もう一度あの町へ −7−


 二、三日はぼーっとしたのが抜けなかったが、ようやく造血が追い付いたらしく、ダンテは普段通りの足取りで少し肌寒い外気の中に踏み出した。
 ティースプーン一杯分でも半日は寝込むのを、三杯はちとやりすぎたかなとベッドの中で後悔したが、元々トランクィッスルに人間を入れる気がなかったようなヴェスパーに、ダンテ以外の人間を同行させるのはかなり無理注文だ。そう考えると、やっぱり三杯は適当であると納得せざるを得ない。ヴェスパーには、血さえやれば言うことを聞くと思っているだろう!と拗ねられたが。
(まあ、上手くいったんだからいいだろ)
 レパルスは飼い主のサマンサと無事に再会できたようだし、それ以上のトラブルには発展しなかったのだから、ダンテの判断は正しかったと言える。
 新しいクロスボウを引き取るために工房街へ向かいながら、ダンテは軽く体をゆすった。ここ数日は安静にしていたが、なるべく動いていないと、皮膚や筋肉が強張ってきてしまうのだ。剣を振るったり、弓を引いたりという動きは、もう期待できない。銃がほぼ手に入らないトランクィッスルで、最小の動きで人を殺める訓練ができる武器が、クロスボウだった。
 ダンテは自分自身の生命力で生きているわけではなく、生命活動の大半を罪源『憤怒イラ』の力に頼っている。煤に焼かれた肺があまり機能していなくても、煮蕩かした粥しか食べられなくても、なんとか生きていられるのはそのおかげだ。それでも、あまり長く生きられないという自覚がある。『憤怒』の食餌である、怒りや憎悪といった感情が涸れれば、そこで終わりだ。
(トランクィッスルは、楽しすぎる)
 復讐なんて放りだして、ずっと暮らしていたいと思えるほどに。だが、復讐を忘れて安穏としたが最後、ダンテは『憤怒』に見限られて死ぬ。一度は拾った命だが、精神的に綱渡りをしていることに変わりはない。
(もし生まれ変わることができたら、またこの町に住みたいな)
 悲憤に任せて他人を害し、またこれからもそうである自分は、地獄の燃え盛る血の川に浸かるだろうとわかってはいても、この町と住人を愛していた。たとえ、人間には住みにくい町だとしても。
 まだ舗装されていない剥き出しの道を歩き、鉄火の音や煙、あるいは木や革の匂いが漂う空気に、ダンテは完全に気を散らしていた。工房街にいるのは、頑固で気難しくても堅実な職人たちばかりだと油断していたのだ。
「ッ・・・・・・ァ、カハッ!」
「おぉ、やっと見つけたぜぇ!」
 後ろから首を一掴みにされ、ぐんと足が地面から離れた。必死に拘束を抜けようと相手の手をかきむしり、脚をばたつかせるが、びくともしない。
(あの時の、ミノタウルス・・・・・・!?)
 先日追い払ったことを逆恨みして、ダンテを探していたのだろうか。しかし、深く考える間もなく、相手の太い指が首に喰い込んできて、目の周りがカッと熱くなり、脛骨が嫌な軋みをあげる。
「ア・・・・・・ガ、ァ・・・・・・!」
「町の中で殺すのが駄目なら、町の外で喰えばいいんじゃねえか。面倒くせぇルール・・・・・・」
 ごすっ!という聞き慣れない音が、ダンテの遠くなりだした意識の中で聞こえ、急に大地の存在を思い出した足から地面に転がった。
「ゲホッ・・・・・・ッ・・・・・・ハァッ」
「それを殺されると困るんですよ。まだ借りを返し終わっていないので」
 その辺から持ってきたと思われる角材を担ぎ、長い金髪を赤いリボンで結った青年が、ダンテとダンテを襲っていた者を見下ろしている。
「・・・・・・ぁぅ・・・・・・」
「呆けていないで、さっさと立ってください」
 角材を構えたレパルスが言う通り、ダンテを襲ったミノタウルスは、もう立ち直っており、地面にへばったままでは邪魔になる。
「テメェ・・・・・・!!」
「握りにくい形だと、どうも振り抜きが甘くなりますね」
 十分に乾いたローズウッドと思われる角材は、魅惑的な深い色合いの体貌を白く大きな手にゆだね、怒りに鼻息を荒くするミノタウルスに相対する。サマンサを抱えて旅行鞄しか持っていなかった時とは違い、いまのレパルスの攻撃態勢を阻害するものは何もなかった。
「喰らう・・・・・・クラウ、コロス・・・・・・コロス、コロス!ニンゲン、ゴトキガァ!!」
「牛なら牛らしく、草でも食べていればいかがです?」
 激昂するミノタウルスを前にして、レパルスは口調の丁寧さは変わらなくても、内容と眼差しの剣呑さが急上昇していく。
 雄叫びと共に振り下ろされる手斧を避け、回転させた角材の端で前腕を打つが、あまり効いていない。ならばと顔面を狙うも、二本の手斧にはじかれてしまう。
「イキノイイ、ニンゲン!」
「私はマタドールではないのですが・・・・・・」
 さらに数度の打ち合うも、力同士のぶつかり合いに舌打ちを隠せないレパルスの前で、ミノタウルスは余裕の鼻息を噴きだす。両手にそれぞれ手斧を構えたミノタウルスが、ずんと足を踏みしめてレパルスに突撃の姿勢を取ったところで、急に脚を震わせて膝をついた。
「ぁっひょぁああああああああああ!!!」
「よくわかりませんが、チャンス!」
 レパルスが振り下ろした角材が、白目をむきつつ悶える牛頭にクリーンヒットし、巨体を地面に沈めることに成功した。
「フフ〜ン」
 得意げに小さな卵型液体手りゅう弾を手にするダンテが何かしたのかと回り込むと、ミノタウルスの腰巻が濡れている。布と体毛に守られているとはいえ、股間へのミントチンキ爆撃は効くだろう。
「・・・・・・えげつない攻撃をしますね」
『まともに戦っても、面倒くさいだけだからな』
 レパルスが覗きこんだダンテが持つ卵型手りゅう弾には、色分けされたいくつかが見て取れ、相手によって中身が違うものを使い分けできるのだろう。
『助かった。ありがとう』
「ひとつ借りたつもりが、二倍三倍になっているこっちの身にもなってください。まったく、フェアじゃないんですよ。・・・・・・借りを返し終わるまでは、友人とやらでいてあげます」
「素直じゃないわ、レパルス」
「サミィ!」
 物陰からたたたと駆け寄ってきたサマンサは、にこにことレパルスとダンテの間に入ってきた。
「ダンテ、うちのレパルスと仲良くしてね」
「なっ・・・・・・」
『もちろんです、サマンサ女史』
 白い頬に赤を刷かせるレパルスをよそに、ダンテが恭しく頭を下げると、サマンサは満足そうに、うんうんと頷いた。
「お友達って、いいわね。私もジョセアラと仲良くなったわ」
「あの人の場合、サミィが利用されているの間違いでは?」
「あら、今度お洋服を一緒に買いに行く約束をしているのよ?」
 ジョセアラにしたらサマンサは孫ほど年齢が離れているのではなかろうか、とダンテは思ったが、それはそれで可愛がってもらえるのは良い事だろう。
 工房街を三人で歩きながら、ダンテはレパルスから文句を言われた。ダンテが無茶をしたせいで、ヴェスパーがかなりお冠だったと。
「やり方を教えていただければ、私が町長と契約をしましたのに」
『何言ってんの。ヴェスパーがちょっとやそっとで、人間の言うことを聞くわけないだろ』
「でも、帰りの馬車の中でも、ちょっとどころじゃなく怖かったのよ」
 普段ヘラヘラしているせいで分かりにくいが、ヴェスパーは実のところ、けっこう辛辣で酷薄で意地も悪いということを知っているダンテは、ふふっと笑った。
『だけど、一ガロンも血をよこせって言われたらどうする?動けなくなった自分を俺に看護してもらいたい?』
「あなたが対応してくれて感謝します」
「そうね、私もレパルスが食べられるのは嫌だわ」
 ダンテがクロスボウを新調することを話すと、さっきまで角材を握っていたレパルスも首を傾げた。
「私も何か武器を作った方がいいでしょうか」
『この町にいる間は、持ち歩いたほうがいいと思うな』
「家に帰れば、シャベルもフライパンもあるのですけど・・・・・・」
『それって武器なのか?』
 レパルス用の武器を作る工房や、サマンサにお勧めの素材屋を案内することを請け負ったダンテは、サマンサから報酬は何がいいかと聞かれた。
『二口鵞鳥のエッグタルトがいい』
「うんっ、あれ美味しかったわ!レパルス、うちでも作れないかしら?」
「その二口鵞鳥って、私でも飼えますか?」
『やっ、けっこうデカいうえに、狂暴らしいぞ。レパルスは大丈夫でも、サマンサさんが噛みつかれないか?』
「噛みつくの!?」
「それは困りましたねえ」
 まだまだ発展途上の町を歩きながら、三人はたわいのない話を続ける。この先になにが起ころうとも、巡り合えたいまを大切にしたかった。
「いまのトランクィッスルでも、こうして並んで歩けてよかったわ!」
「そうですね」
『いつでも来てくれ。歓迎する』
 もう一度、そして、何度でも。