もう一度あの町へ −3−


 デスクに積み上がったサイン済みの書類をわきに寄せ、ヴェスパーはホルトゥス地方の地図を広げた。
「にわかには信じがたい話だが、あのちっこいのの魔力なら、さもありなん」
「知っていたか、クラスター?彼女は“落ちこぼれ”として名があるらしいぞ」
 ヴェスパーの執務室であることなどお構いなしに、酒を片手にソファでくつろぐクラスターは鼻で笑った。
「フン、馬鹿馬鹿しい。何処情報だそりゃ」
「ジョセアラも世代と魔女団が違うから、噂でしか聞いたことはないらしい。なんでも、壊滅的に魔法のコントロールが下手なんだとか」
「ぶはははははっ。そりゃ無理もねぇわ。氷河連山を背負ったバカでかい湖に、人間が作ったちゃちな水門がくっついているようなもんだぞ」
「なるほど。それは制御できるはずがない」
 ポテンシャルに対して端末が未熟すぎるのだ。狭い通り口から出力しようとすれば、勢いが付きすぎてしまうのは当然の成り行きと言える。クラスターの見立てでは、サマンサは「可能性は五分だが化けないことはない」逸材らしい。
「木製の水門が、せめてドワーフの鉄製水門になったら・・・・・・まあ、化けたら化けたで、とんでもない大魔女になりそうだが、それを“落ちこぼれ”か。節穴な目が多いな」
「クラスターほどよく見える目を持つ者は少ないということだ。・・・・・・ふむ、そうすると、みんなと同じことができないから落ちこぼれ、という評価方法には問題があるな」
「学校か?お前の思い付きが未来で実現しているとは思わなかった」
「生存戦略としての方向性は合っているようだが、内容をもっと詰める必要がある。これもダンテに意見を聞いてみよう」
 デスクのわきに置いてあるメモ帳にさらさらと書きつけて、ヴェスパーは再び地図に目を落とした。そこには山がちで険しく深い森林に覆われた、広大な領地の俯瞰図があった。
「現在地が旧市街になるのがいつになるかはわからんが、新市街には外地から大きな交通機関が入ってくる・・・・・・とすると、町を広げる方向からして・・・・・・関を築きやすいのはこの辺りか・・・・・・」
「トランクィッスル五百年の計か」
「私に子供ができるなんて想像もつかないが、その前に私が二代目として爵位を継いでいる方が・・・・・・まぁ、順当なこととはいえ驚きだ。あのピンシャンした男が滅びるなど、一千年は先かと思っていたのに」
「お前じゃないヤツが、二代目になっている可能性もあるしな」
「嫌なことを言うな」
 未来のトランクィッスルを旅したという二人は、現地は二代目の伯爵が治めていたと言っていたが、伯爵家の者には会っていない。二代目の息子の従者に案内されただけだ。ヴェスパーが廃されて、全くの他人が継いでいる可能性だってある。
「あの二人がこっちでしゃべったせいで未来が変わる、なんてことになってなきゃいいな」
「そもそも、あの二人が本当に未来に行ったと思うか?」
 ヴェスパーの問いに、クラスターはシャープな顔立ちに苦笑いを浮かべた。
「ちっこいのが頭にしていたスカーフと、人間の腕にあったバングル・・・・・・この時代の誰が作れる?俺は見た事ねぇな。特にあのバングルは、見た目はアダマンタイトだが、その実もっとすげえ何かだ。合金かもしれん。やたらと硬そうだが、それでいて、内包魔力はミスリル銀よりはるかに上ときている・・・・・・何を材料に、どうやって作ったんだ?」
「だよなぁ・・・・・・」
 ヴェスパーもスカーフの刺繍が伝統的なエルフのパターンに似ているとは確認できたが、そもそもの素材の高品質さに目を疑ったほどだ。絹布のように見えたが、どんなに上手いアルラウネでも、あんなに密で滑らかな生地は作れまい。
「あれを土産に持たせられるとは、未来の住人は、よほど太っ腹と見える」
「それだけ豊かな町にできるってこった。頑張れよ、町長殿」
「おうふ・・・・・・」
 デスクに突っ伏したヴェスパーを笑い、クラスターは自分たちのねぐらに帰還すべく町長の公邸を辞した。
 一歩ごとに重くなる足音が、最後に踏み切ると同時に、強い風圧が街路を駆け抜け、ヴェスパーが立つ窓辺にもビリビリとした衝撃が伝わってくる。住人たちの性質上、眠らない町ともいえるトランクィッスルの星空に、黒く雄大な影が飛翔し、やがて山岳地帯の方へと消えていった。
「・・・・・・さて、困ったものだ」
 作ったばかりの町と転移門が壊れる予言など、縁起が悪い、聞きたくないと耳をふさぐこともできたが、それを実行できるほどヴェスパーは愚かではなかった。
「私は『門が壊れてモンスターの巣になる』ことしか聞いていない。いつ、どうして起きるのかも、巻き込まれる住人の数や規模も知らない・・・・・・ならば、事象を回避できないとしても、被害を最小限に抑えることは出来るはずだ」
 トランクィッスルと住人たちを守ることが、ヴェスパーの責任ある仕事であり、ノーブルとしての権利でもあった。


 突然上がったサマンサの大声に、レパルスはびっくりして持っていたブラシを落としかけた。
「どうしました、サミィ?」
「私、あの人知ってるわ!!!どこかで見たことあると思ったのよ!!」
 レパルスに髪を梳かしてもらっていたサマンサは、くるりと振り向いてぱたぱたと腕を広げてみせた。
「取り巻きがいっぱいいたし、ちらっとしか見えなかったけど、あの人、ドラゴンのお城にいた偉い人だわ!そうよ、族長って呼ばれていたもの!」
「はあ?」
 サマンサは未来のトランクィッスルで龍族の宴会に連れていかれた時に、あのクラスターを見たという。直接言葉は交わさず、サマンサとレパルスが連れてこられているのを、遠くから眺めていたらしい。
「昨日見た時は若かったから、すぐに思い出せなかったよ!」
「なるほど・・・・・・未来にいた族長殿は、私たちのことを知っていたから、余計な接触を避けたのですね。不用意に情報を過去に持ち帰って、歴史が変わってはまずい・・・・・・」
「えっ、私たち昨夜かなり色々しゃべっちゃったわよね?どうしよう、レパルスぅ!?」
「そう言われましても・・・・・・とりあえず、これ以上未来のことを話すのはやめておきましょう」
「ああ、もうっ、ややこしくて頭が変になりそうよ」
 サマンサはぷくっと頬を膨らませたままスカーフで髪を止め、スカートの裾をはらって床に降り立った。
 今日の二人は市場に行く予定だ。商店が立ち並ぶ街路には、食品も日用品も、魔法の道具もそろっているらしい。
「私、今回は自信あるのよ」
 むふふふっ、とほくそ笑むサマンサは、未来のトランクィッスルから持ち帰った書籍のおかげでコツをつかみ、アイテム作りに一定の上達を得ていた。簡単な日用マジックアイテムなら、以前は五割がせいぜいだった成功率を、九割まで引き上げるという、目覚ましいものだ。・・・・・・見た目の不格好さは、相変わらずだったが。
「この調子でバンバン稼ぐわよ!」
「そうですね、この時代ではリソマイン原石はあまり高く売れないようですし・・・・・・ぜひ、そうあって欲しいです」
「はうぅっ」
 一年足らずの内に、小さな革袋いっぱいにたまってしまった星形の小石の重みは、サマンサによって爆発した部屋をレパルスが片付けた回数を察せられるに十分だった。
 二人がさあ出掛けようと部屋のドアを開けると、宿の入り口の方がなにやら騒がしい。何かトラブルだろうかといぶかしみながらも、そこを通らないと外に出られないため、必然的に騒ぎの元凶と顔を合わせてしまうことになった。
「あぁら、愚図のサマンサじゃない。ごきげんよう」
「ハァ?なんでアンタがいるのよ。目障りね!」
「ごっ、ごきげん、よう・・・・・・」
 気の強い魔女たちの威嚇に委縮したサマンサは、思わずレパルスの長身に隠れてしまった。情けないし、悔しいとは思うのだが、彼女たちの方が魔女として優秀なのだ。
「まさか、人間あれがいるせいで二人部屋が使えないなんて言わないわよね!?」
「先のお客様がいらっしゃるのに、お部屋を融通することなどできません」
 魔女たちが居丈高に怒鳴ると、あの優しそうな女将がフーッと唸る。どうやら彼女たちは、この宿の評判を聞いて利用したかったようだが、あいにくと個室をサマンサたちが使っているために、大部屋しか空いていなかったようだ。
「冗談じゃないわ!」
「ねえ、サマンサ?あなたこれから出かけるんでしょ?この宿を引き払って」
「えっ・・・・・・」
 ここでサマンサがうんと言ってしまえば、二人は今夜からの宿を探し直さねばならない。だが、嫌だと対抗すると、宿に迷惑をかけてしまうのではないか。
「騒がしい、厚かましい、図々しい・・・・・・そういうイメージが魔女全体に定着されると、困るんですよね。大変、迷惑です」
 サマンサがどうしようとモタモタしているうちに、レパルスが目を据わらせて低い声を出したので、余計に慌ててしまう。
「レパルスっ!」
「厚かましいですって!?」
「ハッ、食肉がなにか言ってるわ。いいわ、こんな獣臭い宿なんて、やめよ」
 諦めたらしい魔女たちが、コソコソ囁き合いながらエントランスから出ていき、そして振り返りざま、杖が掲げられた。
「獣肉の臭み消しには、玉ねぎがいいわよね?」
「!?」
 首の後ろと尻尾をけば立てた従業員たちが、ギャッと叫び声をあげて奥へ逃げ出すのとは反対に、サマンサを小脇に抱えたレパルスの長い脚が前へと踏み出した。
 開け放たれた出入り口の向こうで、中空に大量増殖する皮むき玉ねぎの群れが、魔女たちのニヤニヤ笑いを隠していく。
「サミィ、撃ってくださいッ!!早く!!」
「えっ!?えっ!?い、いゃぁああっ!!」
 ばぉぅうううん、という爆音を伴った火柱が、万来亭のエントランスから吹き出し、宿の中を埋め尽くさんとしていた大量の玉ねぎを焼き消していった。辺りにはバーベキューされた玉ねぎのいい匂いが漂ったが、少々の焦げ臭さと目に染みる煙も残った。
 魔女たちは逃げたのか、万来亭の表には、あっけにとられた通行人たちがこちらを見ているばかりだ。幸い、向かいの建物にも焦げ付きは見て取れない。
「はぁ・・・・・・サミィ、お手柄です!」
「え?えぇ?」
 レパルスはぐっと拳を握りしめてサマンサを労ったが、飛来する玉ねぎたちに思わず炎をぶちかましただけの当人は、イマイチその功績がわかっていないようだ。
「グッ・・・・・・グッ・・・・・・ガハッ、ハッ、アッ」
 巨大なヒキガエルが鳴いているかのような低く濁った音に二人が視線を巡らせると、そこには壁に寄りかかって肩を震わせているフード姿があった。