Travelers! ―4―


 せっかく手に入れた大金だが、そのまま持ち歩くこともできないため、イグナーツとハロルドは二人のために銀行手続きや観光客用のプリペイドカードの手配などに奔走した。
「なぜそこまで丁寧にしてくださるんですか?」
 レパルスの尤もな質問に、イグナーツは照れ臭そうに微笑みながら答えた。
「あなた方の為だけじゃないですよ。この町の為にも、俺の主人の為にも、俺自身の為にもなりますから。それに・・・・・・俺も半分、人間ですから」
 外からくる人間には親近感がわく、とイグナーツは嬉しそうだ。ハロルドはといえば、こちらは元々世話好きらしい。人狼族は仲間意識が強いが、ハロルドはそれにも増して、困っている人を見ると放っておけない性質のようだ。
 さすがに歩き疲れて、広場に並べられたカフェレストランのテラス席を占めると、四人はそれぞれ好みのランチを頼んだ。春の天気は良く、色鮮やかな街を行きかう人々を眺められ、トランクィッスの穏やかな日常が肌に感じられる。
「本当に素敵な町。思っていた以上に綺麗だし、本当にいろんな種族が住んでいるのね」
「建材やデザインの進歩こそあれ、街並みも、あまり昔とは変わっていないと思います。サマンサさんたちの時代では、この新市街はまだ出来上がってないと思いますが・・・・・・」
 あの壊れた転移門のある旧市街も、遺棄されていなければこのように美しい町並みで続いていたかもしれない。多くの種族が住むとはいえ、町造りには一定の基準が必要になる。巨人族や小人族には合わないだろうが、妥協点としておおむね人間サイズで造られているようだ。
 サマンサが見回しただけでも、コボルトの親子や友達同士ではしゃぐピクシー、ホビット、カートを曳いたケット・シー、おしゃれに着飾ったフェイやニクスなどが歩いている。ハロルドのような獣人や、仙狐のような変身能力を有する妖獣も、見た目は全く人間と変わらない。逆に、多少ぎこちないのは、人間の姿とは程遠い種族なのだろうと推測された。
 それらのなかで、ひときわ目を引く男がいた。すらりとした後姿、亜麻色の髪。その男は買い物袋を抱えてマルシェの屋台から離れると、石畳の上を優雅に歩いていく。まるで、花束を抱えて愛おしい人を迎えに行く王子様のような・・・・・・。
「サミィ?」
「えっ!?」
 いつもより心持ち硬いレパルスの声に、サマンサは驚いて釘付けになっていた視線を外した。
「どうしました?」
「あ、あの・・・・・・」
「ナッツくんじゃない」
 いつの間にか自分たちのテーブルのそばに現れた王子様に、サマンサはひっくり返った声を出した。
「オミさん、こんにちは!お買い物中ですか?」
「うん」
 映画俳優のように整った美貌に浮かんだ幸せそうな微笑みは、あたりの空気までも暖かく緩ませ、警戒心を蕩かしていく。汝、隣人を愛せよ。そう存在自体が語っているように思える。
「あっ、サマンサさん、レパルスさん!オミさんを凝視しちゃだめです!!オミさんもそんなに見ちゃダメぇ!!」
 慌てたイグナーツがぱたぱたと三人の視界を遮ろうとするが、そもそも存在感が薄いので上手くいかない。ハロルドがサマンサとレパルスの耳元で「ガウッ!」と吠えて、ようやく二人の目が正気に戻った。
「ひゃあっ!?」
「っ!?」
「ごめんね?お客さんだね」
 クスクスと甘ったるく笑うオミは、まったく悪気無く謝る。耳の中に流れ込んでくる柔らかな声は、頭の中に染み込み、体の芯から逆らいがたい愛撫を与えていく。どこからどう見ても人間に見えるが、どう見ても人間にはありえない力を持っているようだ。
「そうだ、オミさん。タイムスリップした人を、元の時代に戻す方法を知りませんか?」
「えぇ、僕は知らないなぁ。時を司る神に頼んでみれば?」
「あ、そういう方法があったか」
 ぽんと手を打つイグナーツの頭を、オミはいいこいいこと撫でる。
「ナッツくん偉いねぇ、お坊ちゃんのお使い?」
「はい。この町の、大切なお客様ですから」
「そっかぁ、がんばってね。またうちに遊びにおいでよ。君が来ると、センちゃんが喜ぶんだ」
「はい、ありがとうございます」
 ばいばーいと手を振って歩き去っていくオミの姿は、やはり優雅でどこかセクシーだ。
「ナッツ先輩、なんですか、あの人」
 ハロルドはイグナーツの袖を掴んで、くしゃみを我慢しているような顔をする。オミの発する魔力に、体がむずがゆくて仕方がないのだろう。レパルスとサマンサも、夢から覚めたばかりのような、なにやら落ち着かない顔をしている。
「えっと・・・・・・オミさんは、たぶん今この町にいる魔族の中で、一番、位の高い人だから・・・・・・ぶっちゃけ、伯爵さま以上に、絶対に怒らせちゃダメな人です。遊ばれちゃいますから。こっちから何かしない限りは、優しい、いい人ですよ」
「はーい」
 三人からは、大変良い返事が返ってきた。さもありなん。あの男に迫られて抵抗できるかといえば、それは無理だと本能が告げているのだから。

 夜、教会の客室に戻ってきて、サマンサはふかふかのベッドに転がった。建物も家具も頑丈なのにお洒落で、薪割りや薪拾いをしなくていいのに、いつでも温かいお湯が使えて、お店では服も食べ物も色んな種類が売られている。自動車は、馬車よりも静かで揺れなくて速い。薄いカード一枚でお買い物ができるし、スマホは離れたところにいる人と話が出来て、写真まで撮れる。
「未来って、すごい!」
「帰りたくないですか?」
 隣にそっと腰かけてきたレパルスを見上げ、サマンサははしたなく広がったスカートを直しながら起き上がった。
「そんなことないけど、ずっとここにいても悪くないと思う。みんな優しくて、魔女を恐れる人もいなくて、明るい所を堂々と歩ける。・・・・・・その、レパルスも一緒にいてくれるなら、だけど」
「私はサミィといつでも一緒にいますよ?」
「そう」
 サマンサは膝を抱えるようににじり寄り、ころんとレパルスの膝に頭を置いた。成人男性の腿であるから柔らかくはないが、温かくて寝心地がいい。
「サミィ・・・・・・」
「なによ、ダメ?」
 少し困ったように見下してくる優しい使い魔に、サマンサは手を伸ばして頬を撫でた。さらさらした金髪がかかる白い頬、彫りが深くてすっと高い鼻梁、綺麗な青い目、時々怖い事を言う唇、どれもサマンサのお気に入りだ。
「いいえ、光栄ですよ」
 そう言ってサマンサの長いくせ毛を梳いてくれる大きな手も、サマンサは大好きだ。
 いくらかそうしていて、気持ちよくうとうとしていると、教会のどこからから、ジリジリジリっとベルが鳴る音がした。ドアベルの音にしては聴覚に荒く引っかかり、サマンサは動かずにいてくれたレパルスの膝から起き上がった。
「なにかしら?」
「聞いてきましょうか」
 レパルスが立ち上がったところで、廊下を走ってくる足音がドアの前で止まり、激しくノックされた。
「ヘイ、ちょっとヤバいぜ!」
「どうしました?」
 ドアを開けると、ラダファムが焦りに顔を歪ませて足踏みしていた。
「外の連中が来る!すぐに荷物まとめて、裏から教会の外に出るんだ!役所か、若様の使いが迎えに来てくれるから・・・・・・」
「なに?なんなの!?」
 あわあわと取り乱すサマンサをよそに、レパルスが多くない荷物をまとめて旅行鞄を抱える。しかし、外からは複数の車が停まる音が聞こえてきた。
「クソッ、囲まれた!しかもあの音、普通の車じゃない!」
 窓に駆け寄って目を凝らしたラダファムは、すぐに鎧戸を閉めて、ついてこいと部屋を飛び出していく。サマンサとレパルスもそれに続き、教会の塔に昇る階段へと案内された。
「ここから上がって、鐘楼に隠れていて。迎えの方が見つけてくれるから。風が強いから気を付けてね」
「あのっ・・・・・・」
「早く行って!」
「行きましょう、サミィ」
 レパルスがサマンサの手を引いて階段を駆けあがり始めると、ラダファムはすぐに階段へのドアを閉めて、錠の降りる音だけが響いた。
 細い階段は暗くて歩きにくかったが、サマンサはレパルスに引っ張られ、段を飛ばして走った。
「いったい、なにが・・・・・・」
「『外の連中』と言っていましたから、街の住人ではなく・・・・・・ここを良く思わない、町の外の人間かと」
「どうして・・・・・・」
「それは私にも、わかりかねます」
 息を切らせて天辺にたどり着くと、頭上には大きな鐘がぶら下がり、四方の柱以外は転落防止の低い壁があるだけ。晴れた昼間なら見晴らしが良さそうだが、いまは夜風が心細さを煽るばかりだ。
「体を低くして、壁に隠れて」
 サマンサは言われるままに壁にぴったりと体をつけて縮こまるが、言った当人のレパルスは、柱ににじり寄って地上を窺った。
「大きな自動車が、正面に三台・・・・・・裏口に一台。最低でも二十人から、といったところか」
 たった二人にその十倍とは、ずいぶん弱い者いじめが好きとみえる。サマンサは杖を握りしめ、唇を噛んだ。
「私の、せいかな・・・・・・」
「サミィ」
「だって、ここは『人間』を保護する為の教会だもの。きっと、私が入ったから・・・・・・」
「そんなに気にすることではありませんわ」
「!?」
 暗闇から降ってきた女の声に振り仰げば、鐘が吊り下げられた天井の闇から、ぬるりとした影の塊が、ぼちゃりと落ちてきた。
「ひゃっ!?」
「お迎えに上がりました」
 軽やかな優しい声に合わせ、粘体は腰を折るようにぐぐっと曲がった。