導きの星は見守る ―2―


 ラウルは車から降りると、サービスエリアの売店でコーヒーを買って、ガラス越しに外を眺めた。そして、ふとガラスに映る自分の姿が希薄なことに気付いて、慌てて気合いを入れて影を濃くした。吸血鬼として覚醒して以来、人間の中に混じる時は、これだけは気を付けないといけなかった。
(もっとも、俺の存在自体に気付かない人間の方が多いんだけど)
 運送業のドライバーや家族連れ、あるいはライダーの集団やカップルでにぎわう店内を振り返り、ラウルは少し肩をすくめた。若いビジネスマンだとしても、一見して高価なスーツとコート姿のラウルは、夜のサービスエリアでは少し浮く。金融街やブランドショップが立ち並ぶ洒落た街なら、目立ちはしなかっただろう。
(クリスマスか・・・・・・)
 市街地にも住宅街にも、派手なイルミネーションで飾った建物が多かった。しかし、モーリンの家には玄関ドアにリースがかけてあるだけで、家の中にもツリーは出していなかった。
(何年も縁がないな)
 ラウルが子供の頃は、それは華やかなクリスマスデコレーションをしていた。しかし、高校生の頃には、ツリーの下にラウル宛てのプレゼントボックスが置かれることはなくなっていた。代わりに、離婚や死別などで親を失った遠縁の子供たちが引き取られてきて、ラウルの両親は彼らの養育にかかりきりだった。親戚の子供たちを育てることで、実子の姿を視界に入れないようにしていたのは、ラウルにはよくわかった。家の中は賑やかでも、ラウルの居場所は自室だけだった。
(やめやめ、辛気臭い)
 いまは充分幸せだ。悩みを一人で抱えることも、困難に対して孤独に耐えることもない。手に職を付けて食べていくのに困らないし、なにより、自分を慈しんでくれる人たちに会えた。自分も彼らを愛している。それで充分だ。
 少し煮詰まっているコーヒーを飲みほし、腕時計を見る。五つの宝石が文字盤に飾られており、名札付きの首輪だとクラスターに揶揄われた。それでも、ラウルはヴェスパーにもらったこの時計が好きだった。
(愛されているって、勇気が出るな)
 なぜそんなことをする気になったのかはかわからない。自分は幸せだと見せつけてやりたかったのかもしれない。意味なんてないのかもしれない。双方にとって傷がつくだけかもしれない。
 それでも、ラウルはスマートフォンの電話帳から実家の番号をタップした。呼び出し音の後に、元気な少年の声が聞こえた。
「・・・・・・もしもし?ラウルだけど、父さんか母さんいる?」
『ラウル!?久しぶり!!ママーーー!!!ラウルから電話ぁ!!!!』
「あ、いや・・・・・・」
 電話の向こうでは、きゃーきゃーとすごい歓声が上がっている。いったい何人いるんだと思いつつ、きんきんする耳から反対側の耳にスマホを持ち替えた。
『もしもし?』
「ああ、母さん?久しぶり・・・・・・」
『どうしたの、急に・・・・・・』
「どう、ということはないんだけど。元気かなと思って。たまたま、仕事で合衆国に来ていたからさ」
 トランクィッスルに移住する報せも、ラウルはメールで済ませていた。無言で行ってもよかったが、なにかあった時に昔の職場に迷惑をかけるのも嫌だったのだ。あの時は、大きな事件があったばかりだったし・・・・・・。
「さっきのはジム?後ろの声聞こえてるよ。みんな元気そうだね。父さんはまだ帰ってきてないの?」
『それが、ダヴィードったらインフルエンザで寝込んでいるのよ。子供たちにうつったら大変だから、寝室に隔離中よ』
「わお・・・・・・それは大変だ。お大事に・・・・・・ゆっくり休んでって言っておいて」
『ありがとう、伝えておくわ。それで・・・・・・あなたも元気そうね?』
「うん、まあ・・・・・・忙しくしてるよ。世話になった人に、ずっとそばで働いてくれって言われてるし。帰化の準備もしてる」
『そう・・・・・・』
 最後に両親の顔を見たのは、大学を卒業した夏だった。就職のために引越し、それから一度も帰っていない。
「俺はちゃんとやってるよ。元気だし、仕事も順調。頼りになる友達もいるし、俺を弟みたいに可愛がってくれる人もいる。とても充実していて、幸せなんだ」
 謝罪を求めたかったわけではないし、むこうもラウルの心配なんてしていないだろう。ただ、「なにも気にしないでほしい」と伝えたかったのだ。
 だが、ラウルはふと思う。もしも、ダンテではないラウル・アッカーソンが生きていたなら、彼と両親はこんな風になっていなかっただろう、と。彼らからラウルを奪ってしまったのは、誰でもない自分なのだ、と。それを申し訳なく思うと同時に、両親に対して「気にするな」などと思った自分は何様なのかと、嫌な気分になる。まったく、傲慢にもほどがある。
「・・・・・・じゃあ、そろそろ」
『ラウル』
「なに?」
 一瞬の間の後、柔らかな声が聞こえた。
『あなたも、体に充分気を付けて』
「うん」
『それから・・・・・・また気が向いたときでいいから、電話をしなさい。それか、手紙と写真がいいわ。ラウルが見ている風景を、私も見たいの』
「・・・・・・・・・・・・」
 母からそんなことを言われるとは思ってもみなかった。ただ義務として、ラウルの世話も“ついでに”していたように見えたから・・・・・・。
「わかったよ。それじゃあ、また。母さんも体に気を付けてね」
『ありがとう。メリークリスマス。いい年を迎えられますように』
「メリークリスマス」
 ラウルは通話を切り、温まったスマートフォンをコートの内ポケットにしまった。そして、腕時計の時間を確認すると、足早にイートインエリアを出て車に戻った。
「ふぅ・・・・・・」
 両頬を平手でたたき、慣れない事をして緊張した肩を回す。雪はさっきよりも小降りになっており、都市部に行けば雨か止んでいることだろう。ラウルはもう一度深呼吸をしてから、車を発進させた。
 実家に電話をかける気になったのは、モーリンの両親と会ったからだろうか、それともクリスマスのせいだろうか。ラウルは自分の頭がふわふわと浮ついているのを自覚していた。久しぶりに聞いた母の声と、意外にもラウルと話したいというような発言に、少し動揺しているのだろう。それが嬉しいという感情なのかと言えば、困ったことにラウルにもよくわからなかった。
 運転に集中したくて、無理にカーラジオから流れてくる音声に耳を傾ける。クリスマスソングと流行の音楽、天気、道路状況、そして、いくつかの政治的な話と悲しいニュース。
(またテロ・・・・・・?)
 何人も巻き込んだ殺傷事件なんて、手軽に銃器が手に入るこの国では珍しくないが、自分の身にも起こった事を考えると、眉を顰めざるを得ない。怨恨か、主張か、宗教か、それとも薬か・・・・・・。
(そういえば、小学校を襲った犯人たちの背後関係はわかったのかな?)
 あの事件の後、ラウルはすぐにトランクィッスルに移住してしまったので、続報にほとんど触れていない。後で検索してみることにするが、いまだに不明だったらちょっと恐ろしい。
 理由もなく、暴力を目的に接点のない者が集まるとは考えにくい。なんらかのモチベーションがあってしかるべきだが、これが達成できれば成功という目標がはっきりしない上に、最終的に自分たちが生き残る可能性が低いミッションを、高額な報酬だけで受けるだろうか。例えば、犯人たちが誰かに脅されており、やむなく事件を起こした、とか・・・・・・。
 だが、ラウルは自分の陰謀説に否定的だった。黒幕が遠大な目的のために事件を起こさせたのならば、むしろ犯人たちが属するカテゴリーを、捏造してでも明確にするだろう。その方が、捜査や世論を誘導、あるいは撹乱しやすい。
(だからといって、イデオロギーが理由のテロでは、なおさら自分たちで確固とした犯行声明を出すだろうし、そういうものの実行犯は、たいてい一人か少人数だ。七人はちょっと多すぎる。とすれば・・・・・・)
 残るのは、あまりにも非論理的なものばかり。計画を立てたのが、行き当たりばったりで詰めの甘い素人だとか。誰がなぜ知っていたかはわからないが、最初からモーリンの覚醒を狙っていて、トランクィッスルの介入を誘っていた、とか・・・・・・。
(狙われたのは俺たちなのか、それとも、もっと奥・・・・・・ホルトゥス州、ミルド伯爵自治領なのか・・・・・・)
 後方からのライトにバックミラーを見ると、光に横なぎにされた、自分でも驚くほど冷酷な眼差しが見えた。こんな顔、とてもではないが生徒に見せられない。
(やれやれ。時差ボケと疲れの溜まった頭じゃ、ろくなことを考えないな。何の証拠もないのに、こんなに被害妄想が逞しいなんて・・・・・・あいつらも、俺を買いかぶりだろうな)
 合衆国に到着してからずっとついてまわる監視の視線に、ラウルはうんざりとため息をついた。イーヴァルほど慣れるには、当分時間がかかりそうだ。
 やっと一般道に降りて、夕方の渋滞が解消された緩やかな流れに溶け込んでいく。
(早く帰りたい・・・・・・)
 信号で停まって、シートに頭をおしつける。思い浮かぶのは、数日前に出た我が家と、友人たちが暮らすトランクィッスルの風景と、一番星と同じ名前の美しい男の顔ばかり。
人間社会ここは確かに住んでいた場所だけど、もう俺のいる場所じゃない・・・・・・)
 穏やかで平和な田舎町で、周囲の人に恵まれ、何の不安もなくぬくぬくと暮らしていたい。ラウルの願いは、そういう小市民的な、素朴なものなのだ。陰謀だの外交戦略だの情報工作だの、そういう忌まわしいものからは、できるだけ遠ざかっていたい。・・・・・・遠ざかっていたいのだが、麗しの義兄はここぞとばかりにラウルを引っ張り込んでいく。そんなに使える人材だとは思わないのだが、とラウルは苦笑うしかない。
 空港近くにある終日営業のレンタカー営業所に滑り込み、自分の小振りなスーツケースとモーリンへのプレゼントボックスを車から引っ張り出す。財布、スマホ、パスポートや書類やタブレットなどが詰まったブリーフケース・・・・・・。忘れ物は許されないので、ペンライトを使ってまで、車内の隅々まで落とし物がないか確認してから、この二日ほどの相棒を返した。
「ありがとう」
 お気をつけて、という声に送られて空港に向かいかけ、ラウルはふと立ち止まって首を傾げた。そして、自分を監視のために尾行している情報局員たちがいる方に向かって、声を張り上げた。
「ごくろーさまでーす!メリークリスマス!!」
 そして、荷物を落とさないようにしっかりと抱え直すと、こころもち足取り軽く歩き出した。リアクションは期待していないが、ジョークのわかる相手だと教えておくのもいいだろう。
 自分が監視されているということは、おそらくラウルの実家も監視対象になっていることだろう。ラウルが元からほとんど帰らないので、脅威無しとして厳しくはないだろうが、逆にラウルの情報を得ようと接触しているかもしれない。
 そのことに考えが至って、浮かれていた頭がすっと落ち着いた。母は心からラウルと話をしたがったのかもしれないが、どこで誰が聞いているともわからない。
(観光客の土産物になっている、絵ハガキぐらいなら大丈夫だろう)
 現在のラウルが大切に思っている家族は、子供の声であふれるアッカーソン家ではなく、静寂が満ちた古城に住まうヴェスパー・ミルド伯爵だった。彼の治世を乱すことだけは許さないと、ラウルは固く誓う。
 さしあたっては、トランクィッスルの家まで無事に帰ることだ。
(おうちに帰るまでが、出張です・・・・・・)
 庶民的なものになるが、なにか土産を買っていこうと、ラウルは搭乗時間を気にしながら、クリスマス仕様に飾られたターミナルへと歩いていった。空を覆っていた雪雲はちぎれ、わずかな星を飾った濃紺の夜空が顔をのぞかせていた。