荊姫と野バラの騎士 ―4―


 五華の茶会で話される内容は、ヴェスパーの書斎にまわされるような案件から、巷での流行り、些細な噂話までさまざまだったが、世界各地の情勢や文化を身近に感じられるものだった。特に、幅広い知識から導かれる見解や高度な理論展開は、ラウルに新鮮な驚きをもたらした。
(ここはG5首脳会談会場か!?みんなめちゃくちゃ頭いい・・・・・・俺、すげぇ場違い感)
 そもそも男なので場違いなのだが、それにしても一応教員免許のあるラウルだから何のことを話しているのか見当がつくレベルというのは高度に過ぎる。ついこの間まで人間として生きていたラウルよりも、彼女たちの方がはるかに長く生きているのだから、知識量に圧倒的な差があるのは仕方がない。隠語や略語が混じる専門的な会話や、異形・人外だからこその話題になると、もうちんぷんかんぷんだ。
(あれ?そういえば何語でしゃべっているんだ?)
 ラウルの現在の母国語は英語だが、昔はイタリア語だったし、トランクィッスルの公用語はいくつかあるが、とりあえずドイツ語とラテン語が話せれば、大抵の種族との会話が成立した。そして、いま目の前で繰り広げられている会話は、また別の言語でやり取りされている。それにも関わらず、ラウルは彼女らが話している言葉を理解することができた。
(うわぁ、気付くとなんか気持ち悪ぅ・・・・・・気にしないでおこう)
 なまじ人間として語学力があるせいで、人外の会話方法に今まで気が付かなかったのだろう。そちらに集中すると酔いそうだったので、ラウルは努めて平静に、行儀よく紅茶を飲む姿勢を保つことに注力した。
 彼女らの席は各々遠く離れているのに、声は良く届いた。特別大声を出してはいないのに、不思議なことだ。ラウルの隣では、エルヴィーラが時々「ホホホ」と笑いながら、茶会メンバーとの会話を組み立てている。緊張しすぎて内容が頭に入ってこないラウルには、その会話のなにが面白いのかわからないうえに、下手に表情を動かして、ベール越しとはいえ誰かに見られる可能性を恐れて、強張った無表情から一ミリも動かすことができない。
 早く終われ、早く終われ、と心で唱え続けることはできたが、無為な時間が長く感じられるよりは、もっと別の事を考えようとラウルは切り替えた。たとえば、こうしてラウルが自由に考えられるのは、エルヴィーラが護ってくれているからだ。エルヴィーラの魔法がかかっていなければ、ラウルの思考など他の茶会メンバーには筒抜けになっているだろう。
(優秀だな)
 ラウルもいずれはこのくらいできるようになる、とは言われたが、それが果たされるのはどのくらい努力した後なのかは考えたくない。とはいえ、ラウルも尖った魔法適性があるので、条件やタイミングが合えば、先ほどのような実力以上の魔法が今からでも出るのだろう。
(困ったもんだ。学生たちの補習合宿に、生徒として参加させてもらおう)
 ヴェスパーの思惑通りにホルトゥス州の運営に関わるつもりはないが、同じ吸血鬼として、トランクィッスルの住人として、ミルド家の足を引っ張るような事にはなりたくない。エルヴィーラに「真祖の癖に情けない」と言われっぱなしなのも、ちょっと残念過ぎる。
 真祖吸血鬼として覚醒したばかりのラウルであるから、焦る必要はないが、計画的に自分を成長させる算段と覚悟をもつべきだろう。生まれながらの職責から逃げることなく、才能に溺れず努力を積むエルヴィーラのような人は美しい、とラウルは思う。
(イーヴァルもそうだけど、どれだけ勉強したんだよ・・・・・・。爵位持ちの為政者って大変なんだな)
 ラウルは遠い過去に、特権に胡坐をかいて人の命を玩具にするような人間とやり合ったが、人々の生活に尽くそうとする、まっとうな為政者・政治家というのは大勢いる。そうでなければ、世界はもっと混沌としているだろう。
 エルヴィーラのそんな努力を感じさせない、余裕たっぷりで高飛車なところも可愛らしい、とラウルは感じるのだが、イーヴァルからは「趣味が悪い」と言われた。
(そうだな・・・・・・会話にはついていけないけど、茶会メンバーの為人はわかる)
 まず、なにかとエルヴィーラに対してツンケンした態度が目に付くイヴだが、単に気が強いだけだろう。エルヴィーラの方が年下なのに、ファウスタの代理として茶会の古参メンバー面しているのが気にくわないだけで、鋭い舌鋒の中にも豊かな知性が感じられる。広く正しく世界情勢を把握しており、深海に棲む王族の血筋という事前情報に深くうなずくものだ。
 話している間以外は箸が動きを止めない蒲御前であるが、食べたものが何処に行くのかまったく謎である。この場にいるメンバーのうちで最も年上で、相応の落ち着きと見識を持っていることは見て取れるが、ラウルは彼女にファウスタに似たつかみどころのなさを感じていた。彼女が一言「静まれ」と発すれば、エルヴィーラを含む全員が口を噤むことだろう。
 そして、魅惑的な四肢を伸びやかに振り回して、朗らかに笑うダーシャであるが、ラウルは僅かに眉間に力を込めた。彼女に会ったのは今回が初めてだが、なにかが「妙だ」と胸が騒いだ。聖性に対して極度の弱点を晒すラウルだが、アプサラスである彼女に対して、あまり脅威を感じないのだ。どちらかと言うと、蒲御前の方が神聖さにおいて勝っているように思われた。
(いや、エルヴィーラが何も警戒していないのなら、いつもと変わらないんだろう。元々、ダーシャはあのくらいの聖性・・・・・・)
 本当にそうか?とラウルは自分の勘が、納得しようとする理性に対して声高に叫ぶのを感じた。他の三人は気がついていないのだろうか、そんなはずはない、と自分の中で答えの出ない問答を繰り返していたのが、態度に出たのだろう。エルヴィーラの視線を頬に感じ、ラウルは正面から視線を逸らした。尋ねられるか、逆に気にするなと言われるか、エルヴィーラからなにかしら指示があると期待したのだ。
 しかし、ずどごおぉぉぅんという、聞いたことがないような轟音が、ラウルとエルヴィーラの両方の視線を奪っていった。
「な・・・・・・」
 絶句するエルヴィーラの隣で、ラウルも呼吸を忘れて声が出なかった。二人の目の前で、イヴたち人魚の一団が、巨石を含んだ濁流に呑まれていき、あっという間に見えなくなってしまった。
「何事じゃ!?」
 突然崩壊した滝から溢れる水により、背の高いテラスも足元を濁流が包み、鬼女と天女の一団も、巨木に飛び移ったり宙へと舞い上がったりしている。
「やだぁ、なんでこんな所に出るのぉ?」
 瀑布から立ち上る水滴にかかる虹から降ってきた舌足らずな幼い声に、その場にいた全員が激しい戦意を向けた。
「は・・・・・・?」
 思わずラウルの低い声が出たが、それを責めることなどできないだろう。空中に浮いた赤い三輪車に、二歳くらいの幼女がまたがって、キコキコと漕いでいたのだから。
「何者じゃ!?ここが五華の茶会会場と知っての狼藉かえ!?」
「きゃははははは!」
 袂を払って糾弾する蒲御前の、般若の形相にも、幼女は全く怖気づかずに笑っている。柔らかな茶色の髪を二つに結んで、頭の上の方でぴこぴこと揺れている。ラウルでも高価そうだとわかるブランド物のワンピースと、汚れがほとんどない幼児靴を見るに、かなり裕福な家の子供だろう。つぶらな目は笑うと無くなってしまい、頬やピンク色の唇もぷくぷくとして、栄養の行き届いた健康的な幼児だ。しかし、どう見ても人間ではありえない。
「貴女、まさかリステンバルズの王女・・・・・・?」
「!?」
 エルヴィーラの発言に激震が走ったが、幼女はニコニコ笑うばかりで、両手を三輪車のハンドルに打ち付けて機嫌が良さそうだ。
「おなか、すいたなー!」
 二歳児にしては妙にはっきりした言葉が発せられた瞬間、鬼女の半数と天女の過半数が水面に落ちた。
「きゃはははははは!」
「おのれ!」
 匕首を引き抜いて幼女に斬りかかった蒲御前の前に立ちふさがったのは、幅広の刃が湾曲した装飾過剰な短剣を握りしめたダーシャだった。鋭い金属音が響き、蒲御前の攻撃が弾き返される。
「ダーシャ!?正気に戻らぬか!!」
「きゃはははは!お・ち・ろ!お・ち・ろ!」
 激しく剣戟を繰り返すダーシャと蒲御前を眺めてご機嫌で笑う幼女は、さらに両手を振り回した。
「もっと!もっと!おなかすいた!」
 まだ残っていた鬼女と天女たちが、次々と川に落ちていく。そして、川に落ちたはずの天女たちが、水を滴らせながら再び空中へと戻ると、今度は蒲御前へと掴みかかっていった。
「くっ・・・・・・!そなたら、いい加減にせよ!!」
 ばら撒かれた呪符から爆炎が上がり、天女たちは距離を置く。しかし、ダーシャだけは炎をものともせず、その刃が蒲御前の背後に迫った。
「!?」
 ガギン、という金属音は、薄青く発光する戦斧が短剣を受け止めた音だった。
「ダリア殿・・・・・・!」
 戦斧を盾にしてダーシャを押し返したラウルは、宙に浮くというより、見えない床に立っているかのように脚を開き、ぶんと戦斧を一振りした。その変化を何と呼ぶべきか。戦斧バトルアックスの柄がするりと伸び、槍斧ハルバードへとその形状を変えると、その長さを生かして天女たちを寄せ付けないよう振るわれた。
「あれ?めじゅらしぃ!ベルフォートの印、だね!」
「やっぱり・・・・・・貴女、罪源ね?リステンバルズの王女が、噂通り何代にもわたって中身が同一人物だとしたら・・・・・・その正体が『色欲』だとしたら、オミの関係者かしら?」
 石畳のバラ庭園から声をかけるエルヴィーラに、幼女はぱちくりと目を瞬いて、むちむちした小さな腕を振った。
「そうだよ!おとうとを、知ってるの?」
「弟・・・・・・オミなら、うちの領地で番と仲良く暮らしているわよ」
「まあ!まあ!おとうとが、お世話になっていましゅ!よろしくね!きゃはははは!!」
 どん、という地震のような突き上げに、エルヴィーラは自分の足元が崩れる前に宙へと舞い上がった。
「避けよっ!!」
 蒲御前の悲鳴のような声と、ラウルが飛び出したのは同時だった。
「!?」
 鉄砲水の第二波が、流れ水を自力で渡れないエルヴィーラを、助けに跳んだラウルごと呑み込んでいった。