不屈の魔術師 ―2―


「エインズレイの報告書?」
 持ち込まれたファイルの物珍しさに、ヴェスパーは興味津々で微笑んだ。ミルド家とエインズレイ家は、どちらも古い家柄で、まったく知らぬ仲ではない。なにしろ、エインズレイ一族の一人が、当時仕えていた王に、辺境の地ホルトゥスで生まれたばかりの赤子に伯爵位を贈るべしと進言したのだから。
「なるほど、いまの若い世代はクロム神父と懇意なのだったな」
「約一名、ユーイン・エインズレイ殿だけかと思われますが」
 生真面目な執事の訂正に、ヴェスパーはクスクスと笑い声を立てる。トランクィッスルの直接統治からは退いた身だが、城下町での出来事は些細なことでもヴェスパーを楽しませた。
「なるほど、ゾンビの軍事利用か。こんな古くて技術も不確かなものに頼らなくても、人間はもっと便利なものをたくさん持っているだろうに」
 変なことを考えるのだなとヴェスパーは首を傾げるが、現実問題として広まってもらっては困る技術ではある。紛争地域にまで首を突っ込むのは避けたいが、各国の協力はとりつけられるだろう。「お前たちがこの地域を混乱させたせいだぞ」「お前の政策が緩いせいでむこうが力を付けているぞ」そんな風に、軍事バランスが崩れかけていることを囁けば、何処も目の色を変える。「助けてー!」と叫ぶよりも、「火事だー!」と叫ぶ方が効果的なのと同じだ。もっとも、今回は火事ではなくて、人間が最も嫌がる「疫病だー!」と叫ぶことになるが。
「よろしい。この件について、早急に対策を取ることにする。エルヴィーラとイーヴァルを呼ぶように」
「かしこまりました」
 丸眼鏡をわずかに光に反射させながら恭しく礼をして、レジナルドは伯爵家の子供たちを招集するために、ヴェスパーの書斎から辞していった。

 伯爵からの使者が辞去すると、それまで恐縮していたクロムは抑えきれない喜びに笑みがこぼれた。
「どうしたの?」
「あぁ、ファムたん。すごい物をもらっちゃいました」
 ユーインの報告書を私心無く公共のために献上した返礼にと、ミルド伯爵名義で厳重に箱詰めされたガラス瓶が贈られてきたのだ。
「見てください、ロバーツ&グリッソン社の最高級クリスタルですよ!これだけでも教皇猊下への献上品として扱われるのに、聖水を詰めて仕事に使うようにと・・・・・・はぁ、伯爵さまは本当にいい方ですねえ」
 ミルド伯爵の関係者が聞いたら、十人中十人が「いやいやないない」と首を横に振る評価をしたクロムは、ユーインにもお礼をしなくちゃと、いそいそとガラス瓶の詰まった化粧箱を片付けた。
 ロバーツ&グリッソン社は、ラダファムも知っている有名なクリスタルガラス工房だ。その製品は人間社会にも普通に流通しているが、本来の主な販路は神聖属性を持つ異形や、クロムのような突出した聖職者、そして護符を作るアクセサリー業界である。光物に目がない竜族などに、コアな収集家がいるのも有名だ。同社はクリスタルガラス自体に聖性を宿す技術を持っており、例えると退魔刀鍛冶師センの技に近い。
「ロバーツ&グリッソンのガラス瓶に、クロムが聖水を詰めるの!?」
「え?ダメですか?」
「ダメ・・・・・・じゃないけど、すごく・・・・・・その・・・・・・」
 きょとんとした顔のクロムに、ラダファムは言いにくい。クロムが作った聖水が詰まった最高級聖水瓶なんて、トランクィッスルの住人にとったら焼夷弾みたいなものだ。そんな危険物が教会にあるなんて知れたら、どんな非難を受けることか。
 しかし、クロムはそんなラダファムの心配を、少し困ったような複雑な笑顔で慰めた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと贈答品として、ミルド伯の署名付きで目録とメッセージが入っていました。俺たちを陥れる意図は、ないと思いますよ」
 それに、教会が無くなって困るのはミルド伯爵も同じだ。クロムが管理している教会があるからこそ、勝手に動き回って人間に害を及ぼす下級不死者を、“穏便に”まとめて留めておくことができるのだから。
「たぶん、これから運び込まれてくるなかに、とても難しいご遺体が増えることを心配していらっしゃるんでしょう。どちらかというと、『道具はいい物を用意してやるから仕事しろ』ということでしょうね」
 あはははっ、と朗らかに笑うクロムは、危険な仕事を厭うたことはない。自分が所属する組織のしがらみや圧力を煩わしく思うことはあっても、死者と向き合ってその苦しみを慰める仕事に誇りを持っていた。だからこそ、ミルド伯爵もクロムにはビジネスライクな敬意をもって、礼儀正しく接しているのだ。・・・・・・多少、本来のサドッ気が見え隠れはするが、他の人間に対する慇懃無礼かつ辛辣で酷薄な態度に比べたら、だいぶマシだ。
「クロムってさぁ・・・・・・前から思っていたけど、めちゃくちゃポジティブだよな」
「え、そうですか?ありがとうございます」
「褒めて・・・・・・ぃや、なんでもない」
 この天然さが、クロムの強さのひとつであることは間違いないと、ラダファムは笑って自分の金髪頭をかき回した。

 地下墓所への入り口は、古めかしい礼拝堂の裏手にあった。そもそも、この礼拝堂が、最初に建てられたトランクィッスル教会の建物で、今ある鐘楼付きの大きな母屋は、クロムの前任者がいた頃に、ヴェスパーが爵位を継いだ節目に寄贈したものだ。
「で、なんでアンタまでいるんだ?」
 ラダファムの半眼に睨まれた先には、うっきうきで自分の杖をしごくユーイン・エインズレイがいた。
「護衛だよ、護衛。自分で調査した手前、責任の一端があるって言うか、心配になるじゃん?」
 単にクロムと一緒にいたい、その口実だろうが。と心の中だけでラダファムは毒づき、口に出しては別のいい方をした。
「クロムの力量不足だって言いたいのか」
「いやいや、まさか!滅相もない!!全然、そんなこと思ってないから!!ね、クロム?」
 必死に否定するユーインが面白かったのか、儀式用に正装したクロムはくすくす笑いながら頷いた。
「ユーインもファムたんも、今日はお願いします」
 トランクィッスル教会の地下墓所は、もともと地形的には谷、窪地に当たる部分で、そこを大々的に整形して、何層もの埋葬場所として造られていた。不死族からすると、高層カプセルホテルのようなものだ。現在、屋上に当たる地上は、通気口を除いて野の草花が生い茂り、低木が茂みを作る、広々とした丘になっており、そのそばに礼拝堂が、少し離れたところに教会の母屋が建っている状態だ。
 墓所の上層ほど新しい住人で、下層に行くほど、古く、すでに魂がこの世から旅立ち、土に還るのを待つ骨や灰になった、本来の意味での墓所となっている。それを聞いた者は、不思議がることだろう。「地下墓所は昔からあるのに、どうして住み分けができているのか」と。それこそが、地下墓所の管理人である代々の神父たちが編み出し、受け継がれてきた妙技である。
 左右に遺体棚が並ぶ狭い墓所の通路を、三人はランタンを掲げたラダファムを先頭に、ゆっくりと歩いていく。死者は灯りを好まないため、電気も通しておらず、生者が道行く頼りは、わずかな蓄光塗料と反射板が示すのみだ。
 荷物が詰まったリュックを背負ったラダファムは、LED電球を使った懐中電灯を腰から下げていたが、手には昔ながらの太い蝋燭が入ったランタンがあった。これは墓所が古く地下深い為、いくら通気口があるとはいえ、酸素が薄い場所に知らず突入してしまうのを防ぐためだ。
 ラダファムの後ろにはクロムが、香炉を揺らし揺らし、静かに続いていく。僧服にデザインを寄せたシックなウエストポーチには、緊急時の聖水瓶が収まっていた。
「!?」
 ラダファムが掲げる光の前に、干乾びた体がふらりと現れたせいで、殿を歩いていたユーインが身構えたが、心配ないと目配せしたラダファムは道を開け、亡者をクロムの前に通した。
「・・・・・・・・・・・・」
 僅かな灯りの中をよろよろと近付いてくる亡者は、骨が浮き出た腰にボロボロのジーンズが引っ掛かり、黒ずんだ腕には、かつては一面に刺青があったと思われた。腰の高さから、ラダファムはもとより、クロムよりも背が高そうだが、灯りはそこまでを明らかにはせず、ただ悲しげな呻き声だけが、暗く冷えた墓所で虚ろに響いた。
「・・・・・・どうぞ。一緒に参りましょう」
 クロムが白い手袋に覆われた手を差し出すと、亡者は幼児のようにクロムの手を掴み、その導きに従うように、ゆっくり、ゆっくりと、三人の道中に混じって歩き始めた。
 ユーインは目の前にいるゾンビのせいで気が気ではないようだったが、クロムもラダファムも慣れているので、まったく頓着せずに、暗闇の中を慎重に歩くことのみに集中していた。そして、階層を二つ三つ降りた頃に、クロムの手を掴んでいた亡者は、ふいとその手を離して、いずこかの脇道へと入り込んでいった。
 そうやって、より一層の暗がりと静けさを求める亡者たちを、クロムは一人ひとり手を取って、気が済む深層へと導いていた。苦痛にも怒りにも飽きて、ただただ安らぎを求める魂を慰めるために、クロムは静かに墓所を進み、やがて最下層へと到達する。
 抜け殻となった骨や灰がうずたかく積もった遺体棚を抜け、祭壇を備えたホールへ足を踏み入れる。出入り口の扉はとうの昔に朽ち果て、アーチ形を備えた空洞があるだけだが、その斎場が特別な設備であることは、誰の目にも明らかだった。
「・・・・・・・・・・・・」
 輝きが降り注いでくる、そんな表現がぴったりだと、見上げたユーインは思った。それまで暗闇に沈んでいたホールは、クロムが足を踏み入れた途端に、眩いばかりの光を溢れさせた。
 聖性に反応するクリスタルがちりばめられた天井装飾は、それ自体が結界となるほどの力を持っていたが、クロムが就任する以前までの神父たちでは、ここまでの輝きを出すことはできず、いつも薄暗かったらしい。
 荷物をおろしたラダファムとクロムは、手早く祭壇まわりの埃を払って、花や供物を並べた。月に一度しかしない儀式ではあるが、さすがに手慣れたものだ。ユーインも手伝おうとするが、むしろ邪魔になったらしく、ラダファムに迷惑そうな顔をされた。
 準備が終わると、クロムは時に七色のきらめきを放つ清浄な光で満ちた祭壇に進み、祈りを捧げ、朗々とレクイエムを歌った。その歌声は、聞く者の魂を振るわせるに十分な慈愛が溢れていた。一緒に歌うラダファムも良い歌声をしていたが、クロムの歌声には遠く及ばない。クロムの歌は、まるで乾ききった大地にしみわたる慈雨のような、潤いと温もりに満ちていた。
 生前の罪を裁かれることは怖くない、いまそれ以上の困難と辱めに耐えているのだから。苦痛に縛られることに慣れてはいけない、誰にも安らかに眠る権利があり、何人もそれを阻むことはできないのだから・・・・・・。そんな詩歌は、文言が定められている通常のレクイエムとはだいぶ異なっている。
(そうか、宗派が全然違うからな)
 祭壇の両脇に整然と並べられ、棚を使って積み上げられた各種経典の多さに、ユーインは複雑な表情にならざるを得ない。この地下墓所を終の棲家とする亡者たちが、生前どこに住んでどんな信仰を持っていたのかなど、トランクィッスル教会の神父たちには知りようがない。無理に自分たちの信仰に付き合わせようとしては反発があるだろう・・・・・・その配慮から、試行錯誤を重ね、トランクィッスル流の柔軟な慰霊作法を考案したに違いない。
(代々の神父たちは、みな、そんなに優しかったんだろうか・・・・・・)
 クロムが突出しているだけで、ユーインが思うほど優しかったわけではないだろうが、トランクィッスルに派遣されてくるような神父であるから、あまりにも頑固で教条的な者では長続きしないどころか一瞬で自分が死者になってしまうだろうし、聖職者にしては風変わりな者が多かったのは必然かもしれない。
 聖なるかな、聖なるかな。至高なる御方よ、我らを憐みたまえ。我らの苦痛を取り除き、安寧へと導きたまえ。聖なるかな、聖なるかな。安寧にまします全ての魂よ、慈悲に浴したことを思い出し、我らに道を示したまえ。すべての魂が祝福され、安らかな聖域へと辿り着けますように。そうありますように。
 ユーインは背後からふわっとした風を感じ、それはクロムたちの歌声に乗って、祭壇の奥へと抜けていった。祭壇の奥には、偽扉と呼ばれる装飾された壁があり、その扉は死者だけが通れると言い伝えられていた。