もう一度あの町へ −1−


 初トライが大惨事になったことを踏まえ、確実に行ける場所を経由しながらの旅行計画は功を奏し、サマンサとレパルスは大きく道を間違えることなく、トランクィッスルに到着することができた。
 森の中の行き止まりに建てられた『ここよりトランクィッスル』の看板には戸惑ったが、そのまま進んだら踏み慣らされた道が続き、目の前には跳ね橋を備えた門が現れた。
「以前見たトランクィッスル駅ほどではありませんが、まるで砦のようですね」
「でも、中にいる人も周りの人も、いろんな種族がいるわ。トランクィッスルに来たって感じがするわね」
 他の荷馬車や異形の旅行者たちに混じって通関手続きを待っていると、二人の馬車は岩石の鎧を着たスプリガンに止められた。
「止まれ!お前たちはこっちだ」
「はあ」
「なにかしら?」
 石斧や石槍を担いだスプリガンたちに誘導されて馬車を下り、二人は六ヤード四方ほどの部屋に通された。そこにはスプリガンの他に剣を佩いたエルフや猿のように毛深い獣人がおり、きょとんとしている二人を手招きした。
「キミは魔女で、そっちは人間だな?」
 少し戸惑った様子のエルフの青年に確認され、サマンサはうなずいた。
「そうよ」
「関係は?」
「え?家族だけど?」
 エルフの青年が眉間に思いっきりしわを寄せて獣人を振り向くと、獣人は「ゼンシ」と変わったイントネーションで答えた。
「親子には見えないが・・・・・・夫婦なのか?」
「えっ!?あ、あのっ、私は・・・・・・!」
 真っ赤になってぱたぱたと腕を振るサマンサに、レパルスは少々言いにくそうに助け舟を出した。
「サミィ、たぶんそういう関係のことではないと思います。私は彼女の使い魔です」
「あ、う・・・・・・」
 魔女の使い魔として人間はランクが低いので、同じ魔女たちからいつも馬鹿にされているサマンサには少々酷な質問であった。しかし、しょぼんと項垂れたサマンサをよそに、エルフの青年は事務的な表情に戻って、てきぱきと冊子をまとめて差し出してきた。
「そうか、ならばいい。この町では、外の州とは少々法律が違う。冊子にまとまっているから、身を護るために一読しておくように。トランクィッスルには、食肉としての人間の持ち込みは、解体された死体のみとなっている。また、精気を提供する生餌としての人間もいるため、出歩くときは注意せよ。他の住人に喰われんようにな」
「わかりまし・・・・・・」
 手を差し出して前に進みだしかけたレパルスが、ばね仕掛けのように元の場所まで飛び退ってサマンサを抱え込んだ。
「きゃあ!?」
 レパルスは自分の身体を盾にして、自分たちに向けられた鋭い気配を辿ろうとしたが、一瞬のことだったのか、もうその部屋のどこからも害意は感じ取れない。天井や壁の隠し窓、それらがあったとしても、レパルスには視認できなかった。
「人間にしては良い反応だ。それならまあ、いきなり街中で死にはしないだろう。困ったことがあれば、町長の家を訪ねることだ」
 自分を試したのかとレパルスが憤る前に、エルフの青年はまとめた冊子を手渡して、さっさと二人を小部屋から追い出した。
「良い休暇を」
 そんな声を背中に、スプリガンに急き立てられながら、サマンサとレパルスは自分たちの馬車に戻された。荷物は弄られていないようだ。
「普通に来ると、こんな対応されるんですねえ」
「いきなりモンスターに襲われるより、ずっとマシよ」
 前回、右も左もわからない状態で瀕死になったレパルスは、たしかにその通りだと頷いた。
「やっと着いたわー!」
 最後の町から三日三晩馬車に揺られてお尻が痛かったサマンサは、爽やかな青空に向かってうんと背伸びをする。
 砦の門を抜けて道なりにしばらく進むと、大きく開けた広場に出た。広場にそびえる大きな転移門は、瀟洒な佇まいで行き来する人々を見下ろしている。前回訪れた時は、すでに廃墟となり怪物の巣になっていた旧市街地だが、いまはまだ出来立ての清潔さに溢れていた。
「見覚えがあるわね!」
「ええ」
 まずは厩に馬車を預けて世話を頼み、滞在先をどこにしようかと貰った冊子を広げる。主要庁舎やバザールの位置も載っており、サマンサの手元を覗き込むレパルスには、地図も簡単ながらわかりやすく見えるのだが・・・・・・。
「サミィ、そんなに地図をぐるぐる回して、わかりにくくないですか?」
「えぇ?・・・・・・だって、今どっちを向いているのか・・・・・・」
 そう言いながら、サマンサは自分もぐるぐる辺りを見回すので、東西南北すらわかってなさそうだ。
「きっとこっち・・・・・・きゃっ」
 地図を逆さまに持ったまま振り仰いだサマンサが、通行人にぶつかって跳ね返され、レパルスの腕の中に飛び込んできた。持っていた冊子がバラバラに散り、持ち手を失った杖がぽこんと頭に当たる。
「きゃん」
「大丈夫ですか、サミィ?すみませ・・・・・・」
「いてぇじゃねーかぁ」
 二人を見下ろしてきたのは、レパルスよりも縦横に大きなミノタウルスの男だった。
「うぅ、ごめんなさい・・・・・・」
「おぉ?美味そうな匂いがすると思ったら、人間じゃねえか!そいつをくれれば許してやっていいぞ、ちびっ子?」
「だ、ダメよ!レパルスは私のなんだから!」
 杖を抱えて頭をさすりながらも、サマンサはレパルスの腕の中で気丈に言い返す。しかし、筋肉の壁は彼女には少し怖い。しかも、牛の頭の鼻息が荒い。
「なんだよぉ、誠意がねぇなぁ。腕の一本くらいかまわねぇだろ?」
「ダメよ!」
 杖を構えるサマンサを抱きかかえながら、硬い角のある旅行鞄を握りしめたレパルスの目が据わっていく。
「・・・・・・あん?」
 しかし、伸ばされたミノタウルスの太い腕は、比較して小さな人間の手にそっと止められた。
「・・・・・・・・・・・・」
「なんだぁ?」
 クロスボウを背負ったその人影は、すっぽりと大きなフードをかぶり、マフラーのせいで顔もよく見えない。人間と同じ四肢を持っていて、体格はレパルスよりも小柄なようだ。
 その人物はミノタウルスに向かって無言で首を振り、サマンサたちに向かっては「行け」とでも言いたげに手を振った。
「なんだこらぁ?お前が代わりに喰われてくれるってかぁ?」
 フードの人物はサマンサが持っていた冊子と同じものを広げ、とんとんと指先で示して見せた。そこには、「食堂等で供されるもの以外で、街中での捕食を禁ずる」とある。
「そうかそうか。それじゃあ・・・・・・厨房へ行こうじゃねえか!」
 ぶんっ、と音を立て振られる腕をフード姿はひらりとかわし、低い姿勢から何かを牛面に投げつけた。ぱきゃっという乾いた破裂音に続いて、なにかの液体が飛び散る。
「ひぎゃあああああああああ!!!!」
 自分の顔を押さえて叫ぶミノタウルスは、どしんどしんと地団太を踏み、よろめきながら逃げていった。
「はぁ、助かったわ。なにを投げたの?」
 割れて地面に落ちた、卵の殻のような入れ物を指先でつまんで、サマンサはすぐに投げ出した。
「これ、ペパーミントね?」
 爽やかだがツンとした刺激臭を漂わせる内容液が、指先に少し付いただけでスースーヒリヒリして、慌てて服で拭うサマンサに、フード頭は首肯した。大量のペパーミントを使用して作ったミントチンキを顔面に塗布されたら、それはひどく痛むだろう。
 ミントとアルコールの匂いが風に乗って消えていき、フード姿も踵を返して立ち去ろうとするのを、レパルスが呼び止めた。
「あれを追い払ってくれたのは感謝しますが、貴方はさっき、私たちにその弓を向けましたよね?」
「え?」
 フード姿が意外そうに振り返り、背負っているクロスボウが背に隠れる。
「先ほど砦の中で、私とサミィを狙いましたね?」
 砦の部屋でレパルスを警戒させた気配は、殺意とは言わないが、研ぎ澄まされた強いもので、いままでに感じた事のない奇妙な熱があった。そして、目の前で完全に向き直ったフードの人物は、ミノタウルスを追い払った時に同じものを放っていたのだ。
 フード頭は反論することなくあっさりと頷き、両手でクロスボウを構える仕草をして見せ、その狙いをレパルスから、彼が背中にかばっているサマンサへと向けた。
「っ・・・・・・」
「いい度胸です。一度ならず、二度までも彼女を狙った。その代償を払う準備があるようですね」
 声音が地面を這うレパルスに胸倉をつかまれたフード姿の足が浮きかけたが、それ以上吊り上げられる前に、驚いたレパルスの力が緩んだ。
「ぁ・・・・・・!」
 サマンサが悲鳴を上げかけて口を覆ったのも無理はない。フードが外れて現れた頭部には、冗談のように数本残っているだけで髪はなく、焼けただれた肉が赤やベージュや紫のまだら模様を晒していた。眉もまつ毛も無く、歪んだ瞼の下には少し白く濁った青い目があり、耳も鼻も溶けたようにひきつっていた。
 どうして生きていられるのか不思議なほどの火傷痕を晒した人物は、慌ててフードをかぶり直し、肩に斜めかけしていた黒板に白墨を走らせた。
『驚かせてごめん』
 さすがに毒気を抜かれたレパルスの手から解放されると、フード姿はさらに黒板に書きつけた。
『無礼な仕草をして悪かった』
「あなた、しゃべれないのね?火傷のせい?」
 レパルスの背から恐る恐る覗きこんでいるサマンサに向かって、フード頭が首肯する。そして、トランクィッスルの冊子を広げ、「宿屋万来亭」を指示した。
『ダンテの紹介だって言えば、人間連れでも邪険にされないと思うよ。客層も比較的いい』
「ありがとう!」
「・・・・・・あなたは、人間ですか?」
 やや疑わし気なレパルスに、ダンテは肩をすくめて頷いた。
『素手でミノタウルスに挑もうとする人に言われたくない。実はクマかライオンが化けているって言われても驚かないぞ。自覚ないだろ』
「は?」
「そうよ。レパルスは強いんだから」
 サマンサは自慢げに胸をそらすが、奇妙な褒められ方をしたレパルスの表情は微妙だ。レパルスに正面切って、ここまであけすけに物申す人間が珍しかったのもあるだろう。
『ここにいるのは人間より強い連中ばかりだ。まともにやり合おうと思うな。トランクィッスルにようこそ。良い旅を』
 ひらひらと手を振って去っていくフード姿を、レパルスはやはり疑わし気に眺めている。
「どうしたのよ」
「あの目で見えているのが不思議で・・・・・・ぁ、いえ、なんでもありません。とりあえず、宿に行きましょうか」
「ええ!」
 地図をさかさまに持って明後日の方向へ行こうとするサマンサの手をレパルスが引き、二人はダンテに教えられた宿屋にむかうのだった。