被害拡大中 −1−


 薬学書目当てに大和のところへ行ったはずのサマンサがすぐに戻ってきたので、レパルスは首を傾げた。サマンサが、なにやら難しい顔をしているのも気になる。
「どうしました?」
「ムサシがいたから・・・・・・」
「ああ」
 TEARS名坂支部の司令官である渋谷武蔵しぶたにむさし大佐は、少々というには足りないくらい、厳めしい風貌をしている。体格も軍人として立派であり、質実剛健・威風堂々とした雰囲気を纏う彼を、サマンサはやや苦手にしていた。ぶっちゃけて言うと、めちゃくちゃ怖い。
「なんだか深刻そうな話をしていたわ。困っているみたい」
 TEARS自体が、人手不足その他、問題山積みなので、いまさら困っていると言われても、どれの事を指しているのか、レパルスには見当もつかない。
「あのお二人が悩んでいるくらいなら、私たちにできることはないと思いますが・・・・・・赤城さんや長門さんあたりなら、何か知っているかもしれませんよ」
「そうね、聞いてみるわ」
 サマンサがあっさり頷いたので、武蔵と大和は余程彼女の好奇心をくすぐるような空気で話をしていたのだろう。
 後日、その話題を出したサマンサに、赤城は首を傾げたが、長門が「あれの事かなぁ」とこぼした。
「瀬良くん知ってるの?」
 少し驚いた赤城の視線に、長門は炭酸ジュースのペットボトル片手に頷いた。
「この前学校に、なんとかいうオバハンたちが来たじゃん?」
「来たじゃん?って言われても、知らないってば」
「えー。校長室うるさかったじゃん。すげー香水臭かったし」
 長門の要領を得ない断片的な情報を繋ぎ合わせると、なんとかいう市民団体か婦人会のようなものが、活動の一環として名坂高校に来ていたらしい。そして、漏れ聞こえる会話の内容からして、学生の軍事訓練をやめさせたいようだった、と。
「それって、学校に言っても意味ないよね?変なの」
「どっかから、俺たちみたいな学生がTEARSにいるって、バレたんじゃね?そんで、ここにもあのオバハンたちが来たとか」
 それなら、武蔵と大和が深刻な顔をしていたのもうなずける。だが、通常なら広報役も務める大和が何とかするはずだ。
 となると、今回は大和でも手に負えないような事態なのかもしれないと、長門を先頭に聞きに行ってみれば、武蔵はうんざりとした顔で、大和はほとほと困ったという体で顔を覆う。
「大和がな、限界なんだとよ」
「だって、あの人たちすごい勢いで罵倒してくれるんですよ。気持ちよすぎて、次に来られたら耐えられません!我慢の限界です!!」
 がたがたた・・・・・・とたたらを踏んだ一行は、あまりのくだらなさに回れ右をして出て行こうとした。
「おい、ちょっと待て。テメェらもなんか考えろ」
「なんかってなにを!?たけぞうが代わりにやればいいじゃん!」
 名坂支部で一番偉い人だし、顔が怖いから相手も黙るだろう、という長門の意見はもっともなのだが、それはそれで問題がある。
「何のために大和にやらせていると思っている」
「相手は一般市民ですよ。武蔵さんでは『不当に威圧された』ととられかねません」
 しかし名坂支部には、腕っぷしや口撃力はあっても、彼らと同等程度に弁が立ち、なおかつ暴言に対する忍耐力のある者がいない。相手は市民であり、下手に事を荒立てず、穏便に追い返す必要がある。
「それに、僕が特に罵られたのは、小鳥遊の人間だったからです。ずいぶんと嫌われているようで・・・・・・」
 本来なら小鳥遊財閥を継ぐ立場だった大和は、仕方なさそうに苦笑いを溢した。
「このまま大和を矢面に立たすわけにもいかねェからな。万が一暴力を振るわれても、市民相手に反撃はご法度だ」
「僕は殴られようと蹴られようと構わないんですが、話し合いにならないのが問題なんです」
 うーん・・・・・・と再び唸りだす武蔵と大和に、一番後ろで成り行きを見守っていたレパルスが、控えめに意見を具申した。
「部外でも信用のおける者を、臨時で雇うことはできませんか?」
「その場しのぎでも出来りゃいいが・・・・・・」
「そんな人材に心当たりが・・・・・・?」
 全員の注目を集めたレパルスは、何でもない事のように大和を見詰め返した。
「大和さんのお知り合いにいるではありませんか。口だけは達者なペテン師が」

 用意された応接室で待っていたのが、栗色の巻き毛を短く整えた外国人だったので、彼女たちは少なからず動揺した。軍服ではなく、軽やかな雰囲気のスーツ姿なのも、場所のイメージとはやや離れている。
「お待ちしておりました。どうぞおかけください」
 彫りの深い顔立ちが作る柔和な微笑から、大変流暢な日本語が飛び出したので、そのギャップにも驚かされた。
「TEARS広報補佐官の、ダンテ・オルランディと申します。『青少年の健全な成長を見守る会』の皆様におかれましては、本日はご足労いただき、誠に恐れ入ります」
 ネイティヴでないと、どうしてもイントネーションがぶれたり、敬語が片言になったりしがちだが、彼は耳がいいのか、相当な訓練をしたのか、実になめらかな発音をしてみせた。
「なんで外国人が・・・・・・?」
 思わずこぼれたらしい失礼な呟きにも、ダンテは朗らかに微笑んでうなずいてみせた。
「はい。皆様もご存じの通り、TEARSは国際的な組織ですので、私のような者は、意外と多いのです。ただ、私は小鳥遊少佐のような、高度な医療専門家ではありませんので、その点のみご了承ください」
 『青少年の健全な成長を見守る会』の代表者三名とダンテの前に、アイスティーが運ばれてきた。
「では、皆様からのご意見を窺わせていただきます。質問状等ありましたら、拝見させていただいてよろしいですか?」
 やや身を乗り出すような姿勢を保ったまま、ダンテは化粧品が混ざり合った臭いの発生源に向かて、変わらない穏やかな笑みを湛えてみせた。

 モニタールームには、応接室に設置された三台の隠しカメラと、ダンテの襟に仕込まれたピンズ型カメラからの映像がそれぞれ映し出され、音声もばっちり聞こえる。こちらからの指示も、ダンテのマイクロイヤホンに問題なく届いているようだ。
「もぉ、すんごい匂いでしたねぇ・・・・・・鼻が馬鹿になっちゃいそうですよ〜☆」
 端麗で優美な顔立ちを、くしゃみが出そうで出ないような表情にしているのは、長いプラチナブロンドを青いリボンでハーフアップにしたルイス・アリソン・ヴァリアント。最初は彼に大和の代わりをさせようと思ったのだが、本人が「クリーチャーの痰壺役なんて無理です〜。撃っちゃいそうですから〜☆」と拒否したのだ。
 モニタールームには、どっかりと椅子に掛けた武蔵と、静止画像の質問状を見ながら指示を出す大和と、大和の隣で機器の操作をしているルイスと、ダンテを推挙したレパルスがいた。
「あぁ、お上手ですね〜☆・・・・・・あんなにムチャクチャなこと言われても、一度も否定的な受け答えしていませんよ、彼」
 ルイスが指先だけで小さく手を叩くと、武蔵も無言でうなずく。
 大和から打診され、武蔵から正式に依頼を受けると、ダンテはわずか数十分で概要と予想される質問の答えを暗記し、渋る大和を押しきって前回の様子を録画した映像を視聴、相手の素性や趣味交友関係などを含めた詳細な経歴を調べ上げ、さらに会場となる応接室での位置取りを入念にチェックしていた。
「戦略家ですね〜。相手をいい気分にさせて送り返すのが勝利条件だと理解している態度です。あんなのが拠点防衛していたら、僕なら諦めて帰っちゃいますよぉ。やるだけ無駄ですから〜☆」
「なるほど・・・・・・質問への答え方も、嘘は言っていないが、まったくの事実を言ってもいない。いい度胸をしているな」
「いまから詐欺師に転職しても、十分にやっていけると思います」
 レパルスの友人とは思えない冷淡な賛辞に、武蔵の厚い唇がわずかに形を変えた。

 お門違いな抗議と、謂われない誹謗中傷と、無茶な要望とを、繰り返し吐き出させ終わると、ダンテは「皆様がご存じのように」「一般的に知られているように」などと相手を正しいと思わせておいて、誇張された噂の元になっているのは、化学的かつ散文的な事情であり、国際的な規定にも比準しているので、何も問題はないことを説明した。ここまでなら、普通の報道官や広報担当なら手腕の内で、もちろん大和もこなしている。
「皆様は、病気を媒介するネズミやゴキブリを素手で触れますか?ええ、難しいですね。私も無理です。しかし、これを駆除しなくてはならないのは明白です。この駆除を担当するのが、我々TEARSであります。一般の方々では、駆除をするには道具やコツが不足しがちで、下手をすれば病気をもらいかねません。ここで、皆様も注目されている、いわゆる『ワクチン』ですが、現在このワクチンに適合できた人間は、もれなく病気持ちのネズミやゴキブリを素手で掴んで退治する仕事に参加することになってしまいます。つまり、ワクチンこそが、駆除の依頼者と業者とを分ける、決定的な要素なのです」
 ダンテがいったん口を閉じると、三人のうち右側に座っている、無理やりしわを引っ張り伸ばしたような顔の婦人が、はっと口元を手で覆った。
「そういうこと!ワクチンが適合しなければ、子供たちの誰も戦わなくて済むのね!」
「その通りでございます」
 ダンテが会心の笑みを浮かべると、三人は自分たちが辿り着いた理想郷の看板に感嘆の声を漏らした。
 まったく逆説的な理論であり、冷静に考えれば人類が滅亡に対抗する手段がないと同意義で、なんの解決にもなっていない、とすぐにわかることなのだが、彼女たちが目指す着地点としては、これで十分なのだ。現実を無理に認識させる必要はなく、見たいと思っているごく狭い理想を見せてやればよい。
「じゃあ、あなたもワクチンの適合者なの?」
 左側に座った、鳥ガラみたいに痩せた婦人からのもっともな質問に、しかしダンテは微笑んだまま首を振った。
「そうです、と言いたいところですが、私の場合は少々事情が特殊でして。・・・・・・生まれつき、代謝異常の持病があるのです。そのおかげで、ワクチンに適合しない代わりに、悪い伝染病にもかかりにくいという奇跡です。通常の労働には向かない体ですし、どうしてこんな病気をもって生まれてきたのかと思いもしましたが、ここで皆様を護る仕事ができるなら、私は本望です」
 ダンテの献身的で殊勝な言い方に、婦人たちから次々と同情のため息が漏れる。理解と共感を得、警戒心が消えた、ここが潮時だと、ダンテは判断した。
「皆様が胸を痛められるのは当然のことです。若い世代、特に子供たちを守りたいと思う気持ちをもって、こうして女性が声を上げられるのは、素晴らしい勇気です」
 相対する熟女たちの表情が変わり、マイクロイヤホンから「ひっ」と息を呑む大和の声が聞こえた気がするが、ここからがダンテの本領発揮の場である。
 思想に敬意を示し、行動力を賛美し、なにより若年者を心配する思慮深い婦人であることを繰り返し刷り込み、各々が自分をジャンヌ・ダルクかナイチンゲールかのように錯覚させる。自分を誇り高い者だと思い込み、少女のように頬を紅潮させた、五十路にさしかかろうかという熟女たちを、ダンテは目元を緩めて眺めた。
「この国の若者は幸福です。貴女方のような、勇気と思慮に富んだ御婦人の庇護に浴することができるのですから。貴女方がひとつ心配されるごとに、学生たちの未来は明るくなることを約束されているのです」
 隠しカメラの向こうで「どこのカルト教団だ」「心配するだけで未来が明るく?」「気持ち悪くなってきた」などと言われていそうな気はしたが、ダンテの表情も声も態度も真摯なままだ。
「いますぐには難しい事もありますが、我々TEARSは日々尽力し、必ず貴女方が望む、平和な社会を実現させると誓います」