荊姫と野バラの騎士 ―3―
五華の茶会に集うにあたり、その理念ぐらいは知っておくべきだろう。 世界の近代化に伴い、異形、人外、化物、等々と人間から呼ばれる種族たちは、急速にその居住地と数を減らしていた。そういった情勢下で、初代ミルド伯爵が提唱したトランクィッスルの町のように、人外異形種達が集う定住地が新たに形成されたケースは少ない。相変わらず、個々の生息地に固執し、時代と共に消えていく方が、圧倒的に多かった。 現在、ミルド家が主導して世界各地に点在させたコミュニティは、今や絶滅を危惧される種族にとって、数少ない安穏の地であったが、そこは多種多様な種族が法の下に共存しており、元々奔放な気性の者たちにとっては、やや窮屈な環境といえた。それゆえにコミュニティに属さず、人間に混じったり、人里離れた場所にひっそりと隠遁したり・・・・・・昔と変わらない生活を希望するのは、無理なからぬことだ。安全をとるか、本能に従うか、各々が天秤にかけて、綱渡りのような生き方をする者たちは、決して少なくなかった。 そんな中、コミュニティに属しても属していなくても、それぞれの大まかな種族間で情報の共有を図ろうとし、それに賛同した五人の代表が窓口となることを合意したのが、五華の茶会の始まりだった。 「もちろん、草の根的な個々人での情報流通はあるのだけれど、重要だったり緊急だったりする案件を、誰に渡せば相手の種族に素早く広がるか、という利便性によるものよ」 それは至極まっとうで、歓迎されるシステムのはずだった。だが、エルヴィーラは嘆息する。 「問題は、集まったのが、どれもこれも癖の強い女傑ばかりだった、ってことよ。やりにくいったらないわ」 癖の強い女傑に自分を含めているのかいないのか、たぶんエルヴィーラは自分を除外して含めていない。五華の茶会が発足した当時、コミュニティと死霊・不死族の代表として出席していたのは、ミルド伯爵夫人ファウスタだった。 今日のエルヴィーラが纏うのは、体にぴったりした黒いイブニングドレスで、胸元と背中が大胆に開いており、長いスリットから艶めかしい白い脚が見え隠れしている。剥き出しの両腕はすらりと長く、その手首には濃い色調で揃えた宝石を連ねた一本がさりげなく混じる、ゴールドの多連ブレスレットが。長く艶やかな黒髪はそのまま背に流され、月のモチーフをルビーであしらったイヤリングが、闇夜のように滑った漆黒に色を添えていた。 「ごきげんよう。お待たせしたかしら」 音もなくハイヒールで石畳を踏みしめて、バラの庭園の先に設えられた黒鉄色のガーデンテーブルへと歩みを進める。透かしのある洒落たテーブルに、アンティークな陶器のティーセットが一人分だけ置かれていた。 不思議な空間だった。水量の多い広々とした渓谷に、自然と人工が入り混じり、薄曇りの空は地平と靄で融合して、どのくらいの広さがあるのかは、ようとして知れない。 「エルヴィーラ、お久しぶり」 「元気そうじゃのう」 石造りの庭園は、ガーデンテーブルの置かれた広場のすぐ先で途切れて落ち込み、その下には轟々と激しく流れる川が横たわっていた。川上に滝を備え、所々で岩が頭を出す川の向こう岸は、こちらほど高くなく、うっそうと木々が茂る森になっており、櫓のように高い二つの豪奢な木製のテラスから、それぞれ女が気さくに手を振ってきた。 向かって右、川上方向のテラスに腰かけているのは、褐色を帯びた小麦色の肌に、長く豊かな黒髪をなびかせたダーシャ。アプサラスと呼ばれる天女であり、薄衣に包まれた魅惑的な肢体がくねるたびに、様々な宝飾品が揺れて光を反射した。 向かって正面のテラスで、広いテーブルに山のように出された料理を片端から平らげているのが、鬼女の 飛沫をあげながら流れていく渓流は、基本的に大きく性質の異なる種族を分けていたが、中洲のように飛び出した大岩の上にも席があった。 「今回は四人だけかしら。仕方ないわよね」 ぱしゃりと川の中から岩の上に跳び上がってきたのは、華やかで優美な尾ひれの上に、裾の短いドレスを纏った人魚で、イヴという。五華の茶会メンバーの中では、代替わりにより最も新参で、年齢も最年少のエルヴィーラに次いで若い。 本来、エルヴィーラがいる庭園の隣に陣取るはずの、今日来ていない最後の一人は、リリムのヴァルヴァラ。やはりリステンバルズの王女が代替わりするこの時期は、身を慎んで有事に備えているということか。 「そういえば、エルヴィーラの侍女もリリムだったわよね?今日は一人なのかしら?」 蠱惑的な唇からサメのような歯をのぞかせてニヤニヤ笑うイヴを、エルヴィーラは冷え冷えとした作り笑顔で迎え撃った。 ダーシャにも蒲御前にもイヴにも、その後ろに目立たないよう控えている侍女たちがいる。ほとんどが同族か下位種族だが、エルヴィーラだけは種族の違うエリサ一人を連れていた。これはエルヴィーラがミルド伯爵令嬢で、数による誇示を是としない事と、多様な種族を内包するコミュニティの代表ということから、必然だった。 「ご期待に沿えなくて申し訳ないけど、連れがいるわ」 長い脚を組んでスリットから大胆にミルク色の肌を晒したエルヴィーラは、ガーデンチェアを引いてくれた黒い影に、前へ出るよう促した。 クラシカルな漆黒のドレスは、パニエによってスカートが膨らませられており、さらにその表面を覆うオーガンジーの飾り襞がひときわ華やかだ。たくさんの黒い造花が盛られたヘッドドレスにあしらわれた長いベールのせいで、容貌はよくわからないが、オレンジみを帯びた赤い唇と、同じ様に柔らかな色合いの巻き毛が肩まで覆っているのが見える。黒いレースの手袋に包まれた指がスカートをつまむ、ぎこちないカーテシーが、余計に彼女を等身大のアンティークドールに見えさせた。ただ、女性にしてはかなり背が高いように思われる。 「彼女は・・・・・・」 エルヴィーラが言い終わる前に、庭園の終わりである断崖に茨の壁が出現し、そこから金属のきらめきが覗いて翻った。ズタズタに切り裂かれて消える茨の向こうで、鬼女、天女、人魚の三人が、各々の武器を振りかざしている。彼女たちは戦闘能力を持った侍女で、新人の護衛役が現れるたびにやる模擬戦は、ほぼ恒例の事だった。 「待ちなさ・・・・・・」 「キエェェェッ」 「セイッ」 「シャァッ」 またしてもエルヴィーラの声は遮られたが、ぼっと濃い煙のように湧いた霧が三人を包み、すぐに赤く染まった。 「・・・・・・・・・・・・」 黒いレースに覆われた手が振られると同時に、赤い霧はさっと晴れる。そこでは、鬼女の出刃包丁が人魚に、天女の薄刃羽衣が鬼女に、そして人魚の槍が天女に、それぞれ刺さり、肉を切り裂いて、各々が驚愕に目を見開いていた。 悲鳴を上げ、もつれあうように渓流へ落ちていく三者を、ベールの女はやはり無言で見下ろしていた。 「貴方、いつの間にそんなことができるようになったの?」 エルヴィーラの少々呆れたような驚きの声に、黒いドレスの肩がすくめられた。とっさのこととはいえ、本人も少し驚いているようだ。 「興醒めだわ。おふざけとはいえ、やりすぎじゃないの」 「人の話は最後まで聞いていただきたいわ。彼女・・・・・・ダリアは、わたくしの侍女ではなくて、わたくしの両親のお気に入りよ。お目付け役といったところかしら」 頬を膨らませていたダーシャも、伯爵夫妻の名前を出されて表情を改めた。ダリアを攻撃してじゃじゃ馬の集まりだと報告されたら、伯爵に五華の茶会を軽視される恐れがある。 「あらぁ、ごめんなさぁい」 「これは無礼をしたのう。堪忍しておくれ」 軽く謝るダーシャと、箸を置いて手をつき、深々と頭を下げた蒲御前に、ダリアも先ほどより深く膝を折って礼をしてみせた。 「ごめんなさいね。彼女、口がきけないのよ。ダリアも驚いてちょっとやり過ぎたし、気にしていないみたいだから・・・・・・御前も顔を上げてくださいな」 そうよね、とエルヴィーラに視線を向けられ、ダリアはコクリと頷いた。 エルヴィーラのガーデンテーブルには、いつの間にか茶器が二人分に増え、チェアも二人分に増えている。ダリアが侍女ではなく、オブザーバー的な参加者として認められたからだろう。 (しゃべれないってことは、口を挟むような発言もしないってことだからな。怪しまれるかと思ったけど、意外とよかったのか) エルヴィーラの侍女たちではイマイチ上手くいかなかったが、城の看護師であるラテラテが、女装男子として熟練の腕を振るったおかげで、ベールの下もきちんと女っぽい顔にメイクされたラウルは、心の中で嘆息した。緊張しすぎてさっきからドロワーズに包まれた脚が震えているのだが、やっと座れて、もう一度、今度は口で小さくため息をついた。 (あーっ、怖い怖い怖い怖いぃ!!なんなんだ、この集まりは!?) さっき三人を相撃ちさせたのは、視聴覚を奪えればいいなと思ったら、その他の感覚まで狂わせられる霧を出したらしい。結果的には良かったが、思いもしない効果までつくなんて、コントロール以前の問題だ。 (こんな怖いところにいたら、何がきっかけでどんな暴発をするかわからんぞ) ラウルは自分の知らない潜在能力の多さに慄き、早く安全な場所に戻りたいと、切に願った。 「ではあらためて、始めましょうか」 (もうやだぁ・・・・・・早く終わってくれぇ・・・・・・) 妖艶な微笑を浮かべるエルヴィーラの隣で、ダリアことラウルは、コルセットと詰め物で苦しい胸の内で泣きごとを繰り返していた。 |