Travelers! ―2―
ぽかりと目を開くと、レースカーテン越しの白い光が穏やかに視界をクリアにしていく。見慣れない天井だ。それに、肌触りのいい寝具から花のようないい匂いがする。うちのシーツではない。 (ここ・・・・・・は?) 昨夜はベッドに入った記憶がない。夜の廃墟で、腐った水の臭いのする化物が・・・・・・。 「っざ、み・・・・・・ッ!?」 レパルスは飛び起きたが、上手く声が出ないイガイガする喉に、何度か咳をする。酷い目にあったが、どうやら助かったらしい。どろどろになった旅装は解かれて、簡素な服装になっていた。 辺りを見回すと、自分が寝ていたのと同じようなベッドが隣に二つ並び、サイドチェストには水差しと呼び鈴が置かれている。室内は見たこともないほど滑らかで、とても清潔だ。 (サミィ、どこですか!?) 自分の主人をほったらかしにして寝こけていたことを腹立たしく感じながら、レパルスはベッドから降りて柔らかな布製と思われる靴を履く。これも見たことのない素材だが、いまはそんなことは重要ではない。幸い、体は思うように動く。レパルスはそっとドアを開き、そこが廊下だと判断すると、人の気配がする向かい側のドアに手をかけた。 「・・・・・・せん。貴女が倒れてしまったら、彼が悲しみますよ」 「うん・・・・・・」 隙間から漏れ聞こえる穏やかな話声と、見慣れた黒い魔女の服と赤茶色の長いくせ毛を見つけると、もう何も考えずに足を踏み込ませた。小奇麗な客室には、アフタヌーンティーを載せた飴色のテーブルセットが置かれ、彼の主人が知らない男と差し向かいで座っていた。 「レパルス!!」 赤スグリのような鮮やかな赤い目が輝き、椅子を蹴倒すような勢いでサマンサが飛びついてきた。 「よがっだぁああああああ!!じんばい、じだんだからあああぁ!!」 「すみません。サミィに怪我は?」 子供のようにびいびい泣きながら、サマンサは首を横に振る。元気そうだ。 「よかった・・・・・・」 「お加減はいかがですか?呼び鈴を鳴らしていただければ参りましたのに。起きたばかりで歩き回るものではありませんよ。貴方は死にかけたんですから」 椅子から立ち上がった細身の男から、やや呆れた声がレパルスにかけられた。歯切れのよいクイーンズイングリッシュを発するその若い男を見て、レパルスはまず、彼の白さに驚いた。髪も肌も雪のように白く、優し気な目はピジョンブラッド。・・・・・・アルビノだ。そして、彼の服装は、まぎれもなく神父の黒いカソック。 「 慌ててサマンサを後ろにかばおうとしたが、この神父は魔女のサマンサとお茶をするという、大変奇抜なことをしていたと気が付く。そんなレパルスの反応が可笑しかったのか、神父はにっこりと微笑んだ。 「申し遅れました。俺はこの教会を預かるクロム・ラザフォードと申します。クロム、とお呼びください。トランクィッスルへようこそ、旅の方」 トランクィッスル。クロムは確かにそう言った。つまり、サマンサの転送魔法は、失敗していなかったのだ。 お茶を淹れ直してくるから寛いでいるように、と言い置いてクロムが退室していき、二人のために用意された客室で、レパルスはようやく全身の力を抜いてため息をついた。 「驚きましたよ。魔女と神父がお茶しているなんて・・・・・・」 「本当よね」 他人事のようにうなずくサマンサは、嬉し涙を拭ってレパルスの手を引いた。 「服は洗濯してもらったの。・・・・・・二日も寝ていたのよ。神父さんも先生も大丈夫だって言ってたけど、本当に心配したんだから」 「先生?」 ぱりっとノリのきいたシャツに腕を通し、レパルスは新たな登場人物に首を傾げた。 「とっても綺麗な 「なるほど」 納得はしたが、その形容詞は気にかかる。 「とっても綺麗・・・・・・ですか」 「そうなの!!」 サマンサの興奮度合いに反比例するがごとく、レパルスの目が笑みのまま温度を下げていったが、彼女は気が付いていない。 「神父さんも綺麗ですよねーって同意してくれたわ!キラキラしてとっても優しそうで、大天使様が現れたのかと思ったもの!!」 「そうですか・・・・・・私もお会いしたいですね。お礼を言わなくてはいけませんから」 形容の盛りが振り切れだしたので、レパルスは逆に安心する。サマンサの言う今回の「とっても綺麗」は、風景や美術品を綺麗だと言うのと同じレベルだ。その医者を、自分と同等の生物とは思っていないだろう。 (本当に人間ではないかもしれないけど・・・・・・) なにしろ、ここは人外の集う町、トランクィッスルだ。何事も人間の町とは勝手が違うと、心構えを持っておいた方がいい。 サマンサにちょっと向こうを向いていてもらう間に、すっかり身支度を整えたレパルスは、最後に長い金髪を赤いリボンで結んだ。これでやっと、身も心も平常運転を始められる。 ドアをノックする音にサマンサが応えると、クロムではなく、浅黒い肌の少年がひょっこりと顔を出した。 「お邪魔しまーす。洗濯物取りに来たよ」 見た目は十六、七歳ほどだろうか。ふんわりとした金髪に、ぱっちりとした大きな青い目。フードの付いた上着にひざ丈のズボンをはき、にこにこと屈託のない笑顔が眩しい。クロムが月ならば、この少年は小さな太陽だ。 「元気になってよかった。俺、ラダファム。クロムやあんたと同じ、正真正銘人間だから怖がらなくていいよ。ここで見習いやってんだ。用があったらなんでも声をかけてくれ」 やや訛りのあるくだけた英語でそう言うラダファムは、レパルスが脱ぎ捨てたばかりの寝巻をてきぱきと回収していく。 「あ、俺を呼ぶ時は、『ファムたん』って呼んでくれよな!その方が可愛いからさ!」 言いたい事だけ言って、洗濯物を抱えたラダファムは、忙しそうに部屋を出ていった。 「この教会には、神父さんとファムたんしかいないんだって。この教会は、この町に迷い込んだ人間を保護するためのものだそうよ」 サマンサの少し寂しそうな声に、レパルスはこの教会が建てられた政治的な背景を推しはからずにはいられない。この教会は、本山にとっては橋頭保であると同時に、異端の流し場所なのだろう。クロムの政治的な立場は、実に危険をはらんでいると言っていい。 自分たちを捕まえはしないが、あまり教会に世話になるのも居心地が悪い。明日にでも町で宿を探そうかとレパルスが口を開きかけると、またドアがノックされ、今度はクロムが顔を出した。 「失礼します。若様の使いが見えられましたので、お二方とも、ご足労願えますか?」 「若様?」 サマンサとレパルスが異口同音に聞き返すと、クロムは柔らかく笑いながら頷いた。 「伯爵さまのご子息ですよ」 トランクィッスルの領主たる伯爵の血縁から、直々の使いが来ていると聞いては断ることもできない。サマンサとレパルスは、やや緊張の面持ちでクロムについていった。 「どうぞ、こちらへ」 教会の応接室で待っていたのは、意外にもさっき会ったラダファムと同じくらいか、もう少し年上に見える少年二人だった。二人とも揃いのブレザーを着ており、片方は銀糸のように淡いアッシュブルーの髪をして眼鏡をかけ、もう一人は柔らかそうな茶髪に愛嬌のある笑顔が印象的な少年だった。 「お初にお目にかかります、ミズ・フッド、ミスター・レパルス。俺はイグナーツ・ファーネ。ミルド伯爵のご子息、イーヴァル様の従者です。残念ながら主は所用で町を離れておりまして、従者の俺がお二人の御用聞きを承るご無礼をお許しください。そして、こちらは先日、あなた方を救助したハロルドです」 「こんちは。元気そうでよかったよ」 「あの狼さん!?」 「はいっ」 サマンサの声に、茶髪の少年は明るく元気よく返事をした。 「俺、人狼族なんで。あの日はたまたま、バイトであの辺配達に行ってたんですよ。危なかったですねぇ」 気さくにしゃべるハロルドは、言われてみれば、どこか元気で人懐こい大型犬を思わせる。 着席した五人にラダファムがコーヒーを運んで退室すると、あらためてイグナーツが発言した。 「ミズ・フットのお話と、この町の現状からわかったことを、まずご説明させていただきます。先日夜、あなた方が到着された転移門ですが、だいぶ前におかしな場所に繋がって壊れてから、瘴気が吹き出すようになって現在は使われておりません。お二人を襲ったのは、あの沼に巣くうモース・ウンゲテューム・・・・・・俺たちとも意思疎通が不可能な、苔の怪物です」 あの水の腐った臭いともじゃもじゃした感触を思い出したか、レパルスの表情が渋くなる。瘴気溜まりに浸かり込んでいたならば、人間のレパルスが行動不能に陥るのも無理はない。サマンサが平気だったのは、魔女だからだ。 「あの辺りには、 イグナーツは眼鏡越しに少し潤んだ目をほころばせるが、レパルスの視線は鋭くなるばかりだ。 「運がよかったのはいいのですが、なぜ使われていない門が座標にされているんです?サミィはトランクィッスルから正式に出されている案内を参考にしたはずですが」 「それは・・・・・・」 イグナーツも困ったように苦笑いを浮かべ、二人の前に何かカードが差し込まれた、透明な物体を置いた。丈夫そうなリボンが繋がれ、首にかけられるようだ。 「この素材を見たことがありますか?」 「いいえ」 「なにかしら?透明で、ぷよぷよつるつるしているわ」 「ミズ・フッドが今触っている物は、合成樹脂、一般に塩化ビニールと呼ばれるものです」 聞き慣れない単語に首を傾げる二人の前で、イグナーツは言いにくそうに結論を口にした。 「あなた方が現在いる、このトランクィッスルは、お二人がいた時代よりも、数百年未来のトランクィッスルなんです。ミズ・フッドの魔法によって、お二人は空間だけでなく、時間まで移動してしまったようなんですよ」 ぽかーんと口を開いたままのサマンサの隣で、レパルスは額を押さえた。サマンサの魔法は、やはり想像以上に失敗していたようだ。 |