いつもそばに ―8―


 クラスターが持ってきたラウル作成のレポートを読み終わり、ヴェスパーは執務室の椅子に座ったまま穏やかに微笑んだ。
「そういうわけで、正確にはマリーは竜族になったんじゃなかった。頑丈なはりぼてを作ったんだな。討伐されたというのも誤解で、自分たちをハメ殺した連中を叩き潰して、満足したんだか力尽きたのかして、消滅しただけだった」
「族長としては、伝説の謎がひとつ解決されたわけだな」
「ふん。『憤怒』って奴は、相変わらず、ろくなことしねえ」
 応接ソファに深く座ったクラスターは、実に嫌そうに眉間にしわを刻んだ。
「ところで、お前はダンテに会いに行かなくていいのか?」
「私は行かないよ」
 非難と言うより、むしろ不審そうな眼差し向けてくるクラスターに、ヴェスパーは可笑しそうに喉で笑った。
「なんて顔で見てくる」
「うっさんくせぇ。あのヴェスパーがダンテに会うのを我慢しているなんて、誰が信じるかよ。なにを企んでいやがる」
「失敬な」
 ヴェスパーは心外だと唇を尖らせたが、クラスターは全然信じていない様子で、宝石や刺繍で飾られた長い袖や裾を払って立ち上がると、ぼりぼりと頭をかきながら腰を伸ばすように歩き出した。
「強くなってるぜ。単純な力比べなら、まだ俺に分があるが、あれはもう、戦略級のバケモンだ。災害級の『罪源』の下としては最高峰だな。一人でこの国の戦力を超えるのも、時間の問題だ」
「・・・・・・」
「救いなのが、それがダンテってことだ」
 ミルド家、ひいてはホルトゥス州、そして異形達の味方であり、また基本的に心優しい穏やかな性格をしている。ホルトゥス州にいる限りは、滅多なことにはならないはずだが、州外の人間にとっては脅威に違いない。
「もちろんダンテを人間には渡さないし、彼等の悪意にさらされるようなことは、厳に避けなければならない。あの子がトランクィッスルに降りてくる許可も、軽々には出さんよ」
「賢明な領主で助かるが、キビシイ兄貴だな。・・・・・・あのダンテじゃ、もううちの若い連中が束になっても、相手にならんかもしれんな。簡単にあしらわれそうだ」
「そうか。またあの子と遊んでやってくれ、クラスター」
 ひらひらと手を振ってクラスターが執務室を出ていくと、ヴェスパーは深く椅子に座り直した。
 ラウルのレポートに添えられた私信を封筒から取り出し、その見慣れた筆跡を目で追う。しっかりとした太さと落ち着いた書き筋の、読みやすい文字だ。
「私は行かないさ・・・・・・あの子が、私の所に帰って来るのだ。私が動いたら、あの子は何処に帰ればいいのか迷ってしまうじゃないか」
 ラウルが山荘にひきこもってから、何度目かの夏が終わろうとしていた。


 冬支度を始めた動物たちが眠る森を見下ろす岩棚に座り、ラウルは乾いた空気を吸い込んだ。
 ここに住むようになってから、指折り数えるほどの年月が経ったが、いまだにトランクィッスルに帰れるめどが立っていない。
 不確定要素が多いものの、怒り感情の発露コントロールはだいぶ慣れてきた。ベルフォートの眷属たちの力、真祖としての力も、すでに獲得して自由に扱うことができていた。問題は、その大きすぎる力を自分の中にしまっておくことができないことだ。
(クロム神父も、こんな感じだったのかな?)
 一度きりの会談から、久しく会っていない青年を思い浮かべる。彼はまだ教会にいて、元気にしているだろうか。
 駄々洩れの魔性は山荘にいるシルキーたちも怖がらせてしまうので、ラウルも早くどうにかしたいとは思っているのだが、なかなか進展がなかった。
「・・・・・・おい、ジョヴァンニ。くすぐったいぞ」
 自分の中で巡る魔力を、あっちを弄ったりこっちを弄ったりする気配に、ラウルは身震いして体中をボリボリ掻いた。
『いやさぁ・・・・・・ダンテって、けっこういい魔力回路持ってるのに、使いこなせてない感じだからぁ・・・・・・もうちょっと安定して出力上がると思うんだよなぁ』
「俺をバイクやF1のエンジンと一緒にするな」
『細かいこと気にするなよ、私がいい感じに調整してやるから。“奇術師”ジョヴァンニ様を信じなさい』
 奇術師じゃなくて技術者に転職したらどうかとラウルは思ったが、魔力の動かし方に関しては、感覚的なマリーよりも実践的なジョヴァンニの方が信頼できた。
 ジョヴァンニの眷属としての能力は『炎の幻惑イリュージョン』。いわゆる火属性魔法というやつだが、彼の場合は実と虚の両方を使いこなし、まさに手品のように相手を惑わせて隙を作らせることができた。ジョヴァンニの観察眼と緻密な魔力運用があってこそ、旧市街地で瘴気を出していた転移門を塞ぐことができたのだ。
 ラウルに力を託してからほとんど出てこなくなった烏の能力は『軍団レギオン』。あの時見たように、戦闘力を有した兵士を作り、指揮することができる。ラウルもやってみたところ、なんと昔の自分が分身したように十人ほど出てきた。白いフードをかぶった痩せた人影たちが、ラウルの指示ひとつで一斉にクロスボウを構えたのは、勇壮というより不気味の一言だった。いまはクロスボウを持った十人だけだが、訓練を重ねれば人数が増えるし、これらの兵士に持たせる武装も増やせるという予感があった。
 マリーはもちろん『糸紡ぎスピアラ』。魔力を糸のように紡ぎ出し、細く先鋭化させると同時に、縒り合わせて強靭さを出すことができた。これはマリーの複合弓の矢であるが、特筆すべきはラウルの防御力を飛躍的に上げることができるということだ。以前ベルフォートに言われたように、武器はベルフォートの眷属が持っている物を使うが、防具は自前の魔力で賄うことにしていた。その防具や防壁を作るのに、マリーの糸は大いに役立ったのだ。
 三人からそれぞれの武器と能力を託され、それを使いこなすことに一生懸命だったラウルは、ふと思い出した。
「そういえば、俺の眷属としての能力ってなんだ?」
「「「は???」」」
「うおっ、びっくりした」
 一気に三人の影が自分から飛び出してきて、ラウルはひっくり返りそうになった。
「あんだけウーの旦那にボコボコにされていて、気付いてなかったのか!?」
「え・・・・・・?」
 本気でわからなくてラウルが首を傾げると、マリーが気の毒そうにラウルの頭を撫でてきた。
「俺、なんかやったか?」
「・・・・・・ダンテは、ぶたれるほどいい」
「なにそれ!?変態じゃん!?」
 ラウルはショックを受けたが、マリーの言い方がちょっと悪かったらしい。
「貴殿の能力は、『復讐ウルティオ』でござる」
「つまり、被ダメージに応じて攻撃力が上がるってこと」
「あ、あぁ〜・・・・・・」
 そういうことか、とラウルは納得した。言われてみれば、なんとなくそうかもしれないと思い当たる節があった。烏と戦っていた時、クラスターと戦っていた時、と。
「あんまり実感がなかった」
「ダンテは本気を出すまでが長いんだよ。もっとしょっぱなからブチィッてなっていいんだって」
「さよう、さよう」
 烏に合わせて、マリーもコクコクと頷いている。
「いや待て、言いたいことはわかるが、俺をお前らと一緒にするな。そんなことしたら、社会生活が送れないじゃないか。いいか、俺はトランクィッスルに帰るために、ここで修行しているんだ」
「がんばれば、できる」
「マリー・・・・・・」
 両手を小さな拳にして、ふんすと可愛い気合を入れるマリーの応援なら、ラウルは受け入れざるを得ない。
「行き詰まり、迷った時は、初心に返ることが大事でござろう」
「初心、初心かぁ・・・・・・」
 烏のアドバイスにラウルは山荘に来たばかりの頃、サイラスに何度も怒らされていたことを思い出した。その前は、高飛車ですぐ短気な言い方をするエルヴィーラのお伴をしていたことも。
「うん、毎日の小出しがいいんだな」
「そうそう。ただ、この駄々洩れの魔性はどうにかなんないかなぁ?」
「これは高位である証。我々では、如何ともしがたい」
 ジョヴァンニと烏がそろって唸っているのを、不思議そうな顔でラウルに抱きついているマリーが見上げた。
「マリーは、好きよ。とっても落ち着く」
「そりゃあ、私たちは・・・・・・あっ!」
 何か思いついたらしいジョヴァンニは、愛嬌のあるイタチ顔をにんまりと笑顔にして見せた。
「キミ、吸血鬼なんだからさ、そういう・・・・『魔性』に意識して書き換えちまえよ。自分に馴染みがない・・・・・・他人事のように感じるものだから、操りにくいんじゃねーの?」
「!?」
 それは悪魔のささやきにも似た、発想の大転換だった。

 一週間ぶりに顔を見せたサイラスを、ラウルは笑顔で迎えた。
「おかえり。休暇は楽しめた?」
「ラウルさんが山荘の中を破壊しないか心配で、なかなか・・・・・・」
「むっきー!あー、腹立つ、ムカつく、サイラスのばーかばーか」
「小出しの発散が、旦那様並みに上手になりましたね。大変結構なことですが、もう少し語彙を選べるようになりましょう。ばーかばーか、はさすがにお子様過ぎて、お嬢様に呆れられてしまいますよ」
「ふぎぃいいぃぃぃぃ!!!」
 地団太を踏むラウルをよそに、トランクィッスルから戻ってきたサイラスは、城から派遣されていた交代要員との申し送りを始めた。
 山荘を擁する山地から出ないラウルと違って、サイラスは時々トランクィッスルに戻っていた。いくらサイラスが仕事の鬼とは言え、休まねば体を壊してしまう。もっとも、「休暇も仕事の内」と考えている節も、無きにしもあらず、ではあるが。
「・・・・・・ラウルさん、ちょっと変わりましたね」
「え、そう!?わかる?」
 ぱあぁっと明るくなったラウルの表情に、サイラスは落ち着いた態度を崩さずに頷いた。
「ええ。いつもより魔性の攻撃的なところがありません。なにかコツをつかんだのですね?」
「えへへっ。そういう細かい所に気付くから、やっぱサイラスってすごいな」
「当然でございます」
 しれっと受け流したサイラスは、ヴェスパーから預かってきた手紙をラウルに渡すと、お茶の用意をしてきますと言ってパントリーへ行ってしまった。
 ラウルは自室に戻り、手触りのいい封筒から、伯爵家の紋章が透かしに入っている便箋を取り出した。公的な手紙ではないのだから、こんなに高級なレターセットを使わなくてもいいのにと思うが、電子メールが普及した昨今ではレターセット自体を使う機会が減ったとかで、ヴェスパーはラウルにも同じものを使うよう渡してきている。
「・・・・・・元気そうだな」
 ずいぶん顔を見ていないが、こうしてやり取りする肉筆の手紙から伝わる温もりは、変わらずラウルの目元を和らげた。
 ラウルの体調などを気遣う書き出しから、最近の出来事などを面白く伝える文面が続き、末尾の言葉はいつも変わらない。『お前が帰る場所で待っている』と。
(大丈夫。ちゃんと帰るよ)
 いまはまだ無理だけど、必ず帰る。ラウルは便箋を丁寧に折りたたんで胸に抱き、焦る心と郷愁を拒むことなく、じっくりと自分の中に溶かしていくのだった。