力の使い方 ―1―


 かつてにぎわったその区域は、現在は時の流れの中でほどほどに荒れ果て、隙間から草木が生えた古い石畳が、人の手が入らなくなって久しいと告げている。
 とはいえ、瘴気と湿気のせいで土地が安いので、それらを気にしない住人がわずかながらいるし、最近になって少しずつ復興整備がされるようになってきた。
 『トランクィッスル旧市街地』は、新市街地よりもやや奥まったところにあり、尾根の終わりを半周ほどしなければたどり着けなかった。山地ゆえに勾配もあることから、普通なら車で来るところだが、人狼族の様な身体能力の高い種族は、荷物を抱えても往復に一時間かからないというから驚きだ。
(まあ、俺も人のこと言えないけど)
 愛用のクロスバイクを街はずれの空き地に立てかけ、ラウルは念のために持ってきたガスマスクを装着する。吸血鬼は瘴気に当てられることはないが、この辺りに住むモスフングス族・・・・・・いわゆる、粘菌とか苔とかキノコっぽい見た目の異形達が出す胞子によって、喉や肺を傷める可能性があった。いくら耐久力と回復力に優れた不死族とはいえ、肉体の造り自体が元人間だから、呼吸器にカビが生えるとかアレルギーなんか起こしたら嫌だ。
 轍が通った凹みが残る古めかしい石畳を踏みしめながら、ラウルは暮れなずむ旧市街地へと歩みを進めていった。

 今日は秋晴れの良い天気だったからか、しんと静まり返った廃墟群の中であっても、日当たりのいいところにもぞもぞと動く気配があった。日陰を好む者が多いが、乾燥が嫌いなだけで、日光や暖かさは好きだという者もいる。陽に温まった石畳は、さぞ気持ちがいいことだろう。だが、そろそろ自分たちのねぐらに帰っていくようだ。
 完全に陽が落ち、星明りだけで街灯もない真っ暗闇の中であったが、ラウルの視界に問題はなかった。
(懐かしいな)
 見覚えのある街角に出るたびに、ラウルはしばし立ち止まってしまう。旧市街は記憶にあるよりもだいぶ広くなっていたが、それでも中心に行くほど、ラウルの胸に郷愁と呼べるものがじんわりとにじんできた。温かな思い出と、それを覆いつくしてしまう悲しく苦しい記憶が濃い生まれ故郷よりも、安息の地であったトランクィッスルの方が、住んだ期間は短かったものの、帰りたい場所という思いが強い。
(ここが・・・・・・)
 転移門が崩壊して、瘴気溜まりの沼地と化している中央広場を目の前にして、ラウルは知らず首を振った。怒りと悲しみが、ガスマスクの内にある唇を噛みしめさせる。どうにかならないものかと心が痛むが、どうにかできたらヴェスパーがもうやっているはずだ。
 前回、旧市街地を訪れた時は、空を飛ぶクラスターの背にしがみついていたので、市街を眺めてまわる余裕はなかった。しかし、こうして歩いてみると、悔しさが胸をついてやまない。
 獲物の気配を察したのか、沼の水面がざわめきだしたのを尻目に、ラウルは足早に広場の隅を通り抜け、造成された丘の上にある墓地を目指して進んでいった。

「やあ、俺。隣、いいかい?」
 長い年月を風雨にさらされてきたせいで、表面に彫られた墓碑もぼんやりしてきている。ラウルはかつての自分が眠る場所に座り込み、ガスマスクを取った。
 小高く日当たりがいい立地のおかげか、墓地は瘴気も胞子も少なかった。ただし、放棄されてから長く手が入らなかったせいで、樹木に埋もれてしまった墓石もある。しかし最近になって、茂った木が伐られ、下草も刈られて、かつての風景に近付いているらしい。
「はて、我を呼び出すとは酔狂な愚か者だ。しかし・・・・・・おぬし、どこかで会ったかな?」 
 首を傾げる紳士は口髭を生やし、ふさふさとした眉の下には燃え盛る炉のように赤い目があった。そして、癖のある黒髪には、特徴的な稲妻のような金のメッシュ。生ある者の「怒り」を司る、魔物の中の魔物、強大にして最高位たる『罪源の魔物』が一人。
 音もなく墓地に現れた男は、何百年ぶりかに会うラウルと、背丈はあまり変わらなさそうだ。初めて会った時と同じように、畏怖に震えあがりそうな心を鎮めて、ラウルは立ち上がった。
「『憤怒イラ』・・・・・・あぁ、ベルフォートと呼んだ方がいいのか?久しぶり。また会えて嬉しいよ。元気そうで何より。命を救ってくれたばかりか、この町に運び込んでくれたあんたに、ずっと礼が言いたかったんだ。いや、一度しか会っていないし、俺はしゃべれなかったから、名乗ってもいなかったな」
 三つ揃いを着込んだ紳士は眉をひそめ、そしてぽっかりと目を見開いた。
「おおー?おぬしまさか、ヴェスパーに飼わせていた生焼け人間か?死んだはずなのに、なぜ生きている?我はおぬしを眷属にした覚えはないぞ」
「いや、それは俺があんたに一番聞きたかったことだ。一度死んだけど、最近になって生まれ変わったんだ」
 ほらここに墓がある、とラウルが指し示すと、ベルフォートはまるで呆れかえったと言わんばかりに天を仰いだ。
「親を慕う子でも、魔物に堕ちてまで還ってくる阿呆はおらんぞ。どこぞの神話か伝説でもあるまいし」
「なんでみんな俺を子ども扱いするんだ」
 納得いかんとラウルは唇を尖らせるが、ベルフォートは瀟洒な口髭の下でにやりと笑った。
「なるほど。我と関わりがあったせいで、真祖吸血鬼に成って転生してきたのか。どうしてそうなったのか、我にはまったくわからんが」
「えぇ、あんたでもわからないのか・・・・・・」
「我は全知全能ではないゆえ」
 威張れることはないのにベルフォートは顎や胸を反らせるが、それが妙に様になっている。
「ふむ・・・・・・ダンテか。そういえば、ヴェスパーがそんな名を言っていたな」
「いまはラウルという名前だ」
「しかし、眷属の名としてはダンテになっておる。ふむ、よい名だ」
「ありがとう」
 ラウルをじろじろと眺めるベルフォートには、ラウルの姿形以外にも色々見えているのかもしれない。
「永続する者にして、与える者か。おぬしにぴったりではないか」
「そうかな」
「破天荒という名でもよいくらいだがな」
 面白がるベルフォートの声音に、ラウルは拗ねかけて肩をすくめるにとどめた。だいたい、『憤怒』の言動にいちいち付き合っていたら、精神がもたない。
「それで、我をこんな辛気臭い場所に呼び出したのは、それを聞きたいがためか。おぬしの大事なものと、おぬしを大事に思っている者から、少しでも遠いところで我に会いたかったのだなぁ」
「当たり前だろ。これでも危ない橋を渡っている自覚はあるんだ」
 ベルフォートは不敬にも誰かの墓石に腰かけ、相変わらずにやにやと薄笑いを浮かべている。裕福そうな姿であるせいか、余計に嫌味っぽくて腹立たしく思わせた。
「聞きたかった主なところは、俺のことだ。それと、真祖について聞きたかったんだ。ミルド家の始祖、『クズリ足のエイナル』の事も知っているんじゃないかと思って」
「ほう!懐かしい名前だな」
 思わずといった様子で身を乗り出すベルフォートに、ラウルはひとつうなずいた。
 ミルド家の当主書斎にあった古文書は、ゲルマン祖語の中でも、古ノルド語がおおく混じっていて、マルチリンガルとはいえ北欧言語の専門知識がないラウルは、翻訳するのにずいぶん苦労した。それでも、その多くが初代ミルド伯であるクリストフ卿が注を加えて羊皮紙に書いてくれてあったから読めたのであって、本来なら口伝か、石碑などに記されるくらい古い内容だった。
「まさか、サガの時代までさかのぼるとは思わなかった。エイナルを見知っているなんて、あんた長生きだな」
「なに、まだほんの千五百年程度だ。エイナルと出会ったのも、我が小童であった時分だな」
 ベルフォートの幼少期なんてラウルには想像もつかないが、やはりエイナルはベルフォートと出会って真祖に成ったらしい。ハツカトウカの隠者の印象が強くて、ラウルにはローブを纏ったドルイドの老人というイメージがあったのだが、ミルド家に伝わる始祖の姿は、筋肉隆々としたヴァイキングで、だいぶワイルドだった。
「あれの思い出話もしたいところだが、おぬしが聞きたいのは別のことであろう?」
「ああ。真祖吸血鬼ができる事と、できない事を、教えてほしい」
 ミルド家は力のある吸血鬼一家だったが、真祖である始祖についてわかっているのは、その子である初代ミルド伯クリストフから見た父の姿と、聞かされたことのみであり、他の吸血鬼と具体的にどこがどう違うのかという客観的なデータは何もなかった。
「ただわかっているのは、一般の吸血鬼よりも、はるかに強かった、ということだけ。でもそれだけじゃ、元々北欧の戦士だったエイナルは強かっただろうし、息子である先代伯爵はハーフヴァンパイアということだから、正確とは言えないんじゃないかと思う」
「ふむ、なかなか厳しい目をしているが、着眼点が少しばかりずれているな」
「どういうことだ?」
「おぬし、いま自分で言ったではないか。ハーフヴァンパイア、と」
「・・・・・・え」
 まさかと口が半開きになったラウルに、ベルフォートは今夜一番の笑みを見せた。
「通常、噛まれてなった吸血鬼は不妊だ。子を生せるのが、真祖よ。吸血行為によるサーヴァント共とは別に、自らの一族を作ることができるのだ」
「待ってくれ。それなら、親子の二世代しか繋げないじゃないか。ミルド家は、すでに四世代続いているんだぞ!?」
「だから、己の吸血鬼としての血統を作れるのが真祖なのだ。その途中で人間などの血が混じり過ぎるとさすがに薄くなるが、初代のエイナルから順に、人間、他家の吸血鬼、上級吸血鬼、と妻を得ている。特に、当代の妻は呪術によって吸血鬼化した稀有な個体だ。四代続いているとはいえ、まだ子を生せなくなるほどではなかろう」
「人間に、血が薄まった吸血鬼か。ファウスタさま以外は跡取りが一人しか生まれず、母親が早死にしたのは、真祖の血に耐えられなかったせいか?」
「さあな。そこまでは我も知らん。・・・・・・そんなことより、おぬしもわかっているであろう?」
「・・・・・・・・・・・・」
 ラウルは思わず下を向いた。その可能性が、酷く重く感じられた。
「俺が・・・・・・俺の血統を作り出し、一族の長になる、ということか」
「そういうこともできる、という話だ」
「・・・・・・どうりで、下にも置かない扱いのはずだ」
「単純に、真祖という珍しい個体が、非常に強力だと伝えられているせいもあるだろう。とはいっても、ヴェスパーは、逆に何も期待していないかもしれんぞ。あれはおぬしが好きすぎるからなぁ」
 ベルフォートは心底可笑しそうに、呵々と笑う。そのせいで、ラウルも思い悩むのがくだらなく感じてきた。
(ヴェスパーは知っているかもしれない。だけど、それとは関係なく俺を大事にしてくれている)
 ヴェスパーには、ヴェスパーの計算や思惑があるに違いない。いくらラウルでも、それがないなんて、能天気を通り越して馬鹿なことは思わない。それでもヴェスパーは、すべての計算や思惑のさらに上へ、ラウルの自主性を据えてくれるのだろう。それだけ愛されている自覚はある。
「わかった。俺に血統の始祖となれる可能性があるという事は、それを知った誰かに利用される可能性もあるという事だ。それなら、ミルド家の庇護下にあった方が安全だし、絶対にマシだ」
 自分の立ち位置を冷静に把握したラウルに、ベルフォートは鷹揚に頷いて手を差し招いた。