絵画の淑女 ―1―


 財産というものは、持っている者は持っているもので、その他大多数の人間には想像もつかないような金銭が、容易にやり取りされる世界がある。その中でも、ニュースなどで容易に垣間見える部分と言えば、オークションである。
 世界に名だたる名画、往年の大スター所縁の品、希少な年代物の酒、巨大な宝石のルース、学術的価値の高い美術品、古文書・歴史書類、などなど・・・・・・。それらに価格と同等の価値があるかどうかは所見が分かれるが、「欲しい」と思った人間には、些末なことだ。
 ニューヨークのオークションハウスに姿を現したのは、タキシード姿の二人組だった。サングラスをかけており、顔はあまり見えないが、二人とも白人のようだ。艶やかな黒髪をした方が隣に顔を向けると、栗色の巻き毛頭は小さくうなずいて、その場を静かに離れていった。
 サングラスを外し、その深い紫色の目で前を見据え、イーヴァルはオークション会場へと足を踏み入れて言った。

 人々の興味が向く名品珍品に混じって、あまりよろしくない“曰く”が付いた品というものがある。
「コ・イ・ヌールとか、バズビーズチェアとか、そういう物の事か?」
「そうだ」
 退魔刀鍛冶師センの自宅リビングで、イーヴァルは「所有した男性が不幸になる宝石」や「座った人間が必ず死ぬ椅子」の名前を挙げるラウルに頷いた。
「いわゆる、呪われた品だが、現代においては大抵の物が、美術館や博物館、あるいは呪いの対象外となる人物の元で管理されている。うちの宝物庫にも、いくつかあるが」
 ミルド伯爵の居城で保管されていた、意志を持った刀剣の一部が持ち出された事件がきっかけで、ホルトゥス州と縁を持ったセンが頷く。ミルド家が管理していてもそういう不始末があるのだから、対処法を知らない人間が保管しているとすれば、危険極まりない。
「文化財として公共施設に保管されているなら、所有している国や自治体が傾くまで心配はいらないが、コレクターなどの個人が所有している場合が、これも少なくない」
「なるほど。所有者が死ぬと、そのヤバい品が一般に流出するってことか。今回も、そのケースなんだな?」
「そうだ。子孫がそのまま相続してくれればいいが、オークションなどに出されると、色々と・・・・・・な」
 呑み込みの早いラウルに頷くイーヴァルの表情は苦い。面倒な気配が濃いということだ。
「それで、僕たちが呼ばれた理由は?」
 センにべったりとくっついているオミと視線を合わせないようにしながら、イーヴァルは『ドリアン・グレイの肖像』を知っているかと問うた。
「ああ、ホラー小説・・・・・・と言っていいのか?たしか、不老不死になる代わりに肖像画が年老いていくとか・・・・・・結末は、結局死んだんだったか?」
「ああ、オスカー・ワイルドの長編小説だ。悪徳を重ねるたびに醜く老いる肖像画を壊そうとすると、人間の方が一気に年老いて死んでしまう代わりに、肖像は元の美しい姿に戻るんだ」
 首を傾げるセンに、ラウルが補足し、そんな絵画が本当に存在するのかと、イーヴァルに視線を向ける。
「実在するかと言われれば、ある。ただし、絵を壊そうとしなくても所有は普通に死ぬから、今回オークションに出されてしまうという事態になった」
「どういう絵なんだ?それじゃあ、意味がないじゃないか」
 ラウルは怪訝な顔をするが、なにかに気付いたらしいセンは、気まずそうに視線を泳がせた。
「絵がもたらすのは、若さだけとは限らん。その絵・・・・・・『ライヒャールの淑女』は、所有者に富と権力をもたらすとされているが、所有者が富裕に満足すると死亡する、と言い伝えられている」
「あぁ?なんかどこかで聞いたことがあるようなないような・・・・・・」
 うーんと首を傾げたラウルの視界に、げんなりした表情のセンと、亜麻色の髪の美青年が映り込んだ。
「あ・・・・・・あー・・・・・・」
「わかったか、ラウル?」
「その絵、メフィストフィレスが作ったのでなければ、罪源が関わってる?」
「その可能性が高い」
 ラウルはあちゃーと額を押さえ、イーヴァルがうんざりしている面倒加減を理解した。
「絵?うーん、そんなヤツいたかなぁ?」
 オミは愛らしく首を傾げ、あまり仲が良くないために関わりを持たない同族たちについて思い出そうとする。
「富と権力をもたらすということは、『強欲』アクリティア『傲慢』スペルビアあたりだと思うんだけどねー?あいつら、そんな面倒なことをするかなぁ?」
『色欲』ルクスリアなら、そんなことはしないと?」
「裸婦画や女神像をおかずにするような程度じゃ、全然足りないんだよね。しかも、所有者からしか搾り取れないじゃん。数をこなすにも、世界中で毎週出版されるポルノ雑誌にいちいち魔力割けないよ、面倒くさい」
 あっけらかんと言い放つオミに、成人男性三人は「なるほど」と頷いた。
「それに、もしその絵が、本当に罪源が作った品なら、そのまま人間の手で流されているべきだよ。ちょっかい出しても、いいことないよ」
 罪源が食餌を漁る為の品だったならば、彼らの眷属にあたるトランクィッスルの住人が関与すべきではない。それはイーヴァルにもよくわかっていた。
「オミの言う通りだと、俺も思う。だが、今回は依頼主がいる。なんとかして、絵を取り戻してほしい、とな」
「取り戻す?死んだのが所有者じゃない・・・・・・あ、盗品だったのか!?」
「それはまた、ややこしいことになっているな」
 なんでそんな物を盗んだとラウルは呆れ、古美術品の流転や消失に関するトラブルを知るセンも頭を抱えた。
「依頼者は、『ライヒャールの淑女』を盗まれたロッチモンド伯爵夫人の孫にあたる、ミセス・ガーナッシュ。報酬は、彼女の全財産。およそ二百七十万ドル」
 ラウルは噴き出し、三億円近い金額にセンも目を瞠る。
「絵画はニューヨークでオークションにかけられる予定だ。もちろん、オークションで競り合ってもいいが、現在の持ち主は絵画を得てから事業の成功で億万長者になったそうだ。そんな富と権力をもたらすなんて曰くが付いていたら・・・・・・」
「三百万ドルでも足りないかもな」
「じゃあ、盗めばいいんじゃないか?どうせ盗品なんだし」
 思考の反転というより安直な発想のラウルに、真面目に考えていたセンがずっこけるが、イーヴァルは珍しく苦笑いで肯定した。
「最初からそのつもりだ。割に合わんことをするつもりはない」
「盗むのだって大変だろう。警備の厳重さだって半端じゃない」
「だから、お前たちに話を持ってきた」
 イーヴァルの視線にセンは自分の首にくっついている人物を見上げ、見上げられたオミは「僕?」と自分を指さす。
「なるほど。オミなら万が一他の罪源とかち合ったとしても対抗できるし、人間の目も誤魔化せるだろう。でも、セキュリティシステムはどうする?オミはすり抜けられても、絵画が無くなったら反応するだろう」
「そこは現地の機械に強い悪戯妖精グレムリンに協力してもらうことにしている。俺たちは侵入経路と逃走の準備を、念入りに考えればいい」
 使えるものは何でも使うとイーヴァルは不遜に微笑み、三人に向かって報酬を提示した。
「経費を除いた分を、四人で山分けだ。悪くないだろう?」
 一人五十万ドルを下らない大金と、自ら悪事に手を染めるくすぐったい高揚感に、ラウルは目を輝かせて、センは仕方がないと苦笑い、センちゃんがいいならとオミも了承した。

 何食わぬ顔でスタッフオンリーの扉を潜り抜け、ラウルは足早に廊下を進んだ。こちらから興味を引くようなアクションを起こさなければ、通路を行きかう人間たちは、ラウルをラウルとは認識しない。意図的に気配を消すというより、人間に感知されにくい性質になったのは、実際に体験してみると不思議なものだ。
「五十万ドルかぁ・・・・・・なんだかピンと来ないな」
『ただの人間の時なら、家を買おうとか車を買おうとか、老後の貯えにしようとか、考えたかもしれないな』
「海外旅行も、すでに移住してるしね」
『ちがいない』
 インカムの向こうで、センがクスクスと笑う。ラウルとセンは罪源と関わったためにトランクィッスルに移住した人間として、一種の諦めや心構えを共有していた。災害に遭った者同士の心境、とでも言おうか。
『オミ、どうだ?』
「見つけたよー」
 機械越しに耳から入るセンの声とは違って、オミの声はまるですぐそばにいるようにラウルの頭上から聞こえた。実際はここにはおらず、オークション品が出番を待つ控室に侵入しているはずだ。
「でもねー、なんか変だね。警備員以外の人間が近づいている気配がするよ」
『どういうことだ?』
 センの疑問に、ラウルは肉眼でその答えを見つけ、素早く観葉植物の影に隠れた。
「同じことを考える奴もいるってことだ。イーヴァル」
『計画に変更はない。そいつが同じ獲物を狙っているとも限らん。状況変化への対応はラウルに任せる。邪魔者は、速やかに排除しろ』
「了解」
『オミ、ラウルを援護してくれ』
「うん、わかった」
 オミはセンの言うことしか聞かないが、その援護には期待できる。ラウルはありがたいと思いつつ、先行する同業者らしき人物がいつの間にか増えていることに気付いた。
「どこから湧いた・・・・・・?」
「二つ前の部屋からだよ。たぶん、送風ダクトか貨物エレベーターとかじゃないかな」
「そんな狭い所をよく這いずってくるもんだ。映画じゃないんだぞ」
 しかも、服装が明らかに力業仕様だ。腕に抱えられたサブマシンガンと腰に下がっているハンドガンに、うんざりする。そして、ラウルはふと気になった。
「なあ、イーヴァル。俺たちの逃走用の車って、防弾仕様?」
『大統領専用のキャデラックでない事だけは確かだ』
 うわまじかやっべーなどとラウルは口の中で呟き、素早く計算をし直した。
「作戦手順の変更を要求する。目標を入手したら、オミとセンは速やかに脱出。イーヴァルもすぐに車を追うこと」
『お前はどうする?』
「脱出の援護。こちとら銃社会で生きてきたんだぞ。土地勘も多少ある。任せろ」
 センは銃に馴染みがない。オミは人間には強いが、発射された弾丸をどうにかすることは出来ない。イーヴァルがいれば安全圏の選択範囲が広がる。
 ラウルは吸血鬼の感覚を全開にして、自分が対処すべき戦闘に備えた。
「センたちは、対物ライフルをぶっ放されないようにお祈りしながら、全力で逃げろ。そんじゃ、状況開始だ」