絵画の淑女 ―3―


 木立の中の孤児院から、それなりに離れた市道に停めておいた車内に、いつの間にか第三者が侵入している。暗闇の中でバックミラーに浮かぶ青白い美貌を見てシートから飛び上がりはしたものの、悲鳴をあげなかっただけ、称賛に値するだろう。
「こんばんは」
「こ、こっ、ここ・・・・・・!?」
「ごきげんよう、ミスター・イーヴァル」
 運転席に座っていた若い男は声を上ずらせ、助手席に座っていた年嵩な方は、一瞬で冷静さを取り戻した。
「しばらくぶりだな、ミスター・グルーバー。壮健そうでなによりだ。出世したと思っていたのに、また俺を追いかけなきゃいけなくなったのか?家族もいるだろうに、もっと体を労われ」
「ははっ、相変わらずですね。少し前にも合衆国に来ていたと聞きましたが、また若君の手を煩わせるようなトラブルですかな」
「まったくその通りだ」
 CIAの局員は、主に海外での諜報活動にいそしんでいるが、イーヴァルのような要注意人物の監視もしなくてはならない。イーヴァルは合衆国内を勝手に動き回るが、ネイティブアメリカンすら恐れるスピリチュアルな現象や、人間では手に負えないオカルト事件を、民間人に隠し切れなくなる前にたいてい何とかしてくれる。合衆国の軍事機密などには全く触れてこないので、情報のやり取りなどを通じて、緩い協力関係と言えなくはない。
 天下のCIAが、モンスターとの協力だと。若い局員が最初に聞かされた時は、たいてい冗談かと思うだろう。コミックやホラー映画の見過ぎだ、馬鹿馬鹿しい、そう思うのだが、実際にイーヴァルが出現すると、いま運転席で固まっている若造のように驚く。
 エリートだからこそ、わかるのだ。相対している人物が、人間ではないと。
「ハリウッドもびっくりなカーチェイスをされたそうですが・・・・・・そのうち、FBIがここを嗅ぎつけてくるでしょう」
「過大評価だ。俺はカーチェイスには参加していなかったよ。それはそうと、調べてもらいたいことがある」
「なんでしょう?」
 白髪が混じり始めたが、まだまだ精悍な頬を笑顔の形に引き上げるグルーバーに、イーヴァルは分厚いカタログを後部座席から差し出した。
「ここにある、『ライヒャールの淑女』という絵画を出品した持ち主の、正確な情報だ。名前、年齢、性別、家族構成、そして、現在確実にいる住処」
「今日、オークションハウスから盗まれたという・・・・・・?」
 グルーバーの視線を無視して、イーヴァルは大事なことを告げた。
「脱税の疑惑がある・・・・・・と言ったら?」
「なるほど。・・・・・・では、オークションハウスで銃撃戦をやらかし、市内の道路で車を大破させた連中についての情報はいらないと?」
「絵の持ち主を調べれば、自然にわかるだろう」
 眉を上げてカタログを受け取るグルーバーに、イーヴァルは少し声音を和らげつつ忠告した。
「居場所がわかったからと言って、安易に捕まえようとするな。そいつは強烈な呪いの品を持っている可能性が高い。返り討ちにされるぞ」
「あなた方の仕事が終わるまで待てと?もちろんです。我々は、あなた方がどういう専門性を持っているのか、世界中のどの組織よりも熟知していますから」
「いつも融通をきかせてもらってありがたい。伯爵も合衆国の協力に感謝している。大統領によろしく」
「こちらも、伯爵によろしくお伝えください。では、また後日」
 イーヴァルはグルーバーの温かい手と握手を交わし、反対側にいる若い局員の、緊張で冷えた手を無理やり取って、うっすらと微笑んだ。
「またな」
 ふっと闇に溶けた紫色の目と、いつまでも見つめ合っているような気がしたが、グルーバーに頬を叩かれて正気に戻る。失禁しなかったのは上出来だ、と褒められ、いまさらながらに鳥肌と、激しい嗚咽と涙が止まらなかった。
 あれは・・・・・・あの美しい青年は、人間ではなかった。


 リックをはじめとするグレムリンたちの住処である孤児院では、機械類がことの他好まれる。もちろん、分解したり組み立てたり、壊したり改良したりするのが好きだからだ。
 あちこちに穴が開いた中古のバンは、グレムリンたちが寄って集って分解して、跡形もなくなった。すごい証拠隠滅を目撃したセンは、退魔刀鍛冶師という稀有な職業と出身国のおかげで、目を輝かせたリックたちにおやつの時間まで質問攻めにされた。
「やっと解放された・・・・・・」
「賑やかだったな。なにをせがまれていたんだ?」
「サムライソードとニンジャソードの違いから、猫型ロボットや暦が宇宙基準になった時代に活躍する人型戦闘機の開発具合まで色々だ」
「それはご苦労さまだ」
 くっくっと喉の奥で笑うラウルは、入室してきたセンをちらりと見ただけで、手元から注意をそらさない。そこには、センが見たことのない光景が広がっていた。
「興味ある?」
「まあ、縁がないからな」
 ラウルがやっていたのは、銃の整備だ。分解されて掃除されているのは、先日のオークションハウス襲撃で持ってきてしまったグロッグだ。ラウルはライセンスも自分の銃も持っているので、整備も扱いも心得ているが、射撃自体はあまり得意ではないらしい。石を投げた方が正確に当たるのだとかなんとか・・・・・・。とはいえ、高速で走る車の上に立って、鉄板越しに一撃で頭蓋骨を撃ち抜いてみせた腕前は、センにはどこが「得意ではない」になるのかわからない。
「・・・・・・悪かったな。人を殺させてしまった」
「え?あぁ・・・・・・」
 一通りの掃除を済ませて組み立て終わったラウルにセンは詫びたが、ラウルはきょとんと目を瞬かせて反応が遅れた。
「撃たなきゃこっちがやられたし・・・・・・いまさら殺人に罪悪感もないから、別にどうってことないよ」
「罪悪感が湧かないというのは、吸血鬼になったからか?」
「ううん。元々・・・・・・あぁ、俺が・・・・・・前世の俺が、『憤怒』によってトランクィッスルに連れてこられたっていうのは知っているだろ?」
「知っている。そのおかげで、現代で俺がトランクィッスルに入ることができた」
「そうなんだけど・・・・・・昔の俺がトランクィッスルに来る前、何をしていたか知っている?」
「いいや」
 センは首を横に振った。前世のラウルが、現在の伯爵と懇意になり、早世してしまったが、吸血鬼として転生してきた、という、おおまかなことしか知らなかった。
「前世の俺は、家族を殺された復讐のために、何人も人を殺したんだ。たしかに、今世で人を殺したのは、この前が初めてだったけど、特別な感慨や後悔はないな」
 相手はセンやラウルに向かって撃った。大切な仲間を守るために、邪魔だったから退かした、その程度の感覚だと。
「そもそも、あんなのがいるなんてイーヴァルも予想していなかったんだ。センが謝ることじゃないよ」
「それはそうかもしれないが・・・・・・いや、違うな。助けてくれて、ありがとう、と言えばよかったのか」
「うんうん!その方がずっといいよ」
 ラウルはオイルで汚れた指を拭って、自分のバッグに銃を仕舞うと、そういえばと首を傾げた。
「オミは何処に行った?」
「ああ・・・・・・その、グレムリンたちの騒がしさに辟易して、どこか散歩に行っているんじゃないか」
「あー・・・・・・」
 オミは『色欲』の罪源なので、ほとんど子供メンタルのグレムリンたちとは相性が悪いのだろう。子供たちに群がられるセンの傍から逃げたとしても、この環境でセンに危険はないと判断したに違いない。
「意外な発見だ」
「あいつ自身が子供みたいなくせにな」
 二人はくすくすと笑い合い、天真爛漫な若い罪源の帰還を気長に待つことにした。尤も、センが呼べば、すぐに戻ってくるだろうが。
「苦手で思い出した。俺、教会が駄目になったんだ」
「マジか。俺が打った金属で入ったダメージ以上にか?」
「まじまじ。敷地にすら入れなかったもん」
 真祖吸血鬼に目覚めたラウルは、幼児のアレルギーの有無を探すように、少しずつダメージを受けるものを探っていたが、その最たるものが、ほぼ確定していた。
「あの神父さん、生きた聖遺物か、臨界中の核燃料だった」
「ぶはっ、それはすごい例えだ」
「いやだって、教会の門くぐったら、いきなり俺の皮膚がただれ始めたからね!?ムチャクチャ痛かったし、血をがぶ飲みしても傷が塞がるのに一週間くらいかかったし、回復が早くなるからって棺桶にぶち込まれたし。・・・・・・太陽よりヤバいよ!?」
 トランクィッスル教会に住まうクロム神父には、聖人並みの能力があるらしいという噂があったが、ラウルに対して最もその威力を放っていたようだ。真っ青になったクロムが、色白の顔をさらに蒼白にしたヴェスパーに、ぺこぺこ頭を下げて謝ったそうだが、こればかりは不可抗力としか言いようがない。
「俺、結構真面目なカトリックの家で育ったんだけどなぁ?」
「十字架や聖書に強い拒絶反応が出ないのなら、クロム神父が特別というだけだ」
「うん。たぶんそうだと思う」
 そうだとは思うが、やはり危険な物には近づかないよう心掛けて、ラウルは教会など聖職者がいる所は避けることにしたという。
「トランクィッスルなら、一ヶ所だけで済むんだけどなぁ。外に出ると、何処にあるんだか・・・・・・下調べ必須だよ」
「イーヴァルの頼みだからと言って、ヴァチカンに入るような事だけは断れよ?」
「あったりまえだ!」
 ラウルは両腕で自分を抱きしめ、ぷるぷると首を振った。
 センが作った武器もラウルには有効だったが、トランクィッスルに帰属している限り、そう滅多なことにはならないはずだ。
 センもイーヴァルの仕事を手伝うことにやぶさかではないが、今後に備えて、きちんとその辺も伝えておかなくてはならないだろうとこめかみを押さえる。
 銃も刀も道具でしかなく、使い手の意思ひとつで、敵にも仲間にも危害を加えることができる。センは武器を作る者として、使い手の安全を第一に祈願してきたが、これからはその願いの範囲を、少し広げる必要がありそうだと感じていた。