賢い子猫 ―1―


 トランクィッスルのハロウィンは、他の町とは少し違う。
 住人は仮装を解き、街には色とりどりの光や煙が舞い漂う。人間社会の風習が逆輸入されたおかげで、各種族のお菓子があちこちで振る舞われ、多少のお祭り気分にはなるが、特別日常と大きく違うことはない。つまり、年に一度の“すっぴんで過ごそう日”なのだ。
 とはいえ、学校に通う児童は、元々“すっぴん”であることが多く、遊びたい盛りの子供たちには、イベント事として各種族と交流を深めつつ風習や慣習を教えることになる。同時に、一週間のハロウィン休暇となり、自由登校した生徒が、学年を問わずに交流するのもこの時だ。
「人間のハロウィンとは違って、なんだか学習レクリエーションみたいだ」
「そうなの?」
 大荷物を抱えたラウルは、同じように飾り付けが満杯の箱を運ぶ同僚に頷いた。
「収穫祭としてお祝いする人たちもいるけど、現代では少なくなったかな。人間はお化けに仮装するんだ。悪霊に襲われないように、仲間と誤認させるためにね。仮装した子供たちは、パレードをしたりパーティーで馬鹿騒ぎをしたり、ジャック・ランタンが飾られた家を訪ねて、お菓子をもらうんだよ」
「同じイベントなのに、立場が違うだけで、ずいぶん印象が違うのね」
「開放的な気分になるのは、どちらも同じだけどね」
「言えてる。ところで、本当に当日休むの?」
「ああ・・・・・・ここのハロウィンって花火が上がるんでしょ?ああいう大きい音が、昔から苦手でね。そういう日は、家に閉じこ・・・・・・」
「あっ!」
「ぎゃっ!?」
「ぅわっ!?」
 同僚の声と同時に、教室の空いたドアから突っ込んできて脚にぶつかった何かによろめいたラウルは、廊下の反対側に積み上げられていた資材の山に倒れ込んだ。
「どわああああああ!?!?!?」
「きゃああ!」
 どんがらがらがしゃがしゃんどさささ・・・・・・
「やべぇ!ラウル先生吹っ飛ばした!」
「先生!!」
「どうした!?」
「誰か!!他の先生を呼んできて!!」
「はいっ」
「保健室にも呼びに行ってきます!」
 もくもくと立ち上る虹色の煙は、紫色の小さな雷をパチパチと乱舞させ、いぶされた薬草のような臭いが充満する中、崩れて散らばった資材の下から、ラウルのスニーカーが覗いていた。

「・・・・・・という経緯でして、学校としては教室や廊下で走らないよう、児童に指導を徹底するとのことです」
 真面目くさった表情で、至極まっとうなことを言うレジナルドは、片腕に紙袋をかけたまま、事務用品が入っていたと思われる段ボール箱を両手で抱えている。
「ふむ。それで、ダンテは?ハロウィン用の魔法道具に突っ込んだだけで、命に別状はないと聞いているが・・・・・・」
 トランクィッスルの学校から一報が入った時から、ヴェスパーの機嫌は良くない。大事な義弟が事故に巻き込まれたとあっては、心配もする。
 ラウルが突っ込んだ魔法道具の山だが、初等部の児童たちが使う物だけあって、たいして強い効力があるわけではなかったが、崩れ落ちた拍子に複雑に絡み合って発動してしまったらしく、無理に解除を試みるよりは、順番に効果が切れるのを待った方がいいという判断だった。ただ、それが一日で切れるのか、一週間たっても切れないのか、魔法が絡み合いすぎてわからないという。
「ラウルさんなら、こちらに」
 レジナルドが差し出した段ボール箱の、半端に開いている蓋に、ヴェスパーの白い指がかかる。
「・・・・・・・・・・・・」
 ひゃぁ・・・・・・という、空気が抜けるような音がしたような、していないような。
「な・・・・・・」
 必死に見上げてくる、まんまるのキトゥンブルーにはやや灰色が混ざり、細く柔らかな栗色の体毛は、頭のサイズに対して大きな三角耳の間で、申し訳程度に毛先にくるんとした癖がついている。ピンク色の鼻の下で小さな口が開くたびに、白く小さな犬歯が覗き、鳴き声にならない声を上げている。
「ほぉ、これがサイレントニャーですか。初めて見ました」
「さ、サイレント・・・・・・?」
 見上げてくる生物があまりにも小さすぎて、抱きかかえていいものか両手が行き場を失っているヴェスパーの問いに、レジナルドはさようでございますと頷いた。
「この鳴き方をするかしないかは個体差があるようですが、おおむね最大限に甘えたがっている仕草だと聞き及んでおります」
「では、声が出ないというわけではないのだな?」
「はい」
「よかった・・・・・・」
 せっかく現世ではしゃべれるようになったのに、また声が無くなってしまったのかと思ったヴェスパーは、心底ほっとして肩から力が抜けた。
「ただ、言葉が通じない状態でして。ラウルさん、ちょっと声を出して鳴いてもらえますか?」
 レジナルドの艶やかで豊かな声に、薄い三角耳がぴこぴこと動き、小さな頭が不思議そうに首を回す。
「みゃ!にゃー!」
「かっ・・・・・・ッッッ!!!」
「旦那様、悶えている場合ではありません」
「レジー、酷なことを言うな!こんなっ・・・・・・こんな!!」
「可愛らしいのは承知しております。このように、こちらの言葉は、なんとなく伝わるようなのですが、我々がラウルさんの猫語を理解できないのです。学校でも、猫をはじめとする動物の言語を解する者に聞いてもらったのですが、なぜか聞き取れないようでして・・・・・・おそらく、これも魔法が混在しているせいかと思われます」
「その魔法の効果が切れるまで、待たないといけないわけか」
「そのように、推察されます」
 学校の保健室で経過を見守るにも、児童たちが押し寄せそうだし、月末までこの状態だと、ラウルが嫌いな花火が上がってしまう。それで、ヴェスパーの城で面倒を見るのが一番ということになったのだ。レジナルドが腕にかけている紙袋には、ラウルが着ていた服や所持品が詰まっている。
「わかった・・・・・・。とりあえず、私の書斎に一緒にいられるようにしよう。子猫の世話などしたことがないが・・・・・・」
「必要な道具はすでに手配しております。食事は何通りか用意して、食べられるものを食べていただこうかと思います」
「それでいい。委細、頼む」
「かしこまりました」
 ヴェスパーが両手に収まってしまう子猫を抱き上げると、レジナルドは準備のために書斎を出て行った。
「・・・・・・エルヴィーラやイーヴァルが生まれた時以来ではないかな。抱きあげるのに、こんなに緊張するのは」
 ふわふわした温かい毛玉が、つぶらな青い目でヴェスパーを見上げて、また声のない鳴き声を上げた。

 ソファに置かれた縁のついた丸いクッションの中で、子猫が腹を上にして寝ている。両手は中途半端に上がり、だらんと伸びきった両脚の間では、細い尻尾がこれもだらんと伸びている。警戒というものとは無縁の寝相だ。
(安心しているのはいいんだが、野生の欠片もない姿だと言わざるをえないな)
 中身がラウルなので野生も何もないのだが、ヴェスパーはその愛らしい姿が気になって仕事にならない。書類が積まれたプレジデントデスクに肘をついて、飽きることなく子猫を眺めている。
 かれこれ三日ほどこの状態だが、子猫は軟らかく煮た魚肉や鶏肉をモリモリと食べ、起きている時は小さなボールを追いかけて元気に走っている。家具に爪を立てたりはしないが、ヴェスパーが好奇心に駆られて肉球を押してみたら、釣針のように鋭い爪がにょきりと顔を出した。
 甲高く細い声で鳴くこともあるが、やはり「ひゃぁ、ひゃぁ」と空気が抜けるような、サイレントニャーは相変わらずで、ヴェスパーはその度にデレデレとだらしなくなる顔を引き締めるのに苦労した。
「可愛いなぁ・・・・・・首輪が付けられないのが残念だ」
 いつ元のサイズに戻るかわからないので、装身具は付けられない。そんな不満はあるものの、呼べばすぐにやってくるし、抱きあげられるのも嫌がらないし、ごろごろと喉を鳴らしながら膝の上で丸まってくれるので、ヴェスパーは子猫のラウルをいたく気に入っていた。もちろん、元の姿に戻ってくれた方がいいとは思うのだが、これはこれで飼っている実感が強くてよい。
 そんなことをつらつらと思いながら就寝中のラウルを眺めていると、忙しなげに書斎のドアがノックされ、無遠慮に開けられた。
「失礼しますわ、お父様!!」
「ななんだ、エルヴィーラ?」
 肩をそびやかしてずかずかとヴェスパーの書斎に入ってきたエルヴィーラは、デスクの上に積まれた書類の中から数束を引っ張り出し、ヴェスパーの前にたたきつけた。
「・・・・・・急いでいただけます?」
 ぎろっと睨んでくる妖艶な美貌は、もちろん父親譲りで、その怒り顔はヴェスパーが見てもなかなかの迫力だ。
「わ、わかった・・・・・・」
 ヴェスパーが慌てて、昨日や今日が期限だった、エルヴィーラが処理を待っている書類に目を通し始めると、エルヴィーラはすいと身体をひるがえして、無防備に寝ていた子猫を抱き上げていった。
「ぴにゃ!?」
「ちょっ、待ちなさい!!」
「それが終わるまで、おあずけですわ」
「そんな・・・・・・!」
「お父様?」
 再び娘に恐ろしい顔で睨まれて、ヴェスパーは急いで仕事を片付けに戻った。
「行くわよ、ラウル。たまには、わたくしとおしゃべりでもしましょう?」
「きゅーん・・・・・・」
 ラウルの力ない声に、ヴェスパーはすぐに迎えに行くからと、心で叫んだ。