白いカトレアの暴威 ―1―
女祓い師の呆れ果てた視線を正面から受け止めながらも、センはどこ吹く風で緑茶の杯を傾けた。 「たしかに、けしかけたのは私。それは認める」 「あんたの言った通り、悪い奴じゃない。俺は全く困っていないな」 うーんと額に手を当てて唸る女祓い師を眺めてにやにや笑いながら、センはオミが出してくれた羊羹をかじった。 「だいたい、正体が分かった時点で、俺にはどうしようもなかった。あんただったとしても、そうだろう」 「そうだね。無理だわ」 「それは置いておいて、あいつの話を聞く限り、俺に関しては全くの無害どころかメリットもあり、その他人類にとっても安全になり好ましい。あいつも気に入った相手から好きなだけ飯を得られて幸せになれる。Win=Winってやつだな」 「・・・・・・センちゃんの気持ちはどうなのさ」 「俺の?」 「そうだよぅ。あの子のこと、好きなの?」 祓い師に魔物を恋愛対象として好きなのかと問われるなど、生涯で初めてのことを経験しつつ、センは首を傾げた。 「線引きが難しい質問だな。俺はオミのことが、どういうわけだか確実に、心から愛おしいと思っている。好きだ。番だと認識すると嬉しい。だがその事実が、絶対にルクスリアの特性に影響を受けたものではない、とは言い切れまい?」 「あぁ・・・・・・無意味で野暮なことを聞いたわ。ごめんなさい」 どうってことはない、とセンが手を振ったところで、隣の事務所で電話が鳴る音がして、すぐに誰かが受話器を取る音がした。 「ずいぶん働き者でな。俺も驚いている」 「人間の社会生活って、彼らにとっては面白いのかな?」 「ままごとやごっこ遊びみたいなものだろう。すぐに家事を覚えて、料理までしはじめた。美味かったぞ」 「素敵なお嫁さんじゃない」 「まったくだ」 センが大真面目な顔でうなずいたので、女祓い師はお手上げだと天井を見上げた。 「はぁ、まったく・・・・・・。お肌もツヤツヤしちゃって」 「やっぱりそう見えるか?なんとなく自覚はあったが・・・・・・」 「搾り取られて涸れるどころか、若返ったりしてね」 「まさか・・・・・・」 電話が切れる気配がしたので、センが隣に声をかけると、引き戸を開けてひょっこりとオミが顔を出した。 「マキドさんという人からだったよ。明日の待ち合わせ時間のことで、八時に迎えに来てくれるって」 「ああ、わかった。ありがとな」 「はぁい。・・・・・・お茶のおかわり、いる?」 「あ、私はけっこうよ。もう、お暇するから。ごちそうさま」 「どういたしまして、イヨザキさん」 オミにニコッと微笑まれて、女祓い師はよろめく。人間の中では霊力、容姿、共にハイレベルな彼女でさえ、これなのだ。 「うぅ、もっと男遊びをして、耐性を付けておくべきだったかな・・・・・・」 「身を固めた方がいいんじゃねえか?」 「センちゃんに言われたくないわ!」 「俺はもう固まったしな」 「きいぃぃぃっ」 女祓い師はマニキュアを塗って綺麗に整えられた指先をワキワキと動かして威嚇しつつも、柔らかな笑顔でセンとオミに見送られて帰っていった。なんだかんだ言って、適応力の高い女だ。 「センちゃんが僕のこと好きだって、他の人にも言ってくれるなんて、嬉しいなぁ」 「聞いていたのか」 ミルク色の肌をほんのり桜色に染めて、蕩けるような笑顔で抱き着いてくるオミを、センは適当に頭を撫でてあやす。 「このさいだから、ひとつ確認したい。俺がお前を好きだと思うのは、お前がルクスリアだからか?番だからか?」 人間相手ならそうとう失礼な質問で、平手の一発も喰らいそうなものだが、相手が『色欲』の魔物では払拭できない疑惑ではある。オミもそれをわかっているのか、特に気を悪くした風もなく、かえって嬉しそうに微笑んだ。 「影響がゼロとは言わないけど、僕はセンちゃんに対して何も力を使っていないよ。だから、センちゃんが僕のことをどう思っているかは、センちゃん自身がそう感じたってこと。番だからというのなら、僕とセンちゃん双方に影響があると思う。僕のセンちゃんが好きという気持ちが、番という偶然かつ逆らいがたい仕組みのせいだったとしても、僕はべつに構わないな」 「ふむ、そうか」 「センちゃんは、そうじゃないの?」 「うーん・・・・・・」 自分とオミの分の茶を淹れ直して、センは腕を組んで首を傾げる。ピカピカに磨かれた座卓に、眉間にしわを寄せたセンの顔が映った。 「自発的に湧き出た好意か、他所から強制的に励起させられた好意なのか、それがわからないから座りが悪いんだと思うなぁ」 「それは、センちゃんは本当は僕が好きじゃないのに、好きだと思いこまされているかもしれないってこと?」 「その疑いはないと、はっきりわかれば、スッキリするんだがな」 「最終的な現象は同じなのに、変なこと気にするんだね」 「オミは俺のことをこんなに好きでいてくれるのに、俺の気持ちが強制された偽物の好意だったら、申し訳なくてな」 しかし、偽物か本物かわかったところで、偽物だったらどうするのかなど、まったくらちのないことだとセンは首を横に振る。 「変なこと言って悪かったな。気にしないでくれるとありがたい」 「ううん。センちゃんは魔物の僕に対しても、正直に、真摯でいようとしてくれているんでしょ?」 それはとても嬉しい事だと、オミはうなずく。 「そうだねぇ・・・・・・たしかに僕は、人間の色欲を操れるけど、何もしていない人間の気持ちなんて、関知しないしなぁ。だいたい、僕がセンちゃんの気持ちを操れたら、こんなに嫌われたくないって怖い思いしていないよ」 少々情けない顔で恥ずかし気に微笑むオミが、センに嘘をついているようには見えない。 「それもそうだ。・・・・・・ずいぶんひどいことを聞いたな。すまん」 「ううん。わからないことを抱えて悩まれるよりはいいよ。安心した?」 「ああ。これでひとまず安心して、お前に好きだと言えそうだ」 「っ・・・・・・また、そんな・・・・・・」 オミは真っ赤になった顔を両手で覆い、ふわふわと漂いだす。 「降りてこい」 「はぁ・・・・・・気持ちいい。ん?それが、依頼品?」 「ああ」 女祓い師の 「行方不明だそうだ。明治時代に作られて、ある華族の屋敷に飾られていたのが、いつの間にかなくなっていたらしい。最後に記録が残っているのは、大正二年・・・・・・。おそらく、戦争のどさくさで流出したのではないか、と・・・・・・」 「それを探すの?」 「いや。こういう物があるから、見つけたら教えてくれ、とさ。現状によっては、見つかってもその場から動かせないという場合もある」 「ふ〜ん」 古い写真がこれ以上傷まないよう、センは細心の注意を払って、製造者や元の持ち主の資料と一緒に保管した。おそらく焼き増ししたものだろうが、それでもこれが最後の一枚になる可能性だってありえる。 「センちゃんって、意外と忙しいんだね」 「意外とは余計だ」 「明日は出かけるんでしょう?」 「ああ。隣の市にある大泉橋神社という大きな神社で、年に一度のお祭りがあるんだが、今年で二百周年だとかで、俺が鍛錬に参加した刀が奉納される」 県内に住む全国屈指の有名な刀匠が打つことになっていたが、どこからかセンの噂を聞きつけて、一緒にやらないかと打診されたのだ。刀を造ったのはもう四ヶ月ほども前のことで、なかなか良い物が出来上がっていた。 センが鍛錬に参加したことで、刀身に破邪の気が練り込まれ、節目の奉納品に相応しい出来栄えとなった。一応、美術品扱いにはなるが、力の弱い悪霊程度なら退散させられる代物だ。 一般人にはそこまではわからないが、さすが熟練の匠と言われるだけあって、センを招いた刀匠は、面白そうに出来上がった刀身を眺めていた。伊予崎たちのような祓い師や退魔師に売っている物はもっと強力なので、今回奉納されるのは、せいぜい霊験あらたかなお守り程度の能力だ。 「ねえ、それにセンちゃんの銘は入っているの?」 思わず見返したオミの表情は無邪気で、センはわずかに目を細めた。 「俺は相鎚を打ったり、手伝ったりしただけだ。普通は入れない」 遠回しに答えたセンに、オミはクスクスと笑う。 「そう」 「何が言いたい。・・・・・・いや、何を知っている?」 「センちゃんが、なんで本名を使わないのかな、と思っただけだよ。センちゃん、自分が造った武器にしか、本名を書いていないでしょ?」 「よく知っているな」 オミがいつの間にそこまで探ったのかと、センは肩をすくめた。 「願掛けだ。俺がこの仕事を始めた時に、刀剣の神様にお願いしたんだ」 「より強い退魔刀になるように?」 「いや。俺の作った刀を持っている奴には、せめて安全に使ってほしいと思った。どうか、怪我をしないように、と・・・・・・なんだ?」 呆然とした表情で立ち尽くしたオミに、センは首を傾げた。何かおかしなことを言ったのかと思ったが、なにも思い違いをしてはいないはずだ。 「そのことで日常の名前まで通り名にしたのが、そんなに変だったか?」 「え・・・・・・ううん。たったそれだけ?持ち主が安全に使えるようにって、それだけ?」 「そうだが?」 呆れたような、怒ったような、泣きそうな・・・・・・それでいて、嬉しそうな顔をしたオミは、最後に淫蕩な笑みを顔いっぱいに広げた。 「やっぱり、センちゃんはセンちゃんだなぁ・・・・・・っはぁ、僕、頭が溶けちゃいそうだ」 また頬を染めて空中を漂いだしたオミに肩をすくめ、センは茶器を片付け始めた。 「俺はオミの発情するきっかけが、いまいちよくわからん」 「なんだろうねえ・・・・・・僕がセンちゃんを好きだなぁって思っちゃう言動を、センちゃんがしたときだと思うなぁ」 「余計につかみづらいわ」 「ねえ、そんなことどうでもいいから、僕とえっちしよ?もう我慢できない・・・・・・」 「寝室にい・・・・・・んっ」 首にしがみついてきたオミに唇を奪われ、センは仕方なく茶器の乗った盆を座卓に下して、体重を感じさせない青年の体を抱きとめた。 「淫乱」 「あはぁっ。それが僕の性質だもん」 幸せそうにセンにしがみつくオミが、魔物らしい笑みを浮かべる。 「まあ、いい。だけど今やったら、今夜は無しな」 「ええーっ」 「俺の歳を考えろ」 「八十過ぎてもビンビンなご老人だっているのに・・・・・・」 「勘弁してくれ・・・・・・」 オミをくっつけたまま寝室に向かうセンは、近すぎて見えていなかった。オミの、少し申し訳なさげな、冷酷な笑みを。 |