不屈の魔術師 ―1―


 週に二回の買い出しは、見習い修行僧ラダファムの担当である。体力自慢でたくさんの荷物を持てるというのももちろんだが、なによりトランクィッスルの住民から嫌がられにくい、というのが最大の理由だ。トランクィッスル教会の主である神父クロムは、本人の気性とは無関係に、その聖性の強さから、思わぬトラブルを引き寄せかねない。
 買い物客でごった返すスーパーを出て、食料品を詰め込んだリュックを背負い、トイレットペーパーや洗剤やごみ袋の入った布袋を持ち上げ、ボディポーチの位置を調整しようとした瞬間だった。
「イッ!?」
 紙で切った時のような鋭い痛みを手に感じると同時に、懐からものすごい勢いでポーチが引き抜かれていった。ベルトを切られたのだと気付くより早く、財布目当ての強盗だと判断する。
「待て・・・・・・!!」
 ボディポーチのベルトをなびかせた小さな影が、駐車場の車や自転車の間を抜けて、飛ぶように一瞬で遠ざかっていく。泥棒だと叫ぶ間もなく、走り出しかけたラダファムだったが、耳障りな悲鳴と共にポーチが投げ返されてきた。
「ぅおっっと!?」
 慌ててキャッチして中身を確認するが、幸い貴重品類はそのままで無事なようだ。
「あっ!この・・・・・・っ、くそっ!待て!!」
 ラダファムのボディポーチを取り返してくれたらしいジャージ姿の青年は、犯人と思われる黒っぽい霧のような不定形物と格闘の末、逃げられてしまった。
「あーあ・・・・・・逃げられた。あれはなんの種族だ?」
「たぶん、アンシーリー・コートの一種じゃないかな」
「アンシーリー・コート?」
 アンシーリー・コートは『悪い妖精』あるいは『祝福されていない霊』を意味する総称なので、正確に種族の名前ではない。だが、これという名称がつきにくい、脆弱で不確かな存在で、なおかつ気性が性悪であれば、まとめてアンシーリー・コートと呼ばれている。おそらく、あのアンシーリー・コートも、明確にラダファムの財布が欲しかったのではなく、ただ困らせたいだけだったのかもしれない。この町には、そういった“住人未満”も、意外と彷徨っていた。特に、今のような夕暮れが迫ってくる時間は、活動が活発になる。
「なるほど。それであんなに掴みどころがなかったのか・・・・・・」
 栗色の巻き毛を短く整えたスラリと背の高い青年は、まずボディポーチを掴んでからアンシーリー・コートを引きはがしたようなのだが、あの霧のように不確かな実体を、わずかながらでも掴めた方が、ラダファムには驚きだった。
「あの、ありがとうございました。助かりました」
「怪我はなかったかい?・・・・・・あれ?君、人間・・・・・・もしかして、教会の?」
「そう・・・・・・だけど?」
 ラダファムの服装を見て気付いたらしい青年は、素早くあたりを見回した。その様子があまりにも慌てて、かつ怯えているようだったので、すぐに否定した。
「クロム神父なら、教会で留守番してるよ」
「ああ、よかった・・・・・・」
 青年が大袈裟なほどに肩の力を抜いたので、そんなにクロムを嫌がるのかと、財布を取り戻してくれた恩人ながら眉をひそめると、彼は穏やかな顔立ちに苦笑いを浮かべた。
「俺、ラウル・アッカーソンだよ。いつだったか、教会の門の前で倒れただろ。イーヴァルと一緒にいたんだけど・・・・・・」
「門のところで倒れ・・・・・・?あぁぁーーー!!」
 栗色の巻き毛になんとなく見覚えがあると思ったら、クロムの聖性に問答無用で全力攻撃されて、文字通り棺桶送りにされた吸血鬼のラウルだった。
「ええっと、お久しぶり・・・・・・あ、初めましてか。トランクィッスル教会所属修行僧のラダファムです。あの時は、大変なことに・・・・・・」
「ははっ。うん、大変だったよー・・・・・・しばらくヴェスパーの過保護が酷くなってさ・・・・・・そりゃぁ、もう・・・・・・」
 ラウルは全身に広がる大怪我をした事よりも、伯爵の過保護がしんどかったと白目をむきかける。
「結局、直接ご挨拶ができなかったけど、クロム神父はお元気かな?ヴェスパーに・・・・・・ミルド伯爵に、意地悪なこと言われてなければいいんだけど」
「はい、おかげさまで」
 直後はヴェスパーも怒っていたが、事実は完全な不可抗力であったし、クロムへの過剰な制裁をラウルが嫌がったので、クロムからの謝罪を受け入れるだけで許していた。なにより、真祖吸血鬼を退けた実績が出来てしまったクロムと、教会本山との心理戦及び内部闘争が激化してしまったので、そちらを静観した方が面白いと思ったのかもしれない。
「教会も一枚岩ではないみたいだからな。クロム神父をトランクィッスルに押し込めて、自分たちから遠ざけておきたいのは同じでも、単純にクロム神父を嫌っているグループもあれば、現場で実力のあるクロム神父を自分たちの出世のために利用したいグループもあるということか。俺が傷付けられた、責任を取れと、ヴェスパーが教会本山に迫ったらどうなるか・・・・・・ヴェスパーに手札が一枚増えたか。いい迷惑だな。クロム神父も、ご苦労なことだ」
「ラウルさん、よくわかるな」
 ラダファムが目を丸くして感心すると、ラウルは灰色を帯びた青い目を困ったように微笑ませた。現在は教師をしているらしいが、この鋭い洞察力を見れば、伯爵が手元に置きたがるのもうなずける。
 ラダファムのボディポーチが壊れてしまったので、ランニング中だったというラウルは、安全のために手荷物を持って、教会の近くまで送ってくれるという。ラダファムは恐縮したが、結局は住民としてある程度力の強いラウルに甘えることにした。ラダファムがいくら人間にしては強いとはいえ、まだ十代の少年なのだ。
 ・・・・・・アンシーリー・コートのせいで血がにじんだ手に、自分のハンカチをかぶせてくれたラウルの顔を、ラダファムは礼儀正しく見ないでおいた。


 ・・・・・・ラダファムが教会に帰ると、客が来ていた。
「またアンタか」
「そんなに嫌そうな顔しないでくれるか?」
 やや癖のある鮮やかな赤毛を頭に乗せた青年は、ジャケットを脱いだだけのビジネススーツでソファに座っており、苦笑いを人好きのする笑顔にして、テーブルを指差した。そこには、ラダファムが好きなミルクプリンの箱があった。
「いい大人が、あからさまなことして恥ずかしくないの?」
「将を射んとする者はまず馬を射よ、って言うだろ?」
 あんまりな言い方に、ラダファムは目玉をぐるりと回してみせた。子供だからと舐められていると思えばいいのか、貢物をされる程度には篭絡が必要な存在だと考えられていると思えばいいのか。
「ファムたん、おかえりなさい。ユーインからお土産をいただいたので、一緒にお茶をしましょう」
「はい・・・・・・」
 ティーセットを手に応接室に入ってきた、何も知らないクロムにそう言われては、ラダファムは手を洗いに行って、同じテーブルにつかざるを得ないのだった。
 ユーイン・エインズレイは、現代の魔法使いである。エインズレイ家は代々優秀な魔法使いを輩出しているが、その力がどちらの方向へ向けられるかは、その時代ごと、時の当主、あるいは個人によってまちまちであった。王家に仕えていた者もいれば、トランクィッスル近郊に隠遁する者もいた。歴史の表と裏とで、魔法使い同士が熾烈な戦いを繰り広げたこともあるが、エインズレイ家は滅びることなく現代まで命脈を保っていた。その過程で、人間社会で広く信仰されている宗教組織に、奇妙な伝手を持ったとしてもおかしくない。
「麻薬カルテル同士の抗争が激化している中米とヨーロッパを繋ぐ、コカインのルートを伝って来たらしい。ヨーロッパで流通しているアヘンのほとんどは南アジア産だが、コカインは中米産も多い。どちらも近年、治安の悪化と反比例するように生産量が上がっているらしくて、結構問題になっているよ。麻薬以外のヤバいものが混ざる余地もあるってことだ」
「なるほど、そういう裏があったんですね。死者を冒涜する呪術はほとんど絶えているはずなのに、最近うちに送られてくるご遺体が妙に多いのは、そういう・・・・・・」
 口元に手を当てて、眉間にしわを刻んだクロムの声が、考え込むように消えていく。トランクィッスル教会には大きな地下墓所カタコンベがあり、眠りにつけない死者たちを慰める聖所となっていた。
 通常、死者は手厚く葬られてその肉体は土に還るが、偶然様々な条件が重なるか、あるいは人為的な呪術によって、生者を襲うグールやゾンビなどの下級不死者となってしまうことがある。そうなったら、問答無用に燃やして灰にして、その灰も厳重に清めてから地に還すか、できるだけかけられた呪術を解きほぐして御霊を慰め、心安らかに還るのを待つかのどちらかになる。不死化した肉体を燃やして慰霊祭を執り行う方が手軽ではあるのだが、稀に悪霊化して余計に面倒になることもある為に、安易に乱暴な手段を取るわけにはいかない。しかし、死者の怒りや呪術が強すぎると、まず鎮めるところから、何十年、何百年という年月がかかることがあった。
 そんな天地に行き場のない死者たちを受け入れているのが、このトランクィッスル教会だった。
「土葬が一般的だけど、埋葬すらされずに放置されているところもある。・・・・・・まあ、生きたまま火葬っていうのはべつとして」
「シャレになんねーな」
 ギャング同士の殺し合いでも、紛争の結果だとしても、生きたまま焼き殺されるなんて想像もしたくない、とラダファムは身体を震わせる。
「もちろん、弔いをされずに野晒しにされた死体が増えれば、疫病が流行って、余計に人が離れて不死族の温床になりかねない。さらに、死体からゾンビが作れるとしたら・・・・・・信じない人間の方が多いだろうけど、実物を目の前に出されたら、自分たちも欲しくなるだろう。兵器として」
 映画やゲームに登場するモンスター違って、自然発生的なゾンビやグールというものは存外脆い。そもそも死体であるから、燃料をかけて火を付けたら終わりだ。噛まれると自分までゾンビになる、ということもない。ただ、その見た目と、死体が動いているという生理的嫌悪感、さらに様々な病原体を持っているという点が、生きた人間にとって最大の脅威なのだ。
 ここで問題になるのが、食人吸血を行う不死族の仲間は世界中にいるが、人間に使役されるために黄泉還らせられたのは、現代では中米を中心としたブードゥーのゾンビだけということ。つまり、人間が制御できる限界であるが、その境界は実に曖昧で、簡単に手に負えなくなる。制御を失った「生ける屍」のうち、強くなりすぎて処理に困ったものが、まれにトランクィッスル教会に持ち込まれてくるが、その数が近年急激に増えていた。
 ユーインはその原因を独自に調査して、クロムに個人的に情報提供した。
「自分と同じ人間を、何だと思っているのか・・・・・・!ケダモノめ!」
 クロムのピジョンブラッドの両目が潤み、握りしめた両拳が怒りで震えている。トランクィッスル教会は疲れ果てた者が安らかに眠る場所で、断じて廃棄場ではない。
「でも、なんで今?」
 ラダファムが疑問に思うのも無理はない。そもそもブードゥー教は西アフリカが発祥で、奴隷産業と共に中米に広まり、キリスト教などと混じりあいながら定着していった背景がある。ゾンビの作成はその内のごく一部、他者を貶めるための古の呪術であり、現代になって急に増えたのは不思議である。
「軍事産業と同じだよ。金になるから。代々の神官が封じていたものが漏れたか、偶然発掘されたロストテクノロジーが、世界情勢の流転と共に表に出てきたと考えられる・・・・・・。誰かの思惑が国ひとつを潰し、誰かが生きる糧の為に倫理の欠片もない技術を売っている・・・・・・そういったものの結果だ」
 ユーインが調査ファイルをテーブルに投げ出して緩く首を振ると、燃えるような赤毛がふわりと揺れた。
「・・・・・・ユーイン、この調査結果を伯爵に譲渡してもいいですか?」
「かまわないよ。このファイルは、もうクロムのものだ。内容だって、クロムが知りたいかなと思って、俺が勝手に調べたことだからね」
 ユーインが穏やかな笑顔を向けると、クロムは硬い表情のまま謝意を表した。
「ありがとうございます。ここに運び込まれる数が増えているということは、すでに、もっと多くのゾンビが作られているということでしょう。遠からず、大きな問題になるはずです」
 おそらく、すでにミルド伯爵のもとには何らかの兆候が報告としてあがってきていることだろう。ユーインの調査結果は、有用かどうかは別として、傍証のひとつになるに違いない。
「人間を冒涜する人間を、俺は人間として、許せません」
 それが、漆黒のカソックを纏うクロムの怒りであり、トランクィッスルに住まう人間としての誇りだった。