荊姫と野バラの騎士 ―2―


 ノックに対して「どうぞ」という余裕のある返答があり、ファウスタは侍女に開けさせた扉から娘の私室へと足を踏み入れた。
「お邪魔するわよ、エルヴィーラ。リステンバルズの王女のお加減が良くないというのは・・・・・・」
 夢魔たちの重鎮が危篤とあって叩き起こされてきたファウスタであるが、エルヴィーラの侍女やお針子たちが、下着姿にひん剥かれた男一人に寄って集って騒いでいるのを、この部屋の主が優雅にティーカップを傾けながら眺めている状況に絶句した。
「なにをしているの?」
「採寸ですわ。急がないと、ドレスが間に合わないんですもの」
 おかけになって、と娘に促されてファウスタも娘と同じテーブルにつき、紅茶が供されるのを待ちながら、ぎゃあぎゃあと騒がしい一角を眺める。
「なにがあったの?あれは、ラウルちゃんじゃないの」
「そうですわ。エリサの代わりに、五華の茶会に連れていこうかと思って」
 がたっと椅子から立ち上がりかけて、ファウスタは娘の突飛さにため息をついたが、その奥に隠された狙いにはすぐ気が付いた。
「そうね、内情を知っている殿方がいるのは、悪くないわ。こっそりのぞき見させているのは、うちだけじゃないんでしょうし」
「お母様が起きてきてくださったのなら、お母様に行っていただきたいわ」
「いやよ。私、ああいう面倒くさい集まりは、正直言ってキライだもの」
 子供の様にぷいと顔をそらすファウスタに、エルヴィーラも珍しく不服そうに唇を尖らせた。
「わたくしだって、好きではありませんわ。すでに慣例のように・・・・・・」
「あぎゃあああ!!がはっ、いだだだだだッ、げほっ、くっ、く、る、しっ・・・・・・ぃッ!!!」
「うるさいですわ、ラウル!」
 会話を遮られてエルヴィーラは怒ったが、ラウルの方も文句が言いたそうだ。しかし、その身体にはコルセットが巻かれ、侍女たちが数人がかりで締め上げている。
「ぐえぇぇっ、は、吐くっ、い、き、がっ・・・・・・っ!!死ぬっ!しぬっ!!」
「男ならそのくらい我慢なさい」
「お、おとこは、我慢してコルセット・・・・・・付けるものなの!?」
「男がするから女装なのよ。だから、女装はとても男性らしい事だわ」
「なにその謎理論!?ヴェスパーみたいだよっ、うぐっ・・・・・・さ、すが、おやこ・・・・・・」
 ラウルは感じたままを言ったのだが、前髪で隠れているエルヴィーラの額に、ぴきっと青筋が立った。
「おまえたち、やっておしまいなさい」
「はいっ」
「ほげぇええええっ!!!」
 エルヴィーラの侍女たちは主に忠実で、男には容赦がなかった。
「くっ、もうちょっと・・・・・・」
「やっぱりサイズと形に無理があります。せめて、もう少し大きいサイズを持ってくるか、新しく作らないと・・・・・・」
「もうっ、時間がないのに!」
「ぜぇっ、ぜぇっ・・・・・・」
「男性にしては肩が細くいらっしゃるけど、この胴の厚みはどうにかしないと」
「スカートのボリュームを上げるついでに、デザインで誤魔化せないかしら?シンプルにするよりも、たとえば、スラッシュやリボンを使ってクラシカルな雰囲気にした方が・・・・・・」
「喉仏を隠すのに、スタンドカラーで作らないといけないわね。でも、デコルテを覆ってしまうと、男性らしさが目立ってしまうわ。チョーカーにする?」
「デコルテの前に、胸を作らなきゃいけないのよ!」
「あぁっ、そうだったわ・・・・・・!」
「ねえ、靴はどうするの?ハイヒールなんて履けないでしょう?」
「工房のエヴァンズさんが、いくつかサンプルを持ってきてくれるそうよ。それを履いていただいてから決めましょう」
 デザイン画が何枚も飛び交い、鏡の前で色とりどりの布がラウルにかけられていく。輪郭を隠すために、ウイッグにヘッドドレスにベールも必要だと、ラウルの周囲はどんどん布が積み上がっていった。
「あらあら、ラウルちゃんも大変ね。そういえば、お茶会に連れていくとして、呼び方はどうするの?ラウルちゃん・・・・・・ララちゃんかしら?」
 ぶふっと紅茶を噴いてしまったエルヴィーラは、盛大にむせながら侍女に差し出された柔らかいティッシュで顔を覆った。
「大丈夫、エルヴィーラ?」
「ごほっ、だい、じょうぶです、わ・・・・・・ぅ、ごほっ、ごほっ」
 呼吸と精神を整えたエルヴィーラは、涙目を隠して澄ました声を出した。
「ラウル、貴方の女装中の名前について、お母様は『ララ』がいいのではとおっしゃっているのですけど?」
「ええっ!?」
 ラウルは驚いて身動ぎしたが、お針子たちに動くなと鏡の方へ無理やり向かされてしまう。
「ダメかしら?」
「えっ、ダメって言うか・・・・・・えぇっ、ファウスタさま、いつの間に!?おはようございます。あの、可愛い名前を考えていただけて嬉しいんですけど、畏れ多くも可愛らしすぎてそわそわするって言うか・・・・・・」
 エルヴィーラは袖のレースの影で意地悪く笑ったが、おしゃべりな男の機転は予想以上に早かった。
「あっ、ダン・・・・・・ダリア、とかどうでしょう?」
「あら、素敵ね。大人っぽいし、それがいいわ」
 エルヴィーラの舌打ちは、レースの襞に吸い込まれて消えた。
「それにしても、リステンバルズの王女が代替わりするなんて、何年ぶりかしら」
 紅茶に角砂糖とレモンを落としてスプーンでかき混ぜるファウスタに、エルヴィーラは答えた。
「この百年近く、生まれていないはずですわ」
「そうよね。今の王女になった時、エルヴィーラはまだ生まれていなかったもの」
 リステンバルズの王女とは、夢魔たちのなかでも色事に長けた種族たちの頭領とされる、特別な個体である。位置づけとしては、『色欲』ルクスリアの眷属で、エリサやアゼルの一族を取りまとめている調整役、あるいは象徴や巫女というところだ。その一生は独特で、誕生した瞬間にリステンバルズの王女としての自覚と資格を持ち、新たなリステンバルズの女王が誕生すると、生涯を終える。つまり、新たなリステンバルズの王女が、最近どこかで誕生したということだ。
「いまのリステンバルズの王女が何代目なのか忘れてしまったけど、実は中身は変わっていない、同一人物だっていう噂話は、本当なのかしらね」
「ありえない話ではないと思いますけど、夢魔たちのほんの一部しか会ったこともないというのですから・・・・・・」
「あら、『色欲』の彼なら、知っているんじゃない?」
「オミのことですの・・・・・・?」
 茜色の目を悪戯っぽく輝かせるファウスタに、エルヴィーラは困ったように眉をひそめた。夫ほどではないが、ファウスタも感性が少々子供っぽいというか、自由すぎるところがあるので、伯爵家の子供たちは度々困惑することになる。
「知っているかもしれませんけど、こちらから何かを聞く勇気はありませんわ」
「んふふ。そうよね。私もあの彼は怖いわ。それに引き換え、ラウルちゃんの可愛いことといったら!ヴェスパーが猫可愛がりするのもわかるわぁ。ヴェスパーと違って、素直で、優しくて、表裏もなくて、なでなでしたくなっちゃうのよねぇ〜」
「お母様・・・・・・」
 きゃっきゃっと声が弾むファウスタに、エルヴィーラは額を押さえた。こんなに緩い調子の人が自分の親だとは、時々疑いたくなっても仕方がないだろう。
「あなただってそうでしょ、エルヴィーラ?あの子は私たちを、ヴェスパーの家族だからって、無条件に、絶対的に信頼してくれている。それがわかるから、あなたもラウルちゃんが可愛いんでしょう?安心しておしゃべりして、色々してあげたくなっちゃう。ちがう?」
 真っ直ぐな金髪と同じ色のまつ毛の下から、ファウスタの温かな茜色の目が笑いかけてくる。陽気さの影に冷酷さと狡猾さを秘めた父親の目とは違って、陽に当てたクッションのように、柔らかくなんでも包み込もうとする母親の目に見詰められると、自分が無力な子供に戻ってしまう気がして、エルヴィーラはいつも居心地が悪くなるような気がしていた。
(そういうところ、ラウルも似ているのよね)
 どうしてそんな包容力があるのか、その得体の知れない温さを、エルヴィーラは少し怖いと思う。
「わ、わたくしはそんな・・・・・・彼を可愛いなどとは、思っていませんわ」
「あらそう?私は抱き枕にしちゃいたいわ。ヴェスパーが怒らなければ、だけど」
「・・・・・・・・・・・・」
 姉弟そっくりな呆れ顔をして見せるエルヴィーラに、ファウスタはくすくすと笑った後で、少し表情を改めた。
「私の養父が、昔のラウルちゃんに乱暴をしたせいで、ヴェスパーに追放されたっていう話、あなたにしたかしら?」
「ローレンス・クロックフォード卿のことですね。お父様から、簡単に」
「そう。その話を、私ラウルちゃんにしたの。私はローレンスの養女だけど、仲良くしてもらえるかしらって。だけど、あの子は笑って気にしていないって言うのよ。それどころか、私に会えて嬉しいって」
「・・・・・・・・・・・・」
「優しい子だわ。でも、だからこそ・・・・・・『憤怒』に気に入られてしまったんでしょうね、可哀そうに。私はこれ以上あの子に悲しい事が起こって欲しくないし、できればあなたにも、ラウルちゃんを大事に守ってあげてほしいの」
「・・・・・・・・・・・・」
「昔のラウルちゃんが、ヴェスパーに慈悲という掛け替えのない力をもたらしてくれたように、エルヴィーラの力にもなってくれるといいわね」
 うふふふ、と微笑むファウスタが、見た目通りいつも寝ているほんわかした、ただの女吸血鬼だなんて、エルヴィーラは一度も思ったことはなかった。
「お母様のお気持ち、よく覚えておきますわ」
 ファウスタの優しさや穏やかさは、性根からのものではなく、無関心からのものだ。彼女の言葉がどれほど有意義で、心を支える力強さに満ちていたとしても、所詮は他人事という無責任な偽善に過ぎない。ヴェスパーによればだいぶ改善されたようだが、かつてはこの世のすべてが自分とは関係ない、と断じ、切り離してしまえた拒絶が、その根底にあることを、エルヴィーラは知っていた。
「ええ、そうしてちょうだい。いい子ね、エルヴィーラ」
 それでもこの温和さが偽物ではないところが、エルヴィーラの襟を正させるのだ。こんなに手強い女性はいない、と。