導きの星は見守る ―1―


 お互いに肩を寄せ合い、涙を浮かべながらも真剣な表情でタブレット端末に見入る夫婦を前に、ラウルはソファに座って静かに待っていた。
 郊外に建つファミリータイプの家は、夫婦二人で住むには、少し広すぎるかもしれない。開放的なリビングの壁にもチェストの上にも、彼らの娘の写真が飾られていた。両親に似た、金色の長い巻き毛と、新緑のように鮮やかなグリーンの目をした白人の少女は、どの写真でもキラキラとした笑顔をレンズに向けている。
 だが、いま彼らが見ている映像には、それらの写真とはずいぶん違う姿の愛娘が映っているはずだ。キャッキャッと楽しそうな子供たちの音声は、クラスメイト達と遊ぶ少女のシーンであるだろう。ラウルが届けた動画には、授業中の様子や、寮での生活なども収録されている。もちろん、あちこちモザイク処理だらけだが、音声だけはそのままで、これが日常の様子だとわかるようになっている。
 最後には、少女から両親へのメッセージがあった。元気でやっていること、友達ができたこと、少しずつむこうの言葉を習っていること、勉強の科目が多くて大変なこと・・・・・・それらを少し舌足らずな調子で、時々ケラケラと笑い飛ばしながら話している。
『私をトランクィッスルに来させてくれてありがとう。パパとママと、それからおじいちゃんとおばあちゃんたちにも、神様のお恵みがありますように。メリークリスマス。愛してるわ、モーリンより』
 そう締めくくられたビデオレターには、両親に会いたいという言葉はなかった。両親が自分と会いたいと思っているのか、それとも会いたくないと思っているのか、まだ十歳にも満たない子供なりに気を使ったのだろう。
「もう一回、見てもいいかしら?」
「どうぞ」
 動画を最初から見始める母親とは別に、深いため息をついた父親に、ラウルはいくつかの書類を提示した。
「これは、モーリンからご両親への手紙です。彼女の姿を見ることに抵抗があるようだったら、こちらだけお渡しする予定でしたので、内容は動画のものとほぼ変わりありません。それから、今学期までの成績のコピーと・・・・・・担任とカウンセラーの所見です。様々な姿の友人ができたので、むやみに自分の姿を怖がらなくなったのですが、政府機関に拘束され、一人ぼっちで閉じ込められた心の傷は深く、体の状態とは別にして、人間社会に戻るのはまだ抵抗があるようです」
「・・・・・・・・・・・・」
 先祖返りを起こしてトランクィッスルに留学したモーリン・ソワーズであるが、身体の状態が完全に落ち着くまでは、人間社会に戻れるかどうかわからない。いまはより人間からかけ離れた姿になっているが、笑顔を取り戻して元気にしゃべるモーリンの姿を見て、彼女の両親は何を思っただろうか。
「娘は、治るのでしょうか?」
「病気ではありませんので、治るという表現は適切ではありません」
 父親の認識の甘さは、娘の状態をいまだ認めたくないという気持ちが強いせいだと見て取り、ラウルは言葉を柔らかく変えて言い直した。
「彼女が成長して、自分の姿をコントロールできる力を備えることができたら、人間とあまり変わらない姿でご両親に会いに来ることも不可能ではないと思います。ただ、必ずそうなる、とは言い切れませんし、人間への不信感や警戒心が強いままなら、彼女が戻ることを望まないでしょう。・・・・・・現状では楽観的なことを確約できず、申し訳ありません」
「いえ・・・・・・いえ・・・・・・」
 おそらく、モーリンがこの国を離れるときに、トランクィッスル側からあった説明と、いまのラウルの説明は大差ないのだろう。もどかしいに違いない。
「・・・・・・ご両親にとって慰めになるかはわかりませんが、実は、私も両親とは似ても似つかない顔なんですよ」
「え!?」
 近所の学校で教鞭をとっていた男が人間ではないのかと目を瞠る父親に、ラウルは目元を緩めて静かに微笑んだ。
「DNA鑑定もしたんですが、確実に両親の子供です。ただ、両親のどちらにも顔が似ていないんです。病院での取り違えを疑うくらいに。ところが最近になって、やはり大昔の出来事が原因だと分かったんです。モーリンと同じように、両親のせいではありませんでした」
「そうでしたか・・・・・・それで、いまご両親とは?」
 両親のせいではない、その言葉が心を軽くしたのか、将来のモデルケースを見たかったのか、食い気味に身を乗り出す父親に、ラウルは変わらない微笑を浮かべたまま答えた。
「疎遠です。一時期、かなり険悪な雰囲気にまでなってしまいまして・・・・・・。進学を機に、私から実家を離れました。私がいるせいで、両親が互いを責めるような姿を、見たくありませんでしたから」
 口を半開きにして表情が凍った父親は、自分の行動に恥じるところがあったのかもしれない。忙しなく視線が動き、謝罪の言葉が小さく呟きになった。
「・・・・・・それは・・・・・・すみません、悪いことを・・・・・・」
「いえ、これは私の実家の場合です。顔を合わせさえしなければ、適度な距離があって、かえって仲は悪くないですよ。普通に、息子が独り立ちしたのだと解釈してくれた方が、こちらも気が楽です。・・・・・・ただ、モーリンはまだ反抗期も迎えていない児童です。彼女が自分の体と折り合いをつけるのには、まだまだ時間がかかると思います。お辛い気持ちは十分わかるつもりですが、どうか、気を長くして待っていただきたいのです」
 自分たちとは姿が違う我が子のせいで、不審と悲嘆に囲われる両親を見てきた子供の立場からの懇願に、父親は胸がつかえるようなものを呑み込む表情を手で覆った。
 動画が終了して音声が消えたタブレットを、母親が静かにラウルに戻してきた。こういう情報をみだりに州外に置いておくわけにはいかず、ラウルが届けると同時に回収することになっていた。
「ありがとうございます、先生。・・・・・・私たちにとって、娘の成長を傍で見られないのは、耐えがたい苦痛です。それでも、いまはあの子の側にいない方がいいことは、わかります。ここにいても、あの子はここまで健やかに笑って過ごせなかったでしょうから」
 娘と一緒にトランクィッスルへ移住をすることはやめた方がいいと、夫婦は最初に説明を受けていた。生活や経済の基盤を、なんの知識や心構えも持たずにトランクィッスルに移すのは、モーリン以上にストレスに違いないのだ。モザイクだらけの動画を見て、あらためてそれを納得したことだろう。明らかに、人間の姿とは思えない色形を隠していたのだから。
「女の子は成長が早いですからね。あと十年もしたら、立派なレディになっているでしょうよ。まぁ!十年なんて・・・・・・ヤダわ、その頃には私、あの子に背を追い抜かされているかもしれない。一緒に服を選べるかしら」
 母親は涙をぬぐいながら微笑んだ。覚悟を決めた眼差しがゆるぎない事を、ラウルはしっかりと確認する。
「ご両親に彼女を受け入れる意思さえあれば、モーリンは決してあなたたちを忘れないでしょう。帰る場所があるというのは、とても重要なことです。それに、ご両親と再会するという目標があれば、彼女の成長は地に足のついた、着実なものを積み上げることを苦としないはずです」
 ラウルは今後のカリキュラムについて大まかに説明し、学費と生活費の振り込み、及び奨学金制度の案内も出した。両親が娘と縁を切るというのであれば、孤児としてホルトゥス州が受け入れるが、そうでないならば金をださせ、代わりに成長の様子や便りを届ける。それが、トランクィッスルの学校のやり方だった。
 モーリンの両親は娘を見捨てず、諸費用のクレジット決済に応じた。見込みはある、とラウルは嬉しく思う。
「持ち込める物も、持ち出せる物も、限りがありますが・・・・・・なにか、モーリンに届けるものはありますか?」
「あるわ!あなた、私が用意するまでに、モーリンに手紙をお書きになって!」
「え、お、おう・・・・・・わかった」
 電子メールが主流になって、いまではすっかり物好きの趣味程度になってしまった紙の便箋に、太い指に握られたペンが不器用そうに言葉をつづっていく。その間に、段ボール箱にあれもこれも詰められるのは、温かそうなマフラーや、子供が好きそうな菓子、少し大人びたバッグや財布やハンカチ・・・・・・。母親らしい気遣いに溢れた「オカン箱」を、ラウルも微笑ましく思う。
 最後に、父親の半分の時間で倍の枚数を母親が書いた手紙を入れて、『モーリンへ、メリークリスマス!!』と大書きされ、飛行機の中で壊れたり雪で濡れたりしないようにしっかりと封をした段ボール箱が出来上がった。
「娘を、よろしくお願いします」
「はい、もちろんです。次回以降は、私が直接来るとは限りません。便りだけが郵送されてくるか、私以外の者がお邪魔するかもしれません。その時も、返信用になにか用意していただければ、届けてくれるはずですよ」
 パンパンになった段ボール箱を抱えて、ラウルはソワーズ邸のポーチに立った。外は雪が降っていて、薄暗い。時間は、まもなく夕方になるところだ。
「あのっ・・・・・・!先生も、その・・・・・・あ、いや・・・・・・」
「普通の人間ではない、かどうかということですか?」
 あまりに軽く返されたので、口ごもった父親もかくかくと頷いた。母親の方はなんてことを言うのかと叩いているようだが、ラウルは朗らかな表情を崩さなかった。
「そうですよ、と言って信じていただけますか?どちらでもいいことです。私は、一介の教師ですから」
 では失礼します、と荷物を小さなレンタカーに積み込み、ラウルは夫婦に見送られて、かつて住んでいた町を後にした。
「さっむ。早くエアコン効いて」
 エアコンはカーラジオの音すら掻き消えそうな音を立てているが、なかなか温風がやってこない。ハンドルが冷たくてラウルは顔をしかめた。タイヤはスタッドレスだが、これ以上雪が積もると危険だ。視界も良くない。だが、今夜中に空港まで行くつもりだ。午前中にたっぷり寝ておいたし、温かい飛行機の中でなら、ヨーロッパまでゆっくり寝られる。
 ハイウェイに乗り込んで慎重にハンドルをさばく。ラウルの視力なら夜闇でも見通すことができたが、雪がちらついているとそれなりに邪魔だし、まわりで走っている大型車の影や風圧もばかにならない。一人だけだからと軽く考えてコンパクトカーにせず、もう少し頑丈な車を選べばよかったと後悔した。若い教師には似合いの安い車だが、ラウルにブランドスーツを仕立ててくれたヴェスパーは大いに文句を付けそうだ。
(あれ?ガソリンが・・・・・・)
 普段乗らない車で遠くまで来たので、燃費の見当が狂っていたらしい。レンタカーの営業所に着く前にガス欠になったら、余計な時間がかかること請け合いだ。飛行機の時間に間に合わなくなる。
 ラウルは次のサービスエリアで車を停めると、ガソリンを入れるついでにスマートフォンを取り出した。ホルトゥス州が元締めとなる、人外種族たちのコミュニティの、ニューヨーク支部に連絡を入れるためだ。夜だし誰もいないかと思ったが、意外なことに通常業務中のようで、ラウルの家庭訪問が無事に完了したことを受領してくれた。
『すぐにトランクィッスルに戻りますか?』
「ああ。モーリン宛ての荷物を、ご両親から預かっているからね」
『わかりました。飛行機のチケットはどうしましょう?』
「深夜発の便を取ってあるから大丈夫。雪で飛ばないなんてことがなければ」
『了解しました。いまのところ、空港周辺の天気は落ち着いているようです。道中、お気をつけて』
「ありがとう」
 通話を切って、ディスプレイに表示されている時間を見た。まだ余裕がある。