放し飼いの愛猫 ―2―


「レジーが言っていたけど、来月誕生日だなんて、私は聞いてないよ!?」
「俺もヴェスパーに言った覚えないし。そんなことより、小型旅客機並みのドラゴンの背に掴まって飛ぶとか、吸血鬼でなけりゃ吹き飛ばされるアトラクションに乗った俺の武勇伝聞いてよ。ファンタジーの竜騎士ってすげえんだな」
 リムジンの座席に深く腰掛けて、高いスーツを着込んだラウルは気のない声音で相手をするが、ヴェスパーは全くお構いなしに、ぐいぐいと近付いてくる。少し離れた場所には、秘書が二人も同席しているのだが。
「そんなこと、なわけないよ。いいかい、ダンテ?まずパーティーの準備をしなくちゃいけない。プレゼントは何がいい?好きな食べ物は?昔と違って、もうなんでも食べられるんだろう?」
「今も昔も、ムール貝だけは苦手だ。食べたいのは、バッカラ干し鱈コロッケのトリプルチーズソースかけだな」
「わかった、手配しよう」
「手配するのはいいけど、豪華なパーティーとか高い贈り物なんて嫌だからな」
「では、何が望みかな?」
 具体的な要望が出た方がやりやすい、さあなんでも言ってみなさいと余裕の表情を浮かべるヴェスパーに、ラウルは少し首を傾げながら記憶をたどった。
「・・・・・・昔、ヴェスパーが早起きしたかなんかで、アフタヌーンティーやったことがあっただろ。俺はタルトとか、柔らかいお菓子をちまちま食べながら、お茶を飲んでたな。あれがやりたい」
「ふむ・・・・・・それだけ?」
「うん。ヴェスパーと二人きりでお茶会がしたい」
 少々不満そうだったヴェスパーの顔が、一瞬でにっこりと上機嫌になるのを、秘書官たちが引き気味に見ている。これがヴェスパーの転がし方だと、ラウルは自慢いっぱいに胸を張りたい気分だ。
「よろしい。では、来月を楽しみにしていたまえ」
「そうさせてもらうよ。あぁ、そうだ。プレゼントは、この前言っていた腕時計でいいぞ。普段使いしたいから、お手頃価格で機能はシンプルで、地味なやつ、な」
「ふむ・・・・・・ダンテが気に入るような物を探すとしよう」
「そうしてくれ」
 一番は「これを買ってくれ」とラウルが持っていくのが良いのだろうが、ヴェスパーのセンスには遠く及ばないので不機嫌になられかねない。昔からそうだが、予算以外の大枠を決めて、その他を全部投げた方が、ヴェスパーはいい仕事をする。金に糸目をつけない性分であるから、最終的にはコストパフォーマンスのよい、高品質な結果が出てくるのだ。
「しかし、伯爵家は相変わらず金持ちだな。今日の会談だって、財界のお偉方とだろ?」
 ホルトゥス州には、選挙で選ばれた州知事が存在しない。広大な州のほとんどが、ミルド伯爵家の持ち物だからだ。だから、伯爵家が主導して産出したあらゆる製品の利益が、ほぼすべて伯爵家に入ってくるし、住民たちも税金を払っている。もちろん、伯爵家も本国に対して税金を納めているわけだが、伯爵家が公共事業、その他に金を使っている分安くなるし、領地の面積に対して人が住んでいる場所が少ないので、最新の設備を整えて福利厚生を厚くしても、まだ余裕がある。
「そりゃあ、各妖精族はもちろん、竜族みたいな巨大魔力発生装置が何百年も住んでいるからね。レアアースや宝石の鉱脈がひとつやふたつやみっつやよっつ、いつの間にか自然発生してもおかしくないよ。わはははは」
 笑いが止まらないヴェスパーを見て、そのうち石油か天然ガスでも出てくるんじゃないかと、ラウルはこめかみを揉んだ。地質学なんてこの地には存在しないらしい。ホルトゥス州にはノッカーやドワーフといった、鉱山に住まう種族もいるため、一度に採れる量が少なくても、質の良い物が長く採れるというわけだ。これなら値崩れする心配はそうない。
「今日は、その国内向けの流通を緩和してくれっていうお願いをされに行くんだよ。お願いする側が呼び出しておいて、さて、何と囀るのやら」
 ヴェスパーはニヤニヤとその美貌を歪めて笑う。ホルトゥス州の、さらに伯爵の居城に人間が入ることは、伯爵家が招待するという例外を除いてないので、ラウルにはヴェスパーの意地の悪さがスキップしているように見える。
「俺は何をしていればいいんだ?」
「私の側にいてくれるだけでいいよ。今日はお前の紹介という目的もあるし」
「ちょっと待て。なぜ俺が紹介される?」
 今回も今後も、ヴェスパーの仕事、つまりはホルトゥス州の政治に関して、ラウルは関わる気は全くない。これ以上おかしなことに巻き込まれるのがごめんだとラウルは腰が引けたが、ヴェスパーは全く気に留めずに胸を張った。
「私が自慢したいからだ!」
「・・・・・・・・・・・・あぁ、そう」
 秘書二人が顔を俯けて肩を震わせているのが見えるが、笑われているのか呆れられているのか、さもなくば嘆かれているのだろう。ラウルはもう、いちいち気にしないことにした。
 ラウルが国際線の飛行機に乗る時しか訪れたことのない首都を、リムジンは滑るように走り抜け、高級ホテルのキャリッジポーチで停まった。
 ヴェスパーのリムジンには、ドアマンも触れないよう通達されているらしく、恭しく礼をして立つだけで、ドアは自動で開いた。最初に降りたのは秘書二人で、彼らはヴェスパーの秘書であると同時に・・・・・・いや、それ以上に「盾」としての役割を持つ。ボディーガードといえば聞こえはいいが、そもそもあらゆる破壊力はヴェスパーの方が上であり、文字通り使い捨ての盾というのが実質的なところで、彼らもそれを承知でヴェスパーに仕えている。とはいえ、ただ図体が大きいだけではなく、補佐官としての能力も高く、伯爵家につかえる者としての立ち振る舞いも洗練されている。この辺は、執事のレジナルドが厳しく目を光らせているに違いない。
 そういうわけで、ラウルなぞ本当にただのおまけというか、随伴というのもおこがましい。ペットを連れて移動するセレブみたいなもんか、とラウルは内心で納得する。一応、ラウルの身長は百八十一センチあるはずなのだが、四人の中で一番低い上に容姿も若いせいで、余計にマスコットのような気がしてきた。
(いるだけでいいならいいか。ヴェスパーの機嫌もいいし)
 車を降りてラウルがまず感じたのは、空気の違いだ。トランクィッスルが田舎と言えば田舎なのだが、やはり首都は空気が汚れていて、酸味のある排気ガス臭が鼻につく。それに、生きた人間の匂いが強い。汗と、呼気と、血肉が発する熱と・・・・・・。
(俺は蚊か。たしかに、吸血鬼だけど)
 元々、人間にしては察しが良かったとは思うが、覚醒した後さらに、ここまで感覚が鋭敏になるとは思わなかった。先日アメリカに行ったときは、住み慣れた国の空気だったからか、あまり気にならなかったが、これからはあまり人混みに出ない方が良さそうだ。
 車から建物の中へは数歩だが、外は黄昏時をやや過ぎて、都会でなければ星が見え始めているだろう。一応、人間側が呼び出している自覚があるのかもしれない。朝一で呼び出すような非礼が通じる相手ではないのだし。
 モノトーンに金を配色した洒落たラウンジに通され、そこで待っていた年配の男たちに、ヴェスパーはステッキを片手ににこやかに挨拶をする。この笑顔が怖い事を相手方もわかっているらしく、老練な笑顔たちは一部の隙も無い視線を投げかけてくる。
「ごきげんよう、みなさん。お待たせして申し訳ない」
「お久しぶりです、伯爵」
「お元気そうでなにより」
 不死族に対して「お元気そう」もなかろうに、とラウルは思うが、「お変わりなく」とか言われるよりはマシか。彼らから見たら、ヴェスパーは何年たっても容姿が変わっていないはずだ。
「今日は、お若い方をお連れですね?」
 年経た財界人たちも、彼らよりは若い随員を伴っているが、その中でもラウルはひときわ若い。ヴェスパーの秘書や人間の随員は立っているのに、ラウルには秘書がスタッフに椅子を余分に持ってこさせており、明らかに扱いが違う。
「ああ、紹介したくて連れてきた。私の弟のダンテだ。長く離れていたのだが、最近帰ってきてくれてね」
 機嫌よく声が弾むヴェスパーの隣で、ラウルは本当に紹介しやがった、と泣きたくなった。当然、似ていない上に、兄弟がいたなんて聞いたことが無いだろうざわめきに、ラウルは腹をくくってせいぜい平静に見えるよう声を発した。
「縁あって、義兄弟として扱っていただいています。伯爵は私をダンテと古い名で呼びますが、現在その名を呼ぶ人は少ないので、ラウルとお呼びください」
「お兄ちゃんと・・・・・・」
「呼んだことなどないでしょう、伯爵」
「せめて名前で呼んでくれないかな。お前に爵位で呼ばれると悲しくなる」
「わかりました、ヴェスパー」
 半分漫才になった自己紹介をきりぬけ、ラウルは同席している相手方をぐるりと見渡した。メガバンクの頭取、重工業最大手取締役、証券取引グループのCEO、金融庁の事務次官、などなど・・・・・・資料を見ただけで目眩がしたものだが、こうして本人たちを目の前にすると、ただの人間しょくりょうに見えるから、人外になるとはこういうことかと、みぞおちのあたりが苦しくなる。
 勧められて着席してそうそう、ラウルに好奇の視線を向ける人間たちに、ヴェスパーの釘が飛んだ。
「彼が若く見えるからと言って、侮ってもらっては困るよ。まあ、実際若いがね。今日、我々が友好的に会話できるのは、三、四世紀ほど前に彼が私に助言してくれたおかげだ」
「誤解を生むような言い方をされるが、私は当時人間社会にあった仕組みの紹介と提案しただけで、人間との関係を前向きに築きたいという意思を持って政策を進めたのはヴェスパーです」
「ダンテがいなかったら、たぶん現在のような関係にはなっていなかったよ」
 ヴェスパーはくすくすと笑い、おそらくラウルを連れてきた本当の理由をさらりと告げた。
「これからもホルトゥス州と友好的な協議を続けたいのなら、彼と仲良くしておくことを奨めるよ。なにしろ、私の娘は人間に対して敬意も興味もないし、息子は政治という建設的な長期戦略を退屈と感じている」
「おい・・・・・・」
 思わず抗議の小声が出たが、ヴェスパーはラウルの視線などお構いなしに続ける。
「ただし、彼は人間に期待するのをやめて、自ら夜の子に成ることを選んだ真祖だ。ゆめゆめ、礼を失しないようにね」
 ことによっては私よりも冷淡だよ、と微笑むヴェスパーの計略は、人間もラウルもからめとっていく。
(そういえば、こいつの家系のサドッ気は敵味方関係ないんだった・・・・・・!)
 ラウルはいまさらながら、ヴェスパーのわがままに付き合った自分の軽率さを呪い、頭を抱えたくなった。