いつもそばに ―6―
クラスターによると、ラウルがダンテとしてトランクィッスルに来る何十年も前・・・・・・トランクィッスルという町がまだ存在せず、クラスターもホルトゥス州に移住していない頃に、マリーという人間がドラゴンに成ったことがあるらしい。 そんなことがあるのかとラウルは驚いたが、クラスターも彼女を見たわけではなく、いままで半信半疑だったそうだ。 「お前も知っている通り、俺たち竜族も『 「そうですよね、竜神が人の形をとるわけでも、 生物としてまったく違うツリーを飛び越えるなんて、ちょっと信じられないとラウルも首を傾げる。 「俺がマリーの噂を聞いたときには、すでに討伐済みだったんだ。ちょっとしたボヤみたいな出来事だったが、人間への被害は、けっこうヤバかったらしい。・・・・・・なにしろ、ペルーダなんて、何世紀も聞いてねえ厄介者だ」 「ペルーダ?」 「人間どもの言い伝えだと、旧約聖書の大洪水よりも昔から存在しているって怪物だ。大きさは牡牛ぐらいで、俺たちからすれば、たいしたサイズじゃねえが、人間どもにしたらかなりデカく感じるだろうな」 蛇の頭と尾があり、亀のように太い四つ足、体は長い毛でおおわれ、背には猛毒の棘がある。口から火を噴き、川に潜んで洪水を起こさせるらしい。竜族ではあるものの、かなり古い形を残しており、意思疎通も難しいのではないかと、クラスターたちの間でも言われていた。 「ダンテ、当代の竜族の長として、頼みがある。マリーという人間になにがあったのか、本当にペルーダに成ったのか、確かめてくれ」 「わかりました」 ラウルがクラスターを真っ直ぐ見詰めて頷くと、クラスターはニヤリと唇をゆがめ、さっそく今日からラウルを鍛えると言って外へと連れ出していった。 ラウルがマリーについてジョヴァンニに聞くと、彼は困ったように眉尻を下げてみせた。 「ヒスガキ?」 「なんで疑問形なんだ」 「いやなんつーか・・・・・・普段無口で、何考えてるのかわかんないんだけど、いきなりキレるんだ。発火点がわからねーんだよ」 呼び出してみればわかる、と言われて、ラウルは青白い複合弓を手に、マリー・クロデルを呼び出してみた。 「ふむ、なるほど・・・・・・」 絹のドレスを着た十歳くらいの少女が、ラウルの向かい側のガーデンチェアにちょこんと座って、鼻歌交じりに羊毛・・・・・・のように見えるふわふわした何かを、両手でちぎるように伸ばして、小分けにしていく。それは糸紡ぎの過程だと、ダンテの記憶があるラウルにはわかったが、糸紡ぎは身分の低い娘の仕事であって、貴族令嬢がすることではない。 「糸紡ぎが好きなんだね」 マリーはラウルを見ようともせず、こくん、と頷く。波打つ長いブルネットに、羊毛の切れ端がくっついている。 (たぶん、生まれつきの障害か、精神疾患があったんだろうな。それか、重金属中毒かも・・・・・・この時代じゃ、原因もわからなければ、治療法や対処法もない) ビジョンの中でヒステリーを起こし、真っ赤な顔で泣き叫びながら、クッションやシーツやその辺の小物類も見境なく投げるマリーを眺め、ラウルはかすかに眉をひそめた。現代ではなにがしかの診断が出るだろうが、彼女が生きた時代の医学では無理なことだ。 (よく悪魔憑きだなんて言われて殺されなかったな) それも、貴族だからだろう。 マリー・ド・クロデル男爵令嬢が生きたのは、西暦1680年代以降のフランスだ。なぜそれがわかったかと言えば、彼女の記憶に「ヴェルサイユ宮へ行く」「大人の関心事のひとつはイスパニアの王位」というものがあったからだ。華やかりし太陽王の御代に、クロデル男爵家もヴェルサイユ宮の近くで暮らさねばならなかったようだ。 「ダンテ」 「なぁに?」 マリーはほぐした羊毛でいっぱいになったカゴをテーブルの下に置くと、新しい何も入っていないカゴを、ガーデンテーブルの上にでんと置いた。 「 「えっ・・・・・・うーん、ここにはないんだ。取り寄せてもらおうか」 マリーの眉間がギュッと寄せられ、ラウルはうっと仰け反った。唇を尖らせ三白眼になったマリーの睨み顔は、結構な迫力がある。 「ダンテのウールを頂戴」 「え、俺のウール?」 羊になった覚えはないが、と首を傾げたラウルだったが、もしやと自分の魔力を羊の毛のようにもっさりとしたイメージで出してみた。 「わあぁっ!」 「こ、これでいい?」 「うん!」 笑顔になったマリーは椅子から降りて、うきうきとラウルの魔力をむしってはカゴに入れていく。そして、あらかたむしり終わると、再び椅子に座って、羊毛をほぐす作業を繰り返す。 (やれやれ・・・・・・) ラウルは教員の免許は持っているが、療育の知識や経験まではない。マリーとのコミュニケーションは、肉体言語が中心だった烏とのやり取りよりも困難かと思われた。 「ラウルのウールは綺麗ね。臭くないし、ちっとも汚れていない」 「そう?ありがとう」 「真っ白じゃないけれど、マリーの髪と同じ色だから、大好き」 言われてみれば、ラウルの髪の色は、マリーの髪の色と似ている。同じような、よくある栗色だ。ラウルが羊毛をイメージして出した魔力も、同じような色をしているのだろう。 「ねえ、それ面白い?」 「うん?」 マリーが指して言ったのは、ラウルが見ている自分の過去だ。 「そうだねえ、面白いか面白くないかよりも、なにがあったのか知りたいんだよ」 「マリーに聞けばいいじゃない」 「教えてくれるの?」 「いいよ」 というやり取りも、実はこれで三回目だ。マリーが教えてくれると言うので、ラウルはこのビジョンを見ているのだが。 「マリーは、ベルフォートに出会った時のことを覚えている?」 「?」 手を止めたマリーが、きょとんとした表情でラウルを見上げてきた。 「ベルフォート・・・・・・?」 「えっ・・・・・・」 まさか知らないのか、どうなっているんだ、とラウルは混乱しつつ、マリーにベルフォートの容姿を伝えた。ラウルと同じくらいの背丈で、いつも貴族みたいな服を着ていて、癖のある黒髪で金色のメッシュがあり、目が真っ赤でキラキラしている男だ、と。 「・・・・・・」 「っ・・・・・・」 ぎゅんっと無理やりビジョンがかき乱され、ラウルは吐き気のする酩酊感にしばし目を瞑った。 『マリー、そんな所でなにをしている』 (この声は・・・・・・クロデル男爵かな) マリーの父親と思われる声に目を開いたラウルは、予想通り冴えない風貌の男を捉え、そして、スカートをつまんでお辞儀をしている、もっと幼いマリーを見つけた。 『マリー?さあ、行こう』 『・・・・・・我が見えるのか』 『うん』 周囲の貴族と同じように、長いかつらをかぶり、煌びやかなジュストコール姿になっているベルフォートの前から、マリーは父親に手を引かれて離されていった。マリーはどういうわけか、普通の人間には見えないはずのベルフォートの姿が、最初から見えていたらしい。ベルフォートを振り返り振り返り、マリーは手を引かれて、着飾った貴族が笑いさざめく庭園の中央へと引っ張られて行った。 「これ?」 「そうだ」 「ふーん」 そこで、ビジョンはブツっと切れてしまった。 「え?」 「夜会もお茶会も、大嫌い」 「そうか、ごめんね」 ルイ14世はとにかく日常生活やマナーを様式化したがり、それを国王である自分のみならず、貴族にもそうするよう求めたらしい。ただでさえ自分にこだわりがあるマリーには、自身に課したルーチンは良くても、他人と同じ事を強いられるのは窮屈過ぎたことだろう。 「知らない人がいっぱいいて、ぎゅいぎゅいぎゃんぎゃん音がするのが、一番嫌」 「ああ、楽団もいたか。俺も、大きな音は嫌いなんだ」 「じゃあ、マリーと同じね」 「そうだね」 マリーはラウルの魔力で出来た羊毛をほぐし終わったらしく、先に作業を終わらせてあったカゴと一緒に抱えた。 「またね」 ふっと少女の姿が消え、ラウルは一人残されたガーデンチェアに肘をつき、夜明け前まで思案に暮れるのだった。 マリーとの交流は、彼女の機嫌をみながら実に数ヶ月にもわたり、ラウルは地道に聞き取りを続けていた。そのなかで、いくつかの重要な出来事や人物を知ることができたが、ラウルが最も感心したのは、マリーの父親に関してのことだ。 クロデル男爵は冴えない風貌の中堅官僚だったが、彼はマリーの将来に関してよく心を砕いていた。安易に嫁にやるとか婿を取るのではなく、糸紡ぎが好きなマリーが、ずっと糸を紡いでいられるよう、修道院に多額の寄付をして紡績の工場を作らせ、国軍の制服に使えるようねじ込み、御用達の看板を得て新大陸向けの流通にも製品を乗せることに成功したのだ。マリーがこれを理解するのは少し難しいようだが、ラウルからすれば、彼女の父親はすごいやり手だと感嘆の念を禁じ得ない。 この頃、国王も長い戦いで出た傷病兵の為の施設を造るなど、福利厚生に関心が高かったので、男爵は支援を受けて追い風になったようだ。 (早々にマリーを見捨てた母親とはえらい違いだな) マリーは知らない人間や大きな音、それに強すぎる香水の匂いに過敏で、行動を制限されると一瞬でキレた。拙いながらも話すことはできたが、文字の読み書きはほとんどできなかったようだ。マナーを教える家庭教師が根気よく付き合ったおかげで、型通りに進めることができる食事は出来るようになったが、お茶会は無理だった。気分ではない時に使用人たちに話しかけられるだけでも、手が付けられないほど暴れだしたが、ただ、糸紡ぎさえしていれば一日中静かだった。 そんなわけで、貴族的な振る舞いには程遠いマリーを、母親はかなり早い段階で見放して関心の外に放り出していたが、父親はせめて修道院で暮らせるようにと手を尽くしていた。 そして、マリーの母親代わりともいえるほど愛情を注いだのが、修道女セレスティーヌだった。彼女はとても献身的だったが、マリーが事件を起こす遠因のひとつでもあった。 |