この世の春は護られたり ―1―


 やたらと深刻な顔で「頼みがある」とマンションに訪ねてきたラウルに、イーヴァルは何事かと眉を顰めた。そして、ラウルが語る内容を聞いて、その深刻などうでもよさに、額に当てられた手の下で気の抜けた溜息が出た。
「頼む!なんでもするとは言えないが、できるだけの礼はするから!」
「ひとりで行け、と言いたいところだが・・・・・・今回だけでいいなら、別に礼はいらん」
「うぅ、やっぱり毎年はダメか」
「ダメだ」
 イーヴァルは次回以降をすげなく断ったが、ラウルは覚悟を決めたようで、今回だけでいいので、どうかよろしくお願いしますと、イーヴァルに依頼をした。

「あはははっ、そんなことがあったんですね」
「そんなに笑うなよ。だって、怖いじゃないか・・・・・・」
「す、すみません」
 謝りはしたものの、イグナーツはまだ笑いをこらえている。イグナーツにとっては見慣れた光景でも、ラウルにとっては初めての席なので、怖がるのも仕方がない。
 二人はいま、ミルド伯爵の居城に参内し、新年を祝うパーティーが始まるまでの間、控室のすみっこでくつろいでいるところだ。控室にはイグナーツたちの他にも何組かの客が到着しており、座り心地のよいふかふかのソファがいくつも用意され、オレンジジュースやコーヒー、ジンジャエールなどのウェルカムドリンクが振る舞われている。年始の挨拶は、州の住人なら決まった時間に城に来れば受領されるが、伯爵主催の新年パーティーには、招待状がなければ入ることができない。だがもちろん、ラウル、イーヴァル、イグナーツの三人は顔パスだし、城の住人ではないので、ホストではなくゲスト扱いだ。
 ただ、イーヴァルはいま、ヴェスパーに連れていかれていた。ゲスト扱いとはいえ、伯爵の実子であるからには、色々言い含めておく情報があるのだろう。それはそれとして、毎年声をかけてもけんもほろろ、仕事でなければ顔を出さない息子が来たので、ヴェスパーはたいそう喜んでおり、結果的に連れてきた格好のラウルも盛大に感謝された。イーヴァルが嫌そうな顔をするので、一緒に来たことをそんなに持ち上げないでほしいとラウルは胃が痛くなる。
「お城の新年パーティーは、確かにいろんな人が来ますけど、伯爵さまがそばにいるんだから、先生が怖がることなんてなにもないですよ」
 イグナーツはミルド伯爵の居城で育ったので、城のおおまかな内部構造や、出入りできる人物、自分が参加不参加を問わず年間行事くらい覚えている。もちろん、新年パーティーの雰囲気も知っており、心配することなんて何もないという。
 しかし、ラウルは至極真面目な表情で人差し指を立てた。
「それ。それが一番怖い。ヴェスパーがそばにいる。つまり、俺に自由はない」
「・・・・・・そこまでひどいですか?」
 苦笑いで首を振るイグナーツに、ラウルは大きくうなずいた。
「おうとも。まず着せ替え人形にされるだろう?」
「あぁ、わかります・・・・・・」
「見ろこれ。この前仕立ててもらったばっかりなのに、次々と一流ブランドばっかり・・・・・・。何着もあったって、クローゼットで場所を取るばっかりだ!毎日着ればいいだと?服の値段が気になってよう動けるか!あのボンボン、季節ごとにあと十着は用意しなくちゃなんて言ってたぞ?俺は貴族か!?」
「伯爵さまは貴族ですから・・・・・・」
「俺まで巻き込むな!まったく!・・・・・・それからペットみたいに連れていかれて、方々に弟だと紹介される。そうすると、お客の視界にある俺に『ヴェスパーのお気に入り』というラベルがくっつけられて、『優先的に便宜を図らねばならない』もしくは『仲良くしておくとどんな恩恵を授けてくれるのか』という値踏みが始まる。もちろん、俺には何の権限も裁量もないし、俺がヴェスパーに口利きしてやるなんて言えるわけないし」
「ああ・・・・・・勝手に期待されて、勝手にガッカリされる、ということですか。それは確かに迷惑ですね」
「そのとおり。イグナーツは頭がいいな」
「そこまであからさまではないんですけど、似たような境遇だったので・・・・・・」
「そうだった。いまさら変な愚痴を言って悪かったな」
「いえ」
 イグナーツは苦笑いで誤魔化すが、イグナーツの場合は期待よりも蔑みの方が多かった。曰く、忌み子のくせに先代伯爵の威光をかさに、分不相応な役職を賜っている、と。人間とのハーフとして生まれたのはイグナーツの責任ではないし、先代伯爵に保護されたのは赤子の時、それも泣き女バンシーたちからの要請があったからだ。さらに、イーヴァルの侍従となるべく定められたのは、先代とイーヴァルの意向であり、養育されたイグナーツに拒否権はほぼないに等しい。もちろん、形式的には拒否も出来るだろうが、イグナーツは幼い頃から面倒を見てもらったイーヴァルが好きだったし、積極的に嫌がる理由はなかった。その頃にはもう、忌み子として低く見られることには慣れていた。
 それとは逆に、ラウルの場合は「真祖」という好意的なレアステータスが付いており、それが裏付けとしてあるからこそ、ヴェスパーが優遇しても当然のこととして受け取られ、ラウルの前世での功績を知らない者からも僻まれることが少ないのだ。
 イグナーツはそれを羨ましいとは思わなかったが、どちらにせよ他人の視線と解釈というものは勝手だなぁと、苦笑うしかないというところだ。
「そういえば、クリスマスはまたアメリカに行っていたんですって?学校が休みになったら、伯爵さまは先生をずっとお城にいさせるつもりだったみたいだって、イーヴァが言っていましたよ」
「ああ・・・・・・」
 ヴェスパーのむくれ顔と、イーヴァルのうんざりした顔を等しく思い浮かべ、ラウルは頭をかいた。
 ラウルが留守にしたのは、トランクィッスルの学校に編入したモーリンの両親に、彼女からのビデオレターを見せるためだ。映像データをそのまま両親の元に残すわけにはいかず、回収せねばならないので、ラウルがその任務を請け負ったのだ。両親から預かったプレゼントボックスをモーリンに届けた時、同封されていた手紙を緊張した顔で読んだ彼女が、ほっと表情を緩めたのがとても印象的だった。
「やっぱり俺は、こういう煌びやかな世界より、人と向き合って、支えて、伸ばしていく・・・・・・そういう地道な仕事が、性に合ってるよ」
「ふふっ、イーヴァも似たようなことを言っていましたよ。去年貰ったサツマイモが甘かったって。伯爵さまの“おもり”よりも、ずっと向いているんじゃないかって」
「そうか!そうだろう!」
 くすくすと二人で笑い合っていると、イグナーツに気付いた客が何人かが「久しぶり」と挨拶に近付いてきた。
 イグナーツも心得たもので、招待されてきた各種族の長たちに丁寧に挨拶をし、ラウルの事を紹介して取り持った。ヴェスパーやイーヴァルがそばにいるよりも、従者として対応に慣れたイグナーツの方が、過不足なく双方の説明ができて、ラウルも無駄に緊張することがなかった。
「やあ、ラウルさん。イグナーツくんも。あけましておめでとう」
「ジェロームさん!お久しぶりです」
「あけましておめでとうございます」
 面識のあるニューヨーク支部長と握手を交わし、ラウルはほっと息をついた。中年のビジネスマンを思わせる風貌は、どこの誰のものかもわからないドッペルゲンガーだが、人間にしか見えないので、ラウルにとっては落ち着いて話せる相手だった。
「コミュニティの代表者も呼ばれるんですね」
「そうだよ。それに、代表者だけじゃなく、特別な功績のあった者や、次代の代表者候補なんかもね」
 イグナーツもうんうんと頷き、招待客の面子が必ずしも毎年同じとは限らないのだと教えてくれた。
「だから、全員の詳細を覚えているレジナルドさんの側にいるのが一番なんですが、レジナルドさんが一番忙しいので、やっぱり伯爵さまの側が一番安全だと思います。それか、竜族のクラスターさまも寛容な方ですし、ラウル先生はお知り合いでしょう?」
「なるほど、たしかに・・・・・・」
 ヴェスパーもいきなり一人で放り出すことはしないので、少しずつ知り合いを増やしていけば大丈夫だと、イグナーツはエールを送る。
「はははっ、伯爵家に縁を持つと、大変ですな」
「前世の俺に忠告してやりたいですよ」
 まさかこんな事になるとは思わなかった、とラウルは首を振るが、ジェロームは人の悪い笑みを浮かべて予言した。
「忠告できたとしても、きっと変わりませんよ。そして、来年の正月も、ラウルさんはここにいることでしょう。一九七〇年物のワインを賭けてもいい」
「よほどのことがない限り、ジェロームさんの言う通りになるでしょうよ」
「まあ、頑張ってください」
 苦笑いでため息をつくラウルの肩を叩き、ジェロームは他の知り合いを見つけて歩き去っていった。
「なぁイグナーツ、全部の外部コミュニティから代表者が来るのかい?」
「事故や災害、あるいは人間社会の行事などで、どうしても離れられないということがなければ、ほぼ全員集まりますよ。代理の方が来ることもありますが」
「なるほど」
 ということは、大小合わせて二十人以上の代表者とそのパートナー、さらに、それに近しい地位か、功績を持つ者も追加で来るわけで、各種族の代表者や州の重役を含めたら、城の大広間を完全にパーティー会場しなくては収まりきらないだろう。
「・・・・・・うへぁ」
「先生、いまから人酔いしてどうするんですか」
「イグナーツ、俺帰っていいかな・・・・・・」
「ダメですよ!」
 しっかりしてください、とイグナーツは励ますが、ラウルは本当にこういう場所が苦手なのだろうと察せられた。イグナーツも幼い頃から行き慣れているというだけで、別に格式のある華やかな場が好きというわけではない。庶民には庶民の、貴族には貴族の、過ごしやすい環境とか生活様式とかがあるはずで、ラウルは明らかに汎用性や生産性を尊ぶ庶民の感覚だし、イグナーツだって気楽に過ごせる町の方が好きだ。
 しかし、世の中にはそういうことを理解せず、すべての者が貴種や権力に重きを置いている、と考える輩が一定数存在する。功績を立てて成り上がろうとする気骨のある者ならばまだしも、他人が持つ権利をかすめ取ろうとする者、他人を貶めて自分を偉く見せようとする者、上におもねり下に横柄な者、自分では努力をせずに他人の収益を吸い上げようとする者、自分の地位を守るためと思い込んで他人を攻撃する者・・・・・・そういった恥知らずな連中が跳梁跋扈する世界を覗き見るのは、精神衛生上まったくよくない。
 ミルド伯爵を頂点とする、対人間折衝組織において、ラウルは本人の自覚は別として、重要な位置を占めていることは知られている。ところが、人外の種族同士が談合する、いわゆるコミュニティにおいて、その内部での権力争いにはとんと名前が知られていなかった。
 かつてダンテ・オルランディは、若き日のヴェスパー・ミルドに対して、「種族間の調整には、互いに関渉しないことも選択肢のひとつである」と提示したことがある。だが、権力という太陽、あるいは果実に対して群がる有象無象を、どうさばくかについては、一言もなかった。それは、事実ヴェスパーの専門であり、支配者などというものに全く興味のなかったダンテは、関わりがないと思っていたからだ・・・・・・。