一粒の飴玉 ―1―


 定時に始まるTVのニュース番組を眺めながら、ダンテはこの先どのくらい生き延びられるのだろうかと、ぼんやり考えた。
 いくつかの言語を習得していたおかげで、こうして流れ着いた先でも情報は得られるが、それが明るい未来に繋がっているのかどうかは、はなはだ不明瞭だ。衛星回線が生きているおかげで、ダンテのPCにも各地の状況が入ってくるが、地上の施設を破壊されたら、それも難しくなるだろう。
(・・・・・・近いな)
 ニュースで流れた地名が、ここからそう遠くないことに眉を顰める。おそらく、この地域にあるTEARS名坂支部の管轄に違いない。
(大和さん、大丈夫かな?)
 ダンテが好意を寄せている相手は医官だが、ダンテよりも前線にいるのは間違いないし、裸になった時に見つけた脇の硬さは、ほぼ間違いなくライフルの銃床による痕だ。それだけ銃を撃ち慣れているということで、戦闘に身を投じたことも少なくないのだろう。
(会いたいけど、ちょっとなぁ・・・・・・)
 自分たちが出会ったころと比べても、状況は明らかに深刻さを増している。大和は忙しいに違いないし、現場も大和にうかうかと持ち場を離れられては困るだろう。
 自分も何かできればよかったのだが、味方の足を引っ張る様な弱点持ちでは、いない方がマシだ。せめて、自分の身は自分で守らなければならないし、まして、万が一にも大和を巻き込むようなことになっては申し訳が立たない。
(はぁ、情けない・・・・・・)
 うじうじしていても仕方がないとわかってはいるのだが、気を紛らわせるようなことが、増えてきたSM道具の手入れか自分磨きしかないのが困りどころだ。クローゼットの中には、人間相手なら十分危険物と言えるものが備えらえているが、それ以外の相手には、せいぜい足止めぐらいにしかならないだろう。
 突然、外から叫び声が聞こえて、ダンテは素早く窓より下に身を潜ませた。何度も上がる雄叫びに、そっとカーテンの隙間から道路を窺いみたが、どうやら発症者ではないようだ。よたよたと歩いていく男の後姿は、嗚咽に震えている。
 日増しに濃くなる重苦しい空気は、精神の柔軟さに欠ける者から蝕んでいく。自殺者も増えているらしい。みんな怖いのだ。狂ってしまえば楽かもしれないが、その狂気は周囲まで巻き込む。
「はぁぁ〜」
 住人のストレス値は戦場と変わらない・・・・・・いや、世界中が戦時国なのだ。もはや安全な場所など、何処にもない。

 危機を切り抜けるスリルをもって生きていることを実感するよりも、楽しく食事をすることで生きていることを実感する方が、ずっと健全だ。例え、肉やデザートの争奪戦で、食堂が戦場だったとしても。
「食事くらい、もう少し静かにしませんか」
「たくさん食わなきゃ回復しないだろ?」
「それはそうですが」
 元気のいい大型犬のようなエースが、おかわりを求めて席を立っていく。まだ高校生の彼が、筋骨たくましい大人たちに混じっても跳ね返されないのは、その身体能力のおかげか、肉への執念か。
(大型犬・・・・・・犬、犬・・・・・・)
 長門のジャージ姿を眺めながら、大和はなんとなく手を動かす。
「う〜ん・・・・・・」
「どうしたんですか?」
「ああ、赤城さん」
 大和の隣に座って行儀よく食べ始めた赤城に、大和はまとまらないイメージを言ってみた。
「こう・・・・・・ふわふわくるくるした毛の動物ってなんでしょう?」
「ふわふわしているのはいっぱいいますけど、くるくる?・・・・・・うーん、プードルとかですか?あとは、ヒツジとか?」
 赤城が首を傾げると、温かな色味の髪がさらりと揺れる。女子高生らしい可愛らしい候補に、大和はうんうんと頷いた。
「ヒツジもいいですねぇ。どちらかというと、皮をかぶっているだけのような気もしますが。プードルだと小さいし・・・・・・」
「えっ、プードルって大きいのもいますよ」
「え?」
 驚いた大和に、赤城は素早くスマートフォンを操って大和に見せた。
「スタンダード・プードルです。大和さんがもっているイメージは、たぶんトイ・プードルなんじゃないですか?」
「へぇ〜」
 画像には個性的なカットが施されたプードルが並んでいたが、どの個体も中型から大型と言っていいほどの体格をしている。
「大きなぬいぐるみみたいですね」
「もこもこしていて、可愛いですよね!」
 そもそもプードルはこのサイズで狩猟犬だったのだが、品種改良で愛玩用に小型化されたのだと赤城は教えてくれた。
「ありがとうございます、赤城さん。参考になりました。これどうぞ」
「わぁっ、ありがとうございます!」
 デザートのフルーツゼリーのカップを赤城に渡すと、嬉しそうに頬を赤らめる。危急存亡の秋とはいえ、命を危険に晒して戦う少女には、せめて甘いもので気分を和らげてもらいたい。
「なにやってんの、赤城?あっ、ゼリーが二個もある!ずりぃ!」
「これは大和さんからお礼にもらったの!あっ、こら返せ!瀬良ァ!!」
 わざわざ大和と赤城の間に割り込んできた長門にゼリーを奪われ、キレモードになった赤城は追いかけて行ってしまった。
「やれやれ・・・・・・賑やかですねえ」
 お茶をすすりながら、大和は嘆息する。しかし、食堂くらい賑やかでなくては、士気にかかわるというものだ。
(はぁ・・・・・・触りたい・・・・・・)
 大和用のふわふわくるくるした栗色の回復剤は、残念ながらここにはなかった。

 久しぶりにつながった大和との誘いメールに、しかしダンテは快諾の返事を躊躇った。ずっと会えなくて寂しかったし、会えるのはとても嬉しいのだが、自分と会っているせいで方々に迷惑をかけてしまうのは困る。
 大和がいいと言っているのだから、それを信じればいいのだろうが、大和が周囲に非難されたらと思うと、どうしても二の足を踏む。
(でも、会いたい・・・・・・)
 さんざん悩んだ末に、会う時間は短く、今後は状況が落ち着くまで、会うのを控えないかと、なるべく柔らかく伝える文面を添えて、返信ボタンを押した。
 会いたいと思ってもらえることは嬉しいが、それが危機につながりかねないのだとしたら、これが最後の逢瀬になったとしても構わなかった。大和と遊ぶために用意した仕込みは色々残っているが、それも仕方がないだろう。
(それに、平和になったら、きっとまた会える)
 大和が選んだ仕事に危険が付いて回るのは仕方がない事だが、それ以外のことにまで危険を纏わせるのは避けたい。大和にだけは生きていて欲しい、それがダンテのささやかな願いだ。
 ところが、そう思うのはダンテの勝手だとばかりに、いつもの待ち合わせ場所に来た大和はぶんむくれて目が据わっている。ダンテが称賛してやまない涼やかな面立ちが台無しだ。
「・・・・・・あの、大和さん?もしかして、ご機嫌悪め?」
「ええそうですね怒ってます、僕は!焦らしプレイは確かに大好きですが、何も知らないのを知ったような顔で変に気遣いされるのは嫌いなんです」
 ぎろっと睨まれて、ダンテは半歩あとじさった。怖い。怒っている。でも怒っている顔も綺麗だな、などと言ったらぶっ飛ばされそうだ。
「うちのスタッフはみんな優秀ですし、こう見えて、職場の福利厚生はちゃんとしていますよ」
 大和は冷たい声で言い放ち、ふんと肩を怒らせて先にたって歩いていく。ダンテはそれを追いかけ、思慮も言葉も足りなかったことを詫びた。
「ごめんね。大和さんの職場をなじるつもりはなかったんだ」
「じゃあなんですか。なんで時間や回数を減らそうって言うんです?」
「それは・・・・・・」
 ホテルの部屋に入っても大和の機嫌は直らず、むしろ悲しそうに睨んでくる。
「・・・・・・飽きたんですか?」
「え?」
「僕と遊ぶのに飽きたのかと聞いているんです。えぇ、そうですよね、あなたはサドじゃありませんし!」
「あの、ちょっと待って!そうじゃないってば!」
「違うなら、僕が納得できるように説明なさい!」
 ガンガン雷を落とされて、ダンテはしゅんと項垂れた。良かれと思ったことが誤解を生んだことも悔しかったが、このまま嫌われてしまうよりは自分の考えをしっかり伝えた方がいいだろう。
「俺に会うために外に出てきているせいで、大和さんにもまわりにもリスクが発生していると思ったんだ。万が一、武器を持っていない時に襲われたら・・・・・・こっちに出てきて職場に戻れなくなったら、どうするの?俺だって大和さんと会いたいけど、大和さんを必要としている人が、大和さんでなきゃダメな人が、たくさんいることくらい理解している。・・・・・・これっきりというわけじゃない。平和になったら、いくらでも会える。いますごく忙しいのわかっているから、メールだって、電話でだって罵ってあげるから・・・・・・少し、距離を置いたほうがいいと思って」
 もちろん、市街地中心とのルート分断などという最悪の事態が起こったら、市民の安全どころか、海からの防波堤を兼ねる鎮守府が挟み撃ちになって全滅の危機だ。だが、ありえないと妄信するのではなく、蟻の穴という可能性を回避することが上策だとダンテは信じていた。
 しかし、両拳を震わせる大和は、ぎりぎりと眦をあげて吠えた。
「距離を置く?僕の胸をこんなに焦がしておいて?ふざけないでください!」
 ばしっと掴まれた両頬は、右が温かくて左が冷たかった。常なら色気を漂わせる泣きぼくろも、烈火の怒りを湛える眼差しを引き立ててやまない。大和はダンテの顔を掴んだまま、そんな悔し気な怒り顔にぐいぐいと近付けてくる。
「忙しいからこそ、少ない時間に会いたいんじゃないですか!僕がどんなに・・・・・・ダンテさんに触れたかったと思っているんです?あなたに会いたいのを、何日も我慢していたんですよ!?」
「え・・・・・・?」
 思ってもみなかった言葉に、意味をつかみ損ねたかと混乱する。それは本当に、自分に向けて言われた言葉なのかと。
「だいたい、平和になったら会えるなんて、死亡フラグ立てないでください。縁起でもない!それ以上馬鹿なことを考えないでください。いいですか、仕事とプライベートは別です!雨が降ろうが槍が降ろうが、僕はあなたに会いに行きます!」
 至近距離から少々乱暴に押し付けられた唇のせいで、色々言われた言葉が全部吹っ飛んでしまいそうだった。大好きな大和の声は、ひとつひとつ大切に記憶しておきたいのに、それを上回る情報を受け止めるだけで心臓が破裂しそうだ。
「・・・・・・なにか言うことは?」
 まだ睨みつけてくる流星のような眼差しに、ダンテは顔が熱くて目を合わせられない。
「そんな風に・・・・・・そこまで、熱烈な告白を受けるなんて、思わなかった、から・・・・・・」
 期待なんてしていなかった。必要な時だけ構ってくれる相手という扱いでもよかった。それなのに、大和はダンテがいいと言ってくれた。それがとても、嬉しい。
「うん、大和さんの言う通りだね」
「わかればいいんです、わかれば」
 鋼の指から繰り出されるデコピンは、かなり痛かった。