろげて首筋を見せれば、先日ダンテにつけられた歯形が赤く残っている。
「うっわー、痛そう・・・・・・。あ、そうか。コイツ作法とか全然知らないんだ」
 ラウルは自分のくせ毛をかき回しながら、乾いた笑いを漏らした。
「大丈夫だよ。俺は噛み付いたりしないから」
 手首を出すように促されて、大和は左腕を差し出した。日に焼けていない薄い皮膚に、青紫色の血管が浮いて見える。
「気分が悪くなったら、そのまま倒れていいからね」
 気遣っているのか微妙なことを言うと、ラウルは大和の手首に吸い付いた。
「ふ、ぁ・・・・・・ッ!?あっ・・・・・・!」
 くすぐったさよりも、ゾクゾクとした快感が突き抜けていき、大和は慌てて空いた右手で口を覆った。温かな唇と舌の湿った感覚がぬるりと動くたびに、体の芯からずるずると力が抜けていくような気がする。指先から冷えて、頭はくらくらするのに、自分の体はもっと気持ちよくなりたいと勝手に熱を作り続ける。
「っ・・・・・・ふ、ぅっ・・・・・・!はっ、ぁっ!」
「うわー。なんかすごいえっちだね。本物の吸血鬼は手首へのキスだけでイかせちゃうのか。私にもそのテクを教えてほしいなぁ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ツッコミ役不在の為、そわそわと目を輝かせるアキを誰も止めない。
「んっ、お疲れ様でした」
「はぁーっ・・・・・・はぁー・・・・・・」
 頬を上気させて椅子の背もたれにくったりと伸びた大和を放って、ラウルはベッドに乗り上がり、青白く光るステッキを片手に持ったまま、自分と同じ顔に口付けた。
「あーっ!ダンテさんが、僕以外の人と・・・・・・!」
「え、これってそういう問題なの?」
「絵面はともかく、救命活動でしょう」
 椅子の上でぷるぷると悔しがる大和に、アキとレパルスはドライに言い切る。
「ふはっ。こんなもんかな。不要な力の移譲も、問題なく完了した。そのうち怪我も治って起きてくるよ」
 よいしょとベッドから降りたラウルは、スーツの乱れを直して、しゃんと座り直した。
「じゃあ、これからの手順を説明するね。これからみんなを、外にいる奴に見つからないように、裏口に案内する。そこからは、アキ君が道を作って脱出してほしい」
「ダン・・・・・・ラウルさんは、どうするんです?」
 レパルスに問われて、ラウルは仕方なさそうに微笑んだ。
「しばらくアレを引き付けておくよ。俺がいじめられたのにやり返さなかったなんて知れたら、大噴火を起こすのが二人に増えてね。あれを宥めるのに比べたら、ちょっと暴れるぐらいの方が、気が楽だよ。なに、何発か殴り返すだけで、戦おうってわけじゃない」
「え、いや。何発か殴り返すって、戦うことには含まれるんじゃ・・・・・・?」
「含まれないよ。戦争するわけじゃないし」
「含まれませんね。侮辱に対する相応の礼儀です」
 思わず聞いたアキに、ラウルとレパルスは何を言っているんだと言いたげだ。
「えぇ〜・・・・・・」
「ラウルさんと同じという事は、僕がそう認識していなかっただけで、ダンテさんも沸点が低いと言うか、お手軽な実力行使にためらいのない性格だったという事ですね・・・・・・」
 ドン引きのアキと天を仰ぐ大和に、ラウルとレパルスはなんとなく顔を見合わせた。そんなに変なことを言っただろうか、と。