噛み痕 ―2―
空気は冷たいが、温かな日差しが届く午後に、大和はダンテと並んで名坂支部への道を歩いていた。
コートにマフラーと手袋という格好の大和の隣で、モッズコートの襟を立てたダンテは、かぶったフードのファーも相まって余計にもっふもふに見える。 「うぅ、日差しが目に染みる・・・・・・サングラス忘れたのは痛かったな」 「会うのはいつも夜ですからね」 ダンテの目がしょぼしょぼするのは、明け方まで寝かさない大和のせいもある。二人の歩みはゆっくりだが、片方はしっかりとした元気な歩調で、片方は時々腰が辛そうに揺れる。 道路を走りすぎていく車のフロントにお飾りが付いているのを眺め、ダンテは首を傾げた。 「お正月だから、車も飾るの?」 「ああ、あれは交通安全祈願の為ですね。最近は車のデザインも変わって取り付けにくくなったので、あまり見かけませんが・・・・・・。今年一年、無事故でいられますように、と」 「ふ〜ん。俺は神社に入れないけど、大和さんは初詣に行かないの?」 「僕個人に、その習慣はないですね」 「じゃあ、お雑煮食べられる場所知らない?」 「お雑煮ですか?」 大和がきょとんと見上げると、灰色を帯びた青い目が、好奇心にキラキラと輝いて頷いてくる。 「うん!俺、お雑煮食べてみたいんだけど、どこにもないんだ。あれはお店では売ってなくて、家で作るの?出汁って、どれを使えばいいの?醤油味?味噌味?」 「えぇっと・・・・・・」 料理の事を聞かれても大和は困る。馴染みの料亭なら作って出してくれそうだが、家での作り方となると・・・・・・。 (涼月なら知っているかな?それとも、長門くんに聞いたほうが・・・・・・) 前髪を切り揃えてきりっとした表情も凛々しい若いメイドの顔と、金髪からアホ毛を飛び出させた男子高校生の顔とを、等しく思い浮かべて、大和はさらに唸った。 だから、隣を歩いていたはずの男が、一瞬で後方に消えたことに気付くのが遅れた。 「え・・・・・・?」 大和が振り返った時には、黒いタールのようなものに巻き付かれたダンテが、そのまま地面に吸い込まれていくところだった。 「・・・・・・!!」 大和が伸ばした手は、ダンテの手に払われた。「ダメだ」と言いかけたような声を残して、フード姿は跡形もなくアスファルトの下へと消えてしまった。 「ダンテさん!」 そこには、最初から大和しかいなかったかのように、何も変わらない時間が流れるだけ。 「くそっ、一歩遅かった!休憩が長いんだよ!」 「はぁっ・・・・・・ぜぇ、はぁ・・・・・・だって、いっちー速い・・・・・・」 「今日から禁煙な」 「ひどいよ、いっちー!」 振り向いた大和の前にいたのは、軽く息を弾ませた小柄な死神殺しと、わき腹を押さえてよろよろしている相棒の魔術師だった。 ものすごい力で引っ張りこまれたダンテは、どことも知れぬ場所で這いつくばり、ぐわんぐわんと揺れる視界に頭を抱えた。 「いってぇ・・・・・・はぁ、寝不足なのに、こんなに引っ張り回されたら酔う。気持ち悪い・・・・・・はぁ、もぉ・・・・・・」 もういっそのこと開き直ってここで寝るかと仰向けになり、自分を見下ろす黒い影と目が合った。 「へ・・・・・・?」 見覚えのあるスグリのような深紅の両目が、白い陶器人形のように整った女性の顔に配されている。頬のラインは柔らかそうなのに、無機物のように硬質な印象を与えるのは、その表情が少しも動かないからだろうか。 「サマンサさん・・・・・・?」 口に出して言ってみたものの、明らかに違うと本能が警鐘を鳴らす。コレは、未知のモノだ。 三半規管と嘔吐中枢の悲鳴をねじ伏せて飛び退り、即座に戦闘態勢を取る。 (周囲の状況、不明。なんだ、ここは?どうやって逃げる!?) 戦うなんてもってのほかだと、冷や汗が背を伝う。目の前にいる、黒いドレスを纏ったように見えるナニカは、同じ異形とするならば明らかに格上の存在だ。 それなのに、引きずり込まれた空間は、どこまでもアイボリーの虚無が続き、隠れる場所を探すどころか、踏みしめた地面を意識しなければ、あっという間に失調感で起き上がれなくなりそうだ。 「誰だ?」 自分で言っておいて、なんて間抜けな質問だと思う。知ったところでどうにかなるとも思えないが、古式ゆかしい異形には、意外と言葉による制約を受ける存在が多い。ダメで元々だと話しかければ、表情が動かないままで、わずかな感情らしきゆらぎを感じた。だがそれは、決して好意的だとか、友好的だとか、そんなものではない。・・・・・・憐れまれた、それが一番近く感じる。 (・・・・・・!) 怖い怖い怖いと悲鳴を上げる、縮みあがった心を叱咤する。みっともなく震えた脚でも、逃げるためには動かせなくてはならない。パニックを起こして吐くほど泣くのは、生き延びてからでも十分できる。 恐怖に強張ったダンテを映したスグリ色の目がゆっくりと瞬いたが、相変わらずダンテを見ているのか見ていないのか、まったく距離感がつかめない。 「ねえ、使わないなら、私にくれない?」 「は?」 緊張でからからに乾いた喉で唾液を呑み込む前に、強い衝撃が胸に当たって仰向けに吹っ飛ぶ。視界の隅に自分を引きずり込んだ黒い粘液体を見つけて体をひねるが、先に掴まれた右腕がひどい音をたててねじ折れた。 「イッッ・・・・・・ぎッ・・・・・・ッ!」 アレはダンテを逃がす気なんてないのだ。あるかどうかもわからない地面に叩きつけられて、潰れた肺から溢れた血を吐き出す。 「がッ、は・・・・・・ぁっ、ゲホッ・・・・・・!」 「宝の持ち腐れでしょう?」 さっきからサマンサに似たナニカが、何の話をしているのか、ダンテにはさっぱり分からない。差し出せる物なんか、何もないはずだ。 痛みを堪えて立ち上がったダンテの両脚を、走らせないとばかりに、三方に刃が突き出た槍が貫く。なんて嫌な形の物を出してきやがると悪態をつく胸と左肩に、同じ槍が突き立った。 「ヒ、ギッ・・・・・・ハッ、ぁ・・・・・・ッ!」 倒れたくても両脚は縫い留められ、後ろによろめくと、そこにあったのかと思える壁にぶつかり、やはり動けない。 「とても珍しいのに、もったいないわ」 サマンサに似たモノが腕を伸ばし、その繊手がダンテの首に触れそうになって、ダンテはやっと閃いた。コレが欲しがっている物が、なにかを。 「わ、たすか・・・・・・ッ!!」 「?」 「これは、俺だけのものだッ!!」 理不尽に奪われることに、最も反発する魂であることを、目の前の異形は知らなかったのだろう。 (俺が知っているサマンサさんじゃないのなら・・・・・・!) ダンテは一縷の望みを賭けて、自分の内に助けを求めた。 「お断りします」 大和に助けを求められて、レパルスは流れ作業のように口をそう動かした。 「レパルスさんしか知らないんですよ、お願いします!」 「私だって知りませんよ!」 ケーキのお土産を付けるからと、大和に無理やり喫茶店へひっぱりこまれたレパルスは、そこで待っていた銀髪の華奢な若者と、編み込んだ髪に簪を挿した細身の青年に、さらに眉をひそめた。 死神殺しの綾波いちかと、その相棒の魔術師 「何かを探しているようだった」 「それに引っかかったのが、大和さんのお友達の、ダンテさんだったらしくてね」 いちかとアキは、すぐさま消えたダンテの痕跡を追ったのだが、すでに一戦終わった後だったようで、通称クロユリの魔女を見つけることはできなかった。そして、ダンテも見つけられなかった。 「見つけられなかった、と言うのは語弊があるな。いるのはわかっているんだが、我々ではあの領域に入れなかったんだ」 「まさか魔術師でも弾かれるなんて、初めてだよ」 「だからこそ、クロユリも一時諦めたんだろう。完全な籠城戦だ」 一晩かけて調査・試行したアキによると、ダンテが作り出したらしい領域には、その場所がわかる者が正しい手順を踏まないと入れないという事だ。 「クロユリが何を欲しがったのかは知らないが、あれだけの領域を作り出せる負の感情を持っているなんて、ダンテとかいう人は相当ヤバいやつだぞ。何者なんだ」 「何者と言われましても、自分から人間を捨てて吸血鬼に成った、救いようのない愚か者です。怒り感情の自家発電機としては、そこそこ優秀だと思いますよ」 紅茶を片手にさらっと言ってのけたレパルスに、それまで眉間に可愛いしわが寄っていたいちかも、フィナンシェをつまもうとしていたアキも動きが止まる。 「ちょっとレパルスさん、それ軽々しく言っちゃっていいんですか?」 「別に。私自身の事ではありませんし」 「ちょ、ちょっと待って?まさか、ダンテさんって、真祖ってことかな?」 アキの顔が引きつっているが、レパルスはこともなげに頷いた。 「そういう解釈でよろしいかと。もっとも、覚醒が阻害されているらしいので、死ぬまで殴れば死ぬ程度の、普通の吸血鬼ですが」 「それだ!真祖クラスの未使用魔力回路なんて、クロユリでなくても垂涎ものだぞ」 愕然と呟くいちかの隣で、アキも青くなって頭を抱える。 「力任せに干渉しなくてよかった・・・・・・。そんな化物級の領域をこじ開けるなんて、私の手に余る。やっぱり正攻法で、正しい手順を探すしかないよ、いっちー」 「黙れ、泣き言は終わってからでいい。クロユリよりも先に、僕たちがダンテ氏の魔力回路を押さえないと、今よりも手が付けられなくなるにちがいないんだ」 ひんひんと泣くアキとは対照的に、いちかの態度は毅然として凛々しい。 「それで、ここからが本題です。ダンテさんが『絶対に安全だと思っている、逃げ込める場所』を、レパルスさんはご存じではありませんか?」 「・・・・・・・・・・・・」 大和の視線を頬のあたりに感じつつ、レパルスはしばし黙した。ダンテが逃げ込む場所に、レパルスは心当たりがある。だが・・・・・・。 「無理です。あなた方には資格がないので入れません」 「知って・・・・・・!」 「やっぱりぃぃぃ」 「その資格はなんだ?」 三者三様の反応を眺め渡し、レパルスは軽くため息をついた。こんな面倒くさい事に巻き込んでくれたことに、迷惑料として二、三発殴りたいところだが、殴る相手が救出対象とあっては苛立ちが募るばかりである。 「まず、通常の人間は入れません。身元の保証があり、何度か行ったことのある私なら入れます。私の知り合いということなら、魔術師は入れる可能性があります。でも、あなたは住人から敵対者とみられて弾かれるはずです」 レパルスの視線を受けて、いちかが悔しそうに唇を噛む。 「僕は入れないんですか?」 「一緒に行ってどうするんです?」 戦力外だと一蹴するレパルスの冷やかな視線を受けても、大和は退かなかった。 「逃げ込んだという事は、負傷している可能性があるという事です。回復させる必要があるなら、僕が適任です」 「あぁ・・・・・・その時は、コレでいいのでは?」 「えっ!?なに?私がなに!?」 「うるさいぞ、静かにしろ」 レパルスに指差され、いちかに頭を叩かれたアキを見て、大和は柔らかく微笑んだ。 「他の人に譲るつもりはありません。レパルスさん、僕も一緒に入れる方法はありませんか?」 |