隠者のランタン ―3―


 エルヴィーラが止める間もなかった。まさか常識あるラウルが、花畑に踏み入るとは思わなかったのだ。
「まちなさ・・・・・・!」
 しかし、ハツカトウカは踏み荒らされず、ふわりふわりと茎を揺らせて、可憐な五枚の花弁はいっそう強く青白い光を放った。
「すごい!すごい!!綺麗だな!!とっても綺麗だ!!初めて見たよ!!」
 スニーカーの爪先がしゃんしゃんと宙を踏み、ラウルの体は花畑の上で滑るようにくるくると跳ねまわっている。それまで淡くほのかだったハツカトウカの発光は、ラウルが走り回ったところから波打つように、鮮やかに、力強く光を増していく。
「こ、これは・・・・・・!?」
「あの悦び方、本当に犬かしら。去年は猫だと思っていたのに」
 常にない発光現象に戸惑う所長の隣で、エルヴィーラは呆れてため息をついた。ヴェスパーから、ラウルは生き物をよく育てる特性があるとは聞いていたが、まさか褒められた花が強く発光するとは思わなかった。
(・・・・・・麒麟みたい)
 恐らくラウルは無意識に魔法を発動させて体を浮かせているのだろうが、エルヴィーラはその姿を、地上の生き物を踏み潰すことを恐れて宙を駆ける、心優しい瑞獣に重ねた。
(麒麟は優れた王が治める太平の世に現れるというし、神童を麒麟児ともいう・・・・・・ふぅん)
 なかなか面白い偶然だと考えていると、夜闇の中でも頬を紅潮させているとわかるラウルが駆け戻ってきて、エルヴィーラを抱きしめるように手を取った。
「え?ちょっと・・・・・・」
「エルヴィーラ、すごいよ!ありがとう!とっても綺麗だ!」
「えっ・・・・・・えっ?」
 エルヴィーラの手を取ったまま走り出したラウルの体がふわっと浮いたので、エルヴィーラも慌てて飛ぼうとしたが、その前に腰を抱えられてしまい、思わずラウルに抱きつく格好になった。
「ちょっと、ラウル・・・・・・!」
 足元にはハツカトウカの明るい海原が波打ち、月が雲で隠れた暗い夜闇の中で、すぐ隣にラウルの満面の笑みを見ながら、エルヴィーラはくるくると自分がまわるのを感じる。
「ララ、ララの言う通りだ。とても気に入ったよ!こんなに綺麗なものを見られるなんて、夢みたいだ。ありがとう、とっても嬉しいよ!」
「そ、そう・・・・・・」
 そこまで言われたら、エルヴィーラも悪い気はしない。
「気に入ってもらえたなら、わたくしも嬉しいわ。貴方の好みを読み間違えていなかったんですもの」
「ララに、こんなに気にかけてもらえていたなんて、嬉しいな。ありがとう、大好きだよ」
 無邪気過ぎるその言葉と笑顔が、逆にエルヴィーラの頭を冷やさせた。エルヴィーラは自分の魔法で空中に立つと、ラウルの襟元を掴み、花畑の外に向かって思いきり放り投げた。
「ほぎゃぁっ!・・・・・・っいぃったぁぁ・・・・・・」
「調子に乗らないで。無礼者。そういうセリフは恋人に言うものよ」
「ふぁい・・・・・・」
 家族や親友にだって言うじゃないか・・・・・・などとブツブツ言っているのが聞こえたが、エルヴィーラがカツンとレンガ敷きの道に踵を下すと、地面にうずくまった物体は黙った。
「エルヴィーラさま、こちらの方は・・・・・・」
 いまさらながらラウルのことを訊ねる所長に、エルヴィーラは面倒くさく思いながらも一応紹介した。
「お父様の旧知で、同族のラウル・アッカーソン。いまはトランクィッスルで教師をしているけど、彼を部下にしたい伯爵から逃げ回っているの」
「逃げ回っているっていう表現はどうかと思うけど、まあ、だいたい合ってる」
 埃を払って立ち上がったラウルは所長と握手を交わし、素晴らしい研究所だと重ねて讃えた。
「素晴らしいのはあなたの方です、アッカーソンさん。どうやって、植物の活性化を?」
「へ?」
「ハツカトウカがここまで発光するなんて、初めて見ました。いえ、古い文献にそれらしいことはあるのですが、ずっと大げさな表現だとばかり思っていました。肥料や育て方を改良して、増やすことは出来ても、発光量は少しも変わらなかったんです!」
「所長、無駄よ。この子、無意識だから」
「なんですと!?」
「あー・・・・・・作物を育てるのは、昔取ったキネヅカというか・・・・・・趣味というか・・・・・・」
 しどろもどろなラウルを、所長は「ぜひ、こちらに」と引っ張っていき、ラウルの困り顔が面白かったエルヴィーラは、その後をゆったりとついていった。
 その後は、さらにエルヴィーラを面白がらせることになった。ラウルを仲間認定したらしい食肉植物たちに懐かれてクリストファに助け出してもらい、まだ咲くには早い秋冬の緑がぐんぐん成長し、収穫前の野菜に美味しそうだと言ったら規格外なサイズまで太りだす。シダの類がクラッカーのような音をたてて軽快に胞子を飛ばし、驚いたラウルが情けない悲鳴を上げるので、ついにエルヴィーラは笑い声をあげた。
「歓迎されているわね」
「楽しそうに言わないでよ!学校の菜園や花壇じゃ、こんな風にならなかったよ」
 おそらく、ここで栽培されている植物が特別だからではないか、と所長は苦笑いを浮かべる。研究用に育てていたのに、データが取れなくなってしまったのだろう。
「この一角なのですが、何度植えても発育不良で枯れてしまうのです。肥料や水、日当たりの加減も調整しているのですが、どうにも。やっと新種として定着するまで、あと一歩という所でして、困っているのです」
 案内された温室の花壇には、なにかの苗が一面に植わっていたが、どれも小さくて元気がない。ラウルがいるのに、少しも成長する気配がなかった。
「・・・・・・ああ」
 しばらく矯めつ眇めつ花壇を眺めていたラウルは、ひとつ頷いて所長を振り向いた。
「これ、同族嫌悪でいがみ合ってるんだと思います。う〜んとぉ、病んでる同士がマウントの取り合いでチキンレースしてるみたいな」
「はぁ?」
 所長が首を傾げたが、エルヴィーラも同じように首を傾げたくなった。ラウルの言っている意味がさっぱり分からない。ラウルは腕を組んだり顎に手を当てたりしながら、花壇の傍を行ったり来たりして、やはりうんうんと頷く。
「一株ずつ鉢植えにして、それぞれが見えないように離して育ててみてください。室内の方がいいかもしれないけど、冬になるまでは外でも大丈夫かな?それぞれの鉢に、小さいガーデンオーナメントを置いてみるといいかも」
「はぁ・・・・・・わかりました」
 ラウルの言う解決方法が、いったいどこから出てくるのか、まったく根拠不明なのだが、所長はやってみると頷いた。
「面白そうね。ぜひ結果をうかがいたいわ」
「では、一ヶ月後にでも中間報告を上げさせていただきます」
「期待しているわ。・・・・・・そろそろ帰りましょう」
 植物園を出ると、エルヴィーラはまた助手席に乗り込んで、ラウルに道が分かれるサービスエリアまで運転することを命じた。
「今日は楽しかったよ。ありがとう」
「そう」
「こんなに素敵な誕生日プレゼントをもらえるなんて思ってなかった。ララのセンスは最高だよ」
「べつに、そんな、プレゼントだなんて・・・・・・仕事につき合わせただけよ」
 あきらかに動揺した受け答えになってしまい、エルヴィーラは自己嫌悪する。運転中のラウルの横顔がにこにこしているので、余計に腹が立つ。
「それに、貴方の誕生日は明日でしょう?」
「もう今日だよ」
 ラウルが示した腕時計は、たしかに零時を回っているようだ。
「祝辞は、次に会った時でいいわね」
「もちろん。ララがしてくれたこと、とても嬉しかった。でも、ヴェスパーには、今日の事をそういうふうに言わないからさ。揶揄われるに決まってる」
 エルヴィーラがラウルに気を許した会話をしてしまうのは、彼がエルヴィーラの父親のウザさを、身をもって知っているからかもしれない。
 ラウルにハツカトウカを見せたかったのは、もちろん好きな花のひとつだということもあるが、別名「隠者のランタン」と呼ばれる謂れにある。
 ホルトゥス州がまだミルド伯自治領ではなかった頃、偉大な人間の勇者が遠征途中の深い森で迷子になってしまった。困り果てた勇者が星に祈ると、どこからか隠者が現れ、ハツカトウカの道をたどるよう教えてくれた。
「ただし、期間は二十日間。そなたが目的を達して帰ってくるのに、それだけの猶予を与える。それ以上この森に留まることは死を意味しよう」
 礼儀正しく感謝した勇者は、隠者にもらったハツカトウカを目印に森を踏破し、目的を果たした後は、言いつけを守って寄り道をせずに人間の街へと戻った。
 その話を聞いた傲慢な人間の王は、たくさんのお伴を連れて遠征をしたが、ハツカトウカの花が散った森の中で迷い、魔物たちの餌食になってしまったそうだ。
「その隠者が、ミルド家の始祖。初代伯爵であるおじいさまの父・・・・・・わたくしから見ると曽祖父だと言われているわ。本当かどうか知らない、伝説だけれどね」
「へ〜!すごい話だ。じゃあ、ミルド家にとっても大切な花なんだな」
「ミルド家というか、人間との関わりがある逸話というだけよ」
 しかし、エルヴィーラが伯爵家の後継者として、人間との関わりにわずかばかりの興味を持つきっかけになった昔話ではある。人間に興味はないが、関わり方として多くの意味を含む寓話だと思っていた。・・・・・・そこまでは、能天気なラウルが考えるとは思えないが。
「なるほど。勇者一人を獲物とするには、手強さのわりに実入りが少ない。ハイリスクローリターンだ。でも生かして帰せば、ちょうどいい獲物をたくさん呼び寄せるから、仲間にも分配できて人望が上がる。勇者の目的が、財宝とか貴重品を持ち帰ることだったら、なおさら・・・・・・ミルド家って始祖からドSだったんだな」
 かつてまったく同じ思考を辿ったエルヴィーラは、思わず隣の男を凝視したが、真剣な顔で最後を呟いたラウルに、声を立てて笑った。
「そうね。貴方の言う通りよ」
 たとえ優雅さや静かさが少し足りなくても、ラウルなら伯爵家に出入りしてもいいとエルヴィーラが思うのは、そういうところが面白いと感じるからだった。ラウルなら、必ず正しい道を示す「隠者のランタン」になると、エルヴィーラは思っていた。