大事なことなので ―1―


 春が近いとはいえ、まだまだコートが手放せない。夜は息が白くなるほど冷える。
 その夜、大和は自家用のミニバンに、長門、赤城、時雨、五月雨を乗せて、名坂市内を走っていた。
 最近任務が立て続いたせいでストレスがたまった長門が、「肉をいっぱい食べたい」と叫んだからだ。国産和牛やブランド豚、地鶏の肉塊を、気持ちいいくらい食べつくした長門は、後部座席でぽっこり膨らんだ腹を抱えて、満足そうに舟をこぎだしてしている。
 長門に一緒に行こうとひっぱり込まれた赤城たちは恐縮するが、大和はみんなで楽しく食事ができればそれでいいと笑う。赤城たちは、主に食べた物の金額的なことに慄いているのだが、大和の方は道連れにされたことを気にしていると思っているのは、世代差というよりも金銭感覚が違うせいだ。
「うん?」
「どうしたの、時雨くん?」
 過ぎ去った歩道を振り向いた時雨を、隣に座っていた五月雨は見上げ、同じように左後方をうかがう。
「いや、見たことのある人かと・・・・・・」
 長門と肩を並べて前線に立つ時雨の目が、見間違いなどする可能性は低い。長門がシートを一列占領しているせいで助手席に座った赤城も、窓越しに後ろの方をのぞく。ちょうど、赤信号のために車も止まった。
「あれ、ダンテさんじゃないかな?」
「やっぱりそうか」
 大和の視線がバックミラーに走ったが、歩道の通行人はよく見えない。前方では、まだ横断歩道を歩いている人たちがおり、大和は思い切って運転席から半身を捻じ曲げた。
 事実、そこにはへらりとした笑顔で手を振っているダンテがいた。窓越しに手を振る赤城に、振り返しているのだ。
「うわぁ、すごい・・・・・・」
「モテるんだな・・・・・・」
「コミュニケーション力が高いんですね。時雨くんは、そのままでいいのよ」
 ダンテのまわりは、四、五人の若い女性たちが囲み、さらに派手な服の上にコートを羽織った、飲み屋の従業員らしい女性からも声を掛けられている。「ダンテくぅ〜ん」という声が聞こえるので、知り合いなのは間違いない。
 歩行者用信号機の音響が消えて、大和は前を向いた。
「長門くんが寝ていてくれてよかったです。悔しがって大声をあげそうですから」
 同意の空気が流れる車内で、大和はやや強めにアクセルペダルを踏みこんだ。


― それから五ヶ月後

 夜になっても続く、じめっとした蒸し暑さが、夏の到来を告げている。南の海では、台風が発生しているようだ。
「俺に見せたいものってなぁに?」
 助手席で首を傾げるダンテに、大和は機嫌よく微笑んだ。
「どうしても時間がかかる物なので、僕も待ち遠しかったです。先週、やっと引き渡しが終わったんですよ」
「なにそれ・・・・・・」
 嫌な予感がするなぁとダンテは呟いたようだが、大和は気にしない。
「さあ、着きましたよ」
 大和はカーポートに車を停めて、白いコンクリートの上に降りた。続けて降りたダンテは、口を半開きにしたまま、灯りのついていない建物を眺めている。
「・・・・・・・・・・・・ねぇ、見せたいものって、まさかコレ?」
「はい!」
「・・・・・・コレ、どうしたの?」
「土地を買って建てました」
「建てた・・・・・・」
「ええ。地下室のある物件がなかったので」
 あったらすぐに買ったんですけどね、と大和は唇を尖らせたが、すぐに笑みの形に戻した。
「ちょうど良い場所を買えましたし、デザインも選べましたから、これはこれで」
「・・・・・・・・・・・・」
 大和の隣で新築一戸建てを見上げるダンテの目は、半ば死んでいる。
 周囲から浮かない程度に、和風モダンな外観はおとなしめだが、門と塀の内側の庭にはモミジやマグノリアなどが植わっている。足元の花壇で笹のような葉を茂らせているのは竜胆だろうか。玉砂利が敷かれており、池がないだけマシだ。家屋の奥行きも深く、外から見えるだけでも、三世帯が余裕で暮らせる広さだろう。屋根の上に柵が見えるので、たぶん、屋上がある。
「地上二階、地下一階です。寝室はちゃんと地下に作ってありますし、地上部分もダンテさんの好みにレイアウトしてください。雨戸を閉めてしまえば、日差しは入りませんよ。あ、水回りは一階にありますので」
「待って、待って?俺の好みに?」
「はい。実際に住む人が整えた方がいいかと思いまして。取り急ぎ遮光カーテンはつけていますが、変更はいつでも出来ますし、家具類も必要最小限にしてあります」
「住む・・・・・・」
「さあ、いつまでも外で眺めていないで、中に入りますよ」
 白茶けた顔色で口から魂が抜けかけているダンテの腕を引っ張って、大和は自分が建てた家に入っていった。

 電気ガス水道に通信環境は、すでに開通済み。ハウスキーパーは信用が置ける人材の心当たりがないので未定だが、警備会社は契約済みだと、鍵とパスコードを渡される。二階はまだがらんとしているが、一階のダイニングやリビングには、家電が一通り揃っており、品の良い家具が行儀よく配されていた。ダンテのサイズに合わせた衣類も、寝室に設えたウォークインクローゼット内のチェストに、シーツ類と一緒にいくらか収まっているという。
「今夜からここに住めますよ」
 そう笑顔でのたまう大和のこだわりポイントは、各階を繋ぐエレベーターで、一階の出口の正面が、ランドリールームとバスルームになっている。寝室を設えた地下にバスルームを置くと、湿気がこもり過ぎるのだ。
「・・・・・・この家、俺を抱くために作ったでしょ」
「どうしてわかったんです?」
「わからないはずないでしょ!!」
 陽光に弱くなったダンテと朝チュンができない=抱かせてくれない、という図式は、大和の中でかなり問題になっていた。大和所有の地下室ならば、いくらダンテを抱き潰しても、朝日を気にする必要がなく、ダンテを一人で寝かせておくことができる。
「はぁ・・・・・・せっかく建ててくれたから住むけど、家賃いくらだよ。仕事増やさなきゃ」
「え!?いりませんよ。というか、外で働かなくていいように建てたんですよ!?」
「完全に囲いにきてるよ、この人!!俺はヒモか!!」
「ご主人さまの衣食住を賄えてこそマゾではありませんか!あぁっ、搾取される悦び!素晴らしいご褒美です!!」
「そんなの聞いたことないよ、ド変態!!頭の中大丈夫?お医者さんに診てもらおうか?」
「あひんっ、ありがとうごじゃいましゅっ・・・・・・!」
 数ヶ月前に大和が見たのは、ダンテが講師をしている外国語教室の生徒たちだった。もちろん、男性の生徒もいるのだろうが、顔も言葉も甘いダンテは女性に人気だ。ついでに言うと、飲み屋街のお姉さんたちはダンテのご飯だということが、調査の結果わかっている。手の甲にキスをしている写真を何枚も揃えられ、大和の額に青筋が立ったのは言うまでもない。
「僕というものがありながら、あちこちでつまみ食いをして!」
「だって、大和さん忙しいし、一人からガンガン吸ったら干乾びちゃうでしょ。とにかく、逃げないでここに住むから、社会的に仕事ぐらいさせてよ」
「それなら名坂支部ウチで働けばいいじゃないですか。いつでも僕がいますし、僕の目の届く範囲なら献血を募りましょう。人手が足りてないんですから、歓迎しますよ」
「えぇ・・・・・・」
 実際、夜間限定ならダンテは立派な戦力になる。単純な身体能力に加え、従軍経験者で現場慣れしているし、戦略構想と情報処理能力もあるから武蔵を補佐してもいい。器用貧乏と言って差し支えないほど、上から下まで使い勝手がいい人材なのだ。なにより、ほぼ不死身でコードファクターに耐性があるのが、大きなアドバンテージだ。ただし、夜間に限る。太陽が出ている間は使い物にならないので、そこは忘れてはならない。
「大和さんがそんなに言うなら考えておくけど、俺、費用対効果低いよ?昼間は身動きできないし、人間じゃないし」
「知っていますよ、そんなこと」
 大和はふふんと鼻で笑い、ぐったりとソファで埋もれるダンテに圧し掛かっていった。
「僕がしたいから、するんです」
「うーん、そういう方針は大好きだ」
「そうでしょう」
「だからって、家建てられるとは思わなかった・・・・・・」
「そうですか?ああ、ダンテさんのお国だと、国土の建物が全部文化財みたいなものだから、新築もリフォームも建築許可を取るのが難しいんでしたね。すみません、馴染みのないことで驚かせてしまって」
「そういう意味じゃ、ないんだけど・・・・・・ふっ」
「んっ・・・・・・」
 ちゅっちゅっと唇だけを合わせる遊びのようなキスが、次第に深くなる。ダンテが逃げないように両手で頬を挟んだ大和の舌が、ダンテの口内では逆に逃げられないように吸い付かれ、舌先であちこちをくすぐられてしまう。まだ触られていない主砲を舐められているような気分になって、大和の息は上がった。
「んんっ・・・・・・」
「ぁ・・・・・・はぁっ」
 優しく穏やかに頭を撫でられて気持ちいいが、それには誤魔化されないと大和はダンテの耳元で囁いた。
「わかっていますよね?」
「・・・・・・はぁ。準備してくるから待ってて」
「ここでオアズケですか?」
 ダンテの脚の間に体を割り込ませて膨らんだ股間を押し付ける大和は、眉尻を下げて恨めし気に唇を尖らせるが、ダンテは当たり前だと目を据わらせた。
「セックスしたいの我慢できない淫乱で、汗の匂いフェチな変態だって、ご主人さまに罵られたいんだろうけど、お尻の防衛がかかっている俺が言ってあげるはずないでしょ、この駄犬。『まて』!」
「ひゃうぅんっ」
 ぺたんと床に座り込んだ大和をまたぎ越し、ダンテはやれやれと癖毛頭をかき回しながら、真新しいバスルームへと向かった。