もう一度あの町へ −2−


「えっ、ダンテはんの紹介で!?おおきに、おおきに!」
 さび柄で片耳が削れている猫が差し出した台帳に名前を書いていると、受付カウンターから女将を呼ぶ声が響き、にゃーにゃーと賑やかな宿の奥から、にこにこと柔和な笑顔の女が出てきた。モスグリーンの頭髪からは、やはり猫の三角耳が飛び出している。
「いらっしゃいませ、お二人様。大変申し訳ないのですが、安全のために個室のご案内でよろしいですか?お代は勉強させていただきますので」
 宿はベッドが並んだ大部屋が普通であり、見知らぬ旅人との雑魚寝など当たり前である。しかし、そこに人間のレパルスを混ぜてしまうと、いらぬトラブルのもとになりかねない。宿側の配慮は当然のことで、二人は一も二もなく了承した。紹介があったためか、部屋代を安くしてくれるというのもありがたい。
 宿屋万来亭は、ケット・シーがオーナーを務めており、従業員は全員猫の化物なのだとか。ここなら人間連れでも嫌な顔をされないと教えてもらったとおり、人間社会に近い場所で生活する彼らにとって、人間はあまり忌諱する相手ではないのだろう。
「そうですねえ、時には行き違いやら、いわれない迫害もありますけど。おおむね、仲良くさせてもらっているのではないでしょうか。この町には、人間は少ないですけど」
「あのダンテさんという人は、ずっと住んでいるんですか?」
「ずっとというか、去年の秋頃でしたよ、この町に来られたのは。ダンテさんがトランクィッスルに住まなかったら、お客さんたちもこの町には入れなかったから、ようございましたねえ」
「えっ、そうだったの・・・・・・!?」
「ええ。この町に生きた人間が入れるようになったのは、つい先々月からですよ」
 目を丸くしたサマンサに、レパルスは知らずに転送魔法を使ったのかと額を押さえた。おそらく、レパルスを連れていたために町から拒絶されたサマンサの転送魔法が、本来ならば即時失効するところを、出力過多の勢い余って滑って転がりまくり、なんとか着地したのが、前回訪れた未来のトランクィッスルだったのだろう。
「おかしいと思ったのよね!私の魔法は間違ってなかったもの」
 宿を定めて落ち着くと、お腹が空いたサマンサはレパルスを連れて、宿近くのレストランに飛び込んでいった。町のパンフレットを見ていたレパルスが、それとなく「別の店にしませんか」と言ったが、空腹に我慢のできなかったサマンサは、さっさと空いている食卓に陣取ってしまった。日も暮れてきて、レパルスも不慣れな場所を暗い時間に歩くものではないと自分を納得させて向かいに座った。
「最初によく確認していれば、あんな面倒を起こさずに済んだのですが・・・・・・」
「ぶーっ!!楽しかったんだからいいじゃない。未来のトランクィッスル、とっても素敵だったわ」
「それには同意します」
 サマンサは楽しげに、レパルスは眉間にしわを寄せて選んだ夕食のメニューは、「白トカゲのグリル」「氷月草とラディッシュのサラダ」「大ミミズの舌スープ」「爆笑バジルパン」・・・・・・などがテーブルに並び、とにもかくにも、無事にトランクィッスルへ到着できたことを祝った。
「それにしても、あの転移門いつ壊れちゃうのかしら?私、あの門を使って帰るつもりだったのだけど・・・・・・」
 蜂蜜シェイクを片手に困惑するサマンサに、レパルスは問題ないだろうと肩をすくめてみせた。
「まだ新市街地も出来ていませんし、数百年未来に生きている人が「だいぶ前」とだけ言っていたのですから、いまから五十年百年は心配いらないのでは?」
「それもそうね」
 店の中は賑やかで、二人は互いの声に身を乗り出さないと聞き取りづらいほどだった。ざっと見回しただけでも、身体の大きな種族もいれば小さな種族もいて、言語もバラバラだ。サマンサには聞き取れるのかもしれないが、レパルスには理解不能な言葉が飛び交っており、もしかしたら通行証さえあればよかった未来のトランクィッスルよりも、現在のトランクィッスルの方が、人間のレパルスにとっては危険かもしれない。
(なるべくトラブルは避けたいところですが・・・・・・)
 そう自戒をしつつも、サマンサのことになるとたいてい自分から腕力に物を言わせにいっている自覚があるうえに、改める気は毛頭ないレパルスである。ますます、トラブルを事前回避することが重要だろう。
「・・・・・・でね、レパルス」
「え?すみません、もう一度・・・・・・」
 聞き直そうと身を乗り出したレパルスの目の前を、なにかがヒュンと横切っていった。
「ッ!?」
「ひゃっ!?」
 レパルスの金色の前髪をかすめて飛んでいった食器は、二つほど隣のテーブルに直撃して、料理を薙ぎ飛ばしながら木端微塵になった。
「なにしやがんだ・・・・・・!」
 怒った客が席を立ったが、反対側ではすでにそれどころの騒ぎではなくなっていた。
 人間のように見えるが妙に背が高い半裸の男たちが、ジョッキや酒瓶を片手にまわりのテーブルを巻き込んで騒いだり絡んだりしていたのがエスカレートしたようで、もう半分乱闘の様相を示していた。怒号と野次と下品な笑い声に加えて、コップやフォークや料理が乗ったままの皿すら宙を舞ってきた。
「きゃっ」
「サミィ、テーブルの下へ!」
 サマンサがレパルスに言われた通り、頭を抱えてテーブルの下にもぐりこむと、すぐそこに上品な服装をした若い男が胡坐をかいて座っていた。その手にはソーセージの皿が乗っており、うんざりした顔でフォークを突きさしている。
「まったく、彼らにも困ったものだ。お嬢さん、しばらくそのままでいるといい」
 おそらく、隣のテーブルにいた客だろう。艶やかな黒髪と青白い肌をした青年は、サマンサが思わずあっけにとられるほど、玲瓏たる美貌の貴公子だったが、態度はあけすけでこの騒ぎにも慣れた様子だ。
「こ、ここに住んでいる人かしら?この店ではよくあることなの?」
「この店というよりは、彼ら限定だね。ケンタウルス族はただでさえパリピなのに、揃いも揃って酒癖が悪くてかなわんよ」
「ケンタウルス・・・・・・?」
「言われてみれば、馬の脚が見えますね」
 長身をテーブルの下に押し込んできたレパルスが言う通り、色々な脚に混ざって馬の集団が見える。
「この店は、ある程度体の大きな種族でも入れるように造られているから、ああいうのが出入りしやすい、というのは否めないが、なにしろここで出してくれるブラッドソーセージが大好物で・・・・・・」
 青年はフォークを操って血色の良い唇に黒褐色のソーセージを放り込み、もっきゅもっきゅと幸せそうに咀嚼する。
 三人の周りでは、飛び散る料理に悲鳴に、逃げ出す客の足音がどたばたと、まるで濁流のようだ。
「しかし困りましたね。このままでは身動きができません」
「んもう!まだデザートのタルト食べてないのに!!」
「ふむ、二口鵞鳥ふたくちがちょうのエッグタルトだね?あれ美味しいって評判だよ。お嬢さんは、お目が高い。なに、すぐに治まるよ。なにしろ、私の連れがそのうちここに・・・・・・」
「ギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
 断末魔のような絶叫に驚いてサマンサとレパルスは振り向いたが、テーブルと椅子の脚が邪魔で良く見えない。叫び声のあとは潮が引くようにしんと静まり返ってしまい、あれだけうるさかった店内がうそのようだ。ただ、ぽつりぽつりと「黒竜だ」「族長か」という、恐れと驚きを含んだ囁き声が漂ってきた。
「ほらね。もう大丈夫だよ」
 首にかけていたナプキンで口元を拭った青年が、空になった皿を持って立ち上がったので、二人もそっとテーブルから頭を出してみた。
「なっ・・・・・・」
「うそぉ・・・・・・!」
 ゆるい人だかりの中で、ケンタウルスの一頭が、高々と持ち上げられていた。頭部が逆さまになってしまったケンタウルスは、持ち上げている者の手指が馬の胴体に喰い込んで身動きが取れず、実に痛そうな悲鳴を上げている。
「殺すなよ、クラスター。馬の脚は繊細だ、骨折なんてさせたら可哀そうだよ」
 倒れた椅子を起こして優雅に腰かけた青年が、転がっていたビンから黒ビールをグラスに注ぎながら釘を刺すと、鍛え抜かれた刀身のように美しい声が返ってきた。
「仲間に見捨てられて死んだら、食料としてもらって行くがいいか?」
「だから殺すなというに。死にそうな怪我をさせるのもダメ」
「やれやれ。美味そうだと思ったんだがな」
 周囲のどよめきの中で半人半馬が床に降ろされると、すっかり酔いが醒めたらしいケンタウルスたちは、我先にとレストランから走り出していった。
「あ、店の弁償はさせるからな!!覚えとけ!!」
「小悪党じゃあるまいし。覚えとけはねぇだろ、ヴェスパー」
「はぁ・・・・・・無法世界の住人が警察を作るのもナンセンスだと思うんだが、治安維持のためではなぁ・・・・・・」
「ご苦労なことだ」
 酔っ払いケンタウルスを持ち上げていた男が悠々と歩いてきて、さっきまでソーセージを貪っていた青年の向かいに座ると、木製の椅子がギシリと辛そうな音を立てた。レパルスを凌駕する立派な体格の男ではあったが、馬一頭を軽々と持ち上げるような化物には見えない。着ている物は連れに比べて簡素で、毛先の跳ねたくせのある長い黒髪が背まで垂れている。
「で?」
「色々と話したいことはあるのだが、そんなことは置いておいて、実に興味深いトピックに遭遇した」
「ほう?」
 好奇心旺盛なキラキラと輝く紫の目がサマンサとレパルスを捕らえると、獰猛な笑みを湛えた偉丈夫もそれに倣った。
「私はヴェスパー・ミルド。この町の長を務めている。こっちのデカいのは、この辺りの竜族を取りまとめているクラスター。旅の方には『数百年未来のトランクィッスル』について、ぜひお聞かせ願いたい」
 トランクィッスルを擁するホルトゥス地方を治める領主の息子は、赤い唇から牙をちらつかせながら、二人に微笑んでみせた。