エスコート ―4―
ぞくぞくと女たちが集まってきていることに若干引きつつも、ラウルは笑顔を保って姚の相手を務めた。 「俺はトランクィッスルに住んでいますが、姚姐は、普段どちらに?」 「私は上海。金持ちのいい男捕まえようと思って田舎から出てきたのに、運よく当たった富籤で株を買ったら、馬鹿みたいに儲かっちゃったのよ。いまは、私が投資家よぉ」 「それはお忙しそうだ」 「そっ。忙しいの。だから、ラウルみたいな子に癒してもらいたいわぁん」 がっちりと捕まえられた腕に、むぎゅうと立派なおっぱいを押し付けられて、ラウルの脳内で「癒しとは」と哲学が始まった。ラウルも胸の大きい女性が嫌いではないどころか割と好きなのだが、それよりも付随するアレコレを鑑みて、「俺にも選ぶ権利がある」と思う。 (なるほど、これがエルヴィーラの言っていた「選ぶ権利」か。外見や身分だけじゃないんだな) エルヴィーラの性格からすると、外見や身分だけでも相当数弾かれるとは思うが。だいたい、姚がラウルに求めているのは癒しではなく、エルヴィーラの弱味というポジションだ。 「姚姐・・・・・・お戯れはそのくらいで。お許しください」 「んもぅ、ラウルったらいけずぅ。こんなに可愛い坊やは、エルヴィーラになんかもったいないってぇ!ねえ、みんなもそう思うでしょぉ?」 周囲から「ええ、そうね」「姚姐の言うとおりですわ」などと声が上がって、ラウルは背中に冷たい汗が伝った。こんな認識を令嬢たちの間に定着させてしまったら、エルヴィーラが怒るに決まっている。 (いや、姚姐はエルヴィーラを煽ると同時に、彼女たちをエルヴィーラに潰させたいんだ) 姚が魅了で呼び寄せたのが、全員味方にしたい取り巻きというよりも、逆だと考えた方がしっくりくる。ラウルは自分が取るべき行動を、瞬時に判断する必要に迫られた。 「怒る」か「怒らない」か。それは酷く単純な二択であり、ラウルにはあまりに軽い選択だった。 「ずいぶん舐められたもんだ」 口調が砕けてしまったが、そこは許されるだろう。サイラスだって言っていたではないか、「無礼を働かれたら、どちらが上か思い知らせてやればいい」と。 姚が呼び寄せた令嬢たちは、みな失神してパタパタと倒れていく。ラウルが一歩離れただけで、まるで拘束しているかのような姚の腕からするりと抜けた。 「お前、誰を利用しようとしたか、わかっているのか?」 「あぁん、誤解よぉ。そんなに怖い顔しないでぇん」 さすがというべきか、足元に倒れた急増の取り巻き立ちの中でも、姚は科を作って嫣然と微笑む。 (謝らないんだ。殺していいか) ここが何処で、今は何をしている最中だったのか、ラウルの頭からはすっかり抜け落ちている。ただ、目の前の、おそらく自分よりもやや上位の異形を、速やかに、かつ永遠に黙らせるための算段でいっぱいだ。 相手も強いとわかっているから、手加減なんていらない。ただ、全力で押し潰してしまえばいい。 ギッと音がしそうなほど練られたラウルの力は、剥き身で素朴で、荒々しい猛りは粗暴ともいえた。その純粋なパワーは、竜族の長が太鼓判を押していることを、この場にいる誰も知らない。 「ちょっと、姚紫涵。アンタ、この子に何を言ったの?」 ラウルの後ろから聞こえてきた面倒くさそうな声は、もちろんエルヴィーラだ。ラウルが「怒った」ことに気付いて急いで来たのだろうけれど、そんなそぶりは欠片も見せない。いつもどおりの、余裕に満ちた歩調と、温もりのある花の香りが、ラウルの隣に立った。 「エルヴィーラ、この人と友達?」 「知り合いではあるけど、グレイシアの様な友達じゃないわね」 「エルヴィーラ!」 姚が初めて焦ったような声を出したが、エルヴィーラは腕を組んでオホホと笑った。 「はやくわたくしに謝ってちょうだい」 「なっ、なんであんたに謝るのよ!?」 「なんでって、ラウルが自分をけなされたくらいで怒るはずないじゃない」 けろりとした表情でエルヴィーラは肩をすくめ、相変わらず殺気を治めないラウルを一瞥した。 「この子が暴れると、お父様クラスでないと止められないんだから、妙なちょっかいを出さないでよ。どうせ、わたくしをけなすか、陥れようとしているととられかねない事を言ったんでしょ?ラウルの事をよく知りもしないくせに悪ふざけをするから、そういうことになるのよ」 呆れ混じりのエルヴィーラに、ぎりりと歯ぎしりが聞こえてきそうなほど姚の表情が歪んだが、いますぐ全力で顔面を攻撃してきそうなラウルの気配に、小さく「悪かったわぁ」と言った。 「ラウル、姚紫涵とわたくしは、仲のいい友達ではないけれど、じゃれ合う程度には、お互いを知っているのよ。だから、無駄に怒らなくていいわ」 「・・・・・・エルヴィーラが、そう言うなら」 「ええ」 普段見せない、とてもいい笑顔でラウルを見上げたエルヴィーラは、それまで話し相手をしていたらしい人間の男たちを背に従えていた。 「うちのラウルを、他所に出すなんてもったいないことしないわよ。ミルド伯爵家にこそ相応しいと思わない?」 「ええ、そのとおりです」 間髪入れずに頷いたのはミランで、賛同する声は次々と上がった。彼等はエルヴィーラの美しさに魅了されていないわけではないが、より強く、より利がある方を選んでいた。 「うふふふ」 「・・・・・・やっぱり、エルヴィーラはすごいな」 「オーッホホホホ。もっと褒めなさい、ラウル」 胸を張って高笑いするエルヴィーラに、怒りを鎮めたラウルは腕を差し出した。そこに繊手を添えて歩き出したエルヴィーラは、うって変わってぷこぷこと怒り出した。 「まったく。今日はグレイシアのお祝いに来たのよ。変な騒ぎを起こさないでちょうだい」 「う、ん・・・・・・。ごめん」 「ラウルには、自分が真祖だという自覚はあるのに、不死族の王だという自覚がこれっぽっちも無いのよねぇ」 「そんな大層なものになった覚えはないぞ」 「ほらね。お父様が甘やかすから・・・・・・はぁ」 溜息をつくエルヴィーラに半眼で睨まれて、ラウルはするーっと視線を逸らした。実際、ヴェスパーに甘やかされていると思うので、ラウルは反論ができない。 (そうだな、グレイシア教授にも言われたし、真祖についてよく調べてみよう。何も知らないうちに王様扱いにされたら、たまったもんじゃない) ラウルが一人で決意を新たにしていると、ふと強張った視線を感じた。 (うん?) 慌ててラウルから視線を逸らしたのは、フォイデン侯爵フィリップだった。先ほどまでは自信に満ち溢れていた巨躯が、心なしかくたびれて、怯えているように見える。 「どうしたんだろうな?」 「ああ。侮っていた若造が化物だったものだから、怖気づいたのよ。情けないわねぇ」 「エルヴィーラの事を?」 「違うわよ、このあんぽんたん」 エルヴィーラからあんぽんたんなどという単語が飛び出してきて、ラウルは思わず笑ってしまった。愚か者と言われているのだが、そんなことはどうでもいい。 「あははっ。エルヴィーラといると、楽しいな」 「あらそう?わたくしには、ラウルが自分で転がした毬に喜んでいるようにしか見えないわ」 「また子ども扱いする」 ラウルは不満もあらわに唇を歪めたが、エルヴィーラの認識を改めるには至らなかった。 そろそろ帰ろうとグレイシアに挨拶に行けば、先ほどの騒ぎを知らされていたらしく、ラウルは頑張りなさいと励まされた。逆に、エルヴィーラからよくも姚をけしかけたなと睨まれていたが、グレイシアは「なんのことかしら」と、そらとぼけてみせた。なかなか食えない女史だと、ラウルも苦笑いを浮かべるしかなかった。 帰りの車の中で、ラウルはエルヴィーラに、ミルド家がホルトゥス州という人里離れた山深い土地を根城にしている理由を聞いた。 「そもそも、人外、異形と呼ばれる者たちが、人間の目を避けて暮らしていた。その後、先代が人間の王から叙爵されて、伯爵として治めることになった。歴史としては一通り理解しているけど、なんかふわっとしてるんだよな。人間との関わりを、もう少し詳しく知りたい。だいたい、もう王家はこの国にないだろう?なんで爵位だけまだ残っているんだ?」 「その方が、双方にとって都合がいいからよ」 ゆったりとしたリムジンの車内で肘をついたエルヴィーラは、ミルド伯爵家は実質辺境伯だと告げた。 「辺境伯は、自分の領地に関してすべての裁量が任されているの。例えば、国境越しに接している、隣国との交渉とかね。もちろん、基本方針は王家に従うけれど、いちいち首都にお伺いを立てなくとも、即応が可能という事よ」 隣国との交易では関税や物流量を握れる代わりに、国防に際しては最前線になる。首都から離れているからこその、危険と、それに見合う権力である。 国境を護る辺境伯だが、自分の国に未練が無くなれば、有事に寝返ることがあった。そうならないように、王家は辺境伯を厚く遇し、場合によっては侯爵よりも大きな実権と影響力を持つことになる。 「なるほど。辺境伯ではなくて名目上伯爵なのは、人間の国政に口出しされたくなかったからか」 「うちの領地は、いまでも大公領と変わらないくらい大きいものねぇ」 「それに、人間の国が地図上でどう変わるかもわからない。ミルド家としては、下手に深く縁を持つよりは、身軽でいたかった」 「そのとおりよ」 ミルド家に爵位を授与した王家は、とうの昔に血統が断絶しているが、その後に建った国でも、ミルド家は伯爵としての地位と権力を保障されていた。それは多く、あらゆる噂と事実によって、「触らぬ神に祟りなし」と認識されていたからであるという。 「なるほど。ホルトゥス州とミルド伯爵をひとまとめにして、政治上の一要素に落とし込んでしまったのか。統治をミルド家に一任して、できるだけ関わらないようにしたんだな」 「こちらとしても、人間の国の一地方という狭い認識でいるより、『我々と、人間たち』という広い認識の方が、政策上でも自意識上でも健全だったの。実際、ホルトゥス州を支配圏に入れた国家は、何度か変わったわ」 「確かにそのとおりだな」 激動する人間の世界にすりつぶされることなく、ミルド家は何百年という長い間、異形達の住処を護ってきたのだ。 「じゃあ、ミルド家の始祖・・・・・・つまり、ララの曾お祖父さんが、現在のホルトゥス州にいた理由って知ってる?」 しかし、エルヴィーラは首を横に振った。 「知らないわ。お祖父さまから、曾お祖父さまに関することを聞いたことも、あまりないわね」 「そうか・・・・・・。ヴェスパーは知っているかなぁ?」 聞いて素直に教えてくれるといいが、ヴェスパーも知らないかもしれないし、そもそも多忙なヴェスパーを捕まえるのに時間を取られるかもしれない。さっそくサイラスを頼ることになりそうだ。 「うーん・・・・・・あとは、やっぱり古文書か」 「それなら、お父様の書斎にある書棚の下の扉か、第一書庫の奥にある、扉付きの本棚を調べてみたら?鍵がかかっていたら、お父様かレジーが持っているんじゃないかしら。そこに収まっている本は、どれもすごく古い本だって聞いているわ。傷んでしまって、読みにくいかもしれないけどね」 「ありがとう。探してみるよ」 エルヴィーラはどういたしまして、と手を振り、疲れたらしい脚を行儀悪く伸ばして、ラウルに目のやり場を困らせるのだった。 |