Travelers! ―1―
夜空に輝く星々は見えるのに、風はなく空気は湿って淀んでいた。あちこちが剥がれた古い石畳は隆起し、液状化した広場の半分は沼と化している。半壊した建物には苔が生し、雑草と雑木が街を覆いつくそうとしているようだ。 放置されて久しいと思われる町、まさに廃墟。後ろを振り向けば、やはり半壊した状態の、かつては美しい佇まいだったと思われる魔法の転移門があった。 「賑やかそうな町の廃墟ですね・・・・・・で、ここであっているんですか、サミィ?」 「わ、わかんない・・・・・・」 己の身長ほどもある、ねじくれた木の杖を両手で持ったまま顔を引きつらせる小柄な女性を、長い金髪を束ねた背の高い若者が見下ろしていた。 事の始まりは、魔女の集会で聞いた噂話だった。 夜の子らが集まった町の噂。発起人は伯爵、夜を愛でる不死の君。彼が人間と交渉し、彼が所有する広大な土地との不可侵の条約を結んで作った。人間に迫害される異形が集い、人間に怯えることなく暮らせる町。 − 色んな種族がいて、かなり混沌としているらしいわよ − あら、面白そうじゃない − 魔女も入れるの? − そういう町、少なくなってきたわよねぇ − 珍しい道具や材料があったりして きゃっきゃと楽しそうに噂話に興じる彼女らを、サマンサ・フッドはぼんやりと眺めやった。 魔女は人間の集落に近付くのに、とても気を遣う。魔女だと知れたら追い出されるのはまだいい方で、すぐに殺されてしまうか、拷問されたうえで殺されてしまう。 だから通常、魔女たちは専門の街に買い出しに行く。そこになら、魔法の道具も材料も売っているし、自分たちが作った品物を、人目をはばからず売ることができた。 (でも私、薬作るのも道具作るのも、下手だし・・・・・・) 他の魔女が作る様な、見栄えも性能も良い物が出来たためしはない。半分以上の確率で正体不明なものが出来上がってしまい、使い魔のレパルスに掃除してもらってばかりだ。 (でも、楽しそうな町には、行ってみたいなぁ) 人外が集う町、トランクィッスル。そこでは人間に迫害される心配がないそうだ。多種多様な種族が行きかう道を、自由に、のびのびと歩いてみたい。 「楽しそうですね、サミィ」 「へ?」 ぎゅっと首を仰向けて、サマンサは自分の使い魔を見上げる。頭ひとつ半ほども身長が違うので、彼がかがんでくれないと、サマンサはいつも自分の使い魔を見上げることになる。 「集会に来ているのに、足取りが浮ついていました」 「えっ、えへへへ」 魔法が下手くそで落ちこぼれの烙印を押されて久しいサマンサは、進んで集会には出たがらない。でも集会に出ないと、最新の情報からさらに取り残されてポンコツ扱いされるので、使い魔のレパルスに手を引かれながら、渋々参加している。 しかし、それもまた、サマンサにはもどかしい悩みのひとつだった。使い魔とはいえ、人間のレパルスは、非常に・・・・・・とてもとても、見目の良い若者であった。背は高いし、金髪碧眼の整った顔立ちに、丁寧で柔らかな物腰で、家事は万能だし、魔法は使えないが、サマンサが召喚したとは思えないほど有能な使い魔に成長している。大いに自慢したいが、他の魔女に盗られはしないかと、心配は尽きない。 「行ってみたいですか?」 「え・・・・・・うん、でも・・・・・・」 「サミィが遠出したいなんて、珍しいことです。その町に、旅行に行きましょう」 「いいの!?」 サマンサがよほど嬉しそうな顔をしたのか、レパルスの切れ長な目が少し見開かれ、そしてふわりと微笑んだ。 「それじゃあ、家に帰ったら準備しましょう」 手を叩いて喜ぶサマンサを横目に、レパルスはてきぱきと二人分の旅行の準備を整えてくれる。サマンサはトランクィッスルの正確な座標を覚え、転送の魔法を間違えないように、しっかりと陣を敷いて、何度も確認をした。 旅装を整え、旅行鞄を下げたレパルスと手をつなぎ、サマンサは集中して長い杖を振る。 (トランクィッスルの町。人外の集う賑やかな町。お買い物したい!レパルスと並んで歩くの!絶対に行きたい!!) 魔法が発動し、魔法陣から眩しい光が迸った。 ・・・・・・その結果が、この廃墟への到着であった。 「サミィの失敗はいつものことですが、最近失敗のアグレッシブさに磨きがかかっていませんか?」 「うぅっ・・・・・・」 レパルスはくすくすと低く笑いながら、サマンサの乱れてしまった長い髪を整えた。 「私たちが消し炭にならなかったので、よしとしましょう。さて、それはそうと・・・・・・宿とまではいきませんが、夜露を凌げる場所を探してきましょう」 夜闇の中でむやみに歩き回るのは得策ではないが、沼のほとりで一晩過ごすのは避けたい。蚊や蛭がいたら嫌だ。 「・・・・・・・・・・・・」 「どうしたの?」 「静かすぎる、と思いまして」 人の住んでいない廃墟とはいえ、ここまで草木が生い茂り、水辺もあるのなら、虫の音や小動物が動く葉擦れの音があってもいい。それが、レパルスには全く聞き取れなかった。神経をとがらせても感じるのは、生温い湿気を含んだ青臭い空気と、足元の石材の感触、自分たちの体温と息遣いのみ。 「早く行きましょう」 片腕に旅行鞄を、片腕にサマンサを抱きかかえ、レパルスはぬかるんだ沼地から、足早に凸凹な石畳を目指した。水に沈んだ石畳は苔に覆われて滑りやすく、下草に隠れた泥は思いの外ブーツを沈ませる。 やっとの思いで乾いた地面にサマンサと旅行鞄を下ろすと、レパルスは揺らぐ視界に膝をついた。 「ありが・・・・・・」 「はっ、げほっ、ごほっ・・・・・・」 「レパルス!?」 大丈夫です、という言葉も激しい咳に変わってしまい、サマンサの顔から血の気を失せさせた。覗きこんだレパルスの目は焦点を失って見開かれ、呼吸のままならない状態に焦りがにじんでいる。 「どうしよう・・・・・・!」 自分の持ち物の中に対応する薬はあっただろうかとポーチを開きかけたサマンサの目の前で、突然レパルスが消えた。 「え?」 激しい水音を立てて、レパルスの身体が沼に引きずり込まれかけている。何かが、抵抗するレパルスの脚を引っ張っているのだ。 「レパルス!!」 「サ、ミ・・・・・・!」 レパルスは苦しい呼吸の中で逃げろと叫んでいるようだったが、サマンサは杖を握りしめて沼に駆けた。 「レパ・・・・・・!?」 ずばぁっと沼の中から立ち上がったものは、星空さえ覆いそうなほどの巨体でレパルスを逆さ吊りに持ち上げてしまった。サマンサの前にも、なにか黒い物体が、闇の中から次々と起き上がってくる。水を滴らせながら迫ってくるそれらに遮られ、二人の距離はどんどん離れて行ってしまう。 「いや・・・・・・やめてッ!!私のレパルスを返して!!!」 声の限りに叫んだサマンサに、杖に埋め込まれた青い宝玉が応える。苦手なコントロールも、ここが屋外で相手がこれだけ大きければ問題ない。 サマンサが扱える数少ない焚火用の魔法なはずの爆炎が、サマンサを囲みこもうとする壁を吹き飛ばして、レパルスを吊り上げている巨大な物の腹をぶち抜いた。炎はそのまま空へと突き抜けていく。 星空を覆う巨体がぐらぁりと傾いたところで、いまだ中空のレパルスが地面に叩きつけられる可能性に気が付いたサマンサは悲鳴をあげた。ただの人間であるレパルスが墜死するまで数秒もない。 しかし、近くの屋根から何かが飛び出し、レパルスを捕まえていた腕を破壊して救出すると、石畳にドスンと着地した。それは、レパルスを担いだまま、すごい速さでサマンサの方に走ってくる。 「こっち!!早く!!」 「え?う、うん!」 くぐもった若い男の声に急かされ、サマンサは慌てて大きな旅行鞄を拾い上げて走った。背後では、崩れた化物の体が、津波のように石畳を滑ってきていた。 「乗って!」 大きなカートにレパルスの長身を投げ込んだ男は、サマンサも旅行鞄ごと抱えて同じ荷台に放り投げると、素早くけん引シャフトの間に体を滑り込ませる。 「しっかり掴まってて!!」 その言葉が終わるか終わらないかの内に、カートはものすごいスピードで走りだし、悪路の上をガコンガコンと飛び跳ねた。サマンサは気を失っているらしいレパルスの体に必死でしがみついたが、背後からはざざざざと不気味な音が追ってくる。悲鳴をあげようにも舌を噛みそうで、ひぃひぃと情けない吐息しか出てこない。 「アルウゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――!!!!」 狼の鋭い遠吠えが上がり、道の両側の建物から魔法の光が漏れる。次の瞬間、カートが駆け抜けた地面が爆発的に隆起し、巨大な壁となって道を塞いだ。 どぉおおぉおおおんんんん!!!! 「ひゃっ!?」 飛び跳ねたカートに息をのみながら、サマンサは遠ざかる壁を見やった。あの大きな化物は、もう追ってこれらないようだ。 「間一髪ぅ!」 ハッハッと弾む息の間から、少年の声が明るく叫んだ。 「あの・・・・・・?」 サマンサが荷台の縁につかまりながら、助けてくれたと思わしき男の姿を探したが、カートをけん引する人影がない。わずかな星の光に照らされたのは、四つの脚で地を駆ける、つやつやした体毛に覆われた大きな獣の背だった。 |