噛み痕 ―3―


 ロープの端を持ったアキはドン引きであったが、そのロープの反対側を胴に巻き付けている大和の目は輝き、心なしか上気した頬がつやつやしている。
「なるほどっ、僕がアキさんの奴隷ですね!両手は縛らなくていいんですか?首輪は?足枷もありませんよ?」
「やっぱりそういう趣味の人なんだ。嫌いじゃないけどねー・・・・・・」
「・・・・・・この人、いまから行く場所わかっているのか?」
 いちかの目は冷ややかだが、コメントすら惜しいと言わんばかりなレパルスの目も、マイナス六十度くらいは冷たい。
「・・・・・・さっさと終わらせますよ」
「それじゃあ、いっちー、行ってくるよ」
「くれぐれも、真祖の領域に直接干渉しようなんて気は起こすなよ」
「もちろん。私だって、自分の身は可愛いからね」
「ふん。出口の警戒は任せておけ」
「えっ、あ、この状態でそんなところ入らなぁぁぁ!?」
 アキが開けたのは、喫茶店横の路地にあるマンホール。漆黒の奈落に変わって極彩色の渦と化している穴へと、いちかを残して三人は飛び込んでいった。

 どさっと三人が着地したのは、どこかの街だった。それも、細い石畳を挟んで、石造りの家々が並ぶ、ヨーロッパの古い街並みだ。見上げると、道を挟んだ窓同士にかけた麻縄に、洗濯物が干されている。
「・・・・・・ここではありませんね」
「その通り。ここはまだ進入禁止領域の外側だよ。自分から死神化して絶対城砦を造るレベルになると、ある程度まわりまで影響を出すみたいだ」
 こっちだよ、と大和を繋いだロープを引きながら歩き出したアキに、レパルスもついていく。人々が生活する音があふれ、視界の端には、篭を抱えたロングスカートの女や、地面に座り込んで何かの作業をしている男が見えるような気がするのだが、見ようとすると、そこには誰もいない。
「不気味ですね。いるはずなのに見えないなんて」
「そう思う?どちらかというと、見ていない、だと思うんだよね。必要がないから・・・・・・あ、ヤバいのきた。隠れて」
 そそくさと細い路地に体を押し込むと、編隊を組んだ白い影たちが、ふわりふわりと道を飛んでいった。
「あれは・・・・・・」
「見回りだね。ダンテさんの領域に近付けたくないんだ」
「ダンテさんなのに、僕たちも攻撃してくるんでしょうか?」
「いえ、あれは全部ニセモノです」
 低い声で断言したレパルスが、路地に立てかけてあった細長い角材を手にする。
「えっ、ちょっと!危ないってば!」
 アキが止める間もなく路地から飛び出したレパルスは、くるりと振り向いた白いフード姿たちがクロスボウを構えるのを待っていなかった。
「遅い!」
 続けざまに叩き伏せられた見回りたちが、二体、三体と、次々黒い塵となって地面に消えていく。
「わぁ、すごい。狐面さんみたい・・・・・・」
「危ない!」
 頭を出して覗いていたアキの襟首を引っ張ると、ぐえぇっという声と同時に、クロスボウの矢が壁に突き立った。ハンドル式のクラシックなクロスボウを、鈍器のように振りかざしてくる白いフードの見回りは、マフラーで口元まですっかり覆っているので顔が見えない。細身だが、大和よりもいくらか背が高そうだ。
「わあああ!こっち来るな!」
 悲鳴を上げるアキがロープを握っているために動きづらいが、大和はどこか機械的な白フードの攻撃を避けて、クロスボウを叩き落とした。その瞬間、フードとマフラーが捲れて、尖った牙がぞろりと並ぶ巨大な口が大和を襲う。
「ワンパターンなんですよ!」
 ガリッ、と牙が噛んだのは大和の右腕で、大和はそのまま腕を振って、石積みの壁に白フードを叩きつけた。
「・・・・・・・・・・・・」
「ひぃ。大和さん、ありがとう」
「どういたしまして。命を狙われるのは、慣れていますから」
 黒い塵が消えたのを確かめて、大和はアキを引きずりながら路地から出た。外にいた白フードの集団は、すべてレパルスが片付けたようだ。
「怪我はありませんか?」
「問題ありません」
 硬い声で答えるレパルスは、いつもの不機嫌というより、どこか怒っているようだ。
「ニセモノというのは、どういう意味です?」
「・・・・・・・・・・・・」
「あー、あれね。ダンテさんが作り出したんじゃないと思うなぁ」
「そうなんですか?」
 振り向いた大和の前で、アキはコクコクと頷いた。
「おそらくだけど、ダンテさんの領域に近付けたくない、あの魔女の物だと思う。センサー代わりにしていたのなら、すぐに私たちを排除しに来るかもね」
「では、先を急ぎましょう」
 角材を放り捨てて歩き出すレパルスを、アキと大和は小走りで追いかけた。
 町の外れからうっそうとした森に足を踏み入れ、まるで道を知っているかのように、レパルスはずんずんと歩いていく。
「すごいね。いっちーと来た時は、もうこのへんから弾かれたんだけど」
「エルフが作った迷いの森です」
「エルフ・・・・・・?」
 なんてファンタジーな単語が飛び出すんだと、大和はこめかみを揉んだが、やがてレパルスの歩みが止まった。
「ここが入り口です。くれぐれも住人を刺激しないように。食べられてしまっても、私は知りませんよ」
「「は?」」
 ぽかんとしたアキと大和の襟首をつかみ、レパルスは荷物を放り込むように森の中へと突き飛ばした。悲鳴は聞かなかったことにする。
「もう。こうも簡単に境界を突破されると、魔術師の看板に傷がつくよ」
「・・・・・・さっきとは、また雰囲気の違う町ですね」
 そこも石造りの古風な街並みだったが、まだ新しい町で造りたてなのか、石畳は凹んでおらず、建物の壁も綺麗だ。それに、先ほどは見えなかった住人が、いまはキラキラとした色付きの靄に見える。夕暮れ時らしく、あちこちにランタンが灯され、明るくて、活気のある雰囲気だ。
「◎▼※☆♯?!!」
「ひえっ」
「な、なんでしょう?」
 アキにしがみつかれて、大和もキラキラした青い靄から後退る。黒、ピンク、紫、オレンジ・・・・・・様々な色と大きさの靄が次々と集まってきて、聞き取れない言葉をまくしたてる。
 そこへ、レパルスが落ち着いた声で青い靄に釈明した。
「私は魔女サマンサ・フッドの使い魔です。こちらは、主の商売相手の魔術師と、その奴隷の人間です。友人のダンテさんに会いに来ました。機会があれば、町長にもご挨拶できればと」
「♪■◎●◇◇、△★」
「ありがとうございます」
 堂々と会釈して歩いていくレパルスの背中を、アキと大和は慌てて追いかけた。三人に集まっていた靄は、追いかけてこない。
「あの言葉がわかるのかい?」
「なんとなくです。向こうがこちらの意図を理解してくれるので、問題ありません」
「すごい適当ですね」
「ダンテさんの頭の中なんて、そんなものです」
 レパルスがあまりにもすたすたと歩いていくので、ロープで繋がれた大和とアキは、はぐれないように常に小走りで、カラフルな靄を避けて進んだ。広場から大通りを入ったところにある、立派な建物の前で、レパルスは歩みを止めた。
「・・・・・・この先は、もっと警備が厳重です。止められないように、祈っていてください」
 言葉とは裏腹に、レパルスは落ち着いた足取りで立派な門扉を潜り抜けていく。建物の中は、街中よりももっと靄の密度が高く、避けて通るなんて不可能に思えた。アキと大和はぴったりとくっついて、そろりそろりと進む。心なしか、周囲から視線らしきものがビシバシと当たっているのを感じる。
「なにをやっているんです、早くしてください」
「いやだって、なんかここ怖いし!」
「当たり前じゃないですか。あなた方なんて、ここの住人からしたら食べ物でしかないんですから」
 置いていきますよ、と奥のカウンター前にいたレパルスが背を向けて歩き出してしまい、アキと大和はなるべく小さくなって、靄だらけのホールを突っ切っていった。
「訪問の許可は通りました。あとは、ダンテさんの部屋まで迷わずに行ければいいのですが」
 ホールを過ぎると、もう靄はほとんどいなかった。その代り、建物の重厚な内装が良く見える。良く見えるのだが、なんだかぼんやりしているようにも見える。触ると突き抜けてしまいそうな感じがするのだ。
「でもこれなら、私が固定しなくても全然問題なさそう・・・・・・元々やるつもりないけど」
「固定するとどうなるんです?」
「さっきの靄たちも実体化すると思うよ。私は一発で廃人になるだろうけど」
 普通の人間ではないダンテの精神力が作り出したものなので、通常なら支離滅裂な破片にしかならないところが、驚くほど広範囲で安定した空間が作られていると、アキは大和に説明した。
 長い廊下を歩き、角を曲がり、階段を上り、レパルスがやや迷いながら角を曲がって、一番奥の扉の前に来た。
「ここのはずです。ダンテさん、入りますよ」
 ノックの後に返事も待たずに、レパルスはドアを開ける。きぃ、と開いたドアの中は、小さな部屋だった。窓の下の書き物机と椅子、小振りだが装飾彫りの入ったクローゼット、そして、奥のベッドと、水差しが載ったベッドサイドテーブル、背もたれのない腰かけが一脚。
 レパルスに続いて部屋に入った大和とアキは、小ぢんまりとした室内を見回していたが、ベッドの前に立ったレパルスの向こう側を覗いて、ぎょっと息を呑んだ。
「・・・・・・これは、本物です」
 ベッドの上には、先ほど襲ってきた白いフードの見回りが横たわり、その枕元には黒板と白墨が置いてある。もう一度室内を見回してみると、クロスボウとベルトポーチが壁にかかっていた。
「お疲れ様でした、到着です」
 レパルスは大きく息をつき、書き物机の上に置いてあった、華やかな装丁の本を勝手にめくり始めた。
「えっと・・・・・・彼が、ダンテさん?」
「・・・・・・・・・・・・」
 大和が知っている姿ではないが、レパルスが本物だというのならば、彼なのだろう。大和はベッドに近付き、柔らかな綿生地を分厚く重ねて仕立てたフードを、アキには見えないよう、指先でそっとめくった。
「っ・・・・・・」
 きゅぅと胃が縮みあがるような痛みを堪え、大和はフードを戻した。目の前にいるのが自分の患者であるならば、難しくともどうやって治していこうかと、冷静にプロセスを組めただろうに、時間の壁の向こうで手の施しようがないとわかっている傷を目の当たりにするのは、やはり辛かった。
「んー?ここどこだ?」
 がたんごとん、と扉が開く音と同時に聞こえた声に、三人はパッと振り向いた。だが、開いた扉は、三人が入ってきたドアではなく、クローゼットの扉だった。
「え?」
 三人の注目を浴びながら狭いクローゼットから出てきたのは、細いフレームの眼鏡をかけ、手首には宝石をあしらった腕時計を、すらりとした肢体に仕立ての良いスリーピースを着こなした、栗色の癖毛をした男だった。
「ダンテさん・・・・・・?」
 目を丸くしたレパルスに、クローゼットから出てきたダンテは破顔して駆けよった。
「まさか・・・・・・レパルスか?久しぶり・・・・だな!!」