もう一度あの町へ −4−


 贅沢に厚くあつらえられた綿のフードと、その背にあるクロスボウから、苦しそうにせき込む人物が、人間のダンテだと知れる。
「ごめんなさい、煙たかったかしら!?」
 万来亭を紹介してくれた知己に、サマンサは慌てて駆け寄ったが、ダンテは大丈夫だと言いたげに手をパタパタと振った。
「どっこも悪かない。ただ笑ってるだけじゃよ」
 年寄りくさいしゃべり方のわりに張りのある声は、髪を結い上げた妙齢の魔女が発したものだ。サマンサたちを馬鹿にした若い魔女ではない。背の高い体は黒いドレスに包まれ、紅を塗った唇が印象的だ。
「ダンテ、そんなにあれが面白かったのかい?」
 呆れる彼女に、ダンテはがくがくと首を縦に振って肯定する。しゃべれないほど喉を焼かれている彼には、笑うことすら苦しいのだろう。
「ハァ・・・・・・ハァァ・・・・・・」
「大変ね。うちに来たら、すぐに笑い死んじゃうわ」
「自覚がおありなのは結構ですが、毎回誰が片付けをしていると・・・・・・」
「ごめんなさい、感謝しているわ」
「ぶっ・・・・・・」
 せっかく笑いの発作が治まりそうだったダンテが、また肩を震わせ始めたので、二人は口をつぐむことにした。
「万来亭で魔女が騒いでいるって言うから来たのに、片付いちまったようだね。人間連れのところを見ると、お前さんがサマンサだね?アタシはジョセアラ。この町の近くに住んでるんだよ、お見知りおき願おうかね」
「こ、こちらこそっ。よろしく・・・・・・」
 優雅に礼をしてみせたジョセアラに、サマンサは鯱張ってぺこりと頭を下げたが、ふと首を傾げた。
「ジョセアラ?もしかして、ロドノリア式魔力収縮法と三段錬成における照射軸公式を考えた人?」
「えっ?」
 驚いた声を出したのは当のジョセアラで、三人の視線を集めた中で、真ん丸になった灰色の目をぱちぱちとしばたかせている。
「有名な人なんですか?」
「教科書に載るようなすごい人よ。この前トランクィッスルで買った本に名前が載っていたもの。あの公式のおかげで、私の魔法も種類によってはけっこう安定するようになったのよ」
「この前?本?」
 ジョセアラの呟きに、サマンサはまた未来のことをしゃべってしまったことに気付いて口を押えたが、もう遅かった。
「ほっほう!ヴェスパーが言っていたのは本当かい!詳しく話を聞こうじゃないかね!」
 あっとレパルスが手を伸ばしたが、指先がスカートにも触れられなかった。
「ひゃあああぁ!?」
「サミィ!!」
 ジョセアラは女とは思えない怪力を示してサマンサを担ぎ上げると、宙に浮く木臼に座して長大な杵を片手で振り回し、レパルスを寄せ付けない。
「チッ!」
「放してぇ!」
「おっほほほほほ!!なんていい日和だい!お嬢ちゃん、アタシの研究に付き合ってもらうよぉ!!」
 ゴンゴン、と木臼が杵で叩かれ、徐々にスピードをあげながら人通りの中を飛んでいこうとする。
「レパルスぅ!!」
「サミィ!!」
 追いつこうとスプリントの態勢になったレパルスの前に、一本の箒がまるで意思があるかのように立ち塞がる。浮遊する箒は走りくるレパルスに、くるりと穂先を向けた。
「・・・・・・ッ!!」
「!?」
 背後からのタックルにつんのめって転んだレパルスの頭上を光が走り、少し離れたところに耳障りな音を立てて、黒焦げになったクロスボウが地面に落ちた。
「放せ!!」
「ッ、ァ!・・・・・・ァ!!」
 ダンテがクロスボウを囮に雷撃を回避させてくれたのはわかったが、組み付かれたままではジョセアラを追えない。箒はレパルスが追ってこられない事を理解すると、木臼を追ってひゅーんと飛んで行ってしまった。
「サミィッ!!・・・・・・放せと言っている!!」
「っうぅ〜〜〜!!」
 レパルスの拳がフードに直撃し、ようやくダンテの手はレパルスから離れたが、すでにジョセアラとサマンサの姿は遠く見えなくなっていた。レパルスはそれでも追おうとしたが、自分の頭を抱えていたダンテの手が、再びレパルスの脚をつかんだ。
「貴方もしつこいですね!!」
「ッ・・・・・・ァ!!」
「お客さん!お客さん、大丈夫ですか!?」
 ぱたぱたと駆け寄ってきたのは、万来亭の従業員たちだ。サマンサのおかげで玉ねぎ攻めをまぬかれ、どうやら無事だったらしい。
「助けていただき、ありがとうございました!」
「相手の嫌いな物で窒息させようなんて、ひでぇ奴らだ!!」
「まったくです・・・・・・あ、いえ。そんなことより、サミィが、ジョセアラという魔女に連れていかれてしまって・・・・・・行先に心当たりはありませんか?」
「えぇっ!?」
 女将と従業員たちは顔を見合わせ、明らかに言いにくそうに首を横に振った。
「残念ですが、ジョセアラの家は町の外、すぐに方角がわからなくなるような深い森の中です。人間が一人で近付くのは無理かと・・・・・・」
「ジョセアラは人喰い魔女だし、自分の魔女団を持っているグランド・ウィッチにゃ!勝てるわけないにゃ!」
「お連れはんも魔女なら、そのうち帰ってくるのを待っているしかないとちゃいますか」
 否定的な言葉ばかりで建設的な意見が出てこず、レパルスは苛々と声に力を込めた。
「ジョセアラの家の、正確な場所は?それをお聞きしています」
「それは・・・・・・」
 レパルスの静かな剣幕に怯えだした猫たちとは別に、呆れたような溜息がレパルスの肩を叩いた。
「なんです?まだ邪魔をす・・・・・・」
 しかし、ダンテは己の胸を手のひらで軽くたたき、親指を立てて振った。「自分について来い」とでも言いたげだ。
「場所がわかるんですか?」
『少しは俺の話を聞け、突撃ライオンハート。任せろ』
 筆談を終えると、ダンテは従業員たちにハグをして無事を喜び、壊れたクロスボウを拾い上げた。
「え、ちょっと・・・・・・どこに行くんです!?」
 そして、まだ戸惑っているレパルスの手を取って、ジョセアラがサマンサを連れて去ったのとは逆方向に、足早に歩き始めた。
 大通りに面した立派な建物の前で、ダンテはレパルスを振り返り、転んだ時に服についた土埃をはらい、自分の服もパタパタとはらった。身だしなみチェックを終えると、ダンテは再びレパルスの手をひいて、ゴーレムの門番がいる建物へと入っていった。
 エントランスを抜けたロビーには何人もの住人がおり、ダンテはその人混みを縫って、受付カウンターらしきところにレパルスを連れて行った。
「おや、おかえりなさい、ダンテ」
 丸眼鏡をかけた壮年の男は小さく、スツールに座っていてもカウンターが高そうに見えた。尖った耳をしており、おそらくノームではないだろうか。
『ヴェスパーに依頼をしたい』
「そちらさんのことで?」
 ノームの視線がレパルスに向けられ、ダンテはうなずいた。
『彼の飼い主が、ジョセアラに連れていかれた』
「ああ、それはそれは・・・・・・報酬は?」
 ダンテが指を三本立て、ノームはぐるりと眼球を回した。
「大盤振る舞いですな」
『なるべく、彼の意向を通してほしい』
「わかりました」
 ノームは書類に『至急』と判を押すと、ダンテにサインをさせて処理を済ませた。
「承りました。どこにいます?」
『俺の部屋で待ってる』
「了解しました」
 それで手続きは終わったのか、ダンテはレパルスを連れて、さらに奥へと進んでいく。槍を交差させて道を塞ぐ鎧の番人も、ダンテには道を開けて通すので、ロビーにいる人ならざる者たちからの視線がチクチクと気になっていたレパルスは黙ってついて行った。
 レンガ造りの頑丈そうな建物は、内装も立派できちんと掃除が行き届いており、警備の厳重さから、ようやくそこが町長の公邸なのだとレパルスにも察しがついた。
「ここに住んでいるんですか?」
 こくり、とフード頭が首肯し、小さな部屋にレパルスを招き入れた。ベッドとクローゼットと書き物机の他には、脇に寄せられた小さな腰かけ椅子があるだけ。質素と言えば質素だが、人外ばかりの町の公邸で、人間一人の為に用意されていると考えれば破格の待遇だ。
 ダンテは書き物机の椅子にレパルスを座らせると、自分は腰かけを引っ張ってきて、机の上に大きなノートを広げた。煌びやかな装丁で、本来はもっと格式高い書き物に使用されるのだろうが、もっぱらダンテの会話用に使われているらしい。白紙の見開きページに、黒いインクがさらさらと連なっていく。
『順番に説明するぞ。質問は後にしてくれ』
 ダンテの説明によると、サマンサを連れ去った魔女ジョセアラは、トランクィッスルでも指折りの実力者で、ダンテやレパルス程度では全く歯が立たない相手である。ジョセアラは人喰い魔女だが、同族のサマンサに危害を加えることはないはずで、彼女自身が言っていたように、研究に協力させたいだけだろう。
 ジョセアラの家は、深い森の中どころか、谷をひとつ越えねばならず、慣れない人間の足では丸一日かけても到達できるかわからない。また、町を覆うエルフの結界から一歩でも外に出れば、町の法に縛られない怪物や獣がうろついているので、無事に帰ってこられる保証もない。
 以上の事から、人間のレパルスはサマンサが帰ってくるまで町で待っているのが、二人が生きて再会する最も確実な選択だが、飼い主からはぐれた人間が、何日も一人でウロチョロしていられるほど、この町は人間にとって安全ではない。
『早期解決には、より上の実力者、つまり町長のヴェスパーを頼るのが一番だ』
「なるほど・・・・・・」
 理解も納得もしても、自分でサマンサを追えないレパルスには歯がゆいばかりだ。
「町長にはいつ会えます?」
『昼過ぎには起きてくるだろ。いつもはティータイム過ぎぐらいだけど』
 そういえば、ヴェスパーは吸血鬼だった。朝は苦手に違いない。
「・・・・・・・・・・・・」
『そうカリカリすんなよ、大丈夫だって。あ、俺が嫌いなものはムール貝な。あのヒゲ部分がどうもダメなんだわ』
「聞いていません」
『なんだよ、友達なのに片方だけが嫌いな物を知っているなんて、フェアじゃないだろ?た・ま・ね・ぎ』
 ぶんっ、と振られたレパルスの拳を、ダンテはすれすれで避けた。
「ハッ、ハッ・・・・・・グカッ、ハッ・・・・・・」
「なぜわかった・・・・・・。それに、私はあなたと友人になった覚えはありません!」
『えええーーー!?二回も助けたのに!?自室にも招待したのに!?人間だし、年も近そうだし、仲良くなりたいんだけど!?』
 ガリガリとペンが走るノートが、割と正論で文句を垂れて喧しい。意外と悪い癖がなく、読みやすい大きさの字が、どんどんページを埋めていく。
『あ、俺はレパルスから直接名前聞いてないや。いまさらだけど自己紹介しよう!俺はダンテ・オルランディ、よろしくな』
「はぁ・・・・・・あなた、結構おしゃべりなんですね」
『自由意思のある人間と会話するのは、だいぶ久しぶりだからな』
 この町にいる人間のほとんどは、従順な家畜にされた生餌だ。ダンテが近づいて話しかけたとしても、反応が返ってくることは滅多にないらしい。
『可哀そうだけど、人間社会に戻っても幸せかどうかなんてわかんないし、生活環境が悪くないか、なるべく顔を見に行ったりはしているんだけどな』
「そうですか・・・・・・」
 無理やり連れてこられたのだとしても、それまでの環境が苦痛を伴うような劣悪なものだったのならば、自由はなくとも穏やかに生きていられる今の方が幸せかもしれない。レパルスはといえば、もちろんサマンサと離れて暮らすなど考えられない。
『俺もまぁ、生餌ではあるんだけど、ちょっとややこしくてさ。俺は喰われてもあんまり痛くないけど、そっちは痛そうだな』
「えっ」
 ダンテが、自分の首筋をとんとんと指差して見せる。レパルスは思わず、シャツの襟に隠れきれない、赤い皮膚の引きつりに手を伸ばした。