いつもそばに ―7―
カラカラカラカラと、糸車がまわる。マリーの綺麗な刺繍が施された靴が一定の間隔でペダルを踏み、その手元からはシュルシュルと細長く縒りをかけられた糸が紡がれていく。 「糸を紡ぐ前に、 そう言われて、ラウルはカーダーと呼ばれる一対の道具を使って、羊毛状の魔力を梳いた。これは金属の細い歯がたくさん並んだ四角い板に取手が付いたもので、毛が長いペット用のブラシを大きくしたように見える。糸を紡ぐ前に繊維の方向を整えたり、色を混ぜたりするのに使う道具だ。マリーの時代ではもう少し素朴な櫛だったが、現代の道具を知っているラウルが便利な物として自分の魔力で具現化させていた。 「ウールを混ぜるのも素敵。糸にしてから縒り合せるのも素敵」 ぼそぼそと呟きながら、マリーは糸車をまわし続ける。ラウルはそれを眺めながら、片手で握り込んで糸車に掛けられるよう、繊維を整えて円柱状に丸めたものを作っていく。 マリーの糸紡ぎに付き合って、ラウルはほどなくマリーの眷属としての能力に気が付いた。彼女は、「他人同士の魔力を混ぜ」「縒り合わせる」ことができた。 この能力の凄まじさは、ラウルがマリーの複合弓で試したところ、自分の足元から的にした木を超えて、地面が抉り取られるように吹き飛んだことで理解できた。ちなみに、山肌を削ってそのまま星が瞬く虚空へ消えた矢が、どこまで飛んでいったのかは気にしないことにした。 (これはちょっと強すぎる!!) こんなにヤバい力は要らないとラウルは青くなったが、そもそもマリーは魔力を紡いだり縒り合わせたりすることができるだけで、攻撃の出力はラウルに依存している。つまり、ラウル自身がヤバいという結論に達し、ラウルは自分のことに少々落ち込んだ。 しかし、ぼやっとしたまとまりのない魔力を集めて洗練させることは、エルヴィーラにも訓練しろと言われていた。それが操作や加減に重要だという事はわかっている。 (でもなんていうか、マリーの力は、それだけじゃないんだよな。そのさらに上っていうか・・・・・・) マリーの複合弓には矢がない。自分の魔力を紡ぎ、縒り合わせて、矢にするのだ。そうやって射た結果、ラウルは山容を変えてしまったわけだ。 「ダンテはいいな」 「そう?どういうところが?」 紡ぎ上がった糸でいっぱいになったボビンを外したマリーは、ペダルを使わず、指先で糸車の車輪を回した。 「マリーたちは、糸車。くるくるまわる、だけ」 くるるるる、くるるるる、とマリーの指先に押されて車輪が回る。 「ダンテはちゃんと終わって、新しい糸を始めた」 「ああ」 ダンテは他の眷属たちのように、復讐に『憤怒』の力そのものを使わず、人間として己の怒りを満足させて、一度死んだ。現実に起こした善悪は別として、自分の中で決着をつけ、昇華させることができたダンテと違い、マリーたちは終わることのない怒りや悲しみを宿しているのだろう。 「俺は、ベルフォートの眷属に向いていないらしい」 「・・・・・・それはきっと、いいこと」 マリーは新しいボビンをセットして、ドライブバンドの張りを調整すると、フライヤーを伝う導き糸にラウルが整えた羊毛の先をひっかけた。するすると細い糸がマリーの手元から伸び、フライヤーによって縒りをかけながら、ボビンに吸い込まれていく。それを確認したマリーは椅子に座り直し、ペダルを踏み始めた。 カラカラカラ、カラカラカラ・・・・・・。 「マリーが選べたのは、神様のお導き。ダンテはいいなと思うけど、マリーは、ああしてよかった」 「・・・・・・」 「マリーは、色々嫌い。大嫌い」 マリーの怒気がぶわっと膨れ上がるが、それは自分の要求を上手く伝えられないもどかしさや苛立ちも含められていることを、ラウルはよく理解していた。だから、彼女の怒涛のような感情を吸い取って紡ぐことができた。ラウルが操る、手紡ぎ用の細長い独楽のようなスピンドルに、マリーの怒りに満ちた魔力がくるくると巻き付いていく。 「・・・・・・上手く、話せるか、わからない。でも、ダンテに、聞いてほしい」 ぽつりぽつりと、零れ落ちるように呟きが発せられたのは、頼りないほど細くて、小さな背中だった。 マリー・ド・クロデルは、ヴェルサイユ近郊から外れた修道院に移り、少しずつ新しい生活に慣れていった。 貴族の生活に比べたら清貧極まるが、それでも衣食住に困らないし、セレスティーヌをはじめとする修道女たちは、マリーをよく気遣って世話してくれた。マリーは睡眠と食事とお祈りの時間以外は、用意された部屋に一人でこもり、ずっと糸車をまわしていた。 修道院に併設された工場では、幾人もの人が羊毛を洗ったり梳いたりと、忙しそうに働いていたが、その喧騒はマリーのところまでは聞こえてこなかった。 香水や白粉の匂いはなくなり、人間のざわめきや楽器の音は、時間を報せるくぐもった控えめな鐘の音だけになった。 とてもいいところだった、とマリーは回想する。 『マリー、夕食の時間ですよ』 鐘の音がしたので糸を片付けていたマリーを、ウインプルをかぶった三十過ぎくらいの綺麗な女性が呼びに来た。彼女がセレスティーヌだ。マリーは手早く道具をひとまとめにすると、セレスティーヌについて糸紡ぎ部屋を出ていった。 セレスティーヌは、元は子爵家のお嬢さんだった。しかし、将校だった夫が戦死してしまったので、こうして修道女になったらしい。いわゆる未亡人だ。貴族の生活を知っているので、マリーの世話も問題ない。 子供のいないセレスティーヌにとって、マリーは少し手のかかる娘のような存在だったようだ。物静かで愛情深いセレスティーヌに、マリーも珍しくよくなついていた。 修道院は、併設された紡績工場の他に、当時での病院も兼ねており、人の出入りはけっこうあったようだ。マリーは滅多にそちらへは行かなかったが、出資しているクロデル男爵の娘がいることは、まわりに知られていたらしい。難しい病気を患っているが、庶民の仕事である糸紡ぎが好きな変わったお嬢さまとして、ちょっとした親近感さえ持たれていたようだ。 しかし、マリーたちの静かで平和な生活は、さほど長くは続かなかった。マリーの主観であるから真相はよくわからないが、セレスティーヌとマリーはなにかの陰謀で貶められてしまった。 「あっという間だった。何が起きたのか、マリーはわからない。でも、セレスティーヌは、心当たりがあったみたい。すぐに、何も言わなくなってしまった」 修道院は一夜襲われ、マリーもセレスティーヌも寝巻のまま犯された。病棟に逃げ込んだ者は無事だったかもしれないが、工場は燃やされてしまった。 「ケダモノめ!なんて酷い事を・・・・・・!!マリーはまだ子供だぞ!!」 「知らない人たち。ヴェルサイユの兵隊とも、町の衛兵ともちがった。・・・・・・ユグノー、ユグノー、って、言っていた気がする」 「 一度は信仰の自由が認められていたプロテスタントが、再び禁止されたのだろう。ラウルが見た限りでは、マリーとその父親とセレスティーヌはカトリックだったようだが、当時フランスの 「でも、マリーたちは 「裁判なしの、完全な私刑・・・・・・あるいは暗殺か。そこまで隠蔽出来てしまう権力者が、マリーたちを貶めた相手だったってことか」 胸糞悪さに顔をしかめたラウルに、マリーは無表情のまま頷いた。 『いぎゃあああああああああ!!!あああああああ!!!!』 『くそっ、黙れ!このっ!』 『ぐおおおおっ!!うぎゃあああああああああああああああ!!!!』 パニックを起こしたマリーは、叫び声をあげながら抵抗し、何度顔を殴られても、気絶するまで黙ることはなかった。圧し掛かってくる男たちをひっかき、噛み付き、力の限り暴れて、気が付いたら修道院の外に転がっていた。 燃えている工場の光が、腫れ上がったマリーの顔を照らしている。股間も痛いが、顔も身体の何処かしこも痛かった。このまま死ぬんだろうなと思いながら、マリーは血の味がする口の中から折れた歯を吐き出し、のろのろと視線を動かした。 『セ、レス・・・・・・』 腹を引き裂かれ、顔面をめちゃくちゃに潰されるという、無残な姿のセレスティーヌの、長いプラチナブロンドが地面に広がっていた。マリーはそれを見て、ただ呆然とするしかなかった。 『んん・・・・・・これは少々、困ったものだ』 心底困惑した声音が歩いてきて、マリーの傍にしゃがみこんだ。 『あ・・・・・・』 『久しいな。ヴェルサイユを出てから、息災であったか』 マリーの額を撫でるベルフォートは、相変わらずかつらをかぶったジュストコール姿だ。 『しかし、セレスティーヌも死んでしまったし、おぬしの父親も、すでに処刑されておる。哀れなことよ』 『パパ・・・・・・!?』 いつの間にそんなことになっていたのかと、マリーはまるで思考が追い付かなかった。それでも、自分に優しくしてくれた人がもういないという現実が、セレスティーヌの体から流れ出る血のように、マリーの鈍い感覚に徐々に染み込んでくる。 『うそ・・・・・・うそ・・・・・・』 『手軽につまめるボンボンであったおぬしの力になってやりたいところだが、おぬしは素養のわりに脆すぎるのだ。さて、どうしたものか・・・・・・』 ふむ、とベルフォートは考え込み、しばらくあたりを眺めまわしたあと、再びマリーを、その燃え盛る炉のような目で見下ろしてきた。 『おぬし、糸紡ぎが得意だったな?』 マリーが頷くと、ベルフォートはニタリと厚い唇を歪ませた。 『我に挨拶をしたマドモアゼルであるから、最後に選ばせてやろう。このまま自分一人の無念を抱えて人間として死ぬか、おぬしの大事な者たちの無念を集めて怒るか、どうする?』 マリーは即決で後者を選んだ。 『マリーは、マリーに出来る事をする。パパが、そう言った』 『よかろう!手引きはしてやるゆえ、安心するといい』 こくりと力強く頷いたマリーは、絶望のうちに死んだセレスティーヌの悲しみと、巻き添えで辱められ殺された修道女たちの怒りと、工場を焼かれておののく職人たちの憤りと、ベッドで震えるしかできなかった傷病人たちの恐怖と、政争に敗れた父の無念とを、かき集めた。そして、自分が持つ激しい癇癪に混ぜ、くしけずり、紡ぎ、紡ぎ、紡いだ。 たとえマリーに力が無くて一時しかもたなくとも、最高の一撃が加えられることが望みだった。 『パパとセレスティーヌを返せ!!マリーに返して!!』 マリーが自身を触媒に顕現させた古竜ペルーダは、みっつの町とひとつの城塞都市をめちゃくちゃに破壊すると、煙のように消えてしまった。そして同時に、ヴェルサイユにあるいくつかの屋敷が、雷に撃たれたように燃え落ちた。 その間、わずか二日の出来事だった。 手の中にある青白い複合弓を眺めながら、ラウルはその飾り気のなさと、拡張性の高さに、あらためて感心していた。 (違う物を組み合わせ・・・・・・縒り合わせて・・・・・・作る) ラウルが自分の好みになるよう、自分自身の力を縒り合わせれば、マリーの複合弓はそれに合わせて、性能や形を変えた。 「・・・・・・」 植物や動物の素材で作られたように見える、小型で、両端が反りかえった、マリーの 「見て、マリー。糸車みたいだ」 「本当!とっても素敵よ、ダンテ!」 膝をついて弓を見せたラウルに、マリーはぎゅっと抱きついてくる。ラウルは彼女をそっと抱きしめ返し、感謝の意を伝えた。 「ありがとう、マリー」 「一緒に糸を紡いでくれるから、マリーはダンテが好きよ」 ラウルの力を注がれた複合弓には、それまでなかった雷霆の装飾が浮き出ていた。 |