いつもそばに ―2―


 城で行われる新年パーティーに出席するついでに、ヴェスパーに今後のことを相談したラウルは、すぐに山荘での静養を言いつけられた。夏の年度末まで待ってほしいとラウルは希望したが、それまでもつかと問い返されて、自信の無さに黙るしかなかった。
 供はラウル専属執事のサイラスと、女中妖精シルキーたちが少し。山荘には十分な備蓄がある上に、週二回の下界との連絡便が想定されていた。
「いつの間に作ったんだ・・・・・・」
「私だって、ダンテが戻ってきてから真祖のことは調べている。私が幼過ぎてあまり記憶にないが、祖父のことだからな。あれこれ作って備えるのは、まあ、私の趣味だ。なくて困るよりも、使われずにあった方がいい」
 つまり、ラウルが調べ始めた頃には、ヴェスパーはすでに一通りの準備を済ませていたという事だ。
 除雪された道をゆっくり進んでいく車内で、ラウルは自分が十分に庇護されていることを感じて目を閉じた。こんなに面倒くさい存在である自分を、ヴェスパーは私財を投じて護ってくれようとしている。もちろん、ヴェスパーには統治者として、民に害を及ぼしかねないラウルの暴発を阻止する責任がある。どちらも犠牲にしない方法を取ってくれるヴェスパーをありがたく思うが、申し訳なさが消えることはない。
「ありがとう、ヴェスパー。なにか、お礼ができればいいんだけど」
「礼には及ばんよ。お前が還ってきてくれたことが、どれほど私の喜びであったかを知ってもらえれば、それでよい」
「・・・・・・うん」
 照れ臭さにラウルは頬が熱くなったが、ヴェスパーは思案気な表情を崩さなかった。
「領民への影響を出さないために、半ば隔離されることになるが、それでも『憤怒』の影響はお前を蝕むだろう。・・・・・・これは私も知らないのだが、かつてのベルフォートの眷属たちの力を複数得ているというのが、どうにも不気味で仕方がない」
「前例がないのか」
「記録がない、とだけ。もしかしたら、普通のことかもしれない」
「なるほど」
 ベルフォートの眷属が発生する数が少ないのだから、彼等の記録などもっと少ないだろう。直接ベルフォートから武器庫の事を聞いて使えるよう取り計らってもらったラウルであるから、それが危険であるかどうかは全く考えていなかった。
「・・・・・・武器に残った彼等との対話もしてみるよ」
「無理だけはしないように」
「うん、わかった」
 ヴェスパーの骨ばった大きな手が、ラウルの癖毛頭をくしゃりと撫でた。それだけで、ラウルの頬が緩む。
「なんだよ」
「・・・・・・何カ月でも・・・・・・何十年でも、かかっていい。必ず、元気な姿で戻ってきなさい」
「当たり前だ」
 黒い睫毛に縁どられた深い紫色の目を見詰め返して、ラウルはその薄い唇を受け入れた。舌を介してとろりと滴る温かな餞別が、彼のラウルに対してのみ注がれる愛情の深さを物語っている。
「っはぁ・・・・・・」
「・・・・・・お前は、私の大事な家族だ。それだけは、忘れないでおくれ」
「うん」
 しばしの別れを惜しみ、ラウルはヴェスパーの肩に頭をもたれかけさせた。


 雪に埋もれた山荘での暮らしは、順調と言えば順調で、ラウルはサイラスたちに世話されながら、じっくりと自分を分析する時間をもつことができた。
「自分に対して教育的カウンセリングするというのも、なかなかいい勉強になるな」
 書棚には児童教育やアンガーコントロールに関する分厚い本が並び、デスクに広げられた紙類には、ラウルが教育者として教授されてきた設問が書き連ねられていた。
「旦那様たちは柔軟な考え方をすると評価なさいますが、ラウルさんは、どちらかと言えば頭が固い方では?」
「うーん、うん。そうだな。結果までの筋道を立ててからじゃないと、行動したくないな」
 サイラスのイラっとする発言も、ラウルの胸の中から頭の中を経ている間に消化されて、口に出すときには自分で考えた返事になる。それはラウルとしては当然だし、社会人としてもまっとうなことなのだが、ベルフォートの眷属としては迂遠極まりない。
「・・・・・・わかっていらっしゃいます?」
「わかってるよぅ・・・・・・」
 『イラッっとしたら、即爆発』。これができなければ、ラウルのストレスはたまる一方だ。
「まずは感情を暴発させる訓練をした方がよろしいのでは?」
「まあ、せっかく人里離れた場所にいることだし」
 でも外は寒い・・・・・・、などとラウルはうずくまるので、サイラスはラウルの首根っこを掴み、ずるずると引きずり始めた。
「失礼します」
「おいまて、ちょっと待て!?」
「待ちません」
 細身なエルフ族の癖に意外と力の強いサイラスは、着の身着のままのラウルを吹雪く極寒の野外に放り出した。
「サイラスーーーー!!!!!!」
 固く閉ざしたエントランスのドアの向こうで、ばちばちぼふーんと凄い音がしたが、サイラスは特に表情を動かさずに、インターフォンにむかってしゃべった。
「その調子です、ラウルさん。とりあえず、夜明け前まで頑張ってみましょう」
「くっそさみいいいいいい!!!!!!てめぇ、ふざけんなよ!!!!!!!!!」
「意外と口汚く罵ることもできるじゃないですか。旦那様たちの前では、そういう言葉遣いができないのですから、今のうちに言いつくしておきましょう」
「うるせぇええぇッ!!!!!!ぶっころすぞ!!!!!!!!!!!」
 くぐもった叫び声が聞こえてきて、ドアを蹴っているのか殴っているのか、バキンドカンというすごい音がしている。
 元気いっぱいで良い事だとサイラスは一人頷き、残っている仕事を片付けに戻った。

 ラウルの寒中修業はそれからも続き、魔法で寒さを防ぐことを覚えてからは、有り余る魔力を駆使してその用途を探り、またその効率的な制御を身につけようと、周りに人がいてはできないことに積極的に取り組んだ。時々訪ねてくるエルヴィーラが、魔力の扱いに関しては良い教師になってくれたのも大きい。
 もちろん、毎日の出発時には、サイラスから暴言を投げつけられ、まずブチギレるという儀式をこなしてきた。しかしそれも、最近は慣れによる不発や、燃料が少ないための不良を起こしがちになってきた。
「申し訳ございません。私ごときでは、ラウルさんを怒らせられなくなってきました。もう踏める地雷がございません」
「・・・・・・・・・・・・」
 眉根を寄せて真剣な面持ちで謝罪するサイラスを、ラウルはちょっと焦点の合わない目で眺める。ベルフォートの軽い嫌味程度なら、苦笑いや、せいぜい文句を垂れるだけで流せるラウルを、状況を作りながらとはいえガンガン怒らせられるサイラスがおかしいのだ。
(こいつ、正体を隠しているだけで『憤怒』じゃないだろうな?)
 そんなことが頭をよぎるラウルであったが、さすがに三体も『憤怒』が存在しているとは思いたくない。サイラスはただ性格と口が悪いだけで、ミルド家に対する忠誠心も高ければ、ラウルに対しても常に誠意を尽くしてくれている。
「そろそろ、お仲間とお話されてはいかがでしょう?」
「・・・・・・あー。そうだなー・・・・・・」
 血液パックをちゅーちゅー吸っていたラウルは、ストローから口を離して、こくんと頷いた。
「やってみる。その前に、ちょっと身だしなみを整えるか。先輩方に失礼があってはいけないからな」
「かしこまりました」
 執事の制服である三つ揃いをピシリと着込んだサイラスは、見事な所作で頭を下げ、ラウルの伸びてきた髪を切り、風呂や着替えの準備をしてくれるのだった。


 ベルフォートの歴代直下眷属のうち、ラウルに力を貸してくれるのは三人。

 炎を纏った鼬が彫刻されたステッキに宿る、奇術師ジョヴァンニ。
 ラウルの身長と同じくらい大きな大戦棍ソードメイスに宿る、剛毅なるウー・フォン。
 これといって特徴のない複合弓コンポジットボウに宿る、マリー・クロデル令嬢。

 ベルフォートに付き添われて武器庫の中をあさった時に感じたが、彼等はラウルと同じ真祖吸血鬼トゥルー・ヴァンパイアではないようだ。エイナルのような真祖吸血鬼も他にいるとは思うが、どうもラウルとはそりが合わないのだろう。
 エイナルの戦斧だって、出せはするが、重すぎて到底使いこなせるとは思えない。しかし、ウー・フォンの大戦棍は、見かけによらず軽々と取りまわすことができた。この差が、いわば心の近さを表しているのではないだろうか。
 ラウルはオミに教わった、ベルフォートの眷属の特徴を思い出す。
(短気で粗暴かぁ・・・・・・まあ、そんな連中と付き合うのは、たしかに俺も疲れるな。むこうも、気に入った奴しか近寄らせたくないだろうし)
 しかし、ラウルに力を貸してくれる三人は、そこまでラウルを嫌いではないようだ。武器を選んでいる時も、歓迎こそされ、威嚇や拒絶は感じなかった。
「とりあえず、最初はジョヴァンニから呼び出してみるか」
 前世の同郷であり、やたらとフレンドリーな男だった。
 ラウルは荷物を背負って、てくてくと道なき道を歩き、なるべく石の少ない地面を選んで敷物を敷いた。
 濃藍の空には晩春の星座が瞬き、半月がぼんやりと浮かんでいる。この山の天辺の方はまだ雪をかぶっているが、見渡す山々は木々の緑が増えてきたようだ。この辺りにも、ぽつぽつと高山植物の白い花のつぼみが見える。
 ラウルは二つのコップに水筒からワインを注ぐと、慎重に青白いステッキを手にした。
「チャオ」
『チャオ、わが友よ!』
 頭に中に響いてくる声が、ずるりと抜けて隣に座った。
「おっ、気が利くね。再会を祝って、まずは乾杯だ」
「乾杯」
 木製のカップを掲げあい、ぐいっと飲み干す。
「うっまいな、これ!」
「お気に召してよかったよ」
 ラウルが酌をすると、淡い幻影のようなジョヴァンニが満面の笑みを浮かべた。その顔を正面から見て、ラウルは少々狼狽えてしまった。
「あ・・・・・・」
「なんだい?」
「気に障ったら済まない。もしかして、まだ十代か?」
「おう、気に障ったぜ、こんちくしょうめ!よく言われるよ。一応、二十歳は超えているんだけどな!」
 コッポラ帽をかぶり、小麦色の肌に艶やかな褐色の髪をした青年は、なんとも愛嬌のある童顔だった。全体的に丸っこくて、眉を吊り上げてもきょとんとした印象を与える目が、とても二十代に見えない。いわゆるタヌキ顔で、ラウルの語彙ではイタチ顔であった。