いつもそばに ―5―


 山荘のリビングでくつろぎながら、半世紀近く前からシリーズが続くキョンシー映画を鑑賞したラウルは、アイスティー片手にぼんやりと呟いた。
「キョンシーって、倒すの難しいな。吸血鬼と同じで」
「たしかに僵尸ジアンシーは不死族で人間を襲って殺しますが、本来吸血鬼のような生態はありませんよ。あれは、ほぼ映画オリジナルです」
「あ、そうなんだ」
 サイラスの説明によると、諸説あるが映画の僵尸は清代以降の道教の伝承を参考にしたもので、そもそもは日照りの女神・ばつが変異したものらしい。
「干ばつが原因の死体なので、どちらかと言うとミイラのような状態です。火が弱点なのは変わりませんが。『西遊記』に登場する白骨夫人も、僵尸のカテゴリーに入るそうですよ」
 ミイラなら燃えやすいだろうなぁ、などとラウルは不謹慎なことを思ったが、それよりも烏と烏が従えた僵尸たちはどうなのだろうと考えた。烏と僵尸たちは、ミイラや白骨とは言えないフレッシュさで、グールとかゾンビに近いイメージだ。そもそも、文字は死後硬直した死体を意味し、魂が抜けたただの死体が動き出したものも僵尸と言うらしく、適用範囲はかなり広いようだ。
「でもやっぱり、最終的には火葬するのがスタンダードなのか。えー・・・・・・あのアホみたいに強い叔藍シゥーランが、その辺の人間に倒されて火葬されるかぁ?」
 ラウルはウーに叩きのめされすぎて、少々現実不信になっているらしい。夜しか動かない僵尸を人間が倒すなら、昼間にその肉体を見つけることが必須だが、烏なら例え日中でも動き回って、散々に人間をぶちのめしたに違いないと眉をひそめるのだった。

 屍尢シィーイォウという僵尸を従えるほどの存在に成った烏は、それから地縛妖怪のような状態で、あの付近の森を縄張りにして、峠道を通ろうとする軍隊をことごとく食い殺していたそうだ。だから、その間に縄張り以外の場所で起こったことは、自分の主君の事を含めて知らないらしい。
「でも、こうして武器庫に収まっているという事は、どこかで滅びたんだろう?討伐されたのか?叔藍が強すぎて、イメージ湧かないけど」
 素早い双剣の軌跡から身を躱し、ラウルは低い姿勢で大鉈を地面と水平に払った。びゅっと鳴った空気を、烏の影が跳躍で避け、双剣から短弓に替わった武装から放たれる矢を、ラウルは横に転がりながら避けた。そして、大剣を両手に構えて突進してくる烏を止めるため、大鉈から大戦棍に替えて、がっきりと打ち合った。
「もうひとつ、わからないことがある。このソードメイス、叔藍が使っていた武器じゃないだろ?いままであんたが使っているところを、見たことがない」
 とんっと自ら退いた烏が、少し戸惑い気味に武器を収めると、視線をラウルから大戦棍に移した。それを追ってラウルが自分の両手で持った物を見ると、それは大戦棍ではなく、カチコチに硬直した血まみれ死体になっていた。ラウルの両手は、死体の足首を掴んでいたのだ。
「うっひょぁあああ!?」
 思わず手から放り出して飛びすさったラウルの姿が滑稽だったのか、烏の影が可笑しそうにさざめいた。
「なんなんだよ!おどかすな!」
 ぱんっぱんっと手を払ったラウルの脳裏に、わずかなビジョンが流れ込んできた。ノイズだらけの荒れたビジョンには、逃げていく鎧姿の人間が見えた。
「・・・・・・あぁ、なるほど。集合的無意識ってやつか。僵尸を従えて、人間をちぎっては投げちぎっては投げする、めちゃくちゃ怖い叔藍のイメージを、逃げていった人間が広めたんだな。そういえば、センも日本の鬼がなんで棘付きの金棒を持っているのか知らなかったな。そういうものだって・・・・・・」
 烏の影が苦笑うような気配で首肯し、地面に転がった大戦棍を拾い上げた。
 青白い光を宿したそれは、全長がラウルの身長とほぼ変わらない180センチを越え、一見すると巨大な金棒だが、柄から先に行くほど太く、径に至っては最大30センチにも及び、五つの芒を有した星形をしている。この大戦棍を見たセンの第一声が「オクラみたいだな」だったのは、ラウルは烏に黙っておくことにしている。
「え・・・・・・?」
 烏が大戦棍を地面に突き立てると、その場から続々と白っぽい塊が湧き出てきた。いくつも、いくつも。
「・・・・・・これが、叔藍の力か。すごいな」
 烏の前にざっと整列した人影たちは、みな武装しており、一体一体がかなり強そうだとラウルには感じられた。
「すでに、それがしの力ではござらぬ」
「へ?」
 珍しくこちら側でしゃべった烏にラウルが驚いていると、白い兵たちを引き連れた烏が、ラウルに向かって歩いてきて、そのままぶつかるように溶けていった。
「っ・・・・・・!」
 強く頭を揺さぶられるような感覚と共に、またモノクロのビジョンの中へと降り立ったラウルは、どこからか烏を呼ぶ声に耳を傾けた。
『・・・・・・藍!・・・・・・叔藍!』
(あっちかな?)
 薄暗い森の中を進み、街道に出ると、見覚えのない老人が立っていた。いや、老人と言うには若い。病でも患っているのか、ひどく痩せているせいで、老けて見えるのだ。せいぜい、五十代前半、と言ったところか。
『おおっ、叔藍・・・・・・!よかった、見つけた!やっと、見つけた!!』
(いや、この人、一人じゃない)
 男の背後には、かなり離れているとはいえ、大勢の人の気配がした。それも、鎧を着た兵隊だ。
『大丈夫だ。彼等は私の味方で、ここに来るまで護衛してくれたのだ。敵意はない』
(この人、本当にだれ・・・・・・あ!?)
 痩せて頬がこけた男を正面からじっと眺め、ラウルはその面影に息を飲んだ。そして、彼の背後にいる兵たちも、ざわめくように驚きを示していた。
 化物であるはずの烏が跪いて拱手をし、男に対して臣下の礼を取ったからだ。
(あの男の子!!こんなに成長したのか!)
 どうやら烏の主君は、あれから無事に逃げられたらしい。
『遅くなって済まない、叔藍。見ての通り、そなたのおかげで私は生きながらえた。・・・・・・叔藍・・・・・・おぉ、叔藍・・・・・・こんな姿になって・・・・・・!!苦しかろうに、寒かろうに・・・・・・!』
 すまない、すまないと、痩せた男は変わり果てた烏に縋って、おいおいと声をあげて泣き始めた。
(やっぱり、ちゃんと信頼関係があったんだな)
 いくら烏が厳しく少年にあたっても、少年が体調を崩して寝込んだ時には、必ず烏がそばに控えて看病していた。両親を早くに失って後ろ盾のない少年を、あの時まで烏がずっと護ってきていたのだ。
『もうよいのだ。約束通り、迎えに来た。さあ、行こうではないか』
(どこへ?)
 ラウルは首を傾げたが、やや苦し気に胸を喘がす烏の主君に、なんとなくその先を悟ってしまった。
『叔藍よ、そなたの主として、最後の命を下す。私の死出の旅路の伴をせよ。私はそなたのおかげで生き延び、そして老いて、死病を得るほど生き永らえた。死す時も、そなたと一緒が良い』
『御意』
 烏の返事に、男は満足そうに微笑むと、両脇の森に向かっても声をかけた。
『おぬしらも、いっしょに行かぬか。冥府には、恐ろしい怪物がいるらしい。おぬしらがいれば、きっと心強かろう』
 ぞろぞろと森から出てきた僵尸たちが、烏らの周りに集まり、ぴたりとひとかたまりになった。
 兵士たちによって薪が積まれ、石炭の粉や油が撒かれる。
『老師!』
『よろしく頼むぞ!これまで、世話になり申した!』
 『射!』という号令と共に火矢が撃ち込まれ、烏とその配下は、かつて幼かった主と共に、立ち上る煙と炎の中に消えていった。
 これが、長年峠道を占拠して暴れまわっていた、屍尢・烏の最期であったという。
「・・・・・・・・・・・・」
『護りたいものがあり、忠義に厚く、十分な力量を持ち、そして愛される絆を得ている・・・・・・貴殿に、それがしの罪から生まれた力を託そう。貴殿ならば、それがしとは違い、正しく使えよう』
 己を責め続けた責任感の強い屍尢の声を、ラウルはしっかりと胸に刻んで頷いた。
「・・・・・・ありがとう、叔藍。あんたの生き方に恥じない使い方をするよ」
 青白い大戦棍の鍔近くには、ただシンプルに、「群狼」との刻印があった。


 そろそろ夕日が沈もうかという時刻、ラウルはのそのそと棺桶の蓋を押しあけた。ベッドもあるのだが、最近はふかふかなクッションが詰まった棺桶の狭さが心地よく感じてしまっている。
「ふぁ、はぁ〜」
 眠い目をこすりながら起き上がると、ぼんやりとした体の熱にうんざりとなった。体調が悪いのではなく、力がみなぎり過ぎてオーバーフロー気味なのだ。毎日発散するにも、一人では限度がある。
(精神的には、だいぶ安定してきたと思うんだけどなぁ)
 とはいえ、ずっとサイラスぐらいとしか会話をしていないので、人里に降りてからどうなるかは、まったく見当がつかない。
 顔を洗って着替えを済ませたところで、いつもどおりサイラスが食事に呼びに来た。
「おはようございます、ラウルさん。お客様がみえられています。お食事も一緒にとられるそうですよ」
「客?」
 ラウルがこの山荘に引っ込んでから、一帯はヴェスパーによって立ち入り禁止になっていた。無断で一般人が入ってくることはないが、ラウルを訪ねてくる者も、ヴェスパーの許可がいるのでほとんどなかった。
 ラウルがダイニングに入っていくと、毛先の跳ねた長い黒髪がこちらを振り仰いだ。
「よぉーう。元気そうだな」
「クラスターさん!お久しぶりです」
 ヴェスパーの無二の親友で、竜族の族長、黒竜のクラスターだった。もちろん、前世から交流のあるラウルとも親しくしているが、なにしろ族長と言う立場があるクラスターは、普段軽々に街中へは出てこない。
 サイラスたちの給仕で朝食・・・・・・クラスターにとっては夕食になるが、二人とも健啖家らしく料理を平らげていく。
「よちよち歩きの赤んぼが、ずいぶんやんちゃに動けるようになったじゃねえか。ん?」
「おかげさまで。でも、まだまだ力に振り回されているよ」
「じゃあ、この俺様が揉んでやる。遊び相手がいた方がいいだろ」
「え、いいの?」
 ホルトゥス州で屈指の頑強さと攻撃力を誇るクラスターであれば、十分にラウルの修行相手を務められるだろう。
「おうよ。ヴェスパーには言ってあるからな。ちっと付き合え」
「喜んで!ありがとうございます」
「踏みつぶしてやるからな。覚悟しとけ」
 牙を見せつけるように獰猛に微笑むクラスターだが、ラウルは怯えるよりも、ドラゴンと戦うロマンに胸を躍らせる方が勝った。
「それからな、ちょっと確認したいことがあるんで来たんだ」
「なんです?」
 デザートのぶどうゼリーを食べるスプーンを止めたラウルに、ワイングラスをいじくりまわしていたクラスターは、言いにくそうに口を開いた。
「お前が手に入れた、『憤怒』の眷属のマリーって女。・・・・・・竜族かもしれん」
「え・・・・・・!?」
 思ってもみなかった情報に、ラウルは目と口の両方が、ぽかんと開いたままになった。