白いカトレアの暴威 ―3―
オミはセンと暮らし始めて、毎日が上機嫌だった。センはいつもオミに気を使ってくれたし、毎回ケチることなく満腹になるまで精気をくれた。 オミはオミで、センの体調に気を付けながら、人間のようにセンの仕事を手伝った。もちろん、鍛冶場へは入らないが、母屋で家事をしたり、事務所で電話番をしたり、資料整理をしていた。 センがくれたドッグタグはオミの首にぶら下がり、服の上でゴム製のサイレンサーに当たりながら揺れている。故意に握り込んだりしない限りは、オミの肌を焼きはしなかった。退魔道具ではないものの、魔物であるオミを傷つけるアクセサリーを強請ったのは、別にマゾだからではない。双方に縁を持つ物品は、相手の状態をオミに教えてくれた。例えば離れた場所でセンがオミに助けを求めたら、即座にオミに伝わるという具合だ。 (ペアリングがあれば、一番いいんだけどね・・・・・・) いきなりそれを求めるわけにはいかないだろう。それに、ドッグタグでも役目は十全に果たしたし、オミにはセンが作ってくれたという事実が嬉しかった。指先がただれなければ、いつまででも刻印を撫でていたいくらいだ。 (「オミ。センの伴侶」・・・・・・伴侶、だって!うふふふふ!!) 半透明なエーテル体になって物理的にぶつからないのをいいことに、オミはくるりくるりと空中で転げまわる。恋人でも夫婦でもないが、それはまず種族が違うことを考えれば妥当だ。端的に言えば、捕食者と獲物の関係である。それを互いが理解し合い、思いやり合うことで、共に歩む関係へと築き上げているのだ。 (ああ、幸せ!!僕は世界一の幸せ者だ!!幸せすぎて、おちんちんがバキバキに勃起して痛いです。センちゃん早く帰ってきて・・・・・・あ、そうだTV、TV!) 昼のローカルニュース番組で、センたちが行っている神社の中継があるはずだ。リビングの畳の上にぺたんと座り、リモコン操作も慣れた様子でTVつけて、チャンネルをぽちぽちと合わせる。 「ん?」 センにもらったドッグタグがふるりと震え、オミは慌ててチェーンを手繰り寄せた。 (!?) 焦燥、後悔、疑問、謝罪・・・・・・そんな感情が強く流れ込んできて、センが何かトラブルにあっていることが分かった。そっとタグを握りしめると、地べたで土下座するセンを、同じような格好をした男たちが慰め、立ち上がらせようとしている風景が見えた。 (センちゃん・・・・・・!) センが強いストレスを感じ、不安な気持ちになっている。オミはすぐにでもセンのそばに駆け寄りたかったが、自分は留守番を言いつけられていたし、勝手に人間の前に姿を現すのは、逆にセンの立場を悪くしかねず躊躇われる。 やがてタグは落ち着きを取り戻し、センの感情もダウナーながら安定してきた様子で、オミはほっと胸をなでおろした。人間同士のトラブルは、人間同士で片を付けなくてはならない。 (大丈夫かな・・・・・・) とても心配だったが、センが帰ってきても元気がないようだったら、たくさん慰めようと気持ちを切り替えた。 明るくポップなテーマ曲がTVから流れてきて、オミは男女のアナウンサーに視線を向けた。ヘッドラインニュースを聞き流して、いよいよ祭事をしている神社に中継がつながった。 「ん・・・・・・?」 電波越しではわかりにくいが、人間以外の波動が見えて、オミは顔をしかめた。TVのなかに堂々と化物が映っていることなど珍しくない。ただ、今回は場所が神聖なはずの神社であることと、その場にセンがいるはずで、それがオミの中に警鐘を鳴らすようだった。 (変だな) 狩衣に烏帽子姿の神主たちが神事を行う後方に、羽織袴の男たちが並んでいる。その中にいるはずの、センの姿が見当たらない。カメラは遠く、すべてを映しているわけではなさそうだが、それでもオミは「そこにセンはいない」と確信した。 『今年は二百周年ということで、国内でも有数の刀匠榎枝氏の刀が奉納されると聞いているんですが』 『それがですね、残念なことに、なにかトラブルがあったようで、今回は見送られることになったそうなんですよ』 『えっ、そうなんですか?』 『はい。本当に残念です。・・・・・・大泉橋神社の陽明祭りは、明後日十八日まで・・・・・・』 オミは番組を最後まで見ずにスイッチを消すと、戸締りだけはしっかりとして、センの家を飛び出していった。 (人間同士なら、僕の出る幕じゃない。だけど・・・・・・!) 自分と同じバケモノが、自分の大事なセンを傷つけたのならば、オミに躊躇う理由などなかった。大泉橋神社とかいうものの場所は知らなかったが、センがいる方向にある大きな神社なら、すぐに見つけられた。 「僕のセンちゃんをいじめたやつは、誰だ。出てこい・・・・・・!」 玉砂利に一歩踏み出すごとに瘴気が上がり、オミが自分のテリトリーを広げるたびに、神社を囲う結界が悲鳴をあげる。参拝客は老若男女問わず倒れ、オミの行く手をも塞いでしまう。 「・・・・・・・・・・・・」 「御身の前に」 「お呼びでしょうか、我が尊き君よ」 オミは傅く者どもに命令を下す。人間を傷付けずに退けろ、と。イブニングドレスの女も、ベビードールの女も、その細腕で筋骨たくましい男と同様に人間を担ぐ。アクセサリーをジャラジャラとぶら下げた男も、仕立てのいいスーツを着た男も、華やかな愛嬌の女に遜色なく神主や警備員を篭絡していく。 「・・・・・・じゃマ」 濃い灰色の立派な石鳥居が、轟音を立てて崩れ落ちた。木々が慄き、空気が悶え、大地が悲鳴をあげる。いとも簡単に結界を破り、神の棲む地を蹂躙する。それは、センを拒否した神に対する、当然の報いだった。 パリン、パリン、とどこかで音がしたが、それらはオミの歩みをいささかも止めることが出来なかった、か弱いまじない物の断末魔であった。 無関係の人間たちを殺そうとは思わなかったが、可及的速やかに無力化する必要はあった。一般人も神職も、すべてが同じ「人間」であれば、オミの魔力に屈しないものはここにいまい。 (気持ちよく、眠っていて) そうあるべき、と境内はしんと静まり返り、すべての生き物がオミの意のままに、眠りにつこうとしていた。 (・・・・・・さすがに、抵抗するか) 抵抗すると苦しいのに、そう思って、オミの口元が大きく笑みの形に歪む。意識がある方がオミのエサとなる精気を放出してくれるので、それはそれで楽しいのだ。 目の前に見覚えのある風景が広がり、オミはTV中継された神事の会場にたどり着いたと確信した。大きな本殿は開かれたままで、華やかな狩衣姿の男が数名、階にうずくまっている。 「・・・・・・・・・・・・」 オミの姿を見た神主たちが、泣きながら荒い息を吐き出している。悲鳴すら上げられないようだ。 「はぁっ、はぁっ、ま、待て!はぁっ、待ってくれ!」 こけつまろびつ、という表現でいいのか、ほとんど千鳥足で駆けてくる袴姿の老人に、オミはひょいと首を傾げた。見覚えがある人物だったのだ。 「ああっ、はあっ・・・・・・ぜぇっ、はあっ、 「ぁ・・・・・・うっ、は・・・・・・」 老人は階ににじり上がり、赤い狩衣の男につかみかかるように顔を近づけたが、相手の方はパニックから抜け出せないのか、言葉にならない。 「いまから、わしが言うことを、正直に、簡潔に、答えてくれ!わかったか!?」 「うぅ、ぁう・・・・・・!」 「なぜ刀の奉納を断ったんじゃ!?なぜ刀匠たちを追い返してしまったんじゃ!?」 老人の腹から出る大きな声に、狩衣の男は目を丸くして深く呼吸することを思い出したらしく、烏帽子を吹き飛ばす勢いでぶんぶんと首を横に振った。 「し、しら、ない・・・・・・!急に、来られなくなったって・・・・・・」 「本当に知らなかったのか!?刀匠たちはここの神主たちに追い返されたんだぞ!」 「えぇっ!?そんなの、しらない・・・・・・っ!」 「・・・・・・ホント?」 にゅっと頭を近づけたオミに、二人は「ギャアアァ!」と叫び声をあげてひっくり返ってしまった。 「ア・・・・・・センチャンノトコノ・・・・・・」 「はあっ、は・・・・・・わ、わしが、わかるのか・・・・・・?」 「ウン」 老人はセンの家の神棚を引き取りに来た、老神主だった。この老人が作った鍛冶場の結界はなかなか頑丈で、オミも二割くらいの本気を出さないとはじかれてしまいそうな物だ。 「テレビニ、ウツッテイタ・・・・・・アレハ、ドコ?」 「テレビに?」 顔を見合わせた神主たちは、タイミング的にTV中継を見ていないのだろう。それを察したオミは、自分の影からさらに眷属を呼び出した。 「サガセ・・・・・・」 闇色のウサギの群れが境内に散らばり、翼を広げた夢魔たちが空へ舞い上がる。あれが境内から逃げ出していなければ、すぐに見つけられるはずだ。 (逃げてない・・・・・・よね?) 派手に鳥居を壊してしまったので、結界があった場所を跨ぎ越されてもわからなさそうだ。オミは少し不安になったが、それは杞憂だった。夢魔が鋭い声を発し、ウサギたちがなにかを抱えて逃走中の人影を追跡している。 「カガミ?・・・・・・ナンダロウ?」 このくらいの、とオミが大きさを示すと、狩衣の男がそれまでのへたり具合がうそのように跳び上がり、本殿の中へ駈け込んでいった。 「な、ない!?ない!!御神鏡が・・・・・・ご神体がない!!どこにいった!?」 「なんじゃと!?」 祀られていたご神体を盗まれて悲鳴をあげる人間たちを放っておき、オミは犯人の方を追うことにした。 (何がしたいのかな・・・・・・) 犯人がセンたちを追い出した理由は、なんとなくわかったが、ご神体を持ち出す理由がオミにはわからなかった。だが、ただただ相手が愚かだという仮定ならば、敵の正体は見当がついた。 「来るな!来るなぁっ!!」 境内に湛えられた池にかかる橋、その中ほどで鏡を抱えた男が叫んでいる。場所が悪いのか鏡の神力なのか、オミの眷属たちはそれ以上近づけないようだ。 「ヒ、ヒィィィッ!!!」 「ミィ、ツケ・・・・・・タァ」 縦に裂けた胴の開口部で哄笑をあげ、肥大した身体を引きずり、頭を振りたてて、オミは男に向かって突進していった。 |