隠者のランタン ―2―


 エルヴィーラの視察が夜間になるのは仕方がないが、視察される方は大変だなと、煌々とした明かりで満たされた研究所内を見回しながら、ラウルは心の中でぼやいた。所長や主任研究員とか名札のついた一団に囲まれながら歩くエルヴィーラの後ろを、今日のお伴であるクリストファと並んで歩く。
 クリストファはエルヴィーラの筆頭従者で、サラマンダー族の青年だ。城でいつもエルヴィーラのそばにいるエリサは、身の回りの世話をする侍女のトップで、ジャックは護衛。クリストファは伯爵令嬢としての仕事をする上での秘書という役割だ。
 植物園に火蜥蜴を連れていくのはどうなんだと思うが、栽培されているのが普通の植物ではない事を考えると、護衛も兼ねていると考えた方が自然か。クリストファはラウルよりも少しだけ背が高いが、ラウルよりも横幅があって筋骨たくましく、とても頼りがいのある外見をしている。顔はまあ、蜥蜴と言われればそれらしくも見えるが、眼光は鋭く、精悍な顔立ちといえる。日に焼けたような淡い褐色の肌と赤金色の髪が、遊び慣れた軽快な印象を与えるが、当人はどちらかといえば寡黙なタイプだ。
 将来のクリストファは、おそらく侍従長か主席秘書官という肩書を持つだろうが、執事になれるかどうかは微妙なところだ、というのがレジナルドを見慣れているラウルの密かな見立てだ。おそらくエルヴィーラも、クリストファを執事にするとは考えていないだろう。ヴェスパーの執事は、今のところ秘書だった母親から息子へと受け継がれたが、ミルド伯爵家の執事職は世襲制ではないし、先代伯爵の執事は先代伯爵の逝去と同時に引退している。とはいえ、時代と共に執事の仕事も増えて、現代の多様で膨大なミルド家の影響力を把握する、ずば抜けた有能さに加えて、前任の執事と伯爵の信認がなければ就任は難しいと考えるのが自然だ。
(悪い奴じゃないんだけど、ナチュラルに純血主義で人間蔑視なところがあるんだよなぁ。伝統的といえばそうなんだろうけど、ちょーっと頭が固いというか)
 ラウルが柔らかすぎると言われれば、ぐうの音も出ない。イーヴァルのように柔軟かつ配慮もしろとは言わないが、せめてヴェスパー程度には割り切るか、エルヴィーラのように無関心でないと、いちいち角が立って仕方がない。真祖であり、エルヴィーラを含めた伯爵家のお気に入りであるラウルには敬意を払ってくれるが、ラウルの人間的な感性や考え方には眉をひそめることだろう。
「・・・・・・なあ、なんでエルヴィーラはこっちの車に乗りたいだなんて言いだしたんだ?」
 ラウルがこそこそと耳打ちすると、クリストファも意外と困ったような表情を作って、低い声で答えた。
「助手席に座ってみたい、とだけ」
「なんだそりゃ」
 雇われである運転手が、主人を助手席に座らせるわけにはいかない。クリストファたちが戸惑っているうちにラウルが到着して、そっちに移ったということだ。
(本当に助手席に座りたいだけでないなら、俺と二人きりになりたかった?他のやつに聞かせたくない話題なんかあったかな?)
 ラウルはこっそり首を傾げたが、思い当たるような事がない。エルヴィーラの運転が下手なことなんて、伯爵家の使用人たちの間ではきっと知られているだろうし。
 それとも、ラウルを連れてくること自体、あまり歓迎されていないのだろうか。ありえることだ。なにしろ、当主のヴェスパーのわがままが通ってしまうのだから、エルヴィーラが真似しても咎められるはずがない。
(公務に部外者を連れて行くのはなぁ・・・・・・あんまり褒められたもんじゃないと思うんだけど、ヴェスパーが俺を巻き込みたいっていうのが困ったもんで、正式に部下にしてからにしろっていうのが当たり前なんだけど、それは俺が拒否しているもんだから・・・・・・)
 うーんうーんと一人で唸りだしたラウルの額に、繊手のチョップが叩き込まれる。
「いったぃっ!」
「さっきから呼んでいるのよ。こっちに来なさい」
「え?あ、ごめん」
 エルヴィーラを追って研究室のひとつに入ると、雑然と器材が乗っているような印象の実験台が連なる向こうに、安全キャビネットのようなものがあった。マジックアームが内蔵されていて、隔離された環境内で作業を行える装置だ。
「ご存じのように、ハバシリソウは有用でありながら、人工的に種から栽培するのが難しく、十分に育つまでにも時間がかかっておりました。宿根草しゅっこんそうでありますので、一度育ってしまえば株分けで増やせるはずだという説はあったのですが、危険すぎてその方法は不明でした」
 片眼の色がくるくると変わる主任研究員の説明を聞きながら、ラウルは安全キャビネットの中を覗き込んだ。
(ハバシリソウって、もしかして、刃走り草ってことか?)
 小さなつぼみができている根付きの植物は、ガーベラやポピーのように茎や葉の表面に微細な毛が生えており、よくよく目を凝らしてみると、それらは風もないのに波打つように動き、その度に金属的な光の反射があった。これでは素手で触れない。
「俺、この花の事をよく知らないんだけど、そのまま株分けしようとすると、どうなるの?」
「破裂・・・・・・というか、爆発します」
「うひっ。作業してた人は、この剃刀みたいな毛でズタズタってことか」
 想像以上の危険さに、ラウルはぶるっと背を震わせた。
「土から引っこ抜くのも大変そうだな」
「防具を付ければ、茎から上を刈り取ることはできますが、根を掘り出すときは、万が一傷付けて破裂しても大丈夫なように、土の上に出ている部分が枯れている冬に限ります」
「ハバシリソウは種も根も汁も薬になるから、破裂させないように収穫するのが大事なの。花もたくさん咲いて可愛いのよ」
 エルヴィーラの言葉に主任研究員は頷き、今回発見された株分け方法について説明した。
「一昨年の事ですが、野生の群生地がたまたま見つかり、近所に住む子供が安全に摘んだり掘り返したりしていたのがきっかけでした。我々が実験を繰り返した結果、最も安全と思われる歌が判明しました」
「歌?」
 ラウルが聞き返すと、主任研究員は自分のスマートフォンを取り出して音楽をかけた。楽し気な子供たちの歌声が聞こえる。
「・・・・・・童謡、いえ、子守歌ね」
「はい。大人や、歌の指導を受けた子供ではなく、どこにでもいる子供たちが、下手でものびのびと歌ったものです。これをハバシリソウに聞かせると、毛が動かなくなって、破裂もしなくなるんです。この株も、子供たちの歌を聞かせて掘り出しました」
「へ〜!」
 キャビネットにスマートフォンを押し付け、シールド越しに子守歌を聞かせると、たしかに、それまでキラキラしていた茎や葉の反射が無くなった。
「株分けします」
 別の研究員がキャビネット内のマジックアームを操作し、密集してひとかたまりだったハバシリソウを、根からハサミでざっぱりと二つに分けた。破裂もせず、安全に株分けが完了した。
「すげぇ〜!!」
「これなら、収穫も今まで以上に安全にできるわね」
「はい。株分け後の苗も、今のところ順調に育成ができていて、今年の収穫が見込まれています。栽培環境が整い次第、増産が可能です」
「いいでしょう。必要なだけ予算を申請なさい。それから、この研究をしていた者にボーナスを出します。クリストファ、研究員のリストを受け取っておきなさい」
「はい、エルヴィーラお嬢様」
「ありがとうございます!」
 投資家らしい太っ腹な約束をしたエルヴィーラは、用は済んだとばかりに、感激している研究員たちに背を向けて歩き出した。
「所長、ハツカトウカが見たいのだけど、庭園に入っても構わないかしら?」
「もちろんです。どうぞ、お足もとにご注意ください」
 本人が苗かと思われるような、頭から芽を出している所長に先導されて歩いていく間も、ラウルは先ほど見た株分けの興奮が収まらなかった。
「すごいな。魔女が扱う薬草とか、乾燥した状態のものしか見たことがなくて、あんな風に動いてる危険な草もあるんだな。すごいな!ここはそういう植物がいっぱいあるんだな?はぁ〜。俺、トランクィッスルで生まれ育って学校卒業したら、教師もいいけど、ここに就職したいって思ったかもなぁ」
「うるさいわ、ラウル。貴方がトランクィッスルで生まれていたら、今頃お父様の忠実な部下になって、対人間折衝役のトップになっているわよ。嬉しいのはわかったから、犬みたいに騒がないで、少し黙ってちょうだい」
「はい・・・・・・」
 エルヴィーラにぴしゃりと叱られて、ラウルはしゅんと黙った。しかし、まだ心は興奮で踊っている。エルヴィーラに連れてきてもらったからこそ見られた、貴重な経験だった。
 研究棟を出て、ぽつぽつと外灯が立つ舗装された道を歩く。他にも研究棟や宿泊所らしき建物があり、半透明な温室の屋根が連なっているのも見える。遠くからでも見えた、あのドーム型の大温室へ続く道もあった。
「ここで栽培されているのは、ハバシリソウのような薬草だけじゃないわ。トランクィッスルの城壁のこちら側で生活する住人たちの、食料や嗜好品の改良もしているの」
 トランクィッスルの城壁とは、トランクィッスル駅を含む関所と、ただの壁を合わせた、長大な建造物である。それはトランクィッスルの街を半ば囲み、城壁の外側には、主にトランクィッスルに帰属する人間がわずかに住んでいた。つまり、ダンテが生きていた頃に考えられた、人間牧場の名残である。
 エルヴィーラが言う城壁のこちら側とは、つまり人間以外の者たちで、多種多様な種族に合わせて、多くの作物も州内で生産されていた。ハルミット植物園では、それらの品種改良をはじめとする研究も、盛んにおこなわれているという。
「あれが、ハツカトウカよ」
 エルヴィーラが指差した、露地栽培の畑の先が、ぼんやりと青白く光っている。
「夏の終わりに三週間だけ咲く、夜間発光する花なの。ハツカトウカが散ると、秋が始まるといわれているわ。綺麗でしょ?」
 珍しい膨らんだ五角形のつぼみが、灯火のように見えるのだろう。開いた小さな花たちが、りんりんと夜風にそよいでいる。
 ラウルはその夢のような光景にひかれて、絨毯のように広がる花畑に駆け入っていった。