もう一度あの町へ −6−


 レパルスと引き離されて一人連れ去られたサマンサは、はじめこそ涙目で縮こまっていたが、ジョセアラの高度な術式に興味を惹かれていった。なお、報酬にと示された甘い菓子の山に釣られたわけではない、と心で言い訳をしている。
「お前さんすごいねえ!こんなに研究が捗るなんて!長生きはしてみるもんじゃ」
「んん、お役に立てたならいいけど・・・・・・」
 ジャムがたっぷり乗ったクッキーとミルクティーを両手に、サマンサは部屋の中を見回す。ジョセアラの研究室には、サマンサが見たこともない機器や素材、書籍に溢れており、彼女がグランド・ウィッチと称賛されるに相応しい頭脳の持ち主だとうかがわせた。
「貴女は、私を落ちこぼれ扱いしないのね」
「はあ?アタシにしてみたら、たいていの魔女は“そこそこ”じゃよ。だけど、みんなそれぞれに、良いところも、悪いところもある」
 たしかに、ジョセアラレベルからしてみたら、サマンサも他の魔女もたいして変わりはないのだろう。貶しているのか褒めているかわからないが、魔女として対等に扱ってくれるジョセアラに、サマンサは印象を上方修正した。
「アタシが不思議に思うのは、お前さんがあの人間を喰っちまわない事じゃよ」
「レパルスの事?大事な家族だもの。食べたりなんかしないわ」
「その衝動を抑えているのが、アタシからしたら非凡だと思うんだけどねえ。あの人間は、きっと美味しいよ」
 クスクスと笑うジョセアラに、サマンサは、レパルスはどんな味だろうかと首を傾げる。きっと、確かに美味しいだろう、大好きなレパルスだ。
(あら?この味の記憶は・・・・・・?)
 じゅわりと口の中が湿ったが、その微かな記憶は、サマンサの深い記憶のどこかに、すぐに薄れて消えて行ってしまった。同時に、呆れたような低い声の想像が湧き上がってくる。

――私を食べてしまってから、サミィは毎日洗濯ができますか?三度の食事の用意は?買い出しに、繕い物は?畑の水やりを忘れると、せっかくの作物が枯れますからね。私が作ったおやつは、もうありませんよ?めちゃくちゃになった書斎を片付けられますか?それから、薪拾いをさぼって、夜になってから困るのはサミィですからね・・・・・・――

「無理だわ」
「はん?」
 食べるとか食べない以前の問題だ。サマンサはレパルス抜きにして、一人で生活ができない。
「おかしいわ。レパルスがいない時は、一人で生活していたはずなのに・・・・・・」
「お前さん、使い魔に頼りっぱなしかい」
「だってレパルスは料理が上手だし、お洗濯も掃除もやってくれるし、とにかく何でもやってくれるのよ!」
 何でもやってくれる使い魔に育てたのはいいが、自分が何もできなくなってしまったと思い知らされるのは、サマンサもちょっぴり悲しい。
「はははっ、そういう魔女も、全然いないわけじゃない。言っただろう?得手不得手ってもんがあるんじゃよ」
「ジョセアラは優しいのね」
「おーやおや、こんなにおっかない婆を優しいなんて、お嬢ちゃんはどんなに辛い事を経験してきたんじゃろう」
「サマンサと呼んで。ジョセアラは私を“落ちこぼれ”だって馬鹿にしなかったから、嬉しいの」
 同じ魔女から、同じ魔女として敬意を払われることが、こんなに心地よいことだったとは。もちろん、自分の魔力コントロールがへなちょこであることには変わりないし、そんなサマンサでも側にいて、ちょっと呆れながらも片づけをしてくれるレパルスのことは大好きだけれど、同じ魔女のジョセアラが話し相手をしてくれるのは、また違った喜びがあった。
「ねぇ、サマンサ。お前さん、トランクィッスルには住まないのかい?アタシの魔女団にもお入り。そうしたら、サマンサの魔力を使いほうだ・・・・・・じゃなくて、いつでも気軽に、こうしておしゃべりができるじゃろ?」
 大きな本にペンを走らせていた手を止めたジョセアラに、サマンサはふるふると首を横に振った。
「ごめんなさい。お母さんが遺してくれた家なの。私はあの家から出るつもりなんてないわ」
「!!!」
 ポロリとペンを落としたジョセアラが、突然滂沱の涙を流し始めたので、サマンサはびっくりしてミルクティーを溢しかけた。
「どっ、どうしたの?」
「うぅっ・・・・・・孝行娘だよ、なんていい子なんじゃろう!アタシにできることならなんだってしてあげるわ!」
「えぇっ・・・・・・!?」
 サマンサはただ事実を言っただけなのだが、ジョセアラの感動のツボらしきところを突いてしまったらしく、ドレスの袖で涙をぬぐいながら嗚咽を漏らす彼女にかける言葉が見つからない。
 サマンサがあたふたしていると、部屋の片隅に吊り下げられていた人間の乾し首が、不気味な声で来客を告げた。
「あぁ、誰だい、こんな時に・・・・・・」
「私が出てくるわ」
 気安く請け負ったサマンサが玄関のドアを開けると、そこには冷え冷えとした闇が立っていた。
「はい、どちらさま・・・・・・あら、町長さん」
「やあ、お嬢さん。ご機嫌いかがかな」
「ありがとう。でも、そのお嬢さんはやめていただける?私、そんなに子供じゃないわ」
「マダムの方が良かったかね?」
「まっ・・・・・・」
 真顔で見下してきたヴェスパーは、すぐに柔和だが有無を言わせない笑顔になって、ジョセアラの家の中に足を踏み入れてきた。
「サマンサ、ちょっと失礼。ジョセアラ、いるかい?いるよね?」
「ヴェスパー!ちょっと聞いておくれよ!長年わからなかった要素の値が出たんだよ!!!すごいことだよ!これで論文が三冊は書け・・・・・・ぎえええええええっ」
 奥の部屋から走り出してきたジョセアラの顔面を、ヴェスパーの骨ばった青白い手がむんずと掴んだ。メリメリと音がしそうなほどの食い込みに、ジョセアラはバタバタと両手を振り回して叫ぶ。
「ギブギブ!!いたたたたた!!!」
「ジョセアラ〜?私が怒っている理由がわかるかなぁ?」
「わわわかっ、そっ、その子を、連れてきてっ・・・・・・あいだだだだだ!!!」
「そ・お・だ・ねぇ〜」
 いくらジョセアラが怪力の持ち主でも、吸血鬼の膂力には敵わない。サマンサは慌てて止めに入った。
「町長さん、私は何もされてないし平気だから、あんまりいじめないであげて!協力したお礼に、美味しいお菓子をもらったし・・・・・・」
「サマンサ、キミはキミで、自分の心配をした方がいいのではないかな?」
「え?」
 ヴェスパーに言われて後ろに立つ気配に振り向いたサマンサは、無言無表情で見下してくるレパルスとばっちり目が合った。
「あ、レパルス・・・・・・」
「無事でなによりです、サミィ。クッキーですか?スコーンですか?ジャムが付いていますよ」
「えっ、あっ・・・・・・」
 サマンサは慌てて口元を拭ったが、レパルスの眼差しは怖いままだ。
「良かったですね、美味しいお菓子をいただけて」
「ぁ、はひっ・・・・・・ふぎゅっ!」
 レパルスの大きな手にサマンサの両頬が挟まれ、さっきまで菓子を頬張っていた唇がくちばしのように寄ってしまう。
「私が、どれだけ、心配したと、思っているんです!?」
「ぅごごごめんにゃひゃいいいぃ」
「どっかんどっかん撃ちまくって、なんですか、あれは!町長の馬車に乗っていなかったら、無事じゃすみませんでしたよ!」
「らって、ひょへありゃが、しぇいぎょはしゅゆかりゃ、ふりゅぱわーれしゅうちゅうしひょっへ・・・・・・」
 むにんむにんと頬を寄せたり引っ張られたりしながら、サマンサは弁明する。逃げ出しても一人では帰れないし、ジョセアラに逆らうこともできないし、仕方がなかったと。
「なんだい、人間連れになったから怒っているのかい、ヴェスパー?」
「は?」
「いだだだだッ!怖いわ!ヴェスパー、その貌怖いわ!!」
 顔面の骨が砕ける!と悲鳴を上げるジョセアラを眺め、レパルスは深くため息をついた。
「サミィが心配だからと無理を言ってしまいましたが、万来亭の皆さんやダンテさんの言う通り、大人しく町で待っていればよかったのでしょうか・・・・・・」
「ダンテ!?まさかあの子が仲介・・・・・・対価は!?」
「ティースプーン三杯分、だそうです」
「馬鹿じゃないのかね、あの子は!?死んでしまうよ!!」
「その馬鹿なことをさせた原因が、なにか言っているようだね?」
 顔面を圧縮する力がさらにこもったらしく、ジョセアラは意味不明な悲鳴を上げて許しを請うた。
「なにはともあれ、サミィが無事で良かったです」
「ありがとう、レパルス」
 なにやら大変なことになっていたらしいと察したサマンサは、うっすら赤くなった頬を両手で押さえて涙を堪えた。
「キミがその子を可愛がるように、私にとってダンテは愛おしい義弟だ。おかしなトラブルに巻き込まないでくれたまえ」
「ごめんなさい・・・・・・」
「すみません・・・・・・」
 ジョセアラを放り出したヴェスパーはすたすたと魔女の家を出ていき、二人もそれに続いたが、レパルスはふと踵を返して、痛みに頭を抱えていたジョセアラに囁いた。
「女史、ひとつお伺いしたい。あの時、ダンテさんは笑っていたのではなく、本当は怖がっていたのではないですか?」
 砲撃音を嫌うダンテは、大きな爆発音と煙、それを起こしたサマンサを怖がったのではないか。「大丈夫」ではなく、「近付くな」というジェスチャーだったのではないか。レパルスはそう思ったのだが、ジョセアラは肩をそびやかして顎をしゃくった。
「なんのことだい?玉ねぎのバーベキューの話なら、きっと「人間には想像できない反撃」が面白かったんだよ。意地の悪い事をした連中も、追っ払えたしね」
「・・・・・・そうですか」
 そういうことにしておこう、しかし、ダンテの前ではなるべくサマンサに魔法を使わせないようにしよう、とレパルスは心に留めた。
(余計なことで怖がられては、サミィが悲しみますからね)
 決してダンテに気を遣ったわけではない、と眉間に力を込めるレパルスを、サマンサが不思議そうに見上げてくる。
「どうしたの?」
「なんでもありません。町に戻りましょう」