エスコート ―2―
「あのサイラスが専属についたんですって?」 珍しくからかうような明るい調子で笑うエルヴィーラに、ラウルは肩をすくめてみせた。 「うん。なにか、評判の彼なのかな?」 「そうね。見た目がいいのはもちろんだけど、中身もなかなかの物よ。レジナルドの代理を務められる中でも、筆頭の性悪ね」 「レジナルドさんの代理!?そいつはつまり、ものすごく忠実で優秀ってことか」 あのレジナルドが認める忠誠心の高さと優秀さであるのなら、性格の善し悪しなど些細なことだ。 「サイラスもレジナルドに似て、仕事の鬼なの。お父様のわがままからの、多少の防波堤になってくれるんじゃないかしら」 「それはすごいな。ちなみに、エルヴィーラからの・・・・・・いや、なんでもない」 エルヴィーラから放たれたとげとげしい眼差しに、ラウルは大人しく口をつぐんだ。 今夜出席するパーティーは、エルヴィーラの同期が叙勲されたための祝賀パーティーだった。しかも、出席者は人間がほとんどだという。 「人間に混じって暮らしている人なのか」 「グレイシアはドワーフの血をひいているの。だいぶ薄まってはいるんだけどね」 「なるほど」 グレイシア教授は、父方の曾祖母にドワーフ族の出身者がいたそうで、エルヴィーラと同時期にトランクィッスル大学を卒業している。現在はモートリアル子爵に嫁いでおり、子供もいるという。 「グレイシアは、昔から大変な勉強家だったわ。人間と人外との融和政策や平和的な文化交流が専門だから、ラウルとも話が合うんじゃないかしら」 「それは俺よりも、イーヴァルやヴェスパーと話が合いそうだよ。俺、そんなに頭よくないし」 ラウルはそう自分を評したが、エルヴィーラには不満だったらしく、ふんと機嫌を損ねられた。 「向上心のない男は嫌いよ」 「はいはい」 エルヴィーラなんか最初から人間に興味ないじゃないか、というセリフは胸にしまう。苦手なことは他人に任せて、自分にできることをするというのは、正しい姿勢でもある。 そもそもダンテはヴェスパーに乞われて自分の考えを述べていたにすぎず、今のラウルに「みんなで仲良くしましょう!そのための方法を考えましょう!」なんて声を上げる気はさらさらない。嫌なら嫌で、関わらなければいいのだ。 ラウルはどちらかと言えば、もっと実利的で実務を含んだ、現在のマイナスをゼロに、そしてプラスに、という話の方が好きだ。困っている人を放っておけない・・・・・・だから、お人好しと言われるのかもしれないが。 パーティーは歴史ある城館を改装した高級ホテルのホールで行われるらしく、出席者もかなり多そうだ。教授の知人などはもとより、夫である子爵の関係者も多いはずだ。 ラウルの腕に白い手を添えたエルヴィーラが入室すると、それまでざわめいていたフロアから、波が退くように雑音が消えていき、自然と道が開かれる。ゆったりとしたBGMが、大きすぎるようにすら聞こえてきた。 毛足の長い絨毯をハイヒールが踏みしめ、黒と真紅を重ねたイブニングドレスを華やかに纏わせたエルヴィーラを、誰もが注視している。お祝い事とはいえ、インテリジェンスな場であることから、長い黒髪はハーフアップに編み込まれて、金の台座にガーネットをちりばめた髪飾りが挿されている。ドレスも肌の露出は控えめなシースルーで、前開きロングスカートの裾だけが大胆に広がっているデザインは、若すぎず年寄り臭くならない、絶妙のラインを出していた。 「エルヴィーラ!!あぁ、ありがとう!本当に来てくれたなんて!」 夫や協賛者たちを放り出す勢いで駆けてきたのは、健康的なピンク色の頬をして豊かな白髪を結った女性だった。 「おめでとう、グレイシア。お久しぶりね。元気だったかしら?」 やや腰をかがめて、背伸びをする小柄な彼女とハグをして頬を付けあい、こんなに親愛を示すエルヴィーラを、ラウルは初めて見た。 「もちろんよ。ずっと会えなくて寂しかったわ」 「うふふ。そんなことを言っては、旦那様が妬くのではなくて?」 「困ったことに、彼は女の友情を 若い娘のようにキャラキャラと笑い合う二人を見て、ラウルはやや遠い目になった。 (そういえば、エルヴィーラが何歳なのか聞いたことなかった・・・・・・。そうだよな、若いのに叙勲なんて、ほぼありえないし) 深緑のドレスを着たグレイシア女史は、子供どころか孫がいてもおかしくないしわを、柔和な明るい笑顔に刻んでいた。 「ところで、こちらのハンサムさんは?あなたが男性にエスコートされて不機嫌そうな顔をしていないなんて、初めて見たわよ?」 思わず目を瞬いたラウルがグレイシアを見ると、生き生きとした緑色の目が大きく見開かれた。 「まあ。・・・・・・もしかして、エルヴィーラの同族の方?」 「はい、教授。この度はおめでとうございます」 「ラウル・アッカーソンよ。お父様の古い友人なのだけれど、今はトランクィッスルで小学校の教師をしているわ。もっとも、グレイシアにはダンテ・オルランディという名前の方が、なじみがあるでしょうけどね」 はじめまして、とラウルが礼をすると、グレイシアはさらに目を大きく瞬かせた。 「そんな、まさか・・・・・・冗談でしょう、エルヴィーラ?だって、何百年も前に死んだ・・・・・・。まって、アッカーソン?もしかして、ソワーズご夫妻をご存じ?」 「えっ?」 もちろん、知っている。ラウルが合衆国を出るきっかけになった、モーリンの両親だ。 なんと、グレイシアの論文や講演を見たソワーズ夫妻から、異形に先祖返りをした子供を持つ親としてコンタクトがあったらしい。娘に対してどういう態度を取ればいいのか、自分たちが何をすればいいのか、具体的な導きとなる知性を探していたようだ。 「私の仕事で、少しでも不安や悩みが晴れてくれれば、こんなに嬉しいことはないわ」 にこにこと微笑むグレイシアに、ラウルは頭が下がった。ラウルは困っている中心の人には手を差し伸べるが、その周囲であたふたしているだけの連中には、割と冷淡なところがある。グレイシアのような存在がいてくれることで、モーリンのような子供の将来、あるいは拠り所とするものの不安が取り除けていたのは、視野の外だった。 「この時代で、あなたのような素晴らしい仕事をされている人とお会いできて、嬉しく思います」 「こちらこそ、まさかトランクィッスルの偉人に会えるなんて、思ってもみなかった。とても光栄だわ」 握手を交わしたグレイシア教授に案内され、モートリアル子爵にも挨拶を終えると、あとはパーティーが終わるまでエルヴィーラの側にいればいいだけだ。 教授の挨拶や主賓からの祝辞などが済み、皆様ご歓談くださいとなれば、いい酒を片手に料理をいただく作業に入る。立食式のテーブルには、様々な料理が並べられ、フルーツやケーキのタワーまであった。 「先に言っておくけど、グレイシアはトランクィッスルに来る前に、他の大学を卒業していたわよ。ご実家も資産家なの」 「そ、そうなんだ」 歳を詮索するなという事なのだろうが、ラウルと同年代に見えるイーヴァルの姉なのだから、ラウルよりもかなり年上なのはわかりきっている。覚醒するまでは人間として生きていたラウルと違って、エルヴィーラたちは子供の頃から外見年齢の重ね方が緩やかだったはずだ。 「グレイシアはどうかしら?」 「驚いたよ。才女と言うか・・・・・・とにかく、頭の回転も、行動力も、すごい。俺が知っている教授でも、あんなに発信力がある人は珍しいよ。研究も深くて新進的で・・・・・・あちこちから攻撃を受けそうなテーマなのに、人間にも異形にも寄り添った、独自のスタンスを崩さない。論文もすごい数を書いているんだろう?有識者として政府とも関わっているみたいだし、叙勲も当然じゃないかな」 ローストビーフを飲み込んでラウルがそう答えると、白ワインを満たしたグラスを片手に持ったまま、エルヴィーラはその豊かな胸を反らせた。 「そうでしょう?自慢の友達なのよ」 ふふんと鼻高々な様子のエルヴィーラを、ラウルは微笑ましく思った。いままで失礼ながら、エルヴィーラに友達がいるなんて想像もしていなかったが、彼女にも同性の友達がいたことが嬉しかった。 (たぶん、グレイシア教授が謙虚で嫉妬をしない人だからかな) あのとおり、エルヴィーラはプライドが高くて頭も顔もいいものだから、張り合おうとする相手は徹底的に打ちのめしてきたことだろう。だが、グレイシアはエルヴィーラに張り合おうとするのではなく、共に歩もうとする人だったに違いない。 「素敵な友達だね。やっぱりエルヴィーラの交友ってすごいな」 「オーホホホッ。もっと褒めてもいいのよ」 エルヴィーラの機嫌は良さそうだ。 (ただ・・・・・・) さりげなく周囲を窺えば、エルヴィーラに対する複数の視線を認めずにはいられない。驚きや感嘆、興味や羨望というものもあったが、多くは、恐怖をにじませた不審、隠されない嫉妬、軽蔑を含んだ嫌悪、あからさまで下品な情欲・・・・・・そういったものが大半だ。 「およしなさい」 「まだ何もしてないよ」 いつもの笑顔は崩れていないはずなのに、とラウルは呟きながら、少し冷めたロブスターのテルミドールにフォークを挿す。 「殺気が駄々洩れなのよ」 「おかしいなぁ・・・・・・」 「貴方は真祖なのよ?」 「あー、イラのせいか」 軽率に『 「子供じゃないのだから、落ち着きなさい。品位に欠けるわ」 「・・・・・・わかった」 たしかに、これではサイラスの心の導火線が短いなどと揶揄できない。ラウルは良く冷えたビールを飲み干して、呼吸を整えた。 (グレイシア教授の理想に賛同することと、実際に自分の傍に来られるのとでは、だいぶ違うんだろうなぁ。教授も実働レベルでは苦労が多そうだ。まったく、こっちも腹立たしい) 恵まれた環境のおかげで、普段は腹が立つことなんてほぼ皆無だが、自分はこんなに短気だったかなと、時折首をかしげたくなる。十代の頃ですら、苦しいほどの苛立ちを覚えることはあっても、こんなに沸点が低いなんてことはなかった。 (去年の・・・・・・いや、きっと、トランクィッスルに来て、記憶が戻ってからだな) 真祖という稀有で強力な個体だとしても、それが罪源の影響をもろに受けるものだとしたら、良いとも悪いともいいようがない。ラウルは二杯目のフルートグラスに口を付けた。 「フロイライン! エルヴィーラにかけられる大きな声の主を胡乱気な目で見ないよう努めながら、ラウルは飲みかけのビールをテーブルに置いた。 「こんばんは、フォイデン侯爵」 フィリップ・フォイデンは、飛行機事故で亡くなった父の跡を継いで、若くして侯爵位についているらしい。サイラスに聞いたところによると、まだ三十歳になったばかりだとか。百九十センチを超える立派な体躯が夜会服を内側から押し上げ、胸郭が膨らむたびに、がっしりとした顎から大きな声が出ている。金髪を撫でつけ、清潔感をアピールしているようだが、大袈裟に動く頬や目の動きが気に入らないと、ラウルは視線をそらせた。 彼はエルヴィーラとは面識があるようだが、親しく話しかけている割に社交用の笑顔と定型文しか向けられていないところをみると、その程度の関係でしかないようだ。それでも、複数の取り巻きらしい男を連れており、なかなかの権勢を誇っているように見える。ただ、その中の一人に、ラウルは見覚えがあるような気がした。そして、むこうも気が付いたようだ。 「あ・・・・・・」 「たしか、ヴェスパーに連れて行かれた会議で・・・・・・事務次官殿の補佐をしている?」 「はい、そうです」 ミラン・ハークと名乗ったのは、金融庁で働いている青年だった。癖のある黒髪と灰色の目をしており、いかにも怜悧そうな鋭い眼差しを持っている。だが、久しぶりと握手をする笑顔には、苦いものが少々混じっていた。自分の立場を嘲笑ったものか、それとも前回会った時のラウルの人外加減を見ていたせいか。 ラウルと友誼を結んでおくことに利を悟っているミランであるから、フィリップに放っておかれている自分の周囲を紹介しようとしたが、すぐに大きな声が割り込んできた。 |