エスコート ―3―


「今夜は、お伴がいつもの方ではないようだ」
 ミランたちとの間に立ちふさがった巨体に、思いっきり眉をひそめて「あ゛ぁ?」と言ってやりたいところだったが、ラウルが暴発する前にエルヴィーラの低くたおやかな声がかぶさった。
「ラウル、お友達がいたの?」
「・・・・・・んんっ。金融庁で事務次官補佐をされている、ミラン・ハーク殿です。以前、ヴェスパーに連れられて行った会議で」
 ああ、と納得の表情をするエルヴィーラの前に、ラウルはフィリップの影からミランを引っ張り出した。ミランはエルヴィーラに名乗って恭しく礼をした。
「お目にかかれて光栄です、フロイライン。ラウルさんは命の恩人です。あの時、伯爵閣下にお叱りを受けるとわかっていながら、私たちを助けてくださいました」
「えっ・・・・・・」
 そうだったかなぁとラウルは視線を彷徨わせたが、ミランには「覚えていてください」と呆れられ、エルヴィーラは口元に手を当ててコロコロと笑ってみせた。
「オホホホ。ラウルらしいわね。どうせお父様が過保護なだけなのでしょうけれど。まあ、うちのラウルは三歳児と変わりないんですもの。仕方がないわ」
「エルヴィーラ!」
 幼児扱いされてラウルは頬が熱くなったが、エルヴィーラは機嫌よく笑うばかりだ。これでは保育園のお友達に会えて喜んでいる子供と、その保護者にしか見えない。
「あぁ、侯爵。紹介がまだだったわね。わたくしの同族で、ラウル・アッカーソンよ」
「初めまして。ラウルと申します」
 ラウルは胸に手を当てて、せいぜい慎ましやかに礼をしてみせた。
「同族だというのに、伯爵閣下から叱責を受けて恥ずかしくはありませんか。しかも、フロイラインを呼び捨てとは、あまりにも幼稚ではないかな、従者殿」
 見下した言い方にカチンときたが、事実だったのでラウルは表情を変えなかったが、ミランが真っ青になって鋭い声を出した。
「フォイデン侯爵!ラウルさんは従者ではなく、ミルド伯爵の弟です!」
「弟!?」
「待ってくれ。あいつが兄貴ぶって俺を弟扱いしているだけで、本当に血が繋がっているわけじゃない」
 ラウルはすかさず訂正をいれた。そうしないと、どんどん上辺の情報だけが独り歩きしてしまう。
「お父様を『あいつ』呼ばわりできる人が、何人いると思って?」
「ぅぐっ・・・・・・」
 呆れたようなエルヴィーラの薄笑いに、ラウルは反論ができない。しかし、「よりマシ」な情報を流しておかなければ、自分の身動きが取れなくなってしまいそうだ。
「今代のミルド伯爵が、まだ無位だったころに助けてもらったんだ。それからの縁だよ。伯爵家には可愛がってもらっているけれど、俺は偉いなにかじゃない」
「まあまあ。トランクィッスルの歴史に残る重要人物が、ご謙遜をされるわ」
「グレイシア教授・・・・・・!」
 余計なことを言わないでくれとラウルは内心で叫んだが、グレイシアはラウルを探していたらしく、トコトコと近付いてきた。
「エルヴィーラ、悪いけど、少しのあいだ彼を借りていいかしら?学究の徒として、聞いておきたいことがいくつかあるの」
 エルヴィーラがすぐに頷いたのは、おそらくラウルが慣れない場所でとげとげしい空気を出させないようにという気遣いがあったのだろう。
「いいわよ。ラウル、グレイシアに迷惑をかけないで、行儀良くしているのよ」
「だから、俺は幼児じゃないというのにぃ〜〜!」
 グレイシアに腕を掴まれ、意外と強い力でラウルはずるずるとその場から引っ張り出されて行った。たおやかに手を振るエルヴィーラであったから、あとは一人でなんとかするのだろう。
 パーティー会場に隣接した、控室の様な一部屋に招き入れられ、ラウルはグレイシアと差し向かいで椅子に座った。白いクロスがかかった丸テーブルには、紅茶とクッキーが用意されていた。
「ごめんなさいね。僭越ながら、私からいくつか助言ができるかもしれないのだけれど、そのために、あなたの事を以前に生きていた時から聞かせてもらえるかしら?もちろん、話せることだけでいいわ」
「はあ・・・・・・だいたい、伝わっていることで間違いはありませんが」
 当事者であるヴェスパーが生きているので、史実が曲解されて伝わっていないし、別に隠すことでもないので、ラウルは現在までの事をかいつまんで話した。
「そう。たしかに、人間が吸血鬼の真祖として生まれ変わった例は聞いたことがないわ。真祖は、噛まれることなく生きたままの人間から成るものだし・・・・・・ラウルさん、真祖に成る条件をご存じかしら?」
「いえ・・・・・・俺が真祖だと判断されたのは、現世において噛まれた事実がなく、俺を噛み殺したはずのヴェスパーと俺との双方に、主従の潜在契約が存在しなかったことからです。条件と言われても、まったく・・・・・・あ、罪源に関わらないと、真祖になれないとは聞きました」
 グレイシアから飛び出した意外な話題に思わず否定してしまったが、ラウルは首を振って訂正した。それだけが条件ではないだろうが、オミから聞いた情報は、必須条件のひとつではあるだろう。
「そうね。あの恐ろしい魔物たちと関わるようなタイミングは、それこそ奇跡のような確率。多くの人間も異形も、彼らと関わる前に、直面した困難によって潰えてしまうことがほとんどでしょう。・・・・・・吸血鬼の真祖は、人に、世に、絶望して、それらを破壊したい、破滅させたい、という激しい怒りの衝動・・・・・・それも、人間一人に収まり切れない憎悪を、狂うことなくたった一人で発現させることができて成るのではないか、と言い伝えられているわ」
 伏し目がちに告げるグレイシアが何を言いたいのか、ラウルは奇妙な予感が背すじを冷たく伝うのを感じた。
「ではラウルさん、ミルド伯爵家の始祖については?」
「初代伯爵とは、前世でも面識がありません。それとも、エルヴィーラの曽祖父・・・・・・ハツカトウカの伝説に登場する、隠者の事でしょうか?」
「ええ、その隠者の方よ。私は彼も真祖だと思っているのだけど、残念ながら、私では伯爵家の古文書を閲覧する資格がないの。極秘扱いの物を外部に渡すような真似、エルヴィーラにさせるわけにいかないわ」
「なるほど。あのヴェスパーと直に話したとしても、素直にしゃべるはずがない」
 話を聞けたとして、それが事実かどうかなど、こちらにはわからないのだ。それに、ヴェスパー自身も知らないか、忘れている可能性がある。
「真祖について・・・・・・自分が何者になったのかについて、あなたはよく知る必要があると思うの。ミルド家の始祖が、なぜ積極的に人間を襲わず、深い森の中で隠遁していたのか」
「!」
 たしかに、そこは疑問に思うべきだと、ラウルは目を瞠った。
 おとぎ話の多くは、前提に「なぜ」を持ち込ませない。それはフィクションであり、例え話、寓話であることがほとんどだからだ。神話や伝説などならば、歴史的な事実が下敷きになっていることもあるだろう。地道な研究や発掘が、それを裏付けることは枚挙にいとまがない。
 ハツカトウカの伝説が、事実ないし、それを基にした話だとしたら、隠者が森にいた理由があるはずだ。
「ミルド家の始祖・・・・・・いや、真祖が、森にいなければならなかった・・・・・・・・・・・理由がある・・・・・・?」
 噛みしめるように呟くラウルを、グレイシアは真っ直ぐに見つめて、かすかに頷いた。
「もしかしたら、当代のミルド伯は、もうご存じかもしれない。あなたに最適な環境を模索している最中なのかもしれない」
「教授・・・・・・」
「だからあなたは、自分でそこに気付かなければならない。あなたなら、伯爵家の古文書を閲覧できるでしょう。探してごらんなさい。そして、気付きなさい。きっと、あなた自身を守ることにつながるはずよ」
「・・・・・・はい。ありがとうございます、教授」
 深々とグレイシアに頭を下げるラウルに、もう感情的な刃の光は欠片も見られなかった。
「いいのよ、顔を上げてちょうだい。えらそうなことを言っても、私が言ったことは、すべて推測でしかないの。・・・・・・でもね、『憤怒』がなぜあなたを選んだのか、それは私も、ミルド伯爵も考えが同じだったわ」
「え?」
 どういうことかとラウルはグレイシアに訊ねようとしたが、ノックと甘く明るい声に割って入られてしまった。
「あらぁ。エルヴィーラの可愛い子猫シャオマオを、やぁっと見つけたと思ったら、グレイシアとお話し中だったわぁん。お邪魔だったかしらぁ?」
 ドアを押しのけるように入ってきた影の、暴力的なまでに視界を占領せんとする、ばいんばいんたゆんたゆんと揺れる胸に目がいきそうになり、ラウルは根性で視線を上げた。
 毛先の跳ねたアッシュホワイトの髪、ギラリと光を放つ金色の目。ただそれは、ラウルが見た一瞬の錯覚だったのか、けぶるように巻いた鋼色の髪と、こげ茶色の大きな目をした美女が立っていた。東洋系というには目鼻立ちがくっきりしているので、混血かもしれない。優しげに垂れた眉目はかえって妖艶で、弧を描く艶やかな唇の端に小さなほくろがある。
「あら姚紫涵イャォズーハン、ちょうどいいところに。話なら、いま終わったところよ。彼をエルヴィーラのところまで送り届けてあげてくれないかしら?それじゃあ、ラウルさん、またね」
「あ、はい・・・・・・」
 ぼんやりしながら立ち上がったラウルは、部屋に入ってきた彼女と入れ替わるように、そそくさと立ち去るグレイシアの背を見送るしかない。
「んふふふ」
「ぁ、はじめまして・・・・・・」
「はぁい。私は姚紫涵。姚姐イャォジェと呼んでねえ」
 中国語の文化では、フルネームを呼び捨てにすることが、対等な立場で最も親しい呼び方の礼儀だったはずだ。最初にラウルを子猫と呼んだだけあって、彼女からも子ども扱いされているのがよくわかる。
 隣に立たれて驚いたのだが、彼女は背が高かった。ハイヒールを履いているにしても、ラウルよりも視線が高い。蕩けるような笑顔で近付いてくる姚は、美人だし甘くいい香りがするのだが、その凶器のような胸を押し付けられると、さすがにラウルも困る。十中八九、ただの人間ではないという判断で、ラウルは腕に絡みついた細腕と胸を振り払うことなく、せいぜい紳士的に振る舞うことにした。
「こんなにお美しい方に出会えるなんて、今夜はとても幸運です、姚姐。ラウル・アッカーソンと申します。エルヴィーラのお友達でしたか・・・・・・どうぞ、お見知りおきください」
 営業スマイルよりも甘ったるく見えるように微笑むと、間近からこちらを見下ろしていた姚は、少し驚いた様子で、気まずげに視線を彷徨わせた。
「俺を探していたのなら、一緒にホールへ戻りましょう。お好きな酒はなんです?」
「・・・・・・はぁもぉ、なぁに、この可愛らしい坊やは。こっちが照れてしまうわ」
「あまり慣れていないものですから、ご容赦ください」
「んっふふふ。なかなか化けの皮が厚そうだわねぇん」
「これは手厳しい」
 襟ぐりの開いたドレスを着た姚から差し出された手を取ったラウルのエスコートは、ミルド伯爵家の執事直伝であり、たいへんスマートだ。
「ところで、なにか御用ですか?」
「そうよぉ。あのエルヴィーラが連れている男なんて、興味湧かないはずないじゃなぁい」
 ホールに戻って給仕のトレーからそれぞれ果実酒のグラスを手にすると、姚は自分の体をこすりつけるようにラウルに寄り添った。
「グレイシアとも意味深な顔で話していたし、何者かしらねぇん・・・・・・」
「あぁ・・・・・・俺は、真祖吸血鬼ですから。前世でもやらかしているので、教授にはご心配をおかけしています」
「まあぁ!ああ、そぉ。それは珍しい大物だわぁ。最近噂になっている、ミルド伯爵の手中の珠って、ラウルのことでしょぉ?ぜひ仲良くなって、もっと色々聞きだしたいわねぇん。んっふふふふふ」
 大変機嫌の良い姚は、すいすいと目配せして、こちらを遠巻きに窺っているような淑女や令嬢たちを呼び寄せた。
(あ、魅了持ってるひとか)
 精神干渉能力を持つ異形は、特に気を付けなければならない。吸血鬼も一応精神干渉能力を持っているが、眼差しひとつで同性を篭絡できる姚のものは、傾国もかくやという桁違いさだ。