もう一度あの町へ −5−


 自分がサマンサの側にいないという、罪悪感にも似た不安が、レパルスをすぐにでも駆けだしたくなる焦燥に駆り立ててやまなかったが、なにくれとなく世話を焼く“おしゃべり”なダンテのせいで、その度にふわりと意識をそらされていた。苛々し始めるたびに、普段の生活を聞かれたり、魔女と・・・・・・というより、サマンサと暮らすうえでの苦労話をせがまれたりして、気付けば昼を回っていた。人間用の食事で昼食をとっている時には、ダンテが農家の出であると知って、畑の世話のついて少なくない会話があったほどだ。
「そもそも農夫のダンテさんが、なぜこの町に?」
『ざっくり言うと、死にかけた俺を、通りすがりの魔物が拾って、この町に置いていった』
「ざっくりしすぎです。その火傷だって、普通死にますよね」
『まぁな。火ぃ噴いてる石炭を突っ込まれた時は、さすがに痛すぎて、本気で死ぬかと思った』
 舌の肉が縮んで固まってしまった口の中を示すダンテに、さすがのレパルスも目をそらす。
「火事でそうなったんじゃなくて、拷問だったんですか」
『俺、テロリストだからなぁ。憲兵に捕まったから仕方がない』
「自業自得じゃないですか!」
 まったくその通り、とでも言いたげに、堂々とダンテが頷いたところで、ドアがノックされた。
「入るよ、ダンテ?」
 それまで、足音も気配も廊下に感じなかったレパルスは驚いたが、ダンテは慣れっこなのか、開いたドアから入ってくる闇に向かって手を挙げた。うららかな昼下がりに見るヴェスパーは、夜に比べて印象がぼやけたが、それでも死体の冷たさを思わせる空気が、青白い肌からにじみ出ており、生者であるレパルスの首筋をそそけ立たせた。
「おはようございます、町長」
「おはよう。やあ、やっぱりキミだったか。ジョセアラの家から、あのお嬢さんを奪還してくればいいんだね?ダンテ、契約だ」
 立ち上がったダンテがフードを外し、マフラーを緩める。体毛のない、赤や紫のまだら模様に溶けて引きつった皮膚は、何度見てもレパルスのみぞおちのあたりを苦しくさせた。少し白く濁った青い目が、いびつな瞼の間で微笑む。
『俺ができるのはこのくらいだ。頑張って取り返して来いよ』
 その文字列から顔をあげた時には、レパルスを友人扱いした男に、黒い影が覆いかぶさっていた。
「っ・・・・・・」
 止める言葉も、咎める言葉も、息を呑んだ喉から出てこなかった。レパルスにはただ、見開かれた目の前で、ほんの数秒の成り行きを見ていることしかできなかった。
「・・・・・・っはあ、なんでこの子は、私が意地悪をしてもホイホイ自分を差し出しちゃうんだろうね!?美味しいから私は全く構わないんだけど!もうっ、腹立つなぁ!」
 明るく元気に怒るヴェスパーの腕の中で、ぐったりと倒れ込んでいるダンテは動かない。気を失っているようだ。
「なにを・・・・・・!」
「鮮血をティースプーン三杯分。それが、キミの飼い主を助けるための報酬さ。健康な人間ならどうってことない量だけど、ダンテにはきつい量だと思うよ」
 羽根を持ち上げるかのように抱きかかえたダンテをベッドに降ろすと、ヴェスパーは血色の良い唇をニィとゆがめた。
「彼を噛んだのか・・・・・・!」
「噛みついてやしないよ。そんなことしたら死んじゃうからね」
 睨みつけてくるレパルスに、ヴェスパーは幼子を諭すかのように、くすくすと笑いながら低く囁く。
「それじゃあ、吉報を待っていたまえ。すぐに戻る」
「待て!私も一緒に行きます!」
 何時間も待たされて、さらにまた待たされるなんて、レパルスには我慢できない。しかし、深い紫の目を優雅に流したヴェスパーは、サマンサやダンテの前では見せなかった、冷え冷えとした貴族の態度を見せた。
「つけあがるなよ、人間。足手まといのペットがいても、邪魔なだけだ」
「サミィは私の主で家族です!私が彼女を迎えに行かなくてどうします!?」
「実に愛らしい忠誠心だが、それがどうした?この町では、私が最上であり、私に従わないで無事にいられると思うかね?」
 レパルスがわがままを言えば、せっかくダンテがお膳立てした契約も履行が難しい、と暗ににおわされては、爪が喰い込むほど拳を握りしめて口惜しさを噛み殺すしかない。
「・・・・・・と言いたいところだが、キミの意向を最大限汲むことが条件に入った報酬を、先に受け取ってしまったからなぁ」
「は?」
 気の抜けた声を漏らしたレパルスに、ヴェスパーは悪戯成功とばかりにからからと笑って、指先で招いた。
「ついてきたまえ。馬車を用意させているから」

 貴族の乗り物に相応しい、豪奢で立派な馬車に乗ってはいるのだが、どごぉーん!すばーん!ずばーん!という耳に響く爆発音のたびに、ゆさりゆさりと揺れて、レパルスは非常に頭が痛い。
「まるで戦場じゃないか。キミ、この中を徒歩で行くつもりだったの?私以上にチャレンジャーだね」
「からかわないでください・・・・・・」
 ヴェスパーはクックッと優雅に笑い、レパルスは自分の考えの甘さを恥ずかしく思った。サマンサの魔法までが、救出の道を阻むとは思ってもみなかったのだ。
 昏くうっそうとした森の中を馬車はすいすい進み、急勾配な谷も難なく駆け抜けていく。しかし、爆発音のたびに土煙や何やらがあちこちで吹き上がり、はたして近付いていいものかと不安がよぎる。
「ダンテを連れてこなくてよかった。こんな煩い中、血を吸われるよりも気分が悪いだろう」
「彼は、大きい音が苦手なんですか?」
 レパルスが質問で返したのは、単なる社交辞令で、別に興味があったわけではなかった。
「おや、聞いていなかった?仲良さそうに話していたのに。あの子は人間の貴族に、何の罪もない親兄弟を砲弾で吹き飛ばされているんだよ。だから、大砲を撃つような、どーんっていう大きな音が、大嫌いなの」
「家族を・・・・・・」
 それ以上言葉が続かなかったレパルスに、ヴェスパーは頷いた。
「そう。あの子は家族を失う怖さや悲しみ、そして、奪っていった者への激しい怒りを知っている。だから、あのお嬢さんを家族だというキミの力になりたかったんだよ。自分が動けなくなるほどの、大きな対価を支払ったとしてもね」
「では、彼が自分をテロリストだといったのは・・・・・・」
 復讐の為か、と思い至ったレパルスに、ヴェスパーは冷ややかに鼻で笑ってみせた。
「あの子は相変わらず偽悪趣味だね。人間同士で殺し合うことに、正義も悪もなかろうに」
「・・・・・・・・・・・・」
 もしも自分がサマンサを失ったら、それが人間の手によるものだったなら・・・・・・レパルスは足元が暗くなるような虚無と不安を感じたが、同時に自分もダンテと同じ道をたどるだろうと、簡単に予測がついた。もっとも、そうならないように、全力でサマンサを守ることが大前提だが、想像するだけで胸が寒くなった。
「最後の暗殺に失敗したダンテは、地道に多くの人間を説得して、多くの被害を出してでも革命的な反乱を起こした方が良かっただろうか・・・・・・そんな風に考えたこともあったが、私は反対した。いくら武装を整えたとしても、農民中心の地方反乱など、すぐに中央から正規軍がやってきて鎮圧される。反乱を起こした後の方が圧政に喘ぐなど、よくある話だ」
 ヴェスパーは脚を組み替え、頬杖をついた美貌を冷酷に微笑ませた。
「もっとも、事なかれ主義で見て見ぬふりをしていた人間を、できるだけたくさん巻き込んで殺したいなら、その限りではないがね」
 ダンテはそこまでは考えず、純粋に主犯者だけを狙っていったという。そして、捕まってしまうまでは、誰にも打ち明けることはなかったらしい。
「私怨が動機ならば、仲間は作らない方がいいでしょうね。いつ裏切られるかわからない」
「素晴らしい。まさにその通りだよ」
 よくできました、とヴェスパーは手を叩いて続ける。
「ダンテは最初から他人を頼ることを諦めて、せいぜい利用するにとどめておいた。主体性が無く、強いものになびく人間を信用していなかったからね。トランクィッスルに来てからも、生餌に対する憐みはあったようだけど、人間に対する未練や希望は感じられなかったな。・・・・・・キミが現れるまでは」
「私が?」
 きょとんと目を丸くするレパルスに、ヴェスパーは面白くなさそうに艶めかしい唇を尖らせた。
「そうだよ。昨日会ったばかりなのに、嬉しそうに私に報告してきたよ。『中身のある好もしい人間が来た』って。だから私は、どんな人かなと思って、昨夜あのレストランにいたんだよ」
「そんなに気になるものですか」
「当たり前だろう?私はあの子のお義兄にいちゃんなんだから」
 突然飛び出した「兄」という単語に、レパルスは面食らうと同時に、ダンテが町長の公邸に住まうことを許されている理由に納得した。
「いまは私が、あの子の家族だ。だからね、私はキミに、あの子と仲良くしてやって欲しいなと思っているんだよ」
「はあ・・・・・・」
 ヴェスパーのその微笑みは、嘘偽りも屈託もないもので、レパルスはつられて、つい頷いてしまった。
 その時、ひときわ大きな炸裂音と衝撃に車体が大きく揺れて、レパルスとヴェスパーはそれぞれ壁に頭をぶつけた。
「っつ・・・・・・」
「いったぁ・・・・・・もう、なんの実験をやっているんだ、ジョセアラは!うちの領地が穴ぼこだらけになってしまうじゃないか!」
 ぷりぷりと怒るヴェスパーに、レパルスは申し訳なくなる。この爆発の火力源は、間違いなくサマンサであるだろうから。
 ヴェスパー付きの御者が巧みに爆発をかわすドライブテクニックのおかげで、二人はなんとか沼地の側に構えられた魔女の家にたどり着くことができた。