いつもそばに ―4―


 山荘のリビングでだらしなくソファに寝転んだラウルの向かいで、サイラスはローテーブルに置いたノートパソコンのキーを叩き続けている。
「んで、ジョヴァンニが言うには、ウー・フォンはエイナルと同じくらい古い霊なんだって。長い平和な時代が終わって戦乱になった時期って、その辺にある?」
「ラウルさんが聞いた、『憤怒』ベルフォートが千五百年くらい前に生まれたという情報が確かなら、少なくとも紀元前までさかのぼることはありません。始祖エイナルと同年代というと、おそらく、唐の時代が終わり、五代十国時代という、中華史屈指の戦乱期に入る頃だと思われます。十世紀のことですね」
「ほー」
「・・・・・・ラウルさん、あなた教師でしょう」
「だって、エイナルは何百年も生きたけど、ウー・フォンはせいぜい数十年しか現世にいなかったって・・・・・・。あー、疲れて、俺の脳みそがストライキ中なんだよ」
「血液パックならありますよ」
「飲むー」
 席を立ったサイラスの後姿を眺めた後、ラウルは梁が見える天井を見上げた。
「しんどい・・・・・・」
 誰かの辛い過去を追体験するのは、ラウルだってできればやりたくないのだ。

 彼の姓はウー。名はフォン。字は叔藍シゥーランという。
 地方貴族の三男で、帝室の血を引くがかなり傍系の主人に仕えていた。
『若、もう一度です』
 地面に尻餅をついた、五歳くらいの男の子が、顔をしかめ唇を噛みしめて立ち上がる。そして小さな木剣を振りかざし、やあ、やあ、と指導している若い男に向かっていった。
「いやしかし、叔藍ってイケメンだな」
 古いモノクロ映像のようなビジョンの中のウー・フォンは、極東の漢族にしては背が高く、肩幅もあるし、顔立ちの彫りも深い。長い黒髪を結い、尻上りな太い眉の下に切れ長の目が涼やかだ。極めつけは左のこめかみから頬に走った傷痕で、まるで武侠映画の登場人物のようだ。
 感心するラウルの前で、ぼんやりとした人影が揺れる。「褒めても何も出ないぞ」とでも言って呆れているように。
 この時代の人の名を呼ぶことは失礼にあたると知って、ラウルはウー・フォンを叔藍と呼ぶ。はじめは「烏大人ウーダーレン」「烏大哥ウーダーガァ」と呼んでみたが、どちらもお気に召さなかったようだ。
 大戦棍に残った烏の意識はだいぶ薄れてきており、話をするなら早めがいいとジョヴァンニが言っていた。それでも、語る口はないとでもいうのか、おおむね武器を交えた肉体言語で意思疎通をするという、まあ脳筋なコミュニケーションをとる羽目になっている。しかも、やたらと強いので、ラウルはビジョンの男の子のように閉口していた。
 剣術の心得などないというのに、烏の剣筋は容赦がない。しかも武芸に秀でている烏は、長剣はもとより、短剣、双剣、槍、棍、鎚、弓、と多彩な武器を使って攻めてくる。ラウルは切り結ぶことを想定していない自分の大鉈に魔力で鍔を付け、実戦さながらの指導に、ヘロヘロになりながらついていった。
「っから、俺は剣術なんて知らねーっつーの!!!!」
 実に美しい剣捌きで受け流され、打ち込まれ、遊ばれている感じにいい加減イライラしてきたラウルは、思わず力任せに鉈を振り抜いた。
 ズバンッ、と空気が鳴って、叔藍の青白い影が土煙を上げて吹っ飛ぶ。まるで大木に打ち込んだかのような手応えに、ラウルはびっくりしてそのままの姿勢で固まってしまった。
「へ・・・・・・?」
「ぅお、すっげー。ウーの旦那が吹っ飛んだぜ。ダンテの鉈って、そんな威力が出るんだな」
「ジョヴァンニ?」
 ひょいと後ろから出てきたイタチっぽい童顔に、ラウルはどういうことかと首を傾げて見せた。
「その武器に合った使い方をしたから、じゃないかな?」
「ムカついて思いっきり振り下ろしただけなんだけど・・・・・・」
 つまり、鉈は戦うための道具ではなく、斬り拓くための道具ということだ。無理に剣術などに合わせるよりも、邪魔な雑木を斬り払う感覚でいた方が、本来の使い方に近くていいのだろう。
「なるほどー」
「納得したところで悪いんだけど、ウーの旦那がめちゃくちゃ楽しそうに戻ってくるから、覚悟しとけよ」
「え?」
 どうやら、戦闘狂魂に火をつけてしまったらしい。ラウルは悲鳴を上げながら烏の猛攻を防ぐことになった。・・・・・・が、結局ボコボコにされて、その日の訓練は終了になった。

『さあ、お立ちください、若!』
『っ・・・・・・』
「いつも思うんだけどさ、なんでそんなに怒っているの?」
 涙目の男の子の前で大声を出す烏を映した、ノイズ交じりのモノクロビジョンから意識を戻し、ラウルは傍らにたたずむぼんやりとした影に問いかける。しかし、烏からの明確な言葉はない。
 ラウルに見えている烏の過去では、彼はいつも険しい顔をして、彼の主君である男の子に厳しく稽古をつけていた。男の子はもともと虚弱な体質らしく、度々床に伏していたので、令息のたしなみとしても、体力作りという点においても、剣術の稽古は間違ってはいないのだろうけれど、やり過ぎだとラウルは思う。
『強くあらねば・・・・・・』
 そんな烏の声が時々ビジョンの中で聞こえるが、強さにも色々あるんじゃないかなとラウルは思うし、烏は主君を護るにあたり、充分に強いと思う。
「なにがあったの?」
 夜闇の中に滲む淡い影が、何かを指し示す。ラウルはそこへ意識を集中し、再びノイズ交じりのモノクロの世界へと歩み出ていった。
 唐代の都は長安で、国際色豊かな大都市だ。反り返った優美な屋根が、きちんと区画整理された道に並んでいる。遠くに見える城門や塔は、何重にも高い。
(栄華を極めた大都市・・・・・・な、はずなんだけど)
 叔藍が出入りの商人の護衛しながら歩く街は、なんとなく荒んだ空気がしていた。道は広いのに、通行人がいやに少ない。両側に並ぶ商店の半分近くが、固く扉を閉ざし、ある通りなどは略奪にあったかのように壊されていた。
『ありがとうございました。では、また後日』
『手間をかけるが、どうかよろしく頼む』
『旦那が付いてきてくださるなら、こちらも願ったりかなったりですよ』
 少し疲れた笑顔の商人は、荷物を抱えて自分の店に入り込むと、しっかりと戸締りをした。叔藍もそれを確認して、足早に自分たちの屋敷に戻って行った。
(反乱があった後なのかな)
 唐朝末期は中央の力が無くなり、節度使という武力を持った地方行政官の力が強まっていた。また、大規模な農民反乱も相次ぎ、特に黄巣の乱では長安も一度陥落したはずだ。その乱を治める事すら、節度使の力が無くてはできないほどに、朝廷の力は弱まっていた。
(街の落ち着き具合から、乱は平定されているみたいだけれど、どうにも活気がないな)
 それもそのはずで、烏の記憶をたどると、なんと今の都には皇帝がいないらしい。すでに亡命しているとか・・・・・・。
『やはり都を出なければならないか、叔藍』
 幼児から少年くらいに成長した男の子は、相変わらず病弱そうな細さだったが、聡明な眼差しをしていた。
『あの男に忠誠や信義を期待するのは間違いです。必ず若を害しに来るでしょう』
『・・・・・・わかった。では、西へ?』
『いえ。帝が西へ向かったとのこと。我々は南東・・・・・・できれば、奴らの勢力地を迂回して、河南よりも東へ逃れましょう』
 僅かでも帝室の血を引いた少年を護るべく、烏は商人の都脱出に便乗させてもらうことにしていた。商人の方も、武勇の誉れ高い烏が護衛についてくれるのなら、道中の野盗対策には申し分ないと了承してくれていた。
 都から南東へは、平坦な東西と違って、険しい峠道をいくつも通らなければならない。それでも、戦乱を避けるなら仕方のない事だ。
 僅かな使用人たちと隊商に紛れ、いくつかの山道を踏破して、あとひとつふたつ峠を越えれば、都市への広く平坦な道に出るというところで、街道の向こうに土煙が上がった。嫌な予感に烏は目を細め、騎馬隊が掲げる旗の色が見えたところで、覚悟を決めた。
『それがしが食い止めますれば。みな、若を頼む』
『叔藍!!』
 一人馬を返す烏の背に、使用人たちに止められた少年の悲痛な声が縋る。必ず生きて追いついてこい、来ないなら迎えに行くから、必ずだ、と。
(そうか、こんなに世が乱れているのだから、自分で自分の身を護れなければ生きていけない。だから・・・・・・)
 強くなれと、叔藍は主君を厳しく鍛えたのだ。弱ければ死んでしまうから。そして、烏がいなくても、最悪は一人でも生きていけるように。
 烏は強かった。追手の一小隊程度、打ち払うことができた。だが、相手は烏の強さを知っていた。
(化物か・・・・・・)
 烏が相手をしたのは、十人二十人ではない。街道いっぱいにひしめいた、百人もの騎兵だった。しかも、それをほとんど倒すという武勇に、ラウルは開いた口が塞がらなかった。乗馬を殺され、自分の剣や戟はもうなく、敵から奪った槍も折れ、割れた鎧の継ぎ目には矢が刺さり、兜は砕け、無数の傷を負って、ボロボロになりながら、それでも烏はまだ立っていた。
『はー・・・・・・っ、はぁー・・・・・・っ』
『化物め!』
『ここを・・・・・・行かせるわけには、いかぬッ!!』
 しかし、烏も限界だとラウルにはわかった。出血のせいか、ビジョンが乱れ、どんどん暗くなっていく。
(まだだ・・・・・・まだ死ぬわけには・・・・・・!)
(叔藍・・・・・・)
 足元には自身の血溜まりができ始め、無数に転がる敵の死体が、防壁にも足枷にもなる。指揮官の近くからいくつもの矢がつがえられ、引き絞られるのが見える。
『がはっ・・・・・・!』
 強い衝撃がいくつも烏を襲い、その身がゆっくりと天を仰いで地へ倒れていく。それを、ラウルは見ていることしかできない。
『くやしいなぁ、くやしいなぁ。なあ?』
(!?)
 倒れた烏を覗き込んでいる十代後半くらいの男は、明らかに西洋風の、くるぶしまで覆う貫頭衣と、なめし革の靴を身に着け、縁沿いに煌びやかな刺繍がされた、腰丈のマントのような上着を肩にかけている。
『あんなにたくさんの兵隊が、おぬしにもあったらなぁ?おぬしにもっと力があったならなぁ?おぬしがもっと強かったならなぁ?』
 誰だ、と烏の血に濡れた唇が動いたが、若いベルフォートは燃え盛る炉のように煌く目をニヤニヤと緩ませながら、死に瀕した勇士に毒を注ぎ込んでいく。
『おぬしがこのまま死ぬと、おぬしの大事な主君は、すぐに捕まってしまうだろうなぁ。皇帝の座を欲しがる奸賊に、あのか細い首を刎ねられてしまうぞ。ああ、気の毒に。可哀そうに。なぜそのような目に合わねばならんのかなぁ』
 必死で足掻く烏を嘲笑うように、ベルフォートは絶望の一言を告げた。
『おぬしが、弱いからだ』
『・・・・・・』
(ちがう!!そんなことない!叔藍!・・・・・・叔藍!!)
 ベルフォートが一歩二歩と後退し、ゆらりと立ち上がった烏の顔は、すでに生きた人間ではなくなっていた。生前の美貌は強張り、虚ろに緩んだ唇からは、憤怒の唸り声が溢れ出ている。
 さらにおぞましいのは、周囲にあった屍たちが次々と起き上がり、半ばちぎれた首を揺らし、はらわたをこぼれさせながら、烏と共にかつての味方に向かって飛び掛かって行ったことだ。
『グオォォォォ・・・・・・!』
『ふははは!いいぞ、いいぞ、屍尢シィーイォウが出来た!そうだ、その辺の死体など僵尸ジアンシーにしてしまえ!全部おぬしの兵隊ぞ!ふははははは!はーっははははははぁ!』
 ラウルは手を叩いてはしゃぐベルフォートの笑い声など聞きたくないと、耳を塞いでうずくまった。そして、烏がいつも怒りを身に宿していた理由が分かった。
(主の虚弱さにじゃない。平和には程遠い時代に対してじゃない。幼い主にまで戦い方を学んでもらわねばならないほど・・・・・・自分以外の戦力を集められない、無力な自分自身に、怒っていたんだ・・・・・・)